第29話:月詠の記憶と異邦の女騎士

 DRM特別査察課によるホーリィ商会への査察は、リサの機転と、そしておそらくは情報屋ノアの暗躍によって、ひとまずは切り抜けることができた。


 だが、俺とリサを取り巻く状況が、ますますきな臭くなっていることだけは確かだった。


 DRMの監視は強化され、街では「サイレント・ブレイカー」の噂が一人歩きを続けている。

 加えて、都市部では、目に見えぬかたちでダンジョン化現象が静かに進行していた。


 かつて俺が願っていた「静かな日常」は、もはや手の届かない幻のように思えた。


 それでも、せめて現実から目を背けることはできないかと、日々の中に安寧を見出そうとしていた。だが――


 そんな俺の願いをあざ笑うかのように、身体と精神に起きている異変は、日を追うごとに深刻さを増していった。


 ときおり襲う異世界の記憶のフラッシュバック。

 まるで幻視のように、過去の情景が突然目前に広がり、思考が攫われる。


 さらに、周囲の魔力への過敏な反応。

 人の気配や気流の変化、空間の歪みのようなものまでもが、過剰に神経へ入り込んでくる。


 そして何よりも、愛剣『月詠』との奇妙な共鳴現象――それが、確かな異常の証だった。


 日常生活の中でふと月詠を見やると、わずかに震えたり、淡い光を放ったりすることがある。

 それは外的な要因に反応しているようにも見えたが、そうではない気がしてならなかった。


 それは、まるで月詠自身が、俺に何かを伝えようとしているかのようだった。


◇ ◇ ◇


 ある夜、俺は自室で、月詠を手に瞑想を行っていた。


 月詠から流れ込んでくる、穏やかで清浄なエネルギーに意識を集中させ、荒ぶる自身の魔力を鎮めようと試みていたのだ。


 深く、深く、意識を沈めていく。

 周囲の音も、自身の鼓動すらも遠のいていき、代わりに月詠の波動が、ゆるやかに精神の内側を満たしていく。


 やがて、俺の精神は、月詠の“内なる世界”とでも言うべき場所へと誘われた。


 そこは、果てしなく広がる星空のような空間だった。

 上下も左右もない、重力すら存在しないような浮遊感の中で、無数の光の粒子が舞っていた。

 幻想的な音楽のようなものが、どこからともなく微かに響いている。


 そして、その空間の中心に、月詠の刀身そのものが、静かに浮かんでいた。


 白銀の輝きを放ちながら、まるで生きているかのように、淡く脈動している。

 光の粒子が集まり、刀身を包み込むように揺れていた。


(……ここは、月詠の記憶の中……なのか……?)


 俺は、その不可思議な光景に、ただ息を呑むばかりだった。


 すると、月詠の刀身から、再びあの“想念”が流れ込んできた。


 ――ナツカシイ……ケハイ……。

 ――オマエ……ダレ……?


 それは、以前よりも少しだけ明確になっていた。

 けれど、依然として“言葉”と呼ぶには不完全で、むしろ感情の波とでも呼ぶべきものだった。


 月詠は、俺の存在を認識し、何かを問いかけようとしている。


「俺は、日向蓮。お前の、今の主だ」


 俺は、心の中で静かに答えた。


 すると、月詠の刀身が、喜びを示すかのように、ひときわ強く光を放ち始めた。


 そして、次の瞬間。

 俺の脳裏に、鮮烈なビジョンが流れ込んできた。 

 

 それは、月詠が過去に経験したであろう、断片的な記憶の奔流だった。


 ――どこまでも広がる、戦場。

 鬨の声が響き渡り、剣戟の音と血飛沫が空気を裂く。

 月詠は、誰かの手に握られ、無数の敵を迷いなく薙ぎ払っていた。


 剣が動くたび、風を裂き、肉を断ち、闘志と共鳴するように鋭く光る。

 その一振り一振りには、守るべきもののために戦う強い意志が宿っていた。


 ――燃え盛る城。

 四方を炎に囲まれた絶望的な状況の中でも、月詠を振るう者は、最後まで諦めなかった。

 その背中には、怯える民をかばうような姿が重なっていた。


 そして――


 最後に見えたのは、一人の女騎士の姿だった。

 銀色の髪を風になびかせ、月光を浴びて静かに佇む、凛とした美しい女性。

 その手には、紛れもなく『月詠』が握られている。


 彼女の表情は、どこか悲しげだった。

 けれど、その奥には、強い覚悟と使命感が宿っていた。

 彼女は、自らの命よりも、背負うもののために戦い続けることを選んだのだろう。


 彼女こそが、月詠の以前の主――

 俺が異世界でこの剣を手に入れるよりも、遥か昔の時代に、月詠と共に在った人物なのかもしれない。


 ビジョンは、そこで唐突に途切れた。


 次の瞬間、俺は激しい疲労感と共に、“月詠の内なる世界”から現実へと引き戻される。


「はあっ……はあっ……!」


 荒く息を吐きながら、俺は月詠の柄を強く握りしめていた。


 今のは――一体、何だったのだろうか。


 月詠が、俺に自らの過去を見せた?

 それとも、俺の魔力が暴走し、剣の記憶と混線してしまっただけなのか?

 そのどちらとも判断がつかない。


 だが、あの女騎士の姿は、あまりにも鮮明で、ただの幻として片づけるには躊躇われるほどだった。

 それに――


 どこか懐かしさを感じていた。

 まるで、俺自身が彼女と、何か深いつながりを持っていたかのような……。 

 

「……月詠。お前は、一体何なんだ……?」


 俺は、手の中の剣に問いかけた。


 月詠は答えなかった。

 けれど、その代わりに、再び淡い光を放ち、俺の手のひらへと、温かな波動を静かに伝えてくる。


 それは、慰めにも似ていたし、あるいは、さらなる謎への誘いのようにも感じられた。


 この剣は、単なる武器ではない。


 異世界で手にした時から、どこか特別な存在だとは感じていた。

 けれど今、その確信はさらに深まっていた。

 月詠は、遥かな過去から受け継がれてきた、意志と記憶を宿す存在――人の手に握られ、幾度となく戦場を駆け抜け、その度に主の魂に寄り添ってきた、そんな剣なのかもしれない。


 そして、今、その月詠を俺が持っているということにも、何かしらの意味があるのだろうか。


 俺の頭は混乱していた。

 女騎士の姿、月詠の想念、記憶の奔流――それらがすべて、俺の中に渦を巻く。


 だがその一方で、たしかに感じていた。

 月詠との間に、以前よりも強い絆が芽生えているという感覚を。


 あの異邦の女騎士。

 彼女は月詠を手に、何を成し遂げようとしていたのか。

 そして、なぜ今、この剣は俺のもとにあるのか。


 その答えは、まだ見えない。

 だが、ただ一つ――俺はこの剣と共に、その謎を解き明かすべきなのだという、漠然とした確信があった。


 月詠の記憶は、俺に新たな問いを投げかけると同時に、この世界において俺が果たすべき役割について、微かな手がかりを示しているのかもしれない。


 その役割は、俺が望んだ「静かな日常」とは、おそらく相容れない。


 それどころか――


 ますますかけ離れた道へと、俺を導こうとしているようだった。

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