第4話 絶対服従と、かわいい悪魔に名前を聞かれた話
扉を開けた瞬間、柔らかな光が溢れ出してきた。
逆光に照らされた窓際の席には、金色の髪をしたお嬢様が座っている。
その髪はふわりと巻かれており、優雅に椅子に背を預けながら書き物に集中していた。
手元に積まれた書類と、散らばるペン。
彼女の姿からはどこか遠くを見つめるような落ち着きが感じられる。
ピンク色のドレスが、日差しを浴びてほんのりと光を反射し、彼女の周りを華やかに彩っていた。
その場にただ立っているだけで、部屋全体の空気が違うものになるような、圧倒的な存在感。
そんなお嬢様の姿に、少しだけ目を見開いた。
スゥが、音もなくお辞儀をする。
その後ろで、メリアと俺もそれを見よう見まねで真似て、ぎこちなく頭を下げた。
「クートお嬢様、今日から世話係が二人増えます」
スゥの声が、空間に落ちる。
その名前――クート。
脳裏でそれが響く。
クートは、何も言わずに書き物を続ける。こちらを見もしない。
スゥが、微妙に身体を揺すりながら、肘でメリアをつつく。その動きに気づき、メリアが少しだけ体を固くした。赤毛の彼女は、どこかおびえたような表情をしていた。
その小さな背中が震えて、けれども必死に顔を上げる。その瞬間、強くうなずくのが見えた。
宝貨二枚で俺たちはこの家――カミュ家に買われた。その時にメリアは震えながら「私が守らないといけないのに」と言ったのを思い出した。
その言葉が、心の中でリフレインする。
「私、メリアです」
メリアが、しっかりと名前を言ったとき、その声は思ったよりも震えていなかった。むしろ、少しだけ力強さを感じた。
俺が名前を言う番だった。
「……ミヤコです」
クートの後ろ姿が少しこわばった。ような気がした。先ほどまで書き物をしていたペンは、俺が名前を言うと再生されている動画のストップボタンを押したときにように止まった。
それから、クートは静かに椅子を回転させる。
軽やかな音が部屋に響き、彼女は俺達をまっすぐに見据える。
その瞳は、まるで全てを見透かすかのように冷徹でありながら、どこか遠くを見つめるような、どこか切なげな光を宿していた。
白い肌。
少しだけ釣り目。
気の強そうな印象はあったが、どこか柔らかい雰囲気だ。
ゆっくりと、金色の髪が肩に滑り落ちる。
まるで高貴なロールケーキのように縦巻きになったその髪は、光を受けてやわらかく輝いていた。
ピンク色のドレスが、まるで春の花が咲いたようにふわりと広がって、足元に軽やかなシルエットを作り出している。そのドレスは贅沢に見えるが、どこかシンプルで控えめでもあった。
金髪の縦巻きとピンクのドレスの組み合わせは、まさに上品さと華やかさを極めたものだった。
クートは俺とメリアを交互に見る。
とてもきれいな顔をしているので、自分の顔をじっと見られると気恥ずかしくなってしまう。
「では、質問」
ピンク色の唇が動くと、透明な声がこちらに届いた。
クートの瞳はまだ、どこか遠くを見ているようで、微動だにしなかった。
まるでそれが無意識であるかのように。
「名前はもう聞いたわ。でも、あなたたちのこと、もう少し知りたいの」
そう言って、ゆっくりとその顔が柔らかくなり、ゆっくりと微笑んだ。笑顔はさらにかわいい。
クートは、椅子に座ったまま俺たちを見つめていた。
その目は、冷徹でありながら、どこか微かな優しさが含まれていた。それでも、その冷たい輝きがまるで鋭利な刃物のように感じて、思わず身を縮めそうになる。
「……好きな食べ物は?」
軽く肩をすくめながら、クートはその問いを投げてきた。まるで、試すように、楽しむように。
スゥは、にやりと笑って肘でメリアを小突いた。
メリアは少しびっくりしたように目を見開いて、それからぎこちなく言った。
「えっと……甘いものが好きです」
「ふーん」と、お嬢様は少し考えるように頷いた。
「甘いもの、ね。あなたみたいのでも甘いもの食べたことあるんだー」
「え……あ……」
メリアは少し困ったように言葉を濁した。
「でもたぶん、真黒な砂糖でドロドロになった焼き菓子とか? そういうやつでしょ。うちの砂糖はねー白いのよ。見たことある?」
メリア首を傾げた。白い砂糖というものがあまり想像できていないようだった。
「メリアってなんだか、男の子みたいね。メイド服じゃなくてミヤコが着てる服のほうがよかったんじゃないの?」
メリアは、気にしていることを言われたのか顔を伏せてしまう。
その言葉に、メリアの顔が少し赤くなるのが分かった。
こいつ……絶対性格悪い。スゥが先ほど言っていた「うちのお嬢様すごい性格悪いから」という意味を実感している。
次に目を向けられたのは、俺だった。
「じゃあ、あなたは?」
その問いかけに、俺は一瞬口をつぐむ。
好きな食べ物――そんなもの、今まで気にしたことがあっただろうか?
