第2話 チートを手にした俺が、宝貨二枚で売られた話
空の色がオレンジと灰色の間を行ったり来たりしていた。
屋台の果物がしわしわになってきたころ、でっかい足音が地面から響いてきて、俺の屋台の前に、小汚い大男が立ちはだかった。
「おーい、ガキィ。片付けだ。残りの木箱全部、裏の小屋まで運んどけよ」
「ガロスさん……」
そう言って俺の肩をバシンと叩いた大男の顔は、記憶を掘り返しても初対面のはずなのに、 「ガロスさん」という名前が自然に口から出た。
俺はこの人のことを知っている。たぶん、知っていた。
「……全部、ですか?」
「全部。どうせあとでまとめて運ぶんだろ」
いや、そうだけど。三段積みの木箱が五セット。腕ちぎれるだろ普通に。
「……台車、ないんですか?」
「はあ?」
ガロスは素で首を傾げて、露骨に眉間にしわを寄せた。
「台車って、お前、そこの職人が昼に使ってたじゃん。木でできたやつ。お前も見てただろ?」
「いや、俺が言ってるのは、えっと……」
そのときだった。
背中で空気が破れたような音がした。
次の瞬間、俺の横に、何かが着地した。
ガシャン、という金属の硬い音とともに、見慣れた四輪の台車がそこにあった。
──あった、というより、今、出てきた。
全身がびくっとなる。
目の前に現れたのは、学校の備品倉庫にあったあの台車そっくりだった。
グレーのフレーム。すべすべした取っ手。荷台には滑り止めのマット。
ただ、周囲は俺よりもびっくりしていた。
「……何あれ」
「台車、だよな? あれ……でも」
「違くない? あんなピカピカの、見たことないよ」
周囲の露天商がぞろぞろと集まりはじめて、
ガロスが一歩だけ後ずさる。
「お前……どこで仕入れたんだその道具……」
「いや、あの、俺も分からなくて……」
口ではそう言いながら、頭の中ではこれは能力だと確信していた。
チートだ。これ、チートってやつだ。
「……まあ、便利そうだな。今日だけ許す」
ガロスは結局それだけ言って去っていった。
何も言わず、俺は木箱を積みはじめた。
腕が引きちぎれる……。
どう考えてもこんな細い身体で、中身に果物がぎっしりつまった木箱を持ち上げるのは無理だ。
台車の荷台までの数センチですら運べそうにない。
限界だ、もう落ちる。脳裏にガロスが怒鳴っている姿が浮かんだ。多分、木箱を落としたらガロスは劣化のごとく怒るのだろう。それを、なぜか俺は知っていた。
――なんとか落ちないでくれ。
そう強くあまたの中で念じると、頭の中から何かが起動する電子音が聞こえてくる。そして、その瞬間木箱が綿菓子のように軽くなる。もはや片手でも運べる。
何が起きたかはわからなかったが、とにかく俺は木箱をゆっくりと荷台におろして、自分の手を見つめる。
手を握って、それからまた開く。
これもチートだ。チートってやつだ。
『異世界に転生した』。
そんなラノベみたいなことが、今、俺に起こっていると信じるほかなかった。
*
ここ数日、いろいろ試してみた。
まず、分かったのは、自分にはたぶん力があるということ。
何かを――そう、たとえば「台車がほしい」とか「力がほしい」とか、そういうふうに強く願うと、本当にそれが現れる。
ただし、なんでも出せるわけじゃない。
たとえば銃とか、電子レンジとか、精密すぎる機械系は無理だった。仕組みを理解していないとダメらしい。
中学の技術の時間にちょっと習った程度の知識じゃダメで、どこがどう動いてるのか、どこに力がかかってるのか――そういうのが身体で分かってないとダメ。
感覚だけじゃなく、構造ごとわかってるものしか呼び出せない。
召喚したモノは、だいたい十分で消える。
使ってる最中に、煙のように薄くなって、そしてふっと、いなくなる。最初に見たときは、夢の中のものが朝起きたら何も残ってなかった、みたいな気持ちになった。
あと、「力が欲しい」と強く思うと、身体の奥から火がともるような感覚がして、
一気に腕や脚に力が入る。
びっくりするくらいの筋力アップだ。木箱なんて片手で持てるし、段差もぴょんと飛べる。
ただ、これも使いすぎるとがっつり反動がくる。
どっと疲れるし、息も上がる。
何より、自分で止めようとしないと、感覚がどんどん鈍くなっていくのが怖かった。
名前は「ミヤコ」。こっちでもそう呼ばれている。
字が同じかはわからないけど、響きは確かに“京”だ。
そして、どうやら俺は、ガロスの奴隷らしい。
本人はそう言わないけど、仕事は全部言いなりだし、寝るところも選べないし、報酬ももらったことはない。
でも、殴られたりはしない。屋台を出す仕事は淡々としていて、食事も出る。
この国の、奴隷の待遇としては、たぶん悪くない方なんだろう。
昨日は、召喚したスコップが、夕暮れと一緒に消えていくのを見ながら、
『俺はもう別の人間として生きてるんだろうな』と、ぼんやり考えていた。
そんなことを思い出しながら、目の前の果物の山を見る。
今日も、俺は露天の少年として、ここで生きていく。
「おはよう、ミヤコ」
声がした。
赤毛。
パーマ。
ちょっと大人びた顔。
メリアだ。たぶん十二、三歳。
家が一緒で、面倒をよく見てくれる。っていうか、過保護気味。 俺の体調も、仕事の仕方も、ちょっとしたことまで気にしてくる。おせっかいが服着て歩いてるようなやつだ。
「おはよう、メリア」
メリアは少し心配そうな顔で俺を見てくる。ブラウンの瞳があまりにまっすぐ俺の瞳を貫くものだから、少し恥ずかしくなって目を背ける。
「今日、顔色わるくない? ちゃんと寝た?」
「ん、まあ、ちょっと夜更かししただけ。いろいろ試してたから」
言いながら、昨日のことを思い出す。
現代の物が出る。
銃は無理。
10分で消える。
筋力が上がる。
だいたいそんな感じ。
「なら、無理はしないでね」
そう言って、少し笑ったあと、急にメリアの表情が固まった。
「……あれ」
振り向くと、街道の向こうから、貴族っぽい中年の男が歩いてくる。
派手な服。変な帽子。手袋。
そして、俺たちを見て、言った。
「うん、こいつら二人にしよう」
メリアの顔が、真っ青になるのがわかった。
手が震えている。
口が動かない。
「……え」
俺が声を出すより早く、ガロスが出てくる。
「へい! 毎度あり!」
そして、にこにこと笑いながら、宝貨を二枚、受け取った。 受け取った、ということは、取引が成立したということ。
「メリア……」
横を見ると、メリアが目を見開いて、小さく震えていた。
「大丈夫、大丈夫だから」
そう言って俺は、メリアの手を握る。
メリアはぎゅっと握り返してきたけど、その手は冷たかった。
「本当は、私が守らないといけないのに……」
かすれた声がそう言ったあと、彼女は俯いた。 俺はもう一度、彼女の手を強く握りしめる。
「大丈夫。俺が守るよ」
自分の声が、自分で思っていたより大きかった。
でも、それくらいじゃないと、今の彼女の不安は押し返せなかった。
そして、中年は「ついてきなさい」と言って、俺たちに背を向けた。
馬車が用意されていた。俺とメリアは、それに乗せられた。中年が乗った馬車とは違う、地味でぼろいくたくたの馬車だった。
これは本当に動くのだろうか……。
どこに行くのかは、まだ知らない。
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