第24話:無意識の救済と神格化の兆し
月詠との奇妙な共鳴現象から数日。俺の心は、依然として晴れない霧の中にあった。
身体に起きている魔力の異常、時折襲ってくる異世界の幻覚、そして月詠が伝えようとしているかのような、言葉にならない“想い”。
それらが複雑に絡み合い、俺は言い知れぬ不安と焦燥感を抱えたまま、日常を過ごしていた。
DRMの監視の目も、日増しに強まっているのを感じる。
街を歩けば、必ずと言っていいほど、複数の視線が俺の背中に突き刺さる。巧妙に隠しているつもりだろうが、異世界で死線を潜り抜けてきた俺の感覚は、それらを敏感に捉えてしまう。
(……息が詰まるな……)
静かに生きたいという願いは、もはや絵空事にしか思えない。
俺は、望むと望まざるとにかかわらず、この世界の“異物”として、否応なく注目を集め、そして何らかの渦の中心へと引き寄せられようとしていた。
そんなある日の夕暮れ時。
俺は、気分転換と情報収集を兼ねて、駅前の繁華街を歩いていた。
多くの人々が行き交い、喧騒に満ちたこの場所は、俺の過敏になった感覚には少々堪えるが、それでも自室に閉じこもっているよりはマシだった。
ふと、前方の交差点で、小さな騒ぎが起きているのに気づいた。
人だかりができており、何やら怒号や悲鳴のようなものも聞こえてくる。
(……また何か、面倒事か……?)
俺は、関わり合いになるのを避けようと、足を速めようとした。
だが、その時。
「きゃああああっ!」
甲高い女性の悲鳴と共に、ひったくり犯らしき男が、人混みをかき分けてこちらへ猛スピードで走ってくるのが見えた。
男の手には、女性もののハンドバッグが握られている。
周囲の人々は、突然の出来事に驚き、道を譲るのが精一杯で、誰も男を止めようとはしない。
男は、俺のすぐ脇をすり抜けようとした。
――瞬間。
俺の身体は、思考よりも先に動いていた。
無意識のうちに、男の足元へ向かって、絶妙なタイミングで自分の足を軽く引っかけたのだ。
ドンガラガッシャーン!!
ひったくり犯は、派手な音を立てて地面に転倒し、手からハンドバッグが滑り落ちた。
俺は、何食わぬ顔でそのハンドバッグを拾い上げ、駆け寄ってきた被害者の女性へと手渡す。
「あ、ありがとうございます……! 本当に……!」
女性は、涙ながらに何度も頭を下げてきた。
俺は、ただ「……気をつけろ」とだけ短く告げ、すぐにその場を立ち去ろうとした。
だが、周囲の人々の視線が、俺に集中しているのを感じる。
驚き、称賛、そして何よりも、好奇に満ちた目。
(……しまった。また、やってしまったか……)
俺は、フードを深く被り直し、足早に雑踏の中へと紛れ込もうとした。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
俺の“おせっかい”は、案の定、新たな形でインターネットを賑わせていた。
『【速報】“サイレント・ブレイカー”、今度はひったくり犯を瞬殺! まさに現代のヒーロー!』
『目撃者多数! フードの男、鮮やかな足技で凶悪犯を一撃KO!』
『“サイレント・ブレイカー”は本当に実在した! 次はどこに現れるのか!?』
まとめサイトやSNSには、そんな刺激的な見出しが躍り、俺の行動を称賛するコメントが溢れかえっていた。
中には、俺の不鮮明な後ろ姿を捉えた写真や、誰かがスマートフォンで撮影した短い動画までアップロードされている始末だ。
「……神格化、ねぇ。笑わせてくれる」
リサは、ホーリィ商会のカウンターで、それらの情報を見ながら、面白そうに肩をすくめた。
「あんたの“お手柄”のおかげで、また店の周りが騒がしくなってるよ、蓮。感謝すべきなのか、それとも迷惑料を請求すべきなのか、悩ましいところだねぇ」
