第4話《あたらしい名前》

夜、古びた公衆電話が鳴っていた。

誰もいない路地裏。

通りかかった男は、無意識に受話器を取った。


「──もしもし」


雑音交じりの向こうから、女の声がした。


『おめでとうございます。あなたに、新しい名前が与えられました』


は? と男は眉をひそめた。

聞き間違いかと思ったが、女の声は淡々と続ける。


『あなたのあたらしい名前は、クチヲアケルモノ。おぼえてください』


ガチャリと通話は切れた。


気味が悪い。

だが、ただの悪戯だろうと、男は忘れることにした。


──その夜。

家の玄関の表札が、勝手に変わっていた。


「○○○○ クチヲアケルモノ」


自分の本名の横に、あの意味不明な名前が追加されている。

慌てて剥がそうとしたが、びくともしない。

それどころか、触れた指先がじんわりと痺れた。


──翌朝。

職場に行くと、名札が変わっていた。


「クチヲアケルモノ」


同僚たちも、上司も、誰も不思議に思わない。

ごく自然に、その名前で呼んでくる。


「おい、クチヲアケルモノ、これ頼むな」 「クチヲアケルモノさん、お疲れ様です」


男は必死で否定しようとした。

「ちがう、俺は──!」

だが、言葉が喉に詰まり、声にならない。


気づけば、舌が変質していた。

──何本にも裂け、口の奥で蠢いている。


──そして、気づいた。

自分は「クチヲアケルモノ」になってしまったのだと。


電話の声が、耳の奥で繰り返す。


『おめでとうございます。おめでとうございます。』


誰も止められない。

もう、どこにも帰れない。


名前を変えられた者は、ただ、元の世界を見上げながら、ひっそりと朽ちていくしかない。


男は、笑った。

裂けた口で、音もなく。

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