クジラ姫との話

その日の夜、凪咲から渡された本を、火花は読み始めた。


【クジラ病―海に帰る少年少女たちの記録】


クジラ病にかかった人間はくじらになる。

突拍子もない話に聞こえるかもしれないが、これは事実だ。


罹患者は、徐々にその体がクジラに近づいていく。

まず、声が出しにくくなる。

この本には、思春期の声変わりに近い発声のしづらさを感じると記されている。

その後、体が徐々に透明になり、少しづつ輪郭がぼやけていく。

最期に海に行き、溶ける様に姿を消すそうだ。


最初はハリガネムシに寄生されたカマキリのように海に入って自殺するだけの病のように考えられていたが、研究が進み罹患者たちがクジラになることがわかったのだ。

その本の研修者はその罹患者たちに発信機を付けた。

そして、その罹患者が消えた近海の海に発信機を付けたクジラを見つけたのだ。


そうして、この病は【クジラ病】と呼ばれるようになった。


凪咲はこの病に罹っていた。



「火花、今日も図書館?」


クラスメイトの男友達がにやにやしながら、からかってくる。

どうやら昨日の図書委員がクジラ姫のゴシップを言いふらしているようだ。

そんな関係でもないのだけれど、火花はその勘違いをすこし面白く思って、そのままにすることにした。


「内緒」


そう言って教室を出て、火花は再び海辺に来た。

昨日、凪咲と火花はこれから二人で会うときは海辺で会うという約束をした。

海に行くとすでに凪咲が来ていた。


巨大な流木に腰かけてて文庫本を開いていた。

相変わらず、クジラについての本を読んでいるようだった。

しかし、それまで感じていた不思議さはあまり凪咲に感じていなかった。

自分がいずれなるであろう生物について知りたくなるのは当然だ。


火花が近づくと、凪咲はすぐに気づいて本を閉じた。


「遅かったね」


「クラスの奴らに絡まられてね」


「火花って名前だから、海辺はやっぱり苦手なのかなって思った」


「どうして?」


「火薬が湿気るから」


「確かに火薬っぽい名前だよな。

 自分でもそう思う」


「いいと思う」


ふふっと凪咲が笑った。

その顔に火花は少しクラっと来た。


「凪咲って名前、海が好きそうな感じがあるよな」


「私はそんなに好きじゃないの。

 海ってべたつくし、なんだか呑まれちゃいそうになる」


「でも、くじらは海にいるものだろ」


「そう、くじらは好きだけど海は好きじゃない。

 学校に好きな人がいても、学校は好きじゃない人はいるでしょ?」


確かにと火花は納得した。


「くじらになるのが怖くないの?」


火花は昨日からずっと考えていたことを問いかけた。

自分が別の生物になる。

そんなこと想像もできないし、聞いたこともない。

本人は好きなものになれるわけだが、それはどんな風に感じているのだろうか。


「私はくじら好きっているより、人間嫌いなの」


「人間が嫌い?」


「そう、近くにいないと話せないでしょ。

 くじらは500キロ先の仲間にも声が届いて、

 コミュニケーションが取れるの。

 それって素敵なことだと思わない?」


「それはすごいな」


「私、くじらになることが嬉しいの。

 あんなに大きくて、雄大な生き物になれるんだから。

 美しいくじらに早くなりたい」


生き生きと話す凪咲がなんだかかわいくて、普段からそのくらいの笑顔で話せばいいのにと火花は思った。


「学校でもそうやって話せばいいのに」


すると、急に凪咲は話過ぎたとでも言うような表情になって、下を向いた。


「仲のいい人が出来たら、お別れが辛くなるから。

 私にとって、出会いの数が、一生の別れの数なの」


「いつくじらになるの?」


「今年の夏には、きっとクジラになると思う」


「夏って、もう6月だよ。

 もうほとんど病気は進んでいるってこと?」


「そういうことになるね。

 あと一か月したら、私は完全にくじらになる」


すると、凪咲はセーラー服の肩を捲って、あるものを見せる。


そこには彼女の肌が青白く変色して、少し透け始めた肌があった。


「わたし、そろそろ学校にも行けなくなるの。

 だから、最期に誰かに私のことを忘れないでほしくて、

 それで火花を海に連れだしたの」


凪咲の目には、涙が溜まっていた。

その雫は、夕陽にあてられてきらりと落ちた。


火花は彼女のためになにかしたくなった。

自分にできることは何か、彼女がクジラになった後も、忘れないような何かを。


「僕が空を染めたら、君は僕を思い出せるかな?」


凪咲は一瞬戸惑いを見せた。


「くじらになったら、花火を独り占めできるね」


弱弱しく泣く凪咲の手を火花は握る。

その行動に凪咲は動揺したが、火花は続ける。


「俺がその年の一番デカい花火を、

 凪咲のために作るよ!

 そしたら、大きな声で返事をしてほしい。

 今年も見てるよって」


「私の声聞こえるかな」


「聞こえるさ。

 くじらは500キロも先の仲間と話せるんだろ。

 凪咲が大きな声で鳴いたら、

 きっとこの海辺まで届くよ」


「ありがとう。

 私、必ずこの海辺に戻ってくる。

 あなたの花火を見るために」


約束だといって、二人は指切りをした。


次の日から、凪咲は学校に来なくなった。

火花も少し学校を休みがちになった。


日中は、花火づくりに専念して、夕方になると凪咲に会いに海辺へと向かう。

そんな生活が続いた。


凪咲の体は、少しずつクジラに近づいていく。

手の先も透けてきて、体は暗い色になっていく。

待ち合わせ場所は海辺だったが、凪咲は足元を海に浸かっていることが多くなった。


理由を聞いてみると、なんだか落ち着くと言う。

火花はそれがなんだか怖くて、凪咲が海に引かれ始めているんだと感じた。


凪咲は火花が作る花火が見たいと言った。


「あなたの咲かせる花火はどんな色でどんな音なのか。

 きっと、優しくて祈りが込められているんだと思う」


次の日、凪咲はくじらになった。

それを知ったのは待ち合わせ場所に凪咲が来なかったからだ。


次の日も次の日も凪咲は現れなかった。

しかし、火花が海辺で待っていると、遠くの海から唸り声のような低い音が聞こえてきた。


火花はそれで彼女がクジラになったことを知る。


次の日は満月が海辺に綺麗に映るいい天気だった。

火花は自分が作った花火を持って海辺に行き、高く飛ばした。


その花火は高く上った。

大きな音と共に空に鮮やかな花火が咲いた。


すると、海辺の近く大きな影が海に体を打ち付けた。

そうして大きな声で鳴いた。


低く優しく大きな声で。

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くじらの鳴き声が響く 倉住霜秋 @natumeyamato

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