第14話 伯爵の回復

 妹の事で上の空だった私を出迎えたのは殴打だった。小屋に戻るなり黒い影が私の前に飛び出て、次の瞬間私は強い力で殴られていた。突然の奇襲に目が回る。


 瞬く間に私は壁へ押し付けられ、喉元に冷たい何かが触れた。暗がりの中で、縦長の瞳孔が光っていた。


「フレレクス……?」

「魔術師、貴様は誰だ? 我輩の命を狙いに来たのか?」


 聞いたことの無い声だった。私はこの小屋で眠っている筈の瀕死の魔物が姿を消している事に気付いた。


「そうか。目覚めたのか。治療代をこんな手荒な方法で払うとは思わなかったが」

「治療だと?」


 私が釈明を始めるよりも先に、慌ただしい足音が小屋に駆け込んできた。


「彼から離れろ! その人間に少しでも傷を付けたら君を許さない」

同朋ともよ、こいつは人間だ」

「君は血の香りしか嗅ぎ分けられないのか? その男からそこの薬と同じ匂いがするだろう。君を回復させたのは他でもない彼だ」


 フレレクスの言葉に、獣のように光る魔物の目が細められた。


「……なぜ人間の魔術師がそんなことをする? 我々を利用するつもりか」

「いいや。彼、ナプティアはそんな事はしない。誓って彼は信用できる人物だ。私のナイフを返してくれるか」


 魔物は低く唸って私から離れた。暗がりから出た姿は、確かに我々が伯爵邸から助けたものと同一のように思えた。纏っていた襤褸ぼろの代わりに、上衣チェニックとフレレクスの外套を身に着けている。青白い顔と痩せた身体は記憶と変わらないが、鋭い眼光と尖った牙はまさしく吸血鬼のものだった。


「理解してもらえたようで良かったよ」

「ナプティア、怪我は?」

「大したことない。それでどうしてこんな事に? 彼はいつ目覚めたんだ?」


 フレレクスは短剣をしまいながら、魔物と私の間に割って入りつつ答えた。


「君が今朝ここを出た後だった。ここに至るまでの顛末と我々の状況を説明した後、私はつい先ほどまで食料の調達に出かけていた」

「何か捕れたか」

「いや。物音がしたから帰って来たところだ」

「良かったな、食料問題は解決だ」


 私がヒルの入った麻袋を渡すと、フレレクスは中を覗き込んだ。なにかしらの反応を私は内心期待していた。


 この気味の悪い荷について説明、或いは誤解を解くための否定をだ。しかし、彼は中を確認しただけで、当然のことのように袋の口を締めて部屋の隅に転がした。


「ならば、同朋ともよ。其方そなたの言う人間の協力者とは、この魔術師の事か」

「そうだ。彼はノアーグ=ナプティア。高名な植生学者であり薬学者だ」

「聞いたことがない」

「何十年も地下に閉じ込められていたら当然だ。驚くべきことだが、ナプティアは私の正体を知っても疎まず、更に君を救う事を選んだ。感謝したまえ、彼がいなければ君は死んでいた」

「そのような魔術師がいるとは、にわかには信じがたいな」


 魔物は鳶色の目に怪訝そうな色を浮かべて私の方をまじまじと見た。フレレクスの言葉が効いたのか、先程まであった敵意は薄れていた。魔物に対する質問はいくらでもあった。どうしてあの屋敷に囚われる事になったのか。これからどうするつもりなのか。それらをどう切り出そうか私が考えあぐねている内に、フレレクスは別の話題を始めてしまった。


「それより荷は戻ったようだな。なによりだ。」

「ああ、そうだった。君のおかげだ。だが我々は大きな間違いを犯したかもしれない。あの審問官は狂人だ。おまけに君の返却した銀剣は本物の神剣だった。最悪だ。返すにしたって、よりによってあんな危険な男に渡すべきじゃなかった。奴は剣を手に入れても、まるで満足していない。君を殺すつもりだ」


 私は宿で目の当たりにした全てを彼らに伝えた。


「かもな。そうなる気はしてたんだ。今更、悲願の魔物退治はやめられまい。それこそ私と刺し違えでもするまでは。心配いらない。私にとっては、筋書き通りに動かない君のほうが余程目が離せない。とはいえ、危惧していた事がなにも起きなくて良かったよ」


 フレレクスが言った。果たしてあの狂った会談のどこに良かったと思える箇所があるのか。


「なにを恐れていたんだ?」

「殺されるんじゃないかと」

「そんなに君が心配してくれてたなんてな」

「いや審問官が。君の手によって」

「私はそんなに短気じゃない」


 事実を棚に上げれば、フレレクスは見透かしたような目を私に向けた。


「そうだな。君なら宿ごと燃やすくらいはする」

「ところで、そんな剣を手放して手に入れたその鞄の中には一体何が入っているのだ?」


 魔物は私の鞄を指さした。ようやく取り返した私の荷だ。


「ああ、聞いてくれるのか。驚くなよ。この世界にある貴重なる珍品の全てだ。例えばこれは天海鯨の肝油。6年前落下してきたところを植生科の研究室総出で回収に向かった。爆発しないかヒヤヒヤしながら採取して、生類科と因果科から守り通した逸品だ。一滴で目を治す。その上、一夜中猫のように暗闇の中でも目が見えるようになる。……君たちは元から見えているようだから不要だろうが」


 私は入手した経緯も含めて、コレクションの説明をした。


「ナプティア、この白い布は何だ?」

「それは遠い異国から来た物だ。いくら汚れても、燃やす事で元通り真っ白になる。確か火鼠の衣だとか火浣布かかんぷと呼ばれていたな。だが魔術的な干渉があるわけでもない。一切の魔力を必要としない、燃えない不思議な糸で編まれたショールだ」

「この糸がなんなのか知っているか?」

「いいや。積み荷に紛れて密輸されてきたものらしい。同じものが見つかったという話も聞かないな」

「普段から使うのか?」

「確かに火はよく扱うが、引火するような扱い方はしない。だからわざわざこれを着てなにかをすることはあまり無いな。これがどうかしたのか?」

「いや……」


 フレレクスの返答は歯切れ悪いものだった。私は彼の言いたいことが分かった気になった。


「もしも君が望むなら、金貨の代わりにそれを報酬としてもいい。君は私の頼んだ仕事を完遂した訳で、私は君にその対価を支払わなければならない。元より盗まれたのが君を誘き出す為だとしても、君があの剣を手放してくれたことで私の荷は帰って来たのだから」

「ああ、そうだね、そうしよう。それが良い」


 フレレクスの反応はなにか引っかかるものだった。しかし、こちらから提案した以上、後に引く訳にいかず私は燃えないショールを彼に与えた。この世に二つとない品なんて、報酬としては破格の価値がある筈なのだが、彼にとってはそうでないのかもしれない。


 おまけに彼は食料調達の途中だった事を理由に小屋を出ていってしまった。先程まで私にナイフを突きつけていた魔物を残してだ。彼の考える事が分かる日は来そうにない。


 そうして、私は緊張とともに獰猛な患者と対峙することになったのである。

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