第27話:都市の変貌と封鎖された区画
探索者見習いの少年ケンタとの出会いは、俺の心に小さな、しかし確かな波紋を残した。
彼の純粋な憧れと、「誰かのために戦いたい」という真っ直ぐな言葉。それは、俺が異世界で失いかけ、そして現代で封印しようとしていた“何か”を、静かに揺り動かすようだった。
(……俺は、何のために力を使う……?)
月詠が問いかけてきた言葉が、再び頭の中で反響する。
答えはまだ見つからない。だが、以前のように、ただ「静かに生きたい」と願うだけではいられないような、そんな予感が強くなっていた。
そんな俺の心境の変化とは裏腹に、都市の状況は、ますます不穏な方向へと進みつつあった。
魔瘴の濃度は、明らかに上昇を続け、ダンジョン内部だけでなく、街中の至る所で、その不快な気配を感じることが増えていた。
そして、ついに、恐れていた事態が現実のものとなった。
◇ ◇ ◇
「おい、見たかよ、今朝のニュース! ヤバいぞ、マジで!」
「ああ、駅前の再開発エリアだろ? 駅前ショッピングモールが取り壊された跡地だったあそこ、いきなりダンジョン化しちまったって……」
ある日の昼下がり、俺が立ち寄った古びた定食屋のカウンター席。隣り合わせた作業服姿の男たちが、興奮した様子でそんな会話を交わしている。
俺は、黙ってカツ丼を口に運びながら、彼らの話に聞き耳を立てた。
「モンスターも出たらしいぜ。なんか、狼みたいなデカいのが数匹と、あとは得体の知れない虫みたいなやつがウジャウジャと……。けが人も何人か出たって話だ」
「うわー、マジかよ……。もう、どこも安全じゃねえな、この街も」
「DRMの連中が、今朝からずっとエリア全体を封鎖してるらしいけどよ。どうなることやら……」
男たちの声には、恐怖と、そしてどこか他人事のような野次馬根性が入り混じっている。
俺は、箸を置いた。食欲が、急速に失せていくのを感じる。
(……都市部での、ダンジョン化……。ついに、始まったか……)
それは、俺が最も危惧していた事態の一つだった。
ダンジョンという“異界”が、俺たちの住む“日常”を侵食し始める。その境目が曖昧になり、やがては区別がつかなくなる。
異世界では、多くの都市がそうやって魔瘴に飲まれ、滅んでいった。
定食屋の壁にかけられた古いテレビでは、臨時ニュースがその事件を報じていた。
ヘリコプターから撮影されたのだろう、封鎖されたエリアの映像が映し出されている。立ち入り禁止のテープが張り巡らされ、物々しい装備のDRM職員たちが警戒にあたっている。その向こう側には、禍々しい瘴気を放つ、黒いモヤのようなものが立ち込めているのが見えた。
『――専門家によりますと、今回の現象は、地盤沈下に伴う地下空洞の出現、あるいは未確認の有毒ガスの発生の可能性も考えられるとのことですが、現時点では原因は特定されておらず、政府及びDRMは、引き続き慎重な調査を進める方針です――』
アナウンサーが、当たり障りのない言葉で状況を説明している。
原因不明の地殻変動、ね。笑わせてくれる。あれは、明らかに魔瘴による汚染と、空間の歪みだ。
◇ ◇ ◇
その日の午後、俺はリサに連絡を取り、ホーリィ商会を訪れた。
彼女も、今回の事件については既に情報を掴んでいるようだった。
「よう、蓮。あんたも見たかい、あの騒ぎ。ついに、街中まで“お化け屋敷”になっちまったみたいだねぇ」
リサは、いつものように軽口を叩きながらも、その表情には僅かな緊張の色が浮かんでいる。
「……リサ。あのエリアの状況は、どうなっている? あんたの情報網なら、何か掴んでいるんじゃないのか?」
「まあね。DRMの発表よりは、少しはマシな情報を持ってるつもりだよ。……どうやら、あの再開発エリアの地下には、かなり古い時代の祭祀場か何かの遺跡があったらしくてね。それが、最近の魔瘴濃度の上昇に呼応して、一気に“活性化”しちまった、ってのが真相みたいだ」
「……遺跡の、活性化……」
「ああ。まるで、今まで眠っていた何かが目を覚ましたみたいにね。ダンジョン化の規模も、DRMの初期予測を遥かに超えてるらしい。おかげで、現場は大混乱さ。モンスターの被害も、報道されてるよりずっと深刻だって話だよ」
リサの言葉に、俺は眉をひそめた。
状況は、思った以上に悪いようだ。
「……ノアは、何か言っているのか?」
「あの情報屋かい? あいつは、相変わらずマイペースさ。『興味深いサンプルケースだ。詳細なデータ収集を継続する』だとよ。全く、人が悪いにも程がある」
リサは、忌々しげに吐き捨てた。
だが、彼女の瞳の奥には、この状況に対する強い好奇心と、そして商売人としての計算高さが宿っているのも、俺には分かった。
「……なあ、リサ。このままだと、まずいことになるんじゃないのか? 都市部でダンジョン化が進めば、いずれ、この街全体が……」
「ああ、そうなる前に、誰かが何とかしなきゃならないだろうねぇ。……例えば、あんたみたいな“規格外の力”を持った人間が、さ」
リサは、意味ありげに俺の顔を見つめた。
その言葉は、挑発のようにも、あるいは期待のようにも聞こえた。
◇ ◇ ◇
ホーリィ商会からの帰り道。
俺は、封鎖されたエリアの近くまで足を運んでみた。
物々しい警戒態勢の中、遠巻きにエリア内部を窺う野次馬たち。
不安そうに空を見上げる、近くの商店主らしき老人。
母親の手を固く握りしめ、怯えたような表情で黒いモヤを見つめる、幼い子供。
SNSでは、デマと憶測が入り乱れ、人々の不安をさらに煽っている。
『#都市ダンジョン化』『#〇〇駅封鎖』『#モンスター目撃』といったハッシュタグが、トレンドの上位を占めていた。
これが、世界の歪みが可視化された光景。
そして、俺がこれから向き合わなければならない、現実。
(……俺は、どうすべきなんだ……?)
ケンタの言葉が、再び頭の中でこだまする。
『誰かのために戦える、カッコいいヒーロー』。
俺は、ヒーローにはなれない。
だが、このまま見過ごすことも、できない。
封鎖された区画の向こう側から、微かに、しかし確実に、魔瘴の脈動が伝わってくる。
それは、まるで俺を誘うかのような、不気味な呼び声だった。
俺は、フードを目深に被り直し、その場を後にした。
心の中では、まだ答えは出ていない。
だが、俺の中で何かが変わり始めていることだけは、確かだった。
都市の変貌は、まだ始まったばかりだ。
そして、それは俺自身の運命をも、大きく変えていくことになるのだろう。
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