第5話 好きな人の前では

 目が覚めると、よく知ってる天井が見えた。

 雨音が外から聞こえ、夏場なのに少し空気が冷たく感じる。痛む頭を押さえながら、ボクはゆっくりと起き上がる。


「あ、起きた!」


 声のする方に顔を向けると、目が赤いマコトちゃんが何処かに慌てて電話を掛け始める。ボクは何をしてたのかを思い出そうとしても、頭が上手く回らない。


「……何してたんだっけ。」


 ぼんやりとした意識の中で、ただずっと雨の降る庭を眺める。


「夜空さん!もう大丈夫なの?!」


 マコトちゃんが声をかけてくる。


「うん、何か頭が少しふわふわした感じだけど、大丈夫。」

「急に倒れるんだもの…。どうしたら良いか分からなくて、近くの診療所まで走って行っちゃった……。」

「…そっか。ごめんね……。自分でも倒れるとは思ってなくて……。」

「……ただの貧血らしいから、しばらく安静にしてて。診療所には連絡したから。」


 マコトちゃんに悪いことしたな。なんて考えながら、少しフラつきながらトイレに行く。


(……頭がクラクラする…。そういえば、美空は何処に行ったんだろ……。)


 目を覚ましてから美空の姿が見えず、トイレに向かいながら他の部屋を探しても、何処にも居なかった。


(……これでトイレに居たら、怖いな。)


 そう思いながらトイレの扉を開けると、そこには誰も居なかった。


(あれ、美空…。何処行ったんだろ……。)


 そう思いつつもトイレを済ませて、自分の部屋に向かう。自分の部屋に入ると、布団が膨らんでいる。ボクはゆっくりと布団をめくると…、


「……美空、何でボクの布団に入ってるの?」


 ボクの布団に、美空が大粒の涙を流しながら寝転んでいる。


「……美空?」

「………。」


 美空は黙ったままボクの首に両手を回して、ゆっくりと布団の中へと引きずり込み、強く抱きしめてくる。


「もう、美空。何がしたいの?」

「……怖かった。」


 美空の体が震えていた。それに体が冷たく冷えていた。髪も濡れたままで、そのままにしていると風邪を引いてしまいそうだった。


「美空!?なんで髪が濡れたままなの?!家の中に居たんじゃないの?!」

「……マコトちゃんが先生を呼びに行ってくれて、先生が見てくれてる間、……ずっと怖くて、ずっと外に居た。」

「外に居たって……、外は大雨だよ?!」

「……だって、また居なくなるんじゃないかと思って。」

「それは……。」


 ずっと外に居たと言う美空に、ボクはどうしたら良いのか分からなくなり、そっと抱きしめることしか出来なかった。


「……大丈夫。もう、大丈夫だから。何処にも行かないし、ただの貧血だったみたいだし。」

「……生理が無いのに?」

「……え?」


 ボクは突然の美空の言葉に固まってしまう。


「……なに、言ってるの?」

「……、美空の家に来て、トイレとかお風呂とか、それから夜空の部屋とかを見て回ったりしたけど、何処にも生理用品が無い。……なんで?」

「……なんでって…。」

「……ごめん。勝手に家を漁るようなことして。……でも、それらしい物が置いてあるような場所に何も無くて、気になって……。」

「……、今、話さないと、駄目なこと…なの……?」


 ボクはいつか自分のタイミングで美空に伝えるつもりだった事を、すぐ答えないといけないのか、怖くなる。


「……うぅん。夜空が言いたくなったらで良いよ。しんどいのにごめんね。あたしもマコトちゃんの所に行くね。」


 まだ涙が止まらない美空がゆっくりと起き上がり、マコトちゃんの所へ行こうとするのを見て、ボクの胸の何処かでまたモヤモヤとした感じがした。


「……美空、待って。」


 ボクは美空の手を掴む。


「……夜空?もう寝てなよ。元気になったら、また一緒にお話しよ?」

「……やだ。」

「やだって……。何でワガママを言って……。」

「美空だから…。」 

「え?あたしが…何…?」


 ボクは美空の手を引っ張り、今度はボクが布団の中へと引きずり込む。


「……美空にだから、ワガママ言いたいの……。だめ……?」


 ボクは自分の顔が少し熱い事に気付きながらも、美空に抱きつく。


「あたしにワガママって…。今じゃないと、ダメなの?」

「……一人だと寂しいから、昔のこと、思い出しちゃうから、一緒に居て。一緒に寝よ。」


 ボクにとって初めて心から安心ができる相手。家族にも出来なかった『ワガママ』。お婆ちゃんにも言ったことが無い。

 ボクは、一人が怖い。男の人も怖い。人の優しさが怖い。最初は美空も怖かった。でも、一緒に過ごしていくうちに、真っ黒に見えていた人の影がはっきりと美空の姿に見えてきた。

