序章IV
今夜の映画はちょっと期待外れだった。おい。絶対に何の映画を見たか書くなよ。色々差し障るだろうが。このコンプライアンスのうるさい時代に要らん喧嘩を売るような真似はするな。
消化不良な気分で布団に入ると、頭の中で声が響いてきた。
《・・・よ》
《・・・者よ》
《・・・勇者よ》
「またお前か!痴女だな?!」
《いや、やめて。ホント痴女扱いはやめて。私はこれでもそれなりに高位の女神で》
「嘘つけ。あっさり警察に捕まってたくせに」
俺は鼻で笑った。頭の中に直接攻撃してくるとは思わなかったが、俺はまだ何らかのスピーカー的な仕掛けを疑っている。
《この世界じゃ、実体を維持するだけでもとんでもなく魔法を消費するのよ!・・・えー、コホン。我は『契約の紡ぎ手』アストリア・シルヴァーナ。勇者よ、そなたは喪失王》
「なんだおい。急に女神感出そうったって、そうはいかないぞ。露出狂ストーカーめ」
《ちょっと!ホントにやめてってば!せめて話くらい聞きなさいよっ!!》
「ほれ見ろ。地金が出たぞ。何が女神だ。正気かお前は」
何が悲しくて寝入りばなに露出狂ストーカー痴女の妄想話に付き合わなきゃならんのだ。楽しみにしてた映画は期待外れで、ダメ押しにこれか。どう見ても俺の気が狂ってると思われても仕方ないではないか。くそー。
俺は布団から出ると、周囲を探った。何か仕掛けがあるはずだ。指向性スピーカーとか、骨伝導型スピーカー、・・・は、非接触じゃ機能しないか。
俺は枕の周りを念入りに探った。
《・・・ちょっと、何してんのよ》
「何だおい。カメラまで仕込んでるのか?いつの間に忍び込みやがったんだ。ったく、油断も隙もありゃしねぇな。何が女神だ。やることがいちいち怖ぇーんだよ」
《してないからね?私、そんな事してないから。さっきからホントやめて。取り敢えず一旦聞いて?まず落ち着こ?》
どこにもスピーカーが見当たらない。そもそも俺の殺風景な部屋に何かを仕込むというのが土台無理な話だ。しかし見付からないからといって、それで女神などという与太話を信じるほど、俺はイカれてない。
つまり、俺は何も聞こえていない。聞こえている事にして勝手に書き進めているつもりだろうが、そうはいかない。俺本人が認めていないのだから、これは恐らく隣の部屋の大学生が大音響で異世界アニメでも見ているのだろう。
壁が薄いとこれだから困る。明日、不動産屋に文句を言ってやる。
《我は喪失王カイム・ヴェル・アズライトとの契約を果たすため、そなた佐藤一郎を勇者と定め、喪失王の下へ導くため・・・、ねぇ聞いてる?》
俺は睡眠導入剤を服むと、とっとと横になった。
《ちょっと待って。さすがに眠られちゃったら、私の話なんて夢か本当か判らなく、いや本気で寝るのやめて?ねぇ・・・聞いてる?》
無論、聞いてない。秒で俺はデルタ波を出して深睡眠へと落ちていった。
いつも通り、目覚まし時計で起きた。どーだ。俺が熟睡していれば何も書けまい。やーい、やーい。
とはいえ、永遠に寝続ける訳にもいかない。何だよ。まだ書くつもりか?俺は召喚に応じないぞ。ここまで来たら意地でも異世界召喚ハラスメントには徹底的に抵抗する。何の起伏も波乱もない、地味で地道な人生を嫌と言うほど書かせてやる。
いつも通り買い置きのパンをインスタントコーヒーで流し込むと、俺は出勤する支度を整えた。そして秘密兵器を手に取る。念には念を入れておくのだ。
《おはよう勇者よ。我は》
来やがった。俺は手早く無線イヤホンを耳に突っ込むと、大音量で Progressive Nu metal Playlistを再生し始めた。幻聴に対しての物理攻撃である。
《勇者?》
《・・・ちょっ》
《と、とにか》
《聞けーっ!》
《ちょ、うるさ》
《聞いてっ!ねぇ、聞いてってば!》
ヒス起こしてやがる。チョロいな痴女神。
通勤時間の一時間超、ひたすら意味不明なくらいガチャガチャと煩くて変拍子の訳のわからぬ Progressive Nu metalを次から次へと流し続けている内に、女神とやらは疲弊したのか声が止んだ。
乗り換え駅で降り、更に電車に乗るためにホームに立つ。ここでも既に二十回くらいは線路に突き飛ばされかけている。
もはや殺人召喚である。慎重にホームの真ん中に立つと、今日も何やら人の流れが俺をホームの端へと導こうとしている。俺は鉄骨の柱にしがみついて、人の流れに逆らった。満員電車では痴漢冤罪の方がよほど怖い。
都内で働くサラリーマンが召喚ハラスメントごときに構っている時間などないのだ。
電車も油断ならない。というか世の中ありとあらゆるドアというドアが信用ならない。目を凝らすと薄らボンヤリと光っていたり、魔法陣が落とし穴のように待ち構えていたりする。
俺はもはや習い性となってしまった、
意味不明の『聖なる義務』とやらから己を守るためなら、赤の他人の犠牲も已むを得ない。現代人は利己的なのだ。別に俺が手を下した訳では無い。
悪いのは異世界だ。
これは、生活の知恵なのだ。生き馬の目を抜く現代社会を泳ぎ切る為に必要なスキルといえばスキルだろう。本来なら必要ないし役に立つ訳でもないのだが、図らずも召喚ハラスメントを回避し続ける内に身についた。
ある意味『能力者』となってしまった現状が腹立たしい。平凡な人生という静かな海に混入した黒いインクの一滴である。透明度の高い平穏な日常が異世界に汚染され、不愉快極まる。
何が女神だ。喪失王だ。安定志向の俺の人生には無用だ。・・・だから俺の保守的な性向を書くなと言ってるだろうが。査定に響くんだよ。何が「挑戦しないもの、変化できないものは必要ない」だ。そのスローガンに騙されて磨り潰された同僚が何人いると思ってんだ。出る杭は叩きのめすくせに口だけご立派なもんだ。
えいくそ、書くな!こんなものが公になったら、社内での立場が無くなるだろうが!もう無いかもしれないが。
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