鴉は青い鳥になりたかった。

深水彗蓮

第1話 邂逅

「また〈からす〉だってぇ?」

 深錦しんきんは渋面を作って死亡者名簿を放り出した。そこには、老若男女問わずに十数の名が並んでいる。

「そうだな」

 彼女の相方もうんざりしたように同意すると、机の上に散らばった資料を集めた。

「あーあ、あいつらの調査、くそつまんねぇんだよな。仕掛けは面白れぇんだけど、捕まんないし」

 馬の尾のように長く伸びた髪を乱暴に振った相棒に、彼は不機嫌そのものの声で言う。

「不謹慎だ」

「いーでしょ、別に。蒼波そうはと私しか居ないんだし」

「倫理観を母親の胎内に置いて来たか?」

 蒼波は溜め息を吐くと、卓上に並べられた資料を振り返った。

「今回は銃殺。この型なら出所を追えるかもしれない」

「まあね。でも、それは部下に任せりゃいいじゃん。あの寡黙なやつ……なんだっけ、スライス?」

 そんな突飛な名前が罷りまかり通るか。

「……スライ」

「あ! そうそう、そいつ! あいつの友達の、……えっと……ヨーグルトじゃなくて……」

「ユーファ」

「そうだった! 流石蒼波!」

「お前も流石だな、その記憶力のなさは。超人的だ。名残すらない」

 それを全く聞かずに深錦は電話をかけている。

 電話番号を登録する際に、名称を付けられる機能があって良かったな。こちらも電話番号まで暗記している訳ではない。

「あ、私だよ私。頼みたい事があるんだけどさ——」

「うわぁ、どなたでしょう? 私私詐欺ですかー?」

 のんびりした声が聞こえて、蒼波は深錦に呆れた目を送った。彼女は五月蝿い、と言うように彼に手を振ると、自身の名と階級を言った。

とりの深錦だよ。ユーファ…だよね?」

 蒼波はつられるように制服から証書を取り出した。

 狼と、とりの文字。

 汝を〈狼〉の一員と認め、階級を酉と断ずる。

 そして諸注意。

 その最後の文字が目を引いた。それは、〈王〉の署名。流れるような字で、そこには——。

「まじ? 頼むわ!」

 満面の笑顔で深錦が振り返った。

「お前、いい部下持ってんな!」

「あいつは遊軍だ。部下とは違う。……それで?」

「新しい情報をくれたよ、あのユー……なんとか」

「ユーファ。諜報員の名ぐらい覚えろ」

「あー! それそれ! 今日、三丁目の地下賭博場に〈鴉〉が集まるんだと。上の許可はとってある」

 にやりと彼女が笑い、蒼波も微笑を浮かべた。

 深錦が立ち上がりながら挑戦的に言う。

「〈害獣〉狩りに出かけよう」



 記事抜粋

『路地裏連続殺人事件、〈鴉〉と断定!』

 路地裏連続殺人事件に於いて、警察は#^月$=日に〈鴉〉の犯行だと断定した。これまで、〈鴉〉は様々な殺人事件を起こしており、凶悪武装集団として警察は捜査を進めている。しかし、鮮やかな手口でそれを掻い潜り、捕まる実行犯は何も知らない。市民の不安は高まるばかりである。警察は一刻も……。



「……」

 太陽を拒んだ薄暗い部屋。その中で黒い外套を纏った人が立ち上がった。

思考フギン……?」

 呼ばれて〈思考フギン〉は立ち止まる。黒い闇の中で、僅かに動いて振り返った。ぱたた、とあるかなしかの音を立てて、左耳の黒い羽飾りが回った。

「何でしょう、〈我が主人オーディン〉」

 オーディン。北欧神話の主神。戦争の神や死の神などの別名を持つ最高神。片目を捧げるほど知識に対して貪欲で、魔術に長けた男神。あるじはそんな性格の方ではないが。

「ふわー……見回り?」

 主は眠そうに欠伸を噛み殺す。

「いえ」

 〈思考フギン〉は笑った。

 〈思考フギン〉は〈フギン〉でありながら、同時に最高神オーディンの足元にいる一対の狼、〈ゲリ〉と〈フレキ〉の〈ゲリ〉でもある。本来、この座は別々に作ったのだが、今は最高神オーディンのワタリガラスの名を冠する〈思考フギン〉と〈記憶ムニン〉の二人が勤めている。