 だから美空には、ボクの初めての『ワガママ』を聞いてもらいたかった。


「……無理なら忘れて良いよ。……おやすみ。」


 ボクは少し怖くなり、目を閉じた。美空は何も言わずにボクを置いて部屋を出ていく。


(……やっぱり、だめか……。)


 少しして、僕の部屋に誰かが入ってくる。近くの小さな机に何かを置き、布団の中へと入ってくる。


「……え、美空?」

「夜空があんなに可愛くお願いしてくるんだもの。あたし、ドキドキしすぎてちゃんと寝れないかもだけど、マコトちゃんに家のこと任せて来たし、飲み物も持って来といたから、喉乾いたら教えてね。」

「え、嫌だったんじゃ……。」

「嫌……?嫌なわけないじゃん。弱ってる大好きな彼女からのお願いに応えなかったら、絶対に後でまた後悔するから。」


 美空はボクの隣に寝転ぶと、ボクに負担が無いように寝かしてくれる。


「これから先、いくらでもワガママ言ってね。もう夜空は一人じゃないんだから。」

「……うん。ありがと、美空。」


 美空が隣に居てくれる。それだけで一気に眠気がした。まだ美空に「おやすみ」って言ってないのになんて思いながらも気が付いたらボクは眠ってしまっていた。


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 どれだけ寝てたんだろう。そう思いながらも、かなり調子が楽になったようで、隣で寝ている美空を見て、そっと頭を撫でる。


「……いつも、ありがと。」


 美空がボクの寝顔を待ち受けにしている気持ちが分かった気がした。好きな人には傍に居てほしくて、いつでも安心できる姿が見たいんだなって感じた。……スマホが手元に無いから、写真撮れないけど。


「……ん。……おはよ。」


 美空が目を覚まし、頭を撫でていた手にそっと手を合わせ、自分の頬に持っていく。


「おはよ。…って言っても、外は真っ暗だけどね。」

「確かに。二人してよく寝たね。いつか夜空と一日中、昼寝したいなーって考えてたから、それが叶って嬉しい。」

「何それ。……美空は他に、ボクと何がしたいの?」

「んー…、そうだなー。夏だから、一緒に花火したいかなー。あと、畑の手伝いもしたいかも。」

「あー…、最近畑に行けてないけど、大丈夫かな…。」

「朝になったら、行ってみようよ?ほら、月が綺麗だよ。」

「本当だ。雨、止んだね。月が綺麗。」


 ボク達が寝ている間に雨が止み、綺麗な月の光が真っ暗な外を少しだけ明るくしてくれている。


「あ、マコトちゃん。大丈夫かな。」

「心配してるかもね。起きてるか分からないけど、少しお腹も空いたし見に行ってみる?」


 二人で部屋から出て、マコトちゃんが居るだろう部屋に行く。まだ電気がついており、何か音がする。ボクは部屋に入ると、机に小さめのクッションを枕代わりにして眠ってしまっているマコトちゃんに気が付く。


「……流石に寝てるよね。」

「……夜空が倒れてる間、ずっと一人で見ててくれたから、悪いことしちゃったな…。」


 美空は眠ったままのマコトちゃんを起きないようにおんぶすると、近くのマコトちゃん用に出していた布団に寝かせる。

 ボクと美空は適当に冷蔵庫から食べられる物を取り出すと、戸締まりをして電気を消した。ボクの部屋に戻ると、美空は少し嬉しそうに笑いながら、ボクにくっついてくる。


「……美空、食べづらいよ。」

「まるで同棲してるみたいだね?」

「……話聞いてる?」

「冷たいなー。夜空はあたしと同棲したくないの?」

「したいけど、まだ未成年だし。それに一緒に暮らすなら車の免許とか欲しいし、仕事も見つけなきゃ。」


 そんな事を言っていると、美空がまた少し嬉しそうにする。


「仕事と車の免許は任せて!夜空はあたしが養うから!」

「うん。嬉しいけど、二人分の生活費って結構かかるから、ボクも少しは働いた方が良いと思うんだけど。」

「いや、夜空に変な虫が付くのが嫌だから、家事とかやってくれたら嬉しい!」

「……美空。束縛女子みたいになってるよ。」

「そんな事無いもん。夜空にはもう辛いことしてほしくないから。」

「気持ちは嬉しいけど……。もしかして美空、掃除とか苦手なの?」


 美空はボクから目をそらす。夏休みが終わってから会うときは、美空の家に様子を見に行こうと思った。


「……美空。目、瞑って。」

「え?なんで。」

「……いいから。早く目を瞑って。」


 ボクに言われるままに美空は目を瞑る。緊張して心臓の音が美空にも聞こえそうな程、鼓動が大きくなる。そんな事も知らずに美空はボクを信じて目を瞑ってくれている。

 そんな美空の唇に、ボクは唇を重ねた。柔らかく、ほのかに温かい。緊張のし過ぎでそれぐらいしか分からず、すぐにボクは顔を遠ざける。

 美空はポカンとした様子で、顔を真っ赤にしたボクを眺めてくる。美空のことだから、『もう一度したい』とか言ってきそうだなと思っていると、何故か美空が泣き始めた。


「ちょ、なんで泣いてるの?!」

「だ、だってぇ…。夜空…こういうの…もう怖くて出来ないんだって思ってたから…あたし、諦めてたのに……。」


 あぁ、そうか。昔のボクのことを知っている美空は、ボクのことを思って我慢してくれてたんだな。そう思うと、きっと寝る前のあの事も、不安と我慢から出てきたんだろうなと分かってしまった。


