第5話《最後の部屋》

男が新しく借りた部屋は、異様に安かった。

駅から近く、内装もきれい。

何か裏があるんじゃないかと訝ったが、管理会社はにこやかに首を振った。


「問題ありませんよ。ただ──、夜十時以降は、絶対に隣の部屋を見ないでください」


意味がわからなかった。

だが、安さに負けて、男は契約した。


最初の数日は、何事もなかった。

静かで、快適だった。


──三日目の夜。

十時を過ぎた頃、壁の向こうから、かすかな音がした。

叩くような、引っかくような、湿った音。


(気にするな、気にするな)


そう自分に言い聞かせ、布団にもぐり込んだ。


──五日目の夜。

今度は、隣からすすり泣く声が聞こえた。

女の声だった。

助けを呼んでいるようにも聞こえた。


(見るな。絶対見るな)


だが、好奇心が勝った。


そっとドアを開け、廊下に出る。

隣の部屋の前に立つと、ぴたりと音が止まった。


気配だけが、そこにあった。

ドアの下の隙間から、何か黒いものがにじみ出している。


男は、ドアノブに手をかけた。

開けてはならない、と頭ではわかっていた。

だが、指が勝手に動いた。


──ぎぃ、とドアが開いた。


中は、真っ暗だった。

かすかに、腐ったような匂いが鼻をつく。


そして、見た。


床いっぱいに、人間の顔が敷き詰められていた。

男も女も、老人も子供も。

ひとつひとつの顔が、じっとこちらを見上げている。


動けなかった。

逃げようとしたが、足が床に吸い付いたように動かない。


背後で、バタンと自分の部屋のドアが閉まった音がした。


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