感動と物語性について

ほんや

感動と物語性について

 「物語性」という言葉について聞いたことがあるだろうか。おそらく私がこれを書く以前に、何度も目にしたことのある言葉だろう。今回は私が思う「感動」と「物語性」について書き記そうと思う。


 しかし、文章というものを書き始めて間もない私が、物語性というものを論じるのはいささか場違いなことのように感じる。それほど長いこと生きているわけでもない(17歳高校3年生である)。だけど書いてみたいと思ったのだから、書こうと思う。私はこれを誇りある黒歴史として抱えていくことになるだろう。




 茶番は置いておくとして、本題に入ろう。


 主題は感動と物語性であるが、読者の皆様方は「感動」したことがあるだろうか? 私より長く生きていらっしゃる方々は多くの感動に出会って来ているのだろう。私よりも歳が低い読者は少ないと思うが、これから感動を味わっていくのだろう。まあ、人それぞれである。


 さて、そんな「感動」であるが、私がしかと感動したという実感を持っているのはほんの数回になる。しかも、そのほとんどを忘れてしまっている。おそらく過去にはもっと「感動」を味わっていたのだろう。もったいない。


 その数少ない感動のうち、今も覚えているものがある。とある動画を見たときのことだった。内容については割愛するが、とあるTRPGのセッションの動画だ。


 それを見終わったとき、私は一人で静かに涙を流していた。また同じものを見ていた人とその感動について語り合ったりもした。


 他にもいくつかあるが、それらすべてに共通するものを見つけた。それこそが題にもなっている「物語性」である。




 我々は「感動」する時に、そこに「物語性」を見出しているのだ。


 小説、映画、テレビドラマやアニメなどはわかりやすいだろう。そこにはしっかりとした物語がある。誰々が誰々の何々を何したから……etc. 直感的にもわかるはずである。


 ここでこんな反論が飛んでくるだろう。「じゃあ、山頂で見たきれいな景色とかで感動したのはどうなのか」とか抜かすやつがいるはずだ。


 実は、それにも「物語性」という物が潜んでいるのだ。さっきの場合は「景色を見る」という行為の裏に、景色を見るまでの「過程」がバックボーンとなっている。必死に山を登ってきたのか、それとも車で山頂まで行ったのかは知らないが、少なくとも景色を見るためにしてきたことがあるだろう。それこそが「物語」なのだ。


 この例に限らず、感動したということの裏には必ずその過程となる「物語」がある。極端な話、何も知らない人が山頂にテレポートして、いきなりきれいな景色を見て感動したとしてもそこには物語があると考えられる。この場合には、「いきなり」という点が重要であるかもしれない。


 まあ「物語性」があるからと言って、それに感動するかはその人次第であるが。






 そもそもの話であるが、人間というものは「物語性」を追求する生き物である。急に話が飛躍したと思うかもしれないが、話を聞いて欲しい。




 人間は過去に生きている。それはどうしようもなく事実であると読者も自覚しているだろう。過去の出来事如何いかんで物事を判別し、理解し、対応する。それは紛れもなく私達がこなしてきたことであるはずだ。少なくても私は未来を見たことはないし、過去無しで私のことを語ることはできない。もし、未来のことを”確実に100%”知れるという人がいたらぜひ連絡してほしい。おそらくいろんな学会がひっくり返ることだろう。


 上記のことは納得してくれたと思う。では次に過去がどこまで「過去」なのかについて考えてみよう。自分自身を自覚したときだろうか、それともはるか昔の歴史を知ったときだろうか。どちらでも良い。いずれにせよそこには「物語」が介在するのである。


 人間は情報交換のツールを主に言葉というものを扱っている。(ここでの言葉は発話、文字のどちらでも良い)人間を語る上で言葉というものは重要なファクターなのだが、詳細については割愛する。端的に言えば、言語は論理を作るのである。


 人は、基本的にはその人の母国語を脳内で思考していることだろうと思う。もう少し言えば、その内容は具体的でなくちょっとだけ”曖昧”だろう。その”曖昧”な思考を論理づけ、情報を共有するために一般化するためのツールこそが言葉なのだ。


 さて、ここまでを理解してもらえたとして、歴史について語ろう。歴史とは過去から脈々と継がれ続けているものである。それは言葉によって繋がれており、言葉のない時代というものは断絶されている。


