第3話 召使いの制服と、まだ知らない支配者の話
制服は、真っ白だった。
いや、制服というよりも召使いの衣装と呼んだほうが正確かもしれない。 少し丈の長いシャツと、ぴしっとした黒いベスト。動きやすさ優先のズボン。洗いたての布の匂いがして、着慣れていない襟元がやけに固く感じた。
メリアも同じ格好をしていた。いつもは軽くはねた髪もきれいにまとめられていて、少しだけ大人びて見える。でも、表情は硬かった。ずっと黙っていて、手を前で揃えたまま微動だにしなかった。
目の前に立っていたのは、背筋がすっと伸びた燕尾服の男だった。
白髪交じりの髪。
皺のないシャツ。
無駄のない所作。
オーラム――この屋敷の執事長だという。
挨拶もなく、彼は俺たちを上から下まで一度ずつゆっくり見てから、口を開いた。
「風呂は、毎日入ること」
少し低めの声。抑揚が少ないが、聞き取りやすい。
「身だしなみは整えること。靴は磨き、爪は切り、髪は整える。寝癖は不可」
言われた瞬間、自分の頭に手が伸びかけた。メリアも一瞬だけ髪を押さえるようにした。
「カミュ家の品位を落とさぬよう、誠心誠意、務めること」
メリアの背筋がぴくっと伸びる。
オーラムは、それだけ言うと一歩下がった。
「……以上」
言葉が終わるのと同時に、扉のほうからノックの音がした。
「スカーレット」
そう呼ばれて、入ってきたのは十五、六歳くらいの少女だった。
明るい栗色の髪。
口角の上がった、少し悪そうな顔。
腰にはメイド用のエプロン。
足取りは軽い。
「はい、オーラムさま」
彼女は、完璧に近い動きでお辞儀をした。
背筋を伸ばして、頭を深く下げて、静かに、けれども華やかに。
俺たちもそれを見よう見まねで真似する。
体の動きはぎこちなくて、お辞儀というより『何かを落とした人』みたいになっていたが、オーラムは何も言わなかった。
「このあとのことは、彼女に聞きなさい」
オーラムがそう言って去っていく。閉まる扉の音が、やけに丁寧に聞こえた。
残されたスカーレットは、少しだけ得意げな顔をして、俺たちを振り返った。
「初めて後輩できたー!」
パチパチと手を叩いて、一人でちょっとした拍手をする。
「私のことは、スゥって呼んでね」
「……スゥ……さん?」
メリアが控えめにそう呼ぶと、彼女はわざとらしく眉をひそめた。
「ばーか。そういうかしこまったのはやめようぜ。ただのスゥだよ」
あっけらかんと笑って、指を鳴らした。
「で? 名前は?」
「メリア、です」
「ミヤコって呼ばれてます」
「オッケー! じゃあメリアとミヤコね。今日からあんたたち、カミュ家の一員だから!」
スゥはそう言って、親指を立てた。
小悪魔みたいな顔をしているけど、もしかしたらそんなに悪い人でもないのかなと、そんなことを思った。
その動きが、やけに嬉しそうに見えた。
*
廊下は、異様なほどに静かだった。
床板はしっかり磨かれていて、わずかな足音すら吸い込まれていくような感覚がある。
先を歩くスカーレット――スゥは、特に何の緊張もないように、軽い調子で言った。
「うちらの仕事はねー、基本的にはお嬢様のお世話だよ」
お嬢様という単語が思っていたより重たく響く。
いや、言葉というより、語気の端に責任みたいなものがくっついていた。
「朝起きたら水を用意して、着替え手伝って、朝食前に髪整えて。部屋の掃除と靴の手入れも。……あ、メモする?」
「いや、覚えます」と言おうとしたが、声が喉の奥で止まった。
「でね」
スゥは振り返って、いたずらっぽく笑った。
「――お嬢様、マジで性格悪いから気をつけてね」
冗談っぽく笑ったその顔が、冗談に見えなかった。
俺は、まだ混乱していた。
無理やり馬車に乗せられ、召使いの服を着せられ、そして今はお嬢様のお世話係。
数日前まで俺は傘を取られたことに腹を立てて、雷に打たれて、気がついたら露天商。
今は、広い屋敷の中を、知らない少女と一緒に歩いている。
メリアの足音が、俺のすぐ横にあった。
いつもよりも少しだけ歩幅が狭くて、姿勢が固い。
顔を見ると、まっすぐ前を向いていた。だけど、肩が緊張で強張っていた。
彼女は、俺よりも多くのことを考えている気がする。
どこに連れていかれるかも分からず、売られた意味も知らされず、それでも黙って歩くしかない現実。
俺はというと、いまの状況を異世界転生だとしか処理できていなかった。
「ここ、階段気をつけてね。お嬢様、前に召使いひとり落としたことあるから」
スゥの言葉が、軽いようで軽くなかった。
お嬢様は何者なんだ……。
階段を上がると、廊下の雰囲気が変わった。
装飾が多くなり、絨毯が敷かれ、壁には絵画がかけられている。
「……もうすぐだよ」
スゥの声が、少しだけ真面目になる。
「部屋に着いたら、ちゃんとお辞儀して、『よろしくお願いします』って言うんだよ。礼儀、大事」
彼女の背中は変わらず軽く見えるけど、足音だけは静かだった。
俺とメリアは、何も知らないまま、この廊下を歩いていた。
少し前を歩くスゥの背中を見ながら、
俺は、この先にいるお嬢様という存在に、なぜか既視感のようなものを感じていた。
まだ会ってもいないのに。
なぜだか、胸の奥がざわざわしていた。
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