11話目 「壊れたセーブデータ」

 秋葉原に戻ってきたのは、まるで“帰還”のようだった。


 きさらぎ駅の出来事は現実味が薄く、まるで夢を見ていたようにさえ感じる。

 だが、輝の手のひらには、あのとき記録されたMDレコーダーとレトの声が確かに残っていた。


 「少し、寄り道しよっか」


 レトはそう言って、秋葉原駅近くの裏通りへと彼を誘った。


 「ここ、知ってる? “電脳トンネル”って呼ばれてるんだよ。

 中古ゲーム屋なんだけど、地下があるの。今じゃ珍しいよね」


 道幅の狭い裏通りの奥、ネオン看板もない目立たない店だった。

 店名はすでに剥がれかけ、代わりに手書きのポスターが窓ガラスに貼られている。

 “PS2互換機在庫あり”“DC・SSソフト大放出”と赤字のマーカーで書かれていた。


 中に入ると、店内は縦長の構造になっていて、左右の棚には所狭しとレトロゲームが並んでいた。

 右手の棚にはファミコン、スーファミ、ゲームボーイアドバンスのカセット。

 左手はプレステ、プレステ2、ドリームキャストにセガサターンといったCD-ROM世代のソフトが揃っていた。


 「……これは?」


 棚を指さして尋ねる輝に、レトが笑う。


 「ゲームだよ。ファミコンからプレステ2まで、いろいろ並んでるでしょ。

 ほら、こっちは“FF12”とか、“ペルソナ3”。今年の注目作だよ。

 あ、これが“大神”。絵巻物みたいなグラフィックが話題になったやつ」


 輝はわからないまま、パッケージをじっと見つめた。

 色とりどりのジャケットには、異界のような風景とキャラクターたち。まるで別の世界が封じ込められているようだった。


 上の壁には、2005年の週刊ゲーム雑誌の切り抜きがテープで貼られていた。

 “RPG期待度ランキング”と大きく書かれた表には、“キングダムハーツII”“テイルズ オブ ジ アビス”“ローグギャラクシー”などの文字が踊っている。


 「こっち、来てみて」


 レトが階段を下りると、地下にはさらに古いゲームと共に、**メモリーカードが並んだ棚**があった。

 「お客さんが置いてったんだって。誰のか分かんないけど、読み込むと中身が見れるの」


 「それは……観測記録みたいなものか?」


 「うん。記録っていろんな形がある。これは“プレイヤーが過ごした時間”が詰まってるの。

 進めたステージ、使ったキャラ、残りの体力、全部がその人のログなんだよ」


 レトはリーダーに1枚のメモカを挿した。

 モニターに映し出されたのは、『キングダムハーツII』のセーブデータ。

 **2006年10月14日**、プレイ時間37時間。レベル45。


 「ほら、まるで日記みたいでしょ?」


 輝は息をのんだ。


 たしかにその中には、“記録者”の痕跡があった。


 だが──次のカードは、違った。


 ラベルもなく、誰のものか分からない一枚。

 読み込むと、モニターが一瞬ノイズを走らせ、不可解な画面が表示された。


 **セーブ日:2008/11/21

 プレイ時間:∞時間

 キャラクター:記録なし**


 「……2008年? でも、まだ2006年のはずじゃ──」


 レトが画面を睨む。その横で、輝が小さくつぶやく。


 「“未来のログ”……これは、どこから来たんだ?」


 モニターがちらつき、再生ボタンを押すと──


 画面いっぱいに**文字化けしたセリフと、逆再生された声**が流れた。

 「ぉ……゛ぁ゛……た……ろ……ま………゛ぉおおお……」


 異様なノイズが店内のスピーカーから響く。まるで、記録された“何か”が叫んでいるようだった。


 「っ、これ、切るね!」


 レトが急いでメモカを引き抜いた。


 音が止まる。地下の空気が、急に冷たくなったように感じた。


 「……おかしい。これ、どこにも接続してなかったのに」


 「……観測されなかった記録が、なぜ存在する?」


 輝の問いに、誰も答えられなかった。


 上の階へ戻ると、街はいつも通りの喧騒を取り戻していた。

 だが、どこか“ズレ”ている。


 通い慣れた道のはずが、看板のフォントが違う。

 レトの知っていたはずのゲーセンが、いつのまにか閉店していた。

 新しいはずの自販機に、すでに錆が浮いていた。


 ──秋葉原が、少しずつ、記録から外れていく。


 MDレコーダーの録音ランプが、勝手に点灯していた。


 輝はそれに気づくと、小さくつぶやいた。


 「……記録が、壊れてきている」


 レトは何も言わずに、彼の隣に立った。

 録音されたログに、風の音と人混みのざわめきが混じる。


 それは、都市が“記憶をなくしはじめている”という、静かな予兆だった。

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