第26話:邂逅と自問、少年の瞳に映るもの

 JDAAが「第二の魔力源」の存在に気づき、水面下で調査を強化し始めた頃。俺、日向蓮は、相変わらず人目を避けながら、単独でダンジョンに潜っていた。


 目的は、魔瘴の調査と、そして何よりも、俺自身の内に起きている魔力の異常の原因を探ること。月詠との共鳴現象は、その後も断続的に続いており、その度に俺は、言葉にならない“何か”を感じ取っていた。


(……この力は、一体何なんだ……? そして、俺はこれを、どう使うべきなんだ……?)


 答えの出ない問いを抱えながら、俺は旧渋谷地下街ダンジョンの、以前シルバーウルフが異常発生したエリアに足を踏み入れていた。

 あの騒動の後、このエリアは一時的に閉鎖されていたが、最近になってようやく立ち入りが許可されたらしい。

 だが、探索者の姿はまばらで、以前のような賑わいは感じられない。


 魔瘴の濃度は、依然として高いままだった。

 俺は、慎重に周囲を警戒しながら、通路の奥へと進んでいく。


 その時だった。

 前方から、甲高いモンスターの咆哮と、それに混じって、幼い少年の悲鳴のようなものが聞こえてきた。


(……子供か?)


 俺は、瞬時に気配を消し、音のする方へと急いだ。

 通路の角を曲がった先で俺が見たのは、数匹のゴブリンに取り囲まれ、必死に小さなナイフを振り回している、十歳前後の少年探索者の姿だった。


 装備は粗末で、動きもぎこちない。明らかに、実戦経験の浅い初心者だろう。

 ゴブリンたちは、そんな少年を嘲笑うかのように、じりじりと包囲網を狭めていく。


「く、来るな……! 来るなよ……!」


 少年は、涙目で叫んでいるが、その声は恐怖で震えている。

 もはや、絶体絶命の状況だった。


(……またか。どうして俺は、こうも面倒事に巻き込まれるんだ……)


 俺は、内心でため息をついた。

 だが、見過ごすわけにはいかない。


 俺は、物陰から飛び出すと同時に、足元に転がっていた小石を数個拾い上げ、ゴブリンたちに向かって正確に投げつけた。


 ヒュッ、ヒュッ、という短い風切り音。

 小石は、ゴブリンたちの眉間や喉元を的確に捉え、奴らは短い悲鳴と共に、次々とその場に倒れ伏した。


 あまりに一瞬の出来事だったためか、少年は何が起きたのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしている。


「……怪我は、ないか?」


 俺は、フードを目深に被ったまま、少年に声をかけた。

 少年は、俺の姿を認めると、驚いたように目を見開き、そして次の瞬間には、堰を切ったように泣き出してしまった。


「う……うわああああん……! こ、怖かったよぉ……!」


(……まあ、無理もないか)


 俺は、困ったように頭を掻きながら、少年が落ち着くのを待った。

 しばらくして、ようやく泣き止んだ少年は、おずおずと俺の顔を見上げてきた。


「あ、あの……助けてくれて、ありがとうございます……! あなたは……もしかして……」


 少年の瞳が、期待にキラキラと輝いている。

 どうやら、俺のことを例の「サイレント・ブレイカー」だと気づいたらしい。


「……ただの通りすがりだ。それより、なぜこんな場所に一人でいる? ここは、お前のような子供が来る場所じゃない」


 俺は、ぶっきらぼうにそう言った。

 少年は、俺の言葉に少ししょんぼりとした様子を見せたが、すぐに気を取り直したように、胸を張って答えた。


「ぼ、僕は、探索者見習いの、ケンタって言います! いつか、お父さんみたいな、立派な探索者になるのが夢なんです!」


「……父親も、探索者なのか?」


「はい! でも、父さんは……半年前に、ダンジョンで行方不明になってしまって……」


 ケンタと名乗る少年の言葉に、俺は胸の奥がチクリと痛むのを感じた。

 ダンジョンでの行方不明。それは、実質的に死亡宣告と同じ意味を持つ。


「……そうか。それは、辛かったな」


「……うん。でも、僕、諦めないんです! ……父さんが言ってたんです。『探索者ってのはね……“誰かの希望になれる人”なんだ』って。だから、僕も、いつか誰かを助けられるような、強い探索者になりたいんです!」


 ケンタは、小さな拳を握りしめ、力強くそう言った。

 その瞳には、悲しみを乗り越えようとする健気な決意と、ヒーローへの純粋な憧れが宿っている。


 その真っ直ぐな瞳を見ていると、俺は自分の心の奥底にしまい込んでいた、ある感情が呼び覚まされるような気がした。

 それは、異世界で、仲間たちと共に戦っていた頃に抱いていた、微かで、しかし確かな“誇り”のようなもの。


(……誰かのために戦う、か……)


 今の俺には、そんな大層な資格などないのかもしれない。

 だが、この少年の言葉は、俺の心に小さな波紋を投げかけていた。


「……お前、そのナイフは、父親の形見か?」


 俺は、ケンタが握りしめている、使い古された小さなナイフに目をやった。

 ケンタは、驚いたように俺の顔を見上げ、そして少し照れたように頷いた。


「は、はい! これは、父さんが初めてダンジョンに潜った時に使ってたナイフなんです。僕には、まだちょっと大きすぎるんですけど……でも、これを持ってると、なんだか父さんが一緒にいてくれるような気がして……」


「……そうか。いいナイフだ。だが、今のままでは、宝の持ち腐れだな」


「え……?」


 俺は、ケンタからナイフを借り受けると、その場でいくつかの基本的な構えと、力の入れ方、そしてモンスターの急所を教えた。

 異世界で培った、実戦的な戦闘技術の、ほんの初歩の初歩だ。


 ケンタは、最初は戸惑っていたが、すぐに目を輝かせ、俺の言葉に熱心に耳を傾け始めた。

 その吸収力は、驚くほど速い。


(……動きに無駄が少ない。恐怖に負けない視線……。こいつ、生き残るかもしれないな)


 俺は、そんなことを思いながら、短い時間だったが、ケンタにいくつかの技術を伝授した。

 それは、気まぐれと言ってしまえばそれまでだが、この少年の純粋な瞳に、何かを感じずにはいられなかったのだ。


「……ありがとう、お兄さん! 僕、もっともっと練習して、絶対強くなるよ!」


 別れ際、ケンタは満面の笑みで俺にそう言った。

 その笑顔は、俺のささくれだった心に、ほんの少しだけ温かいものを灯してくれたような気がした。


◇ ◇ ◇


 ケンタと別れた後、俺は一人、ダンジョンの奥へと再び歩き出した。

 少年の言葉が、頭の中で反芻される。


『誰かのために戦える、カッコいいヒーロー』。


 俺は、ヒーローになどなれない。なりたいとも思わない。

 だが、もし俺のこの力が、誰かの絶望を少しでも和らげることができるのなら。

 もし、かつての俺のように、大切なものを失う悲しみを、誰かが味わわずに済むのなら。


 そのために、この力を使うという選択肢も、あるのかもしれない――。


 そんな考えが、初めて俺の頭をよぎった。

 それは、月詠が俺に問いかけていた「その力は、何のためにある?」という言葉への、一つの答えの欠片なのかもしれない。


 少年の瞳に映った、純粋な憧れ。

 それが、俺の凍てついた心に、小さな変化の兆しをもたらそうとしていた。

 まだ、明確な形にはなっていない、ささやかな希望の光。


 だが、その光は、俺がこれから進むべき道を、微かに照らし始めているような気がした。

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