蛇食い猫

藤木稟

第1話

   1


『ちぃ子はバイ菌。菌がうつるから学校に来るな!』


 あたし達が黒板に書いた大きな字を読んで、ちぃ子は真っ赤な顔で泣いていた。鼻水と涙でぐちゃぐちゃに汚れたちぃ子の顔を思い出すと、思わずあたしは笑ってしまう。

 あたしはエミリ。自慢することじゃないけど、いじめグループのリーダーだ。

 ちぃ子にあたしが目をつけたのは、前に「バイ菌」とあだ名をつけていじめてたキリコが、不登校になっちゃったから。ちぃ子は気弱でよく泣くのだ。

(さあ、明日はどんな風にしていじめてやろうかな?)

 そんなことを思いながら下校して、家の近くの神社の前まで来たときだ。

「もしもし、おじょうちゃん。」

 若い女性の声がした。

 ふり向くと、とても綺麗な女のひとが、赤い鳥居の下に立っている。おそらく二十代半ばぐらいのその人は、白いワンピースに、すてきなレースの長手袋をつけていた。そして、両手で段ボール箱を持っている。

「あたしに何か用ですか?」

「ええ。おじょうちゃん、猫は好きかしら?」

「猫? 好きだよ。カワイイ猫なら。」

「じゃあ、ちょっとこの子を見てみない?」

 女のひとは、そっと箱のふたを開けた。

 すると中から、真っ白でふわふわの長い毛に、青い瞳の綺麗な子猫が、ちょこんと顔をのぞかせた。そしてカワイイ声でにゃおん、と鳴くと、あたしの手をざらざらの舌でなめたのだった。

「うわっ。くすぐったい。カワイイ!」

 子猫はふんわり甘い匂いがした。あたしはすっかりこの子が好きになった。

「どうやら、猫もあなたを気に入ったみたいね。よければ、この猫、飼ってみない?」

「もらっていいの? ほんとに?」

「ええ、いいわよ。」

 女のひとは優しくほほ笑むと、箱ごと子猫をあたしに差し出した。

 あたしは喜んで腕を一度伸ばしかけて、また引っ込めた。

「でもなー、ママとパパに怒られちゃうし……。」

 まん丸な目であたしを見上げる子猫の姿に、あたしの胸はどきどき揺れた。

「あなたの両親だって、すぐに好きになるわよ。だって、この子は特別な猫なの。」

「特別な猫?」

「ええ、おじょうちゃん、この神社に祀られている猫の神様のこと、知っている?」

 あたしは全然知らなかったし、第一、神社になんてまるで興味がなかったので首を横にふった。

「この神社に祀られている猫神様の名は、北斗丸。この子はその猫神様の子孫なのよ。だから大事に育てれば、福を運んでくれるの。」

「ふうん。本当に?」

「本当よ。すぐに分かるわ。ご両親がダメと言っても、一日だけ待ってもらうといいわ。きっとすぐにいいことがあって、考えが変わるから。」

 女のひとは不思議なことを言うと、そっとあたしに猫を手渡した。


 家に帰ると、案の定、ママはあたしをしかりつけた。

「エミリ、ダメよ。動物は飼わないって言ったでしょう!」

 するといつもは優しいパパも、ため息をついてママに賛成する。

「いいかい、エミリ。ただ好きなだけじゃ、動物は飼えないんだぞ。飼い主の責任ってものが必要なんだ。エミリにはまだ早い。」

「えー! いやだいやだ! そんなこと言わないで、飼わせてよー。この猫はね、大事に飼うと福を運んでくれるんだって。だから、いいでしょ? ねー、お願いー。」

 あたしは必死に訴えた。親の言うことなんて、聞くつもりはない。

 子猫はいつの間にか箱から這い出して、あたしの胸に飛び込んできた。まるで「私を捨てないで。」と言ってるみたいに、腕にぎゅうっとしがみついてくる。

 この子はもうあたしのもの。手放すなんて、絶対にいやだった。

 だけど、パパとママは取り合わない。

「福だの神様だのって、そんなのは作り話よ。いらない猫をアンタに押し付けたくて、ついた嘘に決まってるでしょ。さあ、いいから早く捨ててきなさい。」

「いや! 絶対捨てない! うちで飼うからね!」

 あたしはそうさけぶと、猫を抱いて自分の部屋に閉じこもった。中から鍵をかけ、晩ごはんだってストライキだ。

 子猫はごろごろと喉を鳴らして、かわいくあたしに甘えてくる。あたしは子猫の頭をそっと撫でた。

「まったくもう。気に入らないことがあると、すぐにこれだ。お前はエミリをわがままに育てすぎだぞ!」

 ドアの向こうで、パパの声がしている。

「私のせい? あなただって、いつもエミリを甘やかしているじゃないの!」

 ママの声も聞こえてくる。きっと今夜も二人は大げんかだろう。

「何とでも言ってればいいわ。最後は絶対、あたしの言い分が通るんだもんね。ねー、子猫ちゃん。そうだ。名前をつけようか? そうだなー。お前は雪みたいに真っ白だから、ユキちゃんでいい?」

 すると、子猫は可愛く、にゃーと鳴いた。

「名前、気に入ったんだね。良かった。」

 あたしはユキと一緒にベッドにもぐり、ふわふわのユキを抱いて眠ったのだった。


 翌朝、あたしはママの甲高い悲鳴で起こされた。

「たいへん! たいへん!」

 リビングで、ママとパパが大騒ぎをしている。

 眠い目をこすりながら見に行くと、二人は新聞を広げ、ママが買った宝くじの一枚と見比べていた。

(あれ? もう、怒ってないのかな? あたしとユキのこと。)

 あたしが首をかしげていると、ママは震える手で新聞を指さした。

「ああ、エミリ、驚かないでよ。一千万よ。一千万円、あたったの!」

 ママがそう言ったときだ。

 あたしの後ろを追ってきたユキが、ぴょんと新聞紙の上に飛び乗ると、ママとパパとあたしをぐるりと見回して、胸を張り、にゃあーあ、と得意げに鳴いた。

「……もしかして、これがユキの福を運ぶ力……っていうやつ?」

 あたしがつぶやくと、ママの目がキラリと輝いた。

「そうかもしれないわ、パパ!」

 しかもその晩、帰宅してきたパパは、信じられない、という顔でこう言った。

「とても急な話だが、パパは部長に昇進することになった。辞めてしまった人のかわりに、社長がパパを推薦したらしい……。」

 ママもパパも目を丸くして、ユキを見た。ユキは、にゃあーあ、と鳴いた。

「ママ、パパ。あたし、ユキを飼ってもいいよね?」

 あたしは勝ちほこって、そう宣言したのだった。

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