「獲物が掛かりそうなので、三の賭博場に」

 言葉を吟味するように主人は首を傾けて、困ったように笑った。

「何度も勝手な行動はするなって言ってるのに。まあ、気をつけてね」

「我が主の御心のままに」

 恭しく礼をして、〈思考フギン〉は滑らかに部屋から出て行った。



「よし、ここだな」

「ああ。……誰か居る」

「結界張るぞ」

「頼む」

 その男は、賭けのために人を戦わせる、闘技場の中央に立っていた。

 彼は斜め上の天井を眺めていたが、足音に気付いたのか、ゆっくりと振り返った。

 真っ黒な外套を羽織り、その表情も身体の線も黒に覆われて窺えない。僅かに、口元の端だけが角度の関係で覗いていた。それが、ゆっくりと笑う。

「こんにちは、〈狼〉さん」

「! 指名手配犯、〈黒外套〉……⁉︎」

 その男は恭しく言う。

「お初にお目にかかります」

 二人は拳銃を抜いて構えた。

「動くな!」

 笑い含みの声が言った。

「その言葉の強制力は如何いかな程か」

 今時の人間とは思えないような言葉遣いをすると、彼はひらりと観客席に飛び降りた。

「撃つぞ!」

「階級は?」

 深錦の威嚇射撃にも動じず、黒い外套の頭を真っ直ぐこちらに向け、彼はもう一度問う。

「貴方方の階級は?」

「あんたの名前は?」

 黒外套は小首を傾げ、そっと呟く。

「私はフギン」

「フギン……? 布巾みたいな名前だな」

 深錦の言葉に俺はいや、と首を振る。

「確か、思考と書いて思考フギンと読むんじゃなかったか?世の全てを知り、神にそれを囁く二頭の鴉……思考フギン記憶ムニン

「正解です。博識ですね」

 顔の見えない中、思考フギンが微笑したように感じられた。

 思考フギンは、軽やかに一列目の観客席の背もたれの上を半周ほど歩き、座席の間を指さした。

「困っているのですよ、この死体に。見ていただけませんかね?」

 明らかな罠に、二人は一歩も動かなかった。思考フギンは苦笑すると、——正しくは苦笑した気配を漂わせると——釦を取り出した。簡易なもので、六種ほどしか釦が付いていない。

