第13話 糸引く者

 私の生まれであるベン・ハシーン派教団からの遣いが、接触してきたのはそれから3日後の事だった。


 20年近く名を変え行方を眩ませていた私に、遣いの神官は無礼と紙一重の慇懃いんぎんさでB町の宿の一室に案内した。扉を開いた先にいたのは30代の細身の神経質そうな男だ。神の祝福より先にメランコリーが見えるような顔だった。彼は私を見るなり、胸に手を当てて挨拶を述べた。


「名高い貴方様にお目にかかれるとは恐悦至極、まことに欣快きんかいいたりでございます、ご子息殿。私の名前はユリウス・ルービン。この裁定団の士師ししを務めさせて頂いております」

「こちらこそ。お前達からの連絡を心待ちにしていたところだ。ユリウス・ルービン、J.L.……、手紙の主はお前か」


 ようやく、この一連の裏で手を引く存在に相まみえたらしい。このB町での騒動は全てこの男の策略によるものだった。


「ええ、その通りでございます」


 ルービンと名乗った男は他の裁定者を部屋から出させた。部屋にはルービンと私の二人だけになった。


「どうぞそちらの椅子におかけください」

「結構だ。ここに来た用は一つだ。荷物を返し、今後一切我々に関わるな」


 私はフレレクスから受け取った剣を出した。鞘ごと投げれば、ルービンは上機嫌に手を叩いた。


「勿論、お返しいたします。どうかお怒りをお鎮めください」


 ノックとともに扉が開き、彼の部下と思しき二人の神官が鞄を手に入ってきた。私は鞄の中身を確認した。欠けているものはない。硬貨袋の重さも変わっていない。


 フレレクスの言う通り、この鞄は我々を動かすためのおとりでしかなかった。


「かの邪悪なる魔物から我々の秘宝を取り返して頂き、ありがとうございます。どうやら仕留めては頂けなかったようですが……」

「戯言はやめろ。彼はお前たちの主張を尊重して自ら手放しただけだ。彼はお前たちより遥かに理性的だ」

「我々ではなく、吸血鬼の言葉を信じるとおっしゃるのですか?」

「少なくとも彼は私の荷物を盗んだりしていない。お前たちは手段を選ぶということもしないのか? 吸血鬼をおびき出すためならば何をしてもよいと? 狂人の真似をする者は狂人だ。盗人の真似をするお前たちは盗人に他ならない。たとえお前たちにとって崇高な目標があったとしても、その手段では誰も支持すまい」


 ルービンは剣の鞘を撫でながら、実に穏やかな口調で答えた。


「これがどのようなものかご存知ですか? これは聖なる剣『エリーニュス』、我々の教会の持つ秘宝の一つです。この剣が秘宝と呼ばれる所以を彼は話しましたか?」

「いいや」

「都合の悪い事は話さないでしょう。この剣は、特別な力を持っています。邪悪なる者のみを断つ力です。このように__」


 彼は鞘から剣を抜いた。そしてなんの前触れもなくその剣を横にぎ払った。私の前に鮮烈な赤色が飛んだ。目を疑う。ルービンが斬りつけたのは、他ならぬ彼の部下だった。


「あああああ!」


 悲鳴を上げて倒れ込む神官を、私は茫然と見た。うずくまり地面をのたうつ男の腹から、勢いよく血が飛び出した。


「おまえは彼の金貨袋に触っていましたね。私は許可を出した覚えはありません。全く情けない。ですが、最後に良い仕事をしてくれました。試し切りのために町を出るのは面倒ですから。ノアーグ様にお時間を取って貰わずに済みました」


 ルービンはそのまま剣の切っ先を彼のもう一人の部下へと向けた。

 狂人の模倣をする者は、狂人に他ならない。そんな先の私の言葉を実証しようとしているようだった。


「おまえは私に告白すべきことなど無いでしょうね? いいえ、答えなくて結構」


 私が止める間もなく、彼は更にもう一人の部下を斬りつけた。私は目の前で行われている惨い狂乱が、昨夜飲んだ芥子ケシ酒の見せる幻覚の続きではないかと思い始めていた。濃密な血の匂いだけが鮮明だ。神官は斬りつけられた肩を押さえた。


