第10話 船長
「船長、クラウスはどうしたんですか」
「いやあ、予定通り治療を進めていたんだけど、彼がちょっと休みたいって言いだしてね」
「それで、こっちに来た理由は?」
「もちろん、君とバトンタッチさ」
船長の言葉で大袈裟なため息を付いたロミーが不機嫌そうに「わかりました」と視界外へ消えていく。重厚感のある扉の開閉音が響いて、エルマの元へ足音が近づいてくる。
「さてと、初めましてだね。エルマくん」
「名前、なんで?」
「ここに書いてある」
そうやって、指でトントンとバインダーを小突く船長。
どうやらロミーと入れ違う時に、手渡されていたらしい。
「一応、自己紹介をしておこうか?」
「お願い」
「うむ。私はこの潜水艇の船長、ディードリッヒだ。大体のことはロミーに任せているけれど、一応医者の端くれではある」
と言って、わざとらしく白衣を靡かせたディードリッヒの容貌は、どことなくロミーに似ているように思えた。もっとも、彼は彼女とは隔絶した高身長であるし、表情もずいぶんとご機嫌そうではあるのだが……
「ん、ああこの髪かい?」
「うん、ロミーと同じ」
「そりゃあ親子だからね。自慢の娘さ」
ロミーと同じ、柔らかい髪質の赤茶髪を散らして一言、「反抗期だけどね」と笑うディードリッヒ。冗談っぽくありながらどことなく自嘲気な声色に、エルマは少しの困惑を覚えてしまう。
「まあ、それはさておき。なにか君の方から聞きたいことはあるかな?」
「私から?」
「うむ。突然こんな状況にさらされているんだから、いろいろと気になることもあるんじゃないかと思ってね」
そう言って、エルマを覗き込む彼の顔に(照明の関係で)影ができてしまって、エルマは小なくない怖気を覚えた。
その様子を見たディードリッヒは「ああ」と何かに気が付いたように声を漏らす。
「失礼。全身に拘束を受けた状態で、得体の知れないおじさんに見つめられちゃあ困るだろうに」
「いや、そういうわけじゃ……」
自嘲気に笑いながら距離を取るディードリッヒに、思わず否定を返すエルマだったが、実際のところその通りだった。
もっとも、ディードリッヒの顔つきはおじさんというにはずいぶんと若々しく、お兄さんと言っても差し支えないくらいではあったのだが……
「クラウス……」
「うん?」
「いや、クラウスは大丈夫かな、って」
実のところそれは無意識のつぶやきだったが、いらぬ誤解を生みかねないものでもあった。すなわち、眼前の信頼できない男ではなく、ついこの間まで言葉を交わしていた、クラウスに助けを求めたのではないかと。
「クラウスくんのことが、気になるかい?」
「うん……」
実際、エルマはクラウスのことが気掛かりではあった。最後に見た彼の姿は、ヘルメットにヒビを入れた満身創痍の姿であったから。
「だったら、一緒に見に行こうか」
「えっ?」
「気掛かりなことがあっては、聞き取りもままならないだろう?」
「でも、いいの?」
無論、それはエルマにとってありがたい結論ではあったが、同時に疑問を呼ぶものでもあった。これだけ強固に拘束しておいて、こんなにもあっさりと解放してしまっていいのだろうか?
「元々、治療中に目を覚ましても平気なように、念のため拘束していただけだからね。それが終わったら、こんなものに用はないさ」
そう言って、ディードリッヒが上半身の拘束を解いてくれたおかげで、腹の様子が見えた。負傷していたはずの横腹には、ぐるぐると薄緑色の包帯が巻かれている。
「薬効のある藻を編みこんであるから、傷の治りを早めてくれる」
「ほんとに、お医者さん……」
「疑っていたのかい?」
「ううん。でも、いま信用できた」
実際のところ、ディードリッヒの一連の言動は、エルマの警戒心を解くのに十分なものだった。
彼はそのままつつがなく拘束具を解き終えて、「もう身を起こして大丈夫だよ」とエルマに促す。
「ありがとう。船長」
「ははは、どういたしまして」
差し出されたディードリッヒの手を取って身を起こし、部屋の器材を倒さないように用心しながら出入口へ向かう。ハンドル式で重厚なドアの隙間には、エルマの下半身もギリギリ通過できる横幅があった。
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