 またも言葉である。


 ここで考えてみてほしい、言葉によって記録の継承、論理の継承がなされていなかったのなら、私達は過去の出来事を覚えていられるのだろうか。そう、人間というものは言葉によって過去を理解し、未来を見ようとするのだ。言葉によって過去を、情報を論理づけ、継承する。これこそが人間の営みの実態である。



 

 つらつらと語ってきたがここで視点を変えてみようと思う。「物語」とは何なのか、ということについて考えていこう。


 読者諸君はどんなものを見た時、あるいは聞いたときに物語を感じるだろうか。小説を読んだ時、噂話うわさばなしを聞いた時、それとも音楽を聴いているときだろうか。まあ人それぞれである。ちなみに私は小説を書いているときにも感じている。それについては置いておこう。


 ではこれらに存在する共通点は何か? 感動するときには物語性が存在していたが、物語には何があるのだろうか。私が思うに、それは言葉である。いや、少し違うかもしれない、言葉というものは意思疎通のためのツールであり、物語の本質を指していない。ならば物語というものはもっと根本的な意思疎通をするということなのだろうか? まだ違うような気がする、それに物語は行為ではないはずだ。どちらかと言うと物語はその行為の内部にあるだろう。


 これ以上書き連ねても助長になるだけだから、結論を述べよう。物語というのは論理化された物事のつながりのことだ。もっとわかりやすく言うと、因果関係そのものである。いささか冷たいイメージを持つかもしれないが、上記をまとめるとそうなる。


 ここでは例示しないが、実際の簡単な物語を思い浮かべてみるとわかりやすいかもしれない。

(論理の飛躍が物語に様々な効果を与えることもあるがここでは省略する)




 ここまで、二つのことについて語ってきた。人間は過去より言語を用いて継承を成してきた、物語というのは論理的な物事のつながりのことの二つだ。聡明な読者諸君ならば私の言いたいことがもう分かるはずだ。そう、人間は過去よりのだ。


 私が最初に明記したのは何だっただろうか。それは人間というものは「物語性」を追求する生き物であるということだ。物語を用いることで情報を継承することができるのなら、物語は人間の活動に密接に関係していることは明らかだろう。






 私のように拙いながらに小説を書いている人はそれほど少なくないだろう。何時か作家を目指している人、カジュアルに趣味としてやっている人、様々だと思う。


 私は昔の自分の文章を読み返した時、読みにくくて仕方ないと思った事がある。単純に文章が下手だというのもある、しかし一番の原因は何を言っているかわからんのである。つまるところ、論理関係、因果関係がめちゃくちゃだったのだ。とても見せられたものではない。


 別に今の私が昔から成長して読みやすい文章を書いているということを殊更強調しているわけではない。多少は変わっているかもしれないが、今も少々自分の文章は読みにくいと自覚している。


 では何が言いたいのか、重要なのは結局、論理性なのである。


 我々は物語性によって感動する。ならば小説を書くときもそのを意識せねば、人を感動させることはできないのではないだろうか。別に小説に限った話ではなく、何かを創るということに関しては同じであるはずだ。


 私は普段こんなことを意識して小説を書いてはいなかった。自分が書きたいものをただただ書き連ねていただけだった。しかし、この「物語性」について考え始めてから少々認識が変わった。人に見てもらうためにはちゃんと考えねばならないのだ。当たり前のことを言っているようだが違う。ただただその場その場でこうしたい、ああしたいと決めるのではなく、全体を鑑みて作らねばならないのだ。


 初心者がお試しで書いてみる分にはいいかもしれない。けれど本気で読んでもらおうと思うのならば、全体の流れが整うように最初からプロットなり何なりを作るべきだろう。


 ……これに関しては、その場その場で考えてちゃんと全体がまとめられる人には、あまり当てはまらないかもしれない。


 ともかく、「物語性」を追求することが人に作品を見てもらえる第一歩であり、「感動」させる要因の一つであることは間違いないだろう。






 さて、ここまで読んでいただけたことを感謝しよう。駄文だったが読みにくくなかっただろうか。「物語性」と「感動」についてはわかってもらえただろうか。正直ここまで屁理屈をこねくり回して書いてきたと言っても過言ではないのだが、違和感なく出来上がっているだろうか。


 ”つくる”ということはどういうことなのか、自分の目指すものつくりたいものは何なのか、それを突き詰めることがより良いものをつくる助けになるはずだ。だからこんな文でも、創作そのものについて考えることを広められたのなら、それは良かったと思う。

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