「信じられない……気でも違ったのか」

「いいえ、ご覧ください。ノアーグ様」


 ルービンは部下を示した。神官は苦悶の表情を浮かべていたが、やがて肩から手を離した。その手は確かに血で濡れていた。だが傷口は無かった。


「おまえはもう戻って構いません。さて。ノアーグ様、ご理解頂けましたか? この剣は邪悪なる者のみを断つ。無垢なるものには害を成さないのです。まさしくこれは審判の剣。我らが神のご意志を反映する聖なる剣。この剣が成すは真なる神の裁決、故に我々の理解の及ばぬ結果をも時折もたらすのが、玉にきずではございますが……」


 ルービンの言葉は耳に入ってこなかった。私は血の池の中に倒れた男に近づいた。傷は深く、溢れ出す血の勢いは止まる気配がない。唇は紫に染まり、呼吸は浅く、止まりかけていた。腹の傷に触れようとした私をルービンが止めた。


「おやめください。あなた様の慈悲は残酷でございます。裁決は既に下りました。それよりも……」


 銀色が私の視界をひらめく。次の瞬間、血濡れた切っ先が私に向いていた。


「私は今とても知りたいことがございます、ノアーグ様。あなた様の中に流れるは、導師様の最も清き血。ですがあなた様は全てを投げ捨て、あまつさえ魔物に心を奪われている。ああ……、清き生まれというだけで、いかなる罪もそそげるものでしょうか? それとも……」


 私は魔法陣の描かれた羊皮紙を床に置いた。ここへ来る前に用意しておいたものだ。


「剣を振るより先に燃えるのはお前だ。それでも構わないというなら、どうぞ試せばいい」


 ルービンは笑って剣を納めた。


「……冗談ですとも。ええ、“今は”」


 そして部屋の隅に転がる麻袋を持ち上げ、私の前に差し出した。


「あなた様にお返しすべきものが、もう一つ」


 袋の口が開かれた瞬間、部屋中に生臭い匂いが立ち込めた。それは鶏の卵サイズの黒い何かだった。光沢のある滑らかな表面をしている。


「あの汚らわしい魔物の荷でございます。これが何かわかりますか? ヒルです。あの魔物の荷です」

「……人から飲んでないという事の証拠でもある」

「あなた様はあの化け物について、何もご存知ない」


 ルービンは苛立ちを含んだ口調で告げた。


「あれは何年もの間我々の手から逃れ続けてきた。あの化け物は神出鬼没で恐ろしくずる賢く、邪智深い。挙句、あなた様をまんまと騙したものと拝見しました」

「荷を盗むなんて回りくどい事をしなくても、彼が牢にいるときに接触しようとは思わなかったのか?」

「あの間抜けな教会の連中は、あんな穴だらけの牢で捕らえておけると思ったようですが、事実は違うことを今のあなた様はご存知では? それに、奴はあなた様に油断していたようですから、お力を貸してもらうのが1番と考えました。残念ながら、うまくいかなかったようですが」


 ルービンは失望も露わに首を振った。


「さて、この神剣『エリーニュス』の真の力はご存知でしょううか。復讐の女神の名を冠するこの剣は、持ち主が復讐を果たす時、最大の力を発揮します。我らが同胞を殺害し、秘宝を盗んだ魔物を討つにはもってこいの武器です。たとえ再生能力があろうと、一突きで絶命させられる。あの化け物の嘘をこの剣で示すことが出来れば、あなた様も目を醒ます事でしょう」

「お前は勘違いしている。私は今ここで、この宿ごとお前を灰にしてやる用意がある。私の忍耐力をこれ以上試すな」

「……そんなこと、できる筈がありませんとも。名も繋がりもなにもかも捨てたと、捨てられたと本当にお思いで?」


 ルービンの勝ち誇ったような語り口は、まるで私の過去を掌に乗せて弄んでいるかのようだった。そして次に出た死者の名前が、それを決定づけた。


「あなた様のご令妹、アトラエル様がお聞きになったらどうお思いになられるか」


 私は息を止めた。


「……どうしてその名を」

「ええ、あなたも16で亡くなられた筈でしたね。湖に落ちて。ところが妹様は、近くの村で保護されたのです」


 私は驚きの余り言葉を発せなかった。この瞬間まで、私は妹もまた名を変え私と同じように生きているものだと信じていた。


「今は、聖姉アトラエル様とお呼びすべきでしょうが。今のあなたの事はご存知ないでしょうが、きっと先ほどの発言をお聞きになったら、さぞや哀しまれる事でしょう」


 私は戦意を削がれて、その場から去った。10余年前に湖の底に沈めた偽装が今となって、取り返しの付かない形で私に追いついてきたようだった。

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