「誰でも良い訳じゃないよ。美空だから、ボクはしたの。他の人には怖くて出来ない。」

「……うん。……怖くなくてもしないで。あたしの夜空なんだから……。」

「うん、大丈夫。ボクは美空だけのものだよ。」


 美空が落ち着くまでゆっくりと二人で会話をする。美空が落ち着いた時には、夜も更け、空が明るくなっている頃だった。


「……結局、朝まで起きてたね。」

「…夜空、また昔みたいにクマが出来ちゃうね。」

「そんなこと言ったら美空だって、ここに来た時はクマあったじゃん。」


 少し前のことを二人で笑い合う。やっとボクは自分に、美空に素直になることができた。手を繋いだまま、ボクと美空は朝食を作りに向かう。


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「……私、昨日すぅぅっごく、心配したんだけど。」

「……ごめん、マコトちゃん。目が覚めたのが夜中で、マコトちゃん起こすのも悪いかと思って…。」

「違うよ!私が怒ってるのは、『起こさなかったこと』じゃなくて、何で『倒れた次の日に平気な顔して畑に行ってるのか』だよ!」

「……だって全然畑に行けてなかったから。お婆ちゃんに頼まれてたトマト達が……。」

「トマト達よりも、まずは自分の体の心配しなさいよ!あー!もー!なんで美空さんも止めずについて行ったのー!」

「……だって、止めても行こうとするから…。それに一人だと危ないからついて行くしか……。」

「なんで二人して私を起こさないのー!!」


 ボクと美空はマコトちゃんに説教をされながら、雨に負けずに無事だった赤いトマトを洗いながら、袋に入れていく。


「はい、マコトちゃん。今日は帰るんでしょ?おじさん達にも迷惑かけちゃったから、お土産に持って帰って?トマト好きでしょ?」

「……次倒れたら、トマトじゃ許さないからね。」

「分かってるよ。美空も居るし、一緒に見れなかった映画とかも、ちゃんとアルバイトの時に返すから、それで安心して?」

「……じゃあ、一個お願いしてもいい?」

「何?」

「……お、おでこかほっぺにちゅーしてくれたら、安心して帰るから…。」


 マコトちゃんの言葉に、美空から殺気を感じた。ボクはどうしようと考えながらも、しないと帰らないだろうなと思い、仕方が無いと思った。


「それじゃあ、目を閉じて。」

「え、ほ、ほんとにしてくれるの?!」

「しなかったら、帰りそうにないしね。ほら、目を閉じて?」


 マコトちゃんは少し震えながら、ゆっくりと目を閉じる。さて、どうしたものか。そう思いながらも、ボクは指先で優しく頬に触れた。触れるとマコトちゃんはビクッとしながら顔を赤める。ボクは指先を離すと、マコトちゃんが目をゆぬくりと開ける。


「……これが、夜空さんの口づけ……。」

「これで良い?」

「うん!それじゃ、お邪魔しましたー!!」


 マコトちゃんは元気に玄関に向かい、そのまま走って帰ってゆく。あれで良かったのかと思いつつも、本人が喜んでいるので良しとした。


「帰っていった……。」


 ボクはそう小さく呟くと、美空がくっついてくる。


「どうしたの?」

「……別に。」


 何かに怒ってるみたいだったけど、美空の頬に唇を当てる。


「美空には、ちゃんとしてあげるから。」

「……ばーか。」


 そんな事をしながら、二人でマコトちゃんから借りた映画を適当に見始める。その間、美空はボクにずっとくっついたままだった。

 美空とまた仲良くなって、美空の気持ちを知れた。まだ美空がうちに来て、全然日数が経ってないのに、これからどんな事をしていくんだろう。そんな事を考えながら、ボクは幸せそうな美空の横顔を横目で見ていた。



 ずっと降っていた雨が止み、やっと晴れた。

 濡れた体は冷えて冷たくなり、頭の中を不安にさせる。

 美空の不安はまだあるんだろうな。そんなことしかボクには分からないけど、これからもっと知っていきたいと思う気持ちが、美空の事をもっと好きにさせてしまう。

 約束が増えて、好きが強くなって、美空と出会えて良かった。

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