7: 迫り来る影

 きなことくろみつが不気味な警告音に苛まれていたその頃――。

  きなことくろみつは、この村で何が起こったのかを知る由もなかった。


 

 村を離れて数時間後、その廃墟に、一つの人影が現れた。

 

 黒いマントをまとい、フードを深くかぶった人物。

 その顔は深い影の中に沈み、正体を窺い知ることはできない。

 静まり返った村に佇むその姿は、異質な存在感を放ち、不気味に感じられた。


 人物は村の入口で立ち止まり、荒れ果てた風景を眺める。

 焼け焦げた家々が無残に崩れ落ち、瓦礫の隙間には、散乱した食器や衣類が見えた。

 それらが、この村に起こった悲劇を物語る。

 

 息を殺し、冷たい風に耳を澄ませた。


「……何処かに隠れているのか?」


 

 低く呟かれたその声には、探し求める執着と微かな苛立ちが滲んでみえた。

 

 人物は足を動かし、静かに村の奥へと進み始める。

 鋭い眼光が瓦礫の隙間を這い、わずかな動きでも見逃すまいと細かく視線を送り込む。


 歩みを進めるたび、粉々になったガラス片が足の下でパリッと砕ける音が鳴る。


「……逃げたのかもしれない」


 低く漏れた声が、廃墟に染み込むように響いた。


 探し続ける人物の動作には迷いがない。

 まるでその存在を確信しているかのように、探し続ける。


 やがて、人物は歩みを止め、フードの奥でわずかに考え込む仕草を見せた。

 そして、静かに村の外れへと歩き出しながら呟く。


「必ず……見つける」


 

 黒いマントが風に揺れ、その影が地面に吸い込まれるように、人物は夕闇の中へと溶けていく。

 破壊された村は再び沈黙し、廃墟を抜ける風が、言い知れぬ不安を運んでくるようだった。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 突如、茂みの奥から低く唸るような鳴き声が響いた。

 かと思うと――青い体を持つペンギン型のグルミー族が、勢いよく飛び出してきた。

 きなこたちより二回りほど大きい。


「なんだ……!」


 きなこは目を見開いた。

 くろみつが驚いて一歩後ずさる。

 だが、そのペンギンの様子は明らかにおかしい。

 瞳に生気がなく、異様な輝きを放っていた。


「まずい……!」


 直感的に危険を察したきなこは、とっさにその場を飛びのく。


 その判断は正しかった。

 ペンギンは力を溜めたかのように身を低くし、次の瞬間、驚異的な速度で飛びかかった。

 彼のすぐそばを通り過ぎた爪の勢いが、彼の毛をかすかに揺らす。


「ひっ……!な、なに……?」


 くろみつが怯えたようにきなこの背に隠れた。


「わからない……けど、気をつけて!」


 きなこは身構えながら、じっとペンギンを見据えた。


 ペンギンは再びきなこを睨むと、耳障りなほど甲高い鳴き声を上げ、鋭い爪先をわずかに光らせた。

 その姿に、もはや友好的なグルミー族の面影はない。

 

 ペンギンが再びきなこに襲いかかろうとした瞬間、もう一つの影が飛び出してくる。

 

 淡い青色の幼いペンギンだった。

 しかし、その瞳には、揺るがぬ決意が宿っている。

 そして、きなこと、正気を失った父親ペンギンの間に立ち塞がった。

 

「お父さん!どうしちゃったの!? なんでこんな事するの!?」

 

 少女の叫び声が森に響き渡る。

 しかし、父親ペンギンの耳には何も届いていない。

 その声は、虚空へと消えた。

 

 次の瞬間、彼は冷酷な音色を低く響かせ、目の前の娘すら容赦なく襲いかかる。


 

「危ない!」

 

 きなこは躊躇する暇もなく動いた。

 彼女を突き飛ばし、地面に転がす。


 爪が地面を抉り、深い傷跡を残した。


「なんてことだ……」

 

 息を整えながら、父親ペンギンを睨む。

 

「明らかに様子がおかしい!」


 地面に転がった子ペンギンは涙を浮かべ、父親との日々を思い出していた。

 

 父が奏でる楽器に合わせて歌った穏やかな夜、一緒に泳ぎながら競争した夏の日々、不器用ながらも一生懸命作ってくれた料理――少し焦げたその料理をみんなで笑いながら食べたこと、そして、初めて父にプレゼントを渡した日のこと。父が目を潤ませながら「ありがとう」と笑った、その顔。


「どうして……どうしてこんなことに……!」

 

 震える声で問いかけるその言葉には、悲しみと混乱が滲んでいた。

 痛みに顔を歪めながら必死に立ち上がり、もう一度叫ぶ。

 

「お父さん、カノンだよ!私を忘れちゃったの……?」

 

 悲痛な声で父親に呼びかける。その目からは大粒の涙が溢れ落ちる。


 しかし、その声も父親には届かない。

 父親ペンギンは容赦なく、再び攻撃の構えを取る。


 きなこはその様子を見て、苛立ちと悲しみに駆られる。

 

「なんなんだよ、これ……!」

 

 歯を食いしばりながら、きなこは父親ペンギンの動きをじっと見据えた。


 きなこは、カノンとくろみつを連れ、父親ペンギンの攻撃をかわしながら必死に逃げた。

 低く響く唸り声と足音が、きなこたちを追い詰めるように森を包む。


 くろみつは振り返りざまにカノンに問いかけた。


「きみのお父さん、なんだよね?どうして……こんなことに……?」

 

 息を切らしながらも、カノンは苦しそうに答えた。


「わからない……突然、あんな風になって……!」

 

 耳をぴくりと動かし、くろみつの言葉に続ける。


「何か思い当たることはない?いつもと違う仕草とか、話した内容とか……何でもいいんだ」


 カノンは、一瞬きなこを見つめ、言葉を飲み込むように黙り込んだ。

 響く唸り声がかすかに遠ざかり、代わりに木々のざわめきが耳に入り始めた。

 不意に彼女が顔を上げた。

 

「そういえば……数日前、頭を抱えて苦しそうにしていたことがあったわ。『大丈夫?』って聞いたら、笑って『大丈夫だよ』って……それでも、いつもの笑顔と少し違ってた気がする」


 瞳が揺らぐ。

 さらに記憶を辿るようにして続けた。

 

「……時々、何かに怯えているようにも見えたの。『どうしたの?』って聞いたら、『嫌な予感がしただけさ、大丈夫だよ』って、私を抱きしめてくれたけど……」


 その言葉に、きなこの黒くつぶらな瞳に、一瞬だけ鋭い光が宿った。


「兄ちゃん、どうするの!? このままじゃ……!」

 

 くろみつが焦りの声を上げる。

 きなこは耳をピンと立て、短く指示を出す。

 

「くろみつ、この子を連れて安全な場所へ!」

 

 強い声で叫んだ。

 その声に、くろみつは迷いながらも頷く。


「兄ちゃん……気をつけて!」

 

 くろみつはカノンの手を引き、渋々その場を離れる。

 二人の小さな背中が遠ざかり、きなこは深く息を吐き出し、気持ちを落ち着けた。


 拳を強く握った。

 

 (僕がやらなきゃ……!)

 

 そう考えると、体が自然と前へ動いた。

 


 木々の間から差し込む夕日が、ペンギンの影を長く伸ばしていた。

 

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