第5話


 レイが結論をだしたそのとき。


「うおーっ! マジですっげえ美人のねーちゃんおった!」


 横で野卑な男の声がした。

 ぼさぼさで油ぎったみっともない長髪に、手入れの意気届いていない薄汚れた鎧姿の傭兵がいた。


 美人魔法使いの募集を聞きつけてきたようだが、まるで野盗か無法者のようにだらしない風体だ。


(こんなやつまでいるのか……)


 レイは眉をひそめた。


 傭兵団は公が管理運営していないものの結局は軍隊であり、軍隊というのは集団の調和を重んじるので身だしなみや容儀に厳しいと相場が決まっている。

 自分のことを蔑ろにする者は他の人間も蔑ろにするからだ。とても背中を預けられない。


 レイが現役だった時代なら先輩たちから痛みを伴うきつい教育を受けるか、いっそ放り出されるかしただろう。

 こんなのが在籍を許されている時点でやはり傭兵の質はだいぶ低下しているらしい。


「あなた」


 と、デルフィナがボサ髪男についと1歩歩み寄った。

 まともそうな傭兵たちをあれだけ袖にしたのにこんなダメ傭兵に興味を示すのか、とレイは意外に思った。


「そのパンをどこで入手したの?」

(パン?)


 レイはボサ髪男を見た。

 たしかに食べかけのパンを持っている。

 木の枝のように細長くねじくれた、奇妙な形のパンだ。この地域では丸パンが一般的なので珍しい。


「これか? 屋台で買ったんさ」

「嘘ね」


 デルフィナがきれいな顔に恐ろしく冷たい表情を浮かべ、腕組みした。


「それ、浮浪児から奪ったものでしょ」

「こんなクソまずいパンをわざわざとるわけねえだろ! なんの根拠があってそんな言いがかりを!」


 あからさまに目を泳がせて動揺するボサ髪男。


「だってそれ、今朝わたしが焼いたんだもの」

「……!」

「わたしのパンをまずいと言ったことは死刑で許してあげる。けれど執行は後回し。どうしてあなたがそれを持っているのか白状しなさい」

「……ああそうだ思い出した。ガキに小銭やって買い取ったんだっけ」


 ボサ髪男があさっての方向を向いた。

 発言内容がコロコロ変わる。

 犯罪の取り締まりは王宮戦士の職分ではないが、ここまで怪しいとさすがに見過ごせない。

 レイはよく観察した。

 ボサ髪男の服の袖に真新しい黒い染みがある。


「その袖の血は誰の血だ」

「あぁん? なんだてめえいきなり?」

「俺は……まあ軍の人間だ」

「なんで軍のやつが駐屯地にいんだよ!?」


 ボサ髪男が慌てたように腕を背後に隠した。

 自白しているようなものだ。


「答えろ、その袖についてるのは誰の血だ」

「そりゃあれだ。昨日の魔物討伐でついたんだ」

「昨日? まだ乾いてないぞ。子どもを殺して奪ったのか?」

「殺しなんかしてねえよ!」


 ボサ髪男が激しく動揺して後ずさった。

 逃がすか、とレイが身構えたとき、不意に美しい調べが響いた。


(歌?)


 目を向けると、デルフィナが歌っていた。


(吟遊詩人みたいだ。けど、なんで歌ってるんだ?)


