第2話 捕縛

「〈鴉〉ってさぁ、結局何がしたいわけ?」

 深錦に問われ、蒼波は雑踏の中、歩みを早める。

「俺が知るか」

「……。ま、休日まで考えてたい話題じゃねーわな」

 失敗した、と深錦は思った。


「それは、僕のせい?」

 若い男の声がした。

 振り返った深錦を、殺気の波が襲った。

 蒼波が、青い劫火を纏って声の主の名を呼んだ。

「蒼穹……!」

「やぁ、久しぶりー」

 蒼穹は扉のない開放的な喫茶店の椅子に座って何やら食べている。

 蒼波が投げた小刀が何かによって阻まれた。

「蒼波、よせ」

 深錦は無駄だと分かっていながら声をかけた。


 その時、思考フギンとよく似た服装の人間が蒼穹と蒼波の間に降り立った。

 その人は思考フギンより小柄で、衣装には差し色のように橙や赤が取り入れられている。殺気も気配も足音すらなかった。少年か?

「誰だ?」

「私は〈鴉〉の番人、〈地獄の番犬ケルベロス〉の長、〈死の猟犬ヘルハウンド〉」

「なっ! ……子供ながら並外れた暗殺技術を持つ少年……。そう囁かれるほどの名だたる暗殺者様がなんで楽師崩れのそいつを守っている?」

 深錦が蒼波に待ったをかけながら死の猟犬ヘルハウンドへ問いかけた。彼は首を傾げ、その拍子に鳥の羽根の形をした、橙の混ざった血色の耳飾りが少しだけ覗いた。

「私は〈鴉〉の犬。守れと言われれば従順に守り、殺せと言われれば従順に殺す」

「こちらも同じくだ。相棒の兄貴だろうが、犯罪者は牢屋に入れる!」

 ふわりと、更に両者の間に黒が降り立った。まるで、死を連ねる死神のように。

思考フギンさま……!」

 死の猟犬ヘルハウンドの殺気が弱まる。降り立ったその人は、穏やかに言った。

死の猟犬ヘルハウンド、客人を連れて退却しなさい」

「……仰せのままに」

 死の猟犬ヘルハウンドは罪人を引き連れるかのような乱暴さで蒼穹を促した。

「丁重に頼むよ」

「はい」

 それを見送っている思考フギンに、蒼波が音もなく近づいた。微笑した思考フギンは僅かに身を引き、蒼波の一閃を避ける。

「お邪魔しました」

 ふわりと欧風の男性の御辞儀ボウ・アンド・スクレープをすると、思考フギンの姿は掻き消えた。

「魔法で攻撃してこなかったな。殺すつもりはないのか?」

 深錦が首を傾げても、蒼波は黙ったままナイフをしまった。

「ええと…あの……」

 申し訳なさそうな声がして、蒼波と深錦は殺気立って振り返った。


 そこにいたのは銀髪の少年だった。おろおろと彼は言う。

「ごめんなさい、図書館って何処ですか?」

「えっ、あぁ——」

 深錦は慌てて図書館の方向を指差した。

「あっちだ」

 背伸びをして道の先を見た少年は困り果てたように深錦に視線を戻す。

「ええっと……」

「右手側」

 人波の向こうに建物が見えないかと苦心している少年が可哀想になって、深錦は言った。

「あー、暇だし、案内するよ」

「本当ですか! すみません、有難うございます!」

 ぺこりと少年は頭を下げて、もう一度申し訳なさそうにすみません、呟いた。

 蒼波は何か考えている様子で、深錦が三人の先頭になって往来の中歩き出した。

「図書館に何しにいくんだ?」

「えっと、本を借りたくて」

「本?」

 深錦はちょっと振り返った。何か引っ掛かる感じがしたのだ。勘、と言ってもいい。

「なんて本を?」

「えっ、あ、いや……行ってから考えます」

「ふーん」

 まあ、題名が聞きたかったわけではない。話題が欲しかったのだ。

「ていうか、学生?」

「あ、はい」

「どこ?」

「え、うーん……隣町の……」

「ああ、あれか」

 なんか大きいのがあるな、そういえば。

「あ、あれだ」

「ああ、有難うございます」

 少年は一礼して微笑むと、駆け去っていった。


 深錦は黙って人並みに流れながら歩く。

「深錦」

「お前ならそう言うと思ってたよ」

 二人は方向を百八十度変え、そっと少年の後を尾けた。

「学校を聞かれた時、狼狽えすぎだ。それに、借りる本を聞かれた時も」

「ああ。それに、出入り口が見えてないわけないだろうに、通り過ぎて行ったぞ」

