【第4章】逃走未遂

杯を交わす音、笑い声、ささやき声。

広間には酒の匂いが漂い、蓮の鼻腔をくすぐった。


「どうぞ。」


芽衣が差し出したグラスには、淡い金色の液体が波打っている。

蓮はおそるおそる受け取り、口をつけた。

甘い――そして、後から舌を刺すような苦みが舌の奥を這った。


(……やばい、頭がぼうっとする)


周囲を見回すと、床に座り込み、抱き合う男女の姿が目に入った。

いや、それだけではない。

その傍らでは、誰かがすすり泣き、誰かが笑い声をあげ、

誰かは爪を噛み、誰かは自分の腕をかきむしっていた。


「浅野君。」


いつの間にか、蘆田が隣に立っていた。

その声は耳元にそっと落ちてきて、蓮は肩を震わせる。


「私たちはね、自由なんだ。

人は本来、痛みと快楽の中にしか真の自由を見出せない。」


芽衣が蓮の手を取り、そっと引き寄せる。

彼女の目が、どこか潤んでいるように見えた。


「一緒に、なりましょう。」


耳元で囁かれた声。

背後では、誰かのすすり泣く声が次第に叫び声へと変わり、

笑い声がそれをかき消すように響く。


(……これ以上は、まずい)


理性の声が微かに残っていたが、

芽衣の指が蓮の頬に触れ、視界がぐらりと揺いだ。



■ 時間経過、翌朝近く


目を覚ますと、蓮は薄暗い部屋の床に横たわっていた。

隣では芽衣が静かに眠り、頬に爪痕が残っている。

周囲には、衣服が乱れ、脱ぎ捨てられた靴や割れたグラスが散乱していた。


――撮影は。


はっとしてスマホを探す。

幸い、ポケットに入れたまま。

画面を点けると、録画は止まっており、

バッテリーは残りわずか。


(……逃げなきゃ)


心臓が荒く打ち始める。

だが、その瞬間。


「おはよう、浅野君。」


背後から蘆田の声が響き、蓮の心臓が冷たく縮んだ。


「ここからが、本当の君の物語だ。」


振り返った先に見えたのは、

微笑む蘆田と、そして――信者たちの、もう“向こう側”に行ってしまった瞳だった。

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