【第5章】限界突破

「おはよう、浅野君。」


蘆田の声が響いた瞬間、蓮の背筋に氷のようなものが走った。

振り返ると、信者たちが無言で立ち並んでいた。

笑顔の者、泣き顔の者、無表情の者――

その誰もが、蓮の一挙手一投足を見逃さない、獣のような目をしていた。


「……帰ります。」


蓮はかすれ声で言った。

だが、足は震え、声はか細く、誰にも届かない。


「帰る? どこへ?」


蘆田の言葉に、信者たちの中からくぐもった笑い声が洩れた。


「君は、もう選んだはずだ。

ここにいると。」


(いや、選んでなんかない……)


「さあ、最後の儀式を始めよう。」


蘆田が手を振ると、信者たちが一斉に動き出した。

蓮の両腕を捕まれ、足元が宙に浮く。

叫ぼうとする口に、芽衣の細い指がそっと添えられる。


「大丈夫、大丈夫……すぐ、楽になるから。」


彼女の声は優しく、しかしその目は涙で滲み、遠くを見つめていた。



■ 限界突破の儀式前夜


広間の奥、蝋燭だけが揺らめく一室に連れ込まれた蓮は、

壁に固定された鎖に繋がれ、床に膝をついていた。


腕、肩、背中――生々しい痛みが走る。

撮影機材は剥ぎ取られ、眼鏡型カメラだけが奇跡的に残っていた。


「浅野君、準備はいいかい?」


蘆田の声が響き、蓮はゆっくりと顔を上げた。


「人間はね、痛みを通じて、自分の限界を超える。

それが本当の“自由”だ。」


信者たちは輪を描くように蓮を取り囲み、

誰もが微笑みながら、しかしその目の奥は狂気で濁っていた。


芽衣が近づき、そっと蓮の頬に触れる。


「一緒に、超えよう。」


蓮は呻き声を洩らし、首を横に振った。

だが、信者の一人が鎖を引き、身体が激しく引き締められる。


「ひ、人……助け――」


口から迸ったのは声ではなく、かすれた音だった。


(誰か……助け――)


視界が揺れ、光が滲む。

その瞬間、誰かが眼鏡型カメラのボタンを押し、

録画ランプが微かに点いた。


誰が撮ったのかもわからないまま、

蓮の“最期の記録”は、回り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る