「……俺は、ただ目の前の人間を助けただけだ」
「その“ただ助けただけ”が、世間様にとっては格好のエンターテイメントなのさ。あんたはもう、ただの“異物”じゃない。人々が勝手に作り上げた“ヒーロー”であり、“救世主”なんだよ」
リサの言葉は、皮肉っぽく聞こえたが、その奥にはどこか憐憫の色も含まれているように感じられた。
「……迷惑なら、もうここへは来ない」
「おっと、そう拗ねるなよ、パートナー。あたしは、あんたのその“お人好し”なところも、嫌いじゃないぜ? まあ、そのせいで面倒事が増えるのは、ご愛嬌ってやつだ」
リサは、悪戯っぽく笑う。
この女は、俺の苦悩すら楽しんでいるのだろう。
だが、彼女の言う通りだった。
俺の行動は、俺自身の意思とは関係なく、人々の間で勝手に解釈され、増幅され、そして消費されていく。
それは、まるで制御不能な奔流のように、俺を飲み込もうとしていた。
◇ ◇ ◇
数日後、俺は再び、街中で偶発的な事故に遭遇した。
今度は、工事現場の足場から、作業員の不注意で鉄パイプが落下してきたのだ。
その下には、何も知らずにスマートフォンを操作しながら歩いている、若い女性がいた。
「危ないっ!」
俺は、叫ぶよりも早く、その女性の腕を掴み、強引に引き寄せた。
ほぼ同時に、鉄パイプが轟音と共にアスファルトに突き刺さる。
女性は、何が起きたのか分からず、呆然と俺の顔を見上げていた。
周囲の人々も、息を呑んで成り行きを見守っている。
まただ。また、目立ってしまった。
俺は、女性に「……上を見ろ」とだけ告げ、すぐにその場を離れようとした。
だが、今度はそう簡単にはいかなかった。
「あ、あの! 大丈夫ですか!? あなたこそ、お怪我は……!」
「すごい! 今の人、何者!?」
「“サイレント・ブレイカー”じゃないか!?」
人だかりが、あっという間に俺の周囲を取り囲む。
スマートフォンを構え、俺の顔を撮ろうとする者まで現れた。
(……まずい。このままでは……)
俺は、舌打ちし、人垣を強引に突破しようとした。
その時だった。
「――皆さん、少し落ち着いてください! 彼も状況が把握できていないようですから!」
凛とした、しかしどこか耳に馴染むような声が響き渡り、興奮していた群衆の動きが、ぴたりと止まった。
声の主は、いつの間にか俺の隣に立ち、群衆との間に割って入るようにしていた、制服姿の若い警察官だった。
その警察官は、手慣れた様子で、しかし威圧的にならないように巧みな話術で群衆を宥め、俺がその場を離れるための僅かな隙間を作り出してくれた。
俺は、彼に目で合図を送るように短く頷くと、今度こそ足早にその場を後にした。
(……また、助けられた……のか……?)
脳裏に、微かな既視感がよぎる。あの落ち着いた声、あの場を収める手際の良さ……まるで、以前にもどこかで、同じように助け舟を出されたような……。
いや、それよりも、あの男、本当にただの通りすがりの警察官だったのだろうか? あのタイミングの良さ、そして俺の事情を理解しているかのような立ち振る舞いは、どこか不自然なものを感じさせた。
疑問は尽きない。
だが、確かなことは一つだけ。
俺の“無意識の救済”は、俺をますます社会の注目に晒し、そして、俺自身も気づかないうちに、新たな繋がりや、あるいは新たな危険を引き寄せ始めているのかもしれないということだ。
神格化の兆し。それは、俺にとって、決して喜ばしいことではなかった。
それは、俺が最も恐れる、“異物”としての孤立を、さらに深めるだけなのだから。
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