「それに、隣町にも図書館はある。目的の本がないのに、そこに行かずにここに来るのは不自然だ」

「そうだな。ん、あれ……」

 薄暗い路地の隙間に、銀髪の少年が駆け込んでいく。蒼波たちもその後を追った。

「あ」

 少年は立ち止まった。そして左耳に白い何かを取り付ける。手慣れた動作だった。

「あれは……」

「〈鴉〉の関係者がつけている飾り羽に似ているな」

 少年は見張られていることに気がついた様子もなく、路地を曲がる。蒼波達が角から様子を窺うと、壁に赤が走った。

「……!」

「血糊……」

 少年は逃げ出すどころか、死体を見下ろしている人のところへ駆け寄った。何やら話すと、彼は殺人犯を魔法で何処かに送った。

 会話の間、ムニンさまと言う言葉が聞こえた。そう言えば、記憶ムニンの人着は銀髪の少年という情報もある。


「……どうするよ?」

「今捕えよう」

 深錦が飛び出し、慌てて蒼波は結界を張った。びくりと少年は弾かれたように振り返った。白銀の羽が踊る。

「あ……!」

 深錦がそれに飛びかかり、抵抗する少年に叫んだ。

「殺人及び死体遺棄の幇助の疑いで現行犯逮捕する!」

 少年の手に手錠を掛けようとした瞬間、鋭い蹴りが深錦を襲った。彼女は吹き飛ばされた。

 深錦が土に手を突く事はここ七年の間、一回もなかったのに。

「……った……。やってくれるじゃん、思考フギン!」

「……」

 黒い衣服のその人は、少年を引きずり起こすと、結界の外へ続く通路へ押し出した。

思考フギン、」

「行け」

 不安げに少年は数歩下がる。

思考フギン、お前も幇助罪で現行犯逮捕するぞ!」

「おまけに公務執行妨害も付く」

 ちらりと思考フギンは少年を振り返り、一歩踏み出した。蒼波は拳銃を抜く。そして真っ直ぐ、銀髪の少年の足を狙った。

「まだ撃たない、だから——」

 思考フギンの身体が飛んできた。

 ぶつかられながら、反射的に蒼波は彼を取り押さえる。

思考フギン⁉︎」

 狼狽えた少年の声が響く。

「行け!」

 蒼波の手の内で、思考フギンが叫んだ。

「動くな!」

「逃げろ!」

「でも……!」

 銀髪の少年が怯えた様に二、三歩下がる。不安げに金色の目が揺れていた。それに深錦が駆け寄る。

「お前の足なら行ける! 逃げ切って見せろ、記憶ムニン!」

 少年がくるりと前を向いて大地を蹴った。その瞬間、一頭の銀の獣が現れた。

 少年は狼に化けて駆け出した。

「〈我が主人オーディン〉に伝えて! 六だ!」

 獣は一直線に駆けていく。


 無理矢理立たせると、手錠をかけられているのに、思考フギンは楽しそうに笑っていた。

「さて、君たちは〈鴉〉から何を聞き出せるかな?」

「お前……あいつを無傷で逃すために……」

「ま、牢屋とか〈狼〉の社会科見学ということで」

「受け入れてない」

「でしょうね」

 澄ました言葉を言いながら、思考フギンは少年の逃げた方向を見て安心したように笑った。

 彼の身体の前で、手錠のかけられた両腕が金属の音を立てる。

「俺があんな少年に威嚇射撃なしに撃つと思ったか⁉︎」

「貴方達は敵だ」


 蒼波は苛立ったまま、思考フギンの口元以外の全てを秘匿する頭巾を剥いだ。

「な——」

 衝撃と困惑。それが最初に感じたものだった。

「お前は——」

 思考フギンは気持ち悪そうに頭を振った。その動きに合わせて肩ぐらいの長さの黒髪が流れる。左耳の黒い飾り羽が激しく揺れる。それに、白い肌と琥珀の瞳が映えていた。

「私は思考フギン。〈鴉〉の幹部」

 滑らかに言って、にっこりとは笑う。

「こっから先は有料だけど、特別に性別ぐらいは許してあげよう。折角の面白そうな相手が狼狽えているのをいい事に、早々に第二幕を終わらせたら詰まらないからね」

 容姿端麗な少女は戯けたように言う。

「……お前は思考フギンで間違いないんだな?」

「だからそう名乗ったじゃないか」

 不機嫌そうに彼女は言う。

「……少女……だよな?」

「そうだけど? 両性具有者インターセックスでも何でもない、ただの女だけど。まあ、少年と言っても良いでしょ? 法律上、私も少年なんだから」