 その疑問の答えはすぐに明らかになった。


「「「吐け」」」 


 わんわんと反響する音声とともに、デルフィナがボサ髪男の顔に指を突きつけた。

 ボサ髪男がひゅうと息を漏らし、顔を歪める。そのまま四つん這いになり、げえげえとものすごい勢いで吐きはじめた。


 歌ではなく魔法の詠唱だったのだ。

 レイはこれまで何人もの魔法使いを見てきたが、みなできるだけ早く詠唱を終わらせるために気持ち悪いほどの早口で唱えていた。

 高速詠唱というらしく、詠唱を終える早さこそが魔法使いの実力だとどの口も言っていた。


 こんなに魔法の発動が遅い魔法使いははじめてだ。

 大層な肩書きの持ち主らしいが、これではとてもじゃないけど実戦で使えないだろう。

 すごい魔法を使えることと、それを戦闘で効果的に活用することはまたべつの能力なのだ。

 刻一刻と状況が変化する戦いの中で長々と歌っている暇などない。


 はっきりいって弱そうだ。

 きっと足手まといになる。

 やっぱり仲間にするのはやめておこう。


 レイが考えているあいだもボサ髪男は滝のような勢いで液体を垂れ流していたが、胃の内容物がなくなったのかやがて嘔吐が止まった。

 それでもひたすらえづき続けていて、息もろくにできていないようだ。


「ちょっといいか。そいつ、このままじゃ死ぬんじゃないのか?」

「なにか問題ある?」


 デルフィナがすっと挑戦的に目を細め、邪魔だてするならただでは済まさないという凄みを発する。


「いや、こんなやつどうなろうと知ったこっちゃない」

「そう。ならよかった。このまま苦しんで死んでもらいましょう」

「ただな……目の前で殺人事件が起こったらさすがに職務上見過ごせない。それに、子どもの安否がわからなくなるだろ」

「……そうね。わたしだってそのつもりだったわ」


 どう見ても事後のことを考慮していなかったであろうデルフィナがさっと手を振った。

 魔法が解けたのか、ボサ髪男がえづくのをやめた。

 レイはしゃがみこんで脂ぎった髪をつかみ、強引に頭を上げさせた。


「で、どうなんだ。子どもを殺してパンを盗ったのか?」

「こ、殺しなんかしてねぇ……ちょっと2、3発小突いただけだ……」

「ちょっと小突いたのか」

「ああ。ま、まじだって!」


 レイはボサ髪男の横顔を2回小突いた。

 本気で殴れば頭が砕け散るので手加減はしたが、ボサ髪男が血とともに折れた歯を吐きだす。


「あんでっ……!」

「ちょっと2発小突いただけだ。もう1発小突けば本当のことを話す気になるか?」

「もうやめでくでぇ、嘘はついでねえ!」


 こういう小物はその場しのぎの言い逃れをするから信用ならない。

 レイはどこで浮浪児からパンを巻き上げたのか聞き出した。


 それが済む頃には、軽い騒ぎになったせいで何人かの傭兵が様子を見に集まってきていた。

 彼らからすれば身内が外部の人間に暴行されているように見えても不思議ではない。

 トラブルを避けるためにレイは事情を説明した。


 王宮戦士というレイの身分を知った傭兵たちはおもしろくなさそうな顔をする。

 傭兵団は軍の人間の関与を喜ばない。

 団の内規で処分すると言ったが、おそらくたいした処罰もされないだろう。


 浮浪児がなにをされようと気にする者など誰もいない。

 たとえ殺されようとも。


 連れていかれるボサ髪男の背中をデルフィナが残念そうに見送った。


「……死刑にしたかったのに」

「いずれそうなるさ。あの手の輩は必ずバカをやる。行こう。無事を確かめたいだろ?」

「浮浪児なんかどうでもいいけれど」

「じゃあ行かないのか?」

「……行く」


 レイたちは子どもの安否を確かめるために駐屯地を出て、ボサ髪男から聞いた近くの裏路地へむかった。

 薄汚れた廃屋のそばに浮浪児たちがたむろしている。

 それを見たデルフィナは手を胸に当ててほっとしたように息をついた。

 無事だったようだ。

 明日には死んでいるかもしれないが、少なくとも今は生きている。

 それが何よりも重要だ。


「浮浪児に食べ物を施してやるなんて優しいんだな」


 元浮浪児の身からすれば食べ物は恵んでもらうものではなく、盗み、奪うものだった。


「勘違いしないで」


 美人魔法使いがぷいっとそっぽを向いた。


「練習中の失敗作だからもともとどこかで捨てるつもりだったの。捨てたところがたまたまうろついていた子どもの近くだった。それだけ」


 明らかに照れ隠しだ。

 高慢でとっつきづらい人物だけど、根は優しいのだろう。

 デルフィナが艶やかな黒髪を揺らして向きなおった。


「そろそろ返事を聞かせてくれる?」

「……その前にちょっと聞かせてほしいんだけど、なんであんなに詠唱が遅かったんだ?」

「詠唱が、遅い?」


 ぴくり、とデルフィナが眉を吊り上げた。


「あなた魔法の天才なの? 大魔法使いなの? 万象を極めし叡智なの?」

「い、いや……」


 早口で押され、レイはたじたじになって口を濁す。


「これだからシロウトさんは。高速詠唱なんて魔法をただ発動すればそれでいいと思っている未熟者のやることよ。早口で唱えたって魔力を凝縮できなくて効果値が低くなるだけ。たとえばこう」


 デルフィナがレイの眼前にびしっと指を突きつけてきた。


「吐け」

「なにを? うっ……」


 レイは突然胃の中に胸やけのようなムカつきを感じた。

 次の瞬間口の中に胃液が逆流してきたが、根性で飲みこんだ。


「……今の、どういうことだ?」

「ほらね。無詠唱魔法の効力なんてこんなものよ。発動が早ければいいというものではないの」

「すごいな……」


 今までにも何人もの魔法使いを見てきたが、詠唱せずに魔法を発動するのを見たのははじめてだ。

 たしかに肩書き通りのすごい魔法使いのようだ。

 弱い、と判断したのは間違いだった。


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