第3話:男子高校生、決意する②

朝、僕はサラが来る前に、寝間着のまま人目を盗んで庭園に出た。


両側に白桃色のバラが並んだ石畳の道を抜けると、おそらく庭園の中心にある噴水が見えてくる。


僕は周りを見渡して人のいないのを確認すると、噴水を囲む白い石によじのぼり、靴をそこに脱ぎ捨てて、そっと水面に足をつけた。


朝だから気温はまだ低い。


足先をつけただけで全身に寒気が走ったが、少しずつ慣らしながら水に入った。


噴水の縁に座って膝まで入ったあと、片足を伸ばして水底を探る。


つま先がついたのを確認して、ゆっくりと体を沈めた。


水深はもちろん浅いものの、3歳児の体では腰のあたりまで浸かる。


そこで僕は軽く息を吸って目を閉じると、しゃがみ込んで頭まで潜った。


水から上がると、黒い髪の毛からポタポタと水滴が垂れる。


ああもう、なにが楽しくてこんなことを。


本物の3歳なら、これだけでも心底楽しめるのかもしれないが、僕の精神は単純な水遊びを面白がれるような年齢はとっくに過ぎているわけで。


あるのは楽しさどころか、寝間着の薄い生地が肌にぺたりと張り付いてくる微妙な不快感だけだ。


全く、問題児も楽じゃないな。


とは言えこれで僕の「仕事」は終わった。


僕は噴水の外側を眺めるような格好で、縁石に肘をもたせかけた。


この状態から先生に会えるように支度するまでには相当時間がかかるはずだ。


授業までにはもうそれほど時間がないし、これで多分今日は中止になるだろう。


そのまま何をするでもなしに待っていると、しばらくしてようやくサラが来た。


少し浅い息遣いと額に滲んだ汗から、ベッドを抜け出したお嬢様を今まで散々探し回ったのがわかる。


ご苦労ご苦労。


「先生、申し訳ございません……その、水に入っていたようでして……」


自分の背後を振り返ったサラは、そこにいる「先生」に向かってそんなことを言った。


バラの木に遮られて顔は見えないが、白い日傘が上から覗いている。


サラなら先生にまで探させるようなことはしないで、屋敷の中でお茶でも出して待っていさせそうなものだが、先生の方からあえて僕を探しに出ていたのだろうか。


「大丈夫よ。一度ここでご挨拶しますから。」


透き通った女性の声が答える。



低木の縁を抜けてその人が現れた時、周囲の空気が少し明るく、暖かくなった気がした。



裾の方で広がる空色のドレスの上に落ちる紅梅色の髪を、春の風が揺らす。


想像していたより若い彼女は、先生と言うより年頃の令嬢という感じだった。


その人は噴水のそばまで来ると、ドレスと同じ色の瞳で僕の目を覗き込んできた。


「ネイピア・ジェネトーレです。これからよろしくね。」


反抗されるのを疑いもしないような笑顔。


それに気押されて、差し出された白い手を仕方なく握る。


どうやらこの人の授業は、びしょ濡れになったくらいじゃ中止にならないらしい。

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美少女に転生したけど納得いかないので男に戻りたい 月詠薫 @umenokatazune

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