10話目 「AA術式展開」

 ノートの上で、風間輝のペンが音もなく滑っていた。


 チラシに印刷されていたモナーのAA。

 その記号の並びをもとに、彼は魔術式を構築していた。


 「条件は満たしてる。文字はすべてアスキーコード準拠。比率も五芒星型に近い。

 改行と交点に応じて“破魔の律動式”が自然発生してる。……偶然にしては完成度が高すぎる」


 「偶然じゃないと思うよ。“集合知”ってやつじゃない?」


 レトは膝を抱えながら、駅構内の空気に耳を澄ませた。


 沈黙──

 それが、妙に重い。


 その中で、不意に。


 ──カラン。


 何か小さな金属音が、線路の奥から聞こえてきた。

 次の瞬間、地響きのような鈍い音が、鼓動のように空気を揺らした。


 ──ドン……ドン……ドン……。


 「太鼓……?」


 「音が、“近づいてる”。観測されてない“何か”が、こっちに向かってる」


 輝の声に緊張が走る。


 「記録できない存在は、観測者を喰らう。視た瞬間に“観測された側”になる。だから、あれを見ては──」


 ──カラン。


 もう一度、鈴の音が鳴った。今度ははっきりと、すぐ傍で。


 レトの肩が震える。


 「これ、帰れなきゃ、記録も、全部──」


 「……やる。転送する。術式はAAで構築済みだ。

 この場所に留まった俺の記憶を燃料に、“外”へ記録を逃がす。観測記録として残せれば、それが“戻る道”になる」


 「自分の記憶って……それ、あんたが消えるやつじゃん」


 「仕方ない」


 「ダメに決まってるでしょ!」


 レトは震えながら立ち上がる。


 「じゃあ、私が写す。あんたのことを、ちゃんと記録する。

 記録って、“残す”だけじゃなくて、“写される”ことでも輪郭が保てる。

 私はカメラで、あんたを観測する側に回る。だから──消えるな」


 その言葉に、輝は目を見開き、ゆっくりと笑った。


 「ありがとう」


 カララ……ン。ドン……ドン……ドン……。


 構内に、規則性のない振動と鈴の音が響く。

 空気が濁り、視界が滲む。


 「《書式・AA展開:記録転送式A5型──観測者コード、Kazama_Hikaru──発動》」


 輝はノートに再構築したAAを指でなぞり、その中央に記憶転写式の核を描いた。

 アスキーの文字がふわりと浮かび、空中で光の軌跡を描く。


---


> / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\

> | 記録完了シマシタ  |

> \_____ __/

>      ∨

>   ∧_∧

>   ( ・∀・)

>  _| ⊃/(___

> / └-(____/


---


 レトが息を呑む。

 術式の中央で、文字たちが“誰か”の顔を模っていた。


 「まさか……“モナー”そのものが鍵だったの?」


 「彼らは、知らずに術式を組んでた。ネットの海に落ちた祈りの断片が、

 ここでは“記録される形”として成立したんだ……」


 鈴の音が、真横で鳴った。


 ──カラン。


 レトがカメラのシャッターを切った。

 光と共に、輝の輪郭が淡く発光する。


 「観測された。だから、消えない。記録された。だから──還る」


 AAの陣が崩れ、文字の嵐が構内を包む。

 太鼓の音も、鈴の音も、風も、何もかもが溶けるように消えていった。


---


 気がつくと、2人は秋葉原の金網の前に立っていた。


 手元には、ノートと写ルンです。

 そして、ノートの最後のページに、こう記されていた。


---


> 200X/??/??

> 脱出成功。観測者記録転送完了。

> AA術式、概念的構成成功。

> モナー式魔術理論、未解明。


---


 レトがシャッターをもう一度切る。

 輝の背に、朝焼けが差していた。


 「記録、続けようか」


 「……ああ。観測は、まだ終わっちゃいない」

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