「歳は?」

「ざっと一億歳」

「長寿だな」

「そうだよ」

「……厳密に言うと幾つだ?」

「十五」

 淀みなく答えて、彼女はちらりと大通りを見た。

「ねえ、立ってるの疲れた」


 言い方が先ほどより少女らしく思えるのは、心理的な影響だろうか。

 蒼波が迷っていた時、深錦が駆け戻ってきた。

「あ、あいつ……に、逃げ切っ、たぞ……」

「……ひとまず、こいつを連行するぞ」

「は? え、そいつが、……思考フギン?」

「そうですよー」

 嫌味なほど和かに少女は笑う。

「そ、そうか……。身体検査するぞ」

「ふふ、適応力凄いな」

 持ち物を探られながら、くすりと思考フギンが笑った時、車が通路に滑り込んできた。車の運転席、ユーファが和やかに手招きしている。

「お呼びに預かりました、ユーファでーす」

 深錦が助手席に座り、少女を挟んでスライと蒼波が座った。

「あ、スライー、帰ったらさっきの銃撃戦の続きしよーねー!」

「黙れ」

「いーのかなぁ、一階級上の人間にそんなこと言ってー? ついでに、二階級上の方々も二名いらっしゃるけど?」

 スライが渋面を作って顔を背けたのを見て、少女が噴き出した。

「失敬、会話を銃撃戦と称するのが可笑しくて。つい」

「あ、分かりますー?」

 のんびりとユーファが言う。

「前ね、蒼波さんに『お前らの会話は銃撃戦にも勝るとも劣らないな』って言って貰ったんですよー。それ以来、彼との会話は銃撃戦と呼ばれてます!」

「こら、仲良くなるな」

 深錦が助手席に収まる。スライはむすっと黙り込んだままだ。

「はーい!」

 ユーファは大きく返事をすると、加速器アクセルを踏み込んだ。

「うーん、これは追われてますねー。カーチェイス出来ます! ひっさしぶりに速度出せます!」

「そいつ、位置情報が分かるようなものを持っていないか?」

「持ってませんよ?」

 微笑んで少女がいい、それをユーファが肯定した。

「この車内からは、何の電波も出てないです。僕が独自に全地球即位機構ジーピーエスも切りましたし」

 ぐうん、と車体が傾いで右左と路上を駆けていく。

 ユーファの鼻歌だけが車に翻弄されずにあった。

「ユーファさん、スピード狂……かな?」

 呆れたように少女が途切れ途切れに言った。

「それもあると、思うが……舌噛むなよ」


「あ、もうとっくの昔に撒いてましたー!」

 きゅうぅぅぅ、と音を立てて車が減速した。

「ユーファの運転、死ぬ……」

 深錦が口元を押さえながらそう言った。

「楽しかったですね!」

 ユーファの言葉を肯定した人はいなかった。

 乗り物酔いしやすい深錦が嘔吐いている時、少女は何かに視線を落としていた。

「……?」

 手元を覗き込んだ蒼波は、慌ててそれを奪い取った。

「お前、」

「……スライさん、この中で一番下の階級、でしたね」

 手の中にあるのはスライの証明書。

「……」

 車内の温度が下がった。

「……これは干支? ……未は八……申、酉」

 少女は溜め息を吐いた。

「あーあ」

 その言葉に蒼波はぞっとしたものを感じた。それと共に、少女と自分たちの間に大きな壁が作られたように、彼には思えた。



 少女を看守へ引き渡し、一日置いて、蒼波と深錦は捜査のため、少女に会いに行った。

思考フギン

 通路に看守の姿が見当たらないのを見て、二人は顔を見合わせると、そっと思考フギンの独房を見た。

「おい?」

 白い服に身を包んだ彼女は寝台に寝っ転がっている。そして床には看守が一人転がっていた。

「あー……思考フギン?」

「……」

 深錦の声に少女は怠そうに目を開けてこちらを見た。深錦は看守を指さす。

「これは何かな?」

「……人間でしょう?」

「そんなこと知ってる。君がやったわけ?」

「そうですが?」

「はぁ……?」

 頭を抱えた深錦に代わって、蒼波は幾分か優しく訊いた。

「何故?」

「……」

 少女は答えずに寝台から垂れ下がっている腕を見下ろした。手枷と足枷。それがある状態でどうやって人を昏倒させたのだろう?