「えっと……」
たぶん、どうでもいいことだったけれど、目の前に立つお嬢様に何かを答えなければいけないような気がして、無理に答えようとした。
「……肉」
そう言ってみたが、思ったよりも素っ気なく感じた。
お嬢様は、ちょっとした微笑みを浮かべた。
「肉、ね……まぁ、男の子らしい答え。これでもし野菜嫌いだと、ほんとにあなたは人間じゃなくなるわよ」
そういってクートは急に笑い出す。何かがツボに入ったのか机をバンバンたたきながら、大笑いをするが、そのしぐさにも上品さが隠れていた。
「あー面白い。あなたがゴブリンに見えてきたわ」
その言葉に、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
ここまで性格が悪いと腹が立つを通り越して、感情が無になる。
ひとしきり笑うと、 クートは、静かに椅子を回転させてから、机の引き出しを開けた。引き出しの中には、整然と並べられた白い紙と、細いペンがあった。彼女はそれを取り出し、二枚の契約書を机に広げた。
彼女はすぐに俺たちに向き直る。
「契約を結びましょう」
その言葉には、迷いも期待もない。ただ、意味が分からなかった。そういう文化がこの世界にもあるのだろうか。
「これにサインをしてもらうわ」
契約書には、ただ一つだけ書かれていた。
――クート・カミュに絶対服従
文字は簡潔で、重く、息が詰まるような威圧感が漂う。
「さあ、ミヤコ、メリア」
クートは、指で契約書を軽くトントンと叩きながら言った。
その目は、まるで最初からサインさせることが決まっているかのように冷たく、そしてどこか楽しげに見えた。
スゥが、またしても肘でメリアを突く。
メリアは少しだけ目を伏せてから、恐る恐る契約書に視線を落とす。
「……私、書いてもいいんでしょうか?」
メリアの声が震えていた。
その声が、俺の耳の中で反響する。
その問いに、無言のうちに答えが出た。
スゥは黙って頷き、メリアが渋々、ペンを握りしめる。
その手は、あまりにも硬く、震えていた。
おそらく、彼女の心の中でいろんな感情が交錯しているのだろう。
でも、結局、無言の圧力に負けたように、彼女はペンを持ち、名前を記入した。
俺の番だ。
目の前にある契約書に目を落とす。
やっぱり、何も変わらない。
「絶対服従」の文字が、ただ目の前にあるだけだ。
手は、震えている。
でも、逃げられない。
俺は、渋々ペンを手に取り、書き始めた。
「服従」という文字が命令のように、俺の手を動かしていく。
あっという間だったような気もするし、ずいぶん長い時間のような気もしたけれど、署名は終わった。いや、終わってしまった。
クートが席を立ち書類をしまう。そして、何も言わないまま、机の引き出しを閉め、再び俺たちを見る。
「……これで、あなたたちには、私に対する絶対服従が課せられたわ」
その言葉に、俺たちはただ静かに頷くしかなかった。
どんな反論も、どんな不安も、どこにも届かなかった。
契約書にサインをした俺たちは、ただおとなしく、小動物のように立っているだけだ。
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