「待て、それはなん——」

 何だ、と言おうとするのと、その釦が押されるのが同時だった。

「あれがここの写真です」

 思考フギンが釦を押し込むと、闘技場と観客席との間に、白幕スクリーンが降りた。完全に闘技場を覆うように、どの観客の方向も向くように、四面とも白幕が降りてくる。

「どうです? 偽物に見えます?」

 観客席の間に倒れている男。三十代程だろうか。殴られたのか、頭部からの出血が見られ、頭は凹んでいる。

 映し出された写真を見て、深錦が唸った。

「……おかしなところはない」

「ああ……。凶器は?」

「さあ。知りません。けれど、椅子の可能性はありえませんね。形状が明らかに違います」

 思考フギンは白幕の前へ泳ぐように降りると、どうぞ、と言うように問題の観客席を指差した。

「深錦、お前が行け」

「ん」

 思考フギンへの警戒を怠らず、深錦は通路を通って観客席へ近づく。もし銃撃戦になった時に、そこに身を沈められるからだ。

「ありゃ……こりゃ酷い」

 閃光フラッシュが焚かれて俺は顔を顰めた。

「しまった……。お前手ブレしてないか確認しろ」

「あ」

 もう一度閃光が光る。思考フギンは面白そうに笑っているようだった。

「……このカメラ、ポンコツ過ぎる‼︎」

「お前がポンコツなんだ、カメラのせいにするな!」

 行ってどうぞ、と言うように思考フギンは両手を上げた。

「深錦、交代だ」

「そうしてくれ。真面目に事件が解決できない」

 深錦は少しずつ遺体から離れながら思考フギンを射程範囲内に収め、俺は撮影機を受け取った。

「……もう腐敗が始まっているのか」

「ええ。映した写真は二日ほど前です」

「死体を見つけた際に通報しないのは軽犯罪法違反だ」

「おや、それは自己の占有する土地で、では?」

 面白がるような響きが癪だった。

「ここは〈鴉〉のものではないのか?」

「裏社会に定位置を築くのは大変です。それに、この場所は巧妙に〈鴉〉の私有地のように見せかけてありますが、この上の建物の持ち主がここも私有していますよ?それに今、公務員にお伝えしました」