 そう思った瞬間、彼女は思考フギンだからだ、と浮かび、同時に白い服なのが奇妙に感じられた。綺麗な黒髪も。少女らしい体つきも。


 やはり彼女は自由な鳥だ。こうやって手足を拘束してしまったら、彼女は彼女でなくなる。ただの哀れな囚人の少女に成り果てる。

「……が」

「?なんだ?」

「……」

 少女はそこで怠そうに欠伸を噛み殺すと、どうでも良さそうに言った。

「その人が椅子に座れって言うんだもん。嫌だったから断ったら殴られそうになって、ひっくり返した」

 面倒臭そうに寝台に座ると、少女は小首を傾げて言った。

「手短にお願い出来ないかな?」

「……」

 どうする、と視線で問いかけると、深錦は肩をすくめた。

「あの看守は第三十七条を破ってる。減給だね」

「そうだな」

 聞きたかった事と違うのだが、まあいいか。

「他の囚人にも聞けばいい」

 少女は惰性そのものの声で言った。

「……何故そう思う」

「大概そうでしょう? 殴って言う事を聞かせるのに慣れてるって感じだったし」

 深錦が慎重に口を開いて言った。

「……そういえばそうかもな。どう思うよ、蒼波」

「やる価値はあると思う。内密にユーファにでもやらせてみる」

「オーケイ」

「……。こう言う物、要ります?」

 くるりと鮮やかに袖口から小さな機械を思考フギンは取り出した。

「録音機……⁉︎ 身体検査はしたはず……!」

 彼女は答えず再生釦を押す。

 ぎぃいい、と牢の扉が開く音がした。

『何の用でしょう』

 警告する様な鋭い声に、足音が一瞬止まる。

 蒼波はその機械を取り上げて停止ボタンを押した。当人に聞かせてフラッシュバックしたらそれこそ減給間違いなしだ。

「後で聞かせてもらう。だが、どうやって持ち込んだ?」

「寝台の裏に仕込んでありましたけど?そちらが置いたのでは?」

「……」

 蒼波は機械に目を落とす。

 事実その通りだった。常時録音にして取り付けてあった筈なのだが、思考フギンはそれを取り外して使ったらしい。


 深錦がそこを探って、呻き声を上げた。

「ない……」

 これ以上疑っても仕方ないだろう。

「……遅くなったが自己紹介をしよう。俺は蒼波、こいつは深錦。……思考フギン、本名は?」

「……」

 深錦が寝台に肘を突いて、高く結えられた髪が寝台の下へ流れていく。

「〈鴉〉の主人はどんな人だ?」

「良い人」

「……」

 今度は蒼波が沈黙する番だった。

「あの人は優し過ぎる……」

 独白のように呟いて、不機嫌そうに先を促した。

「……構成員の名は?」

「言えるのは、貴方の兄上ぐらいでは?そっちも知ってるだろうしね」

 深錦が蒼波の肩に手を置く。それを静かに蒼波は振り払った。

「蒼穹を知っているのか」

「勿論。あの人は少し変わってるから印象に残るし」

「そうだな」

「しかし、全然似てない兄弟だな。片や〈狼〉、片や敵組織の妖怪〈覚さとり〉とはね。さとりは人の心を読む妖怪」

「……」

「最初はそっちの諜報員かと思ったよ。けれどそんな様子もない……。あれは何だ?」

 尋問される側が変わっている。咳払いをして、蒼波は主導権を握り直した。

記憶ムニンは弟か?」

「……。家族だよ? 〈鴉〉の皆んなが」

「血縁的な繋がりは?」

 思考フギンの目が鋭く光り、……しかし彼女は眼を逸らして微笑った。

「……ないさ。けれど、あの子は実質的に言えば私の弟になるんだろうね」

 思考を振り返った、あの泣きそうな表情が蒼波の心を小さく刺した。

「……そうか」

 嘲笑的に彼女は口元に笑みを刻んだ。

「随分と同情的な響きだ。良いのかい? 〈狼〉のくせに」

「良くはないんだろうな」

 蒼波は一歩近づいて少女の額に触れた。少女はされるがままになっている。手を取り、脈を測る。

「体調に変化は?」

「ない」

 言った少女の髪を梳く。ぽん、と頭に触れて蒼波は静かに見返してくる少女に頷いた。

「お休み」

「……」

「お休み、思考フギン。また来るよ」

 彼女は爛々とした目を向けているだけだった。細い手足に武骨な枷が鈍く光っている。きつく睨んでくる視線を感じながら、気絶したままの看守を引き摺り、ゆっくり二人はそこから去った。



 記事抜粋

『闇のベールついに剥がれる‼︎〈鴉〉幹部逮捕!』

 *¥月€〆日、〈鴉〉幹部の少年が逮捕された。警察をけむに巻いていた〈鴉〉、初の失敗と、シヴァ氏は形容。しかし、専門家は「〈鴉〉の策略である可能性もあり、油断は出来ない」としており、市民からは少年という事に衝撃が走って……。

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