 俺は黙って四、五枚写真を撮り、思考フギンに向き直った。

「事情が聞きたい。同行してもらおうか」

「嫌ですよ。指名手配の意味分かってます?」

「……従わないか?」

「ええ。と言うことは——」

 思考フギンは横っ飛びに逃げた。続いて客席を三列分を一回転の後方宙返りで退く。

「緊急逮捕する!」

「結界のせいで魔法は使えない。しかし、出る事は支障なくできる。……入る事も」

 はっとして〈狼〉二人は伏せた。

「くそ……」

 発砲音が無人の賭博場に広がる。

「〈鴉〉の雛鳥です」

 思考フギンの声が言う。

「もう一度問いましょう。階級は?」

ひつじだ」

 嘘だ。

 それをどう思ったか、思考フギンは残念そうに溜め息を吐いた。

「……。雛達、捕えなさい」

 数十の銃口に囲まれて、二人は背中合わせに立った。

「……どうする?」

「どうするって?」

 深錦が吼えた。

現場げんじょうを荒らすんじゃない‼︎ そこを退け‼︎」

 吠え声に怯えた一瞬の隙を見逃さず、手身近な雛を蹴り倒す。錦も同じように雛を昏倒させている。

「相手は十……。六羽は倒したいとこだな」

 深錦の挑発に、銃弾を掻い潜って俺は笑った。

思考フギンも入れて七は倒したい」

 ほんの三秒後、舌打ちが鳴った。

「くそ、五対五で引き分けだ」

「持ち越しだな。機捜もそろそろ着くだろう」

 車が到着した音がする。無線機が雑音ノイズ混じりに言った。

『こちら機動捜査隊、只今現着』

 ならば、と二人は出口を見る。見事に異口同音で、一方は好戦的な女将軍のように、もう一方は敏腕の元帥のように軽やかに言った。

思考フギンを追うまでだ」



「……おや、追ってこられたんですか?」

 張られた結界を見上げて、思考フギンは足を止めた。

「機捜が着いたからな」

「見事に足跡がなかったな。どうやったんだ?」

「……」

 思考フギンは空を見上げて笑った。

「鳥の紛い物、か」

 上空に浮かんだドローンは、煽るようにくるりと回った。

 くくっ、と喉を鳴らすようにして思考フギンは笑った。

「見事だ」

 それで、とこちらに向き直る。

「サインでも貰いに来たんですか?」

「お前の筆跡などより欲しいものがある」

「はて。何でしょうね」

 疑問に思ってなどいなさそうに、思考フギンが言う。

「お前の身柄だよ」

 その瞬間、びく、と思考フギンが揺れた。

「ああ……」

 思考フギンは自身の腕を抱く。中性的な白く細い腕が印象的だった。

「早く帰らなくては。あの人は……、〈我が主人〉……神話の通りならば、あの方は〈思考と記憶腹心〉の帰りを待ち侘び続けているはずだ……」

 恍惚と呟いて、思考フギンは二人に銃口を向けた。

「!」

「早く帰らなくちゃ……」

 呟きに発砲音が混ざる。

 その場に居た三人の全てが引き金を引いた。

 しかし弾は、誰にも触れなかった。

 黒い翼が翻る。


 カァ——……。


 思考フギンは軽やかに路地に面した家々の露台を駆け上がり、下手に発砲する事も追う事すらもできない二人を尻目に十秒と経たず屋上へ達する。

「さようなら、〈狼〉さん方。ひとまず、終演です。でも、これはまだ前哨戦ですから」

 華麗に言うと、滑らかに右足を引き、右手を腹部に添え、左手を横方向へ差し出した。

 蒼波は忌々しく呟く。

「洒落た事を……」

「なんだ、あの奇怪な動きは」

 蒼波は溜め息を吐いた。何だか馬鹿にされた気分だ。

「……欧風の男性の御辞儀ボウ・アンド・スクレープ

「は?クレープ?」

「何故そこだけ抜き出す……」

 飛行していた機械が、唐突に引力に惹かれて落下する。

「あ!」

 終演にきちんと終止符を打った事に満足したのか、思考フギンは黒い外套を翻させ、寝床へ帰る烏のように夕闇に染まった建物の森に消えた。



 記事抜粋

『闇に潜む鴉、またもや凶行か⁉︎』

 警察は洋琴ピアノ落下事件の犯人を〈鴉〉と断定、また&£〆〒町三丁目の賭博場での殺人事件との関係も疑われている。……。




「くそー、三丁目の賭博場をぶちのめせたのはいいんだけど……」

 深錦は机の資料をぶん殴った。

「後手過ぎる……!」

 数日前、怪しげな荷物が二人の元に届いた。

『詰まらないものですが些細なるお礼を。うちの雛のお相手をして下さり、有難う御座います』

 機械で打たれたその文字の羅列を見た時点で、すぐさま嫌な予感は確信に変わった。

思考フギンの野郎、なんで三丁目の地下賭博場の持ち主についての資料を送ってきたんだ?」

 賭博場の持ち主を〈鴉〉でないとする資料、賭博場の上の建物の持ち主が賭博を主催する写真、賭博の内容などの情報がまとめられている。

「嫌がらせじゃないか?」

「誰に」

「賭博場の主」

「心の底からそう思うか、蒼波?」

「……俺たちで遊んでいるだけな気がする」

「だよなぁ……」

 深錦は新たな写真を取り出して、その上に放り投げた。

「しかも、この建物の持ち主が殺人犯だし。それもこっちより早く掴んで証拠写真送って来てるし。あー腹立つ‼︎ むかつく‼︎」

〈狼〉は遅れをとっている。何か早く動かねば。蒼波は溜め息を吐いた。

「彼は賢過ぎる……」



「それにしても、良かったの?」

「うん?」

 思考フギンは銀髪の少年を振り返った。

「あの資料、急に作ってって言われたから、ところどころ甘いよ?」

「いいんだ」

 思考フギンは笑った。

「彼らのような人間はああやって遊ぶと面白いんだよ」

「へえ……。敵組織〈狼〉かぁ……。会ってみたかったなぁ」

「駄目」

 思考フギンに断じられて少年は頬を膨らませる。

「何で⁉︎ 病弱だけど、最近は元気だよ!」

 思考フギンはそっと少年の髪を梳き、そのまま頬に手を添えた。その手に彼の左耳の白銀の羽飾りが触れる。

「貴方は記憶ムニン。死なれたら困る」

「えー⁉︎」

 不服そうな声を上げた少年は、そのまま咳き込んだ。

「ほら」

「今のは思考フギンのせいだもん‼︎」

 むう、と頬を膨らませた少年に、思考フギンは微笑んだ。



 記事抜粋

『〈鴉〉初の犯行予告!』

 先日、警察宛に&£〆〒駅を爆破すると言う趣旨の手紙が届き、多くの捜査員が駅に集まっている。また、同じ内容の手紙が各新聞社に届いていると見られており……。

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