第23話:魔力の残響と月詠の呼び声
DRMによる監視が強化され、世間では「サイレント・ブレイカー」の噂が独り歩きを続ける中、俺、日向蓮の身体には、静かな、しかし無視できない異変が現れ始めていた。
最初は、些細な違和感に過ぎなかった。
街を歩いていると、ふとした瞬間に視界の端に黒い靄のようなものがちらつく。
目を凝らしてもそこには何もないのに、妙に不安が胸に残る。
またある時は、人々の話し声が奇妙に反響して聞こえたり、遠く離れた場所の物音がやけにクリアに感じられたりと、聴覚の感覚までもが微妙に狂っていく。
(……気のせいか? いや……)
最初はそう思っていた。
けれど、そうした現象は日を追うごとに頻度も強度も増していき、やがて俺の生活をじわじわと侵食していくことになる。
ある日の午後、自室で力の制御を目的とした瞑想に入っていたときのことだった。
目を閉じ、呼吸を整えて心を静めようとした瞬間、まぶたの裏に、突如として鮮烈な光景が広がった。
――燃え盛る炎。崩れ落ちる城壁。天を突くような巨大な魔物の影。
それは紛れもなく、異世界で俺がかつて経験した、終末戦争の記憶の一場面だった。
「くっ……!」
瞑想から目を覚ました瞬間、激しい頭痛が脳を突き抜け、俺は思わず顔をしかめる。
額には脂汗がにじみ、胸の奥では心臓が早鐘のように鳴っていた。
(……幻覚か……? それとも、魔力の影響で、過去の記憶が暴走しているのか……?)
思考がまとまらず、ただ苦しみに顔を歪めるしかなかった。
明確な答えは出ない。
だが、俺の中で何かが確実に変わりつつあることだけは、否応なしに感じ取ることができた。
旧地下祭壇での一件以来、俺の魔力は確実に活性化していた。
虹色の水晶に触れた影響なのか、それとも月詠を解放した反動なのか。
その因果は分からない。だが、魔力の質も量も、以前とは明らかに異なっている。
そして、その力の増大が、俺の精神に何らかの負荷をかけていることは、否応なく伝わってきた。
それだけではない。
ここ最近、俺は周囲の魔力に異常なほど敏感になっていた。
ダンジョン内部での反応はまだ理解できる範囲だが、街中ですら気が抜けない。
すれ違う人々が発する微弱な魔力、コンビニのレジから漏れる電磁波、公園の木々や路地裏の石畳から漂う、自然のエネルギーに似た何か――それらがすべて、俺の感覚器官に容赦なく流れ込んでくる。
まるで、五感が過剰に開きっぱなしになってしまったような感覚。
刺激が収束せず、混線し、俺の中で飽和していく。世界中のノイズを一度に聞かされているような、耐え難い不快感に苛まれる。思考はすり減り、集中すらままならない。
「……集中しろ……制御しろ……」
俺は自分に言い聞かせるように呟き、荒くなった呼吸を整えながら再び瞑想に入ろうと試みた。
だが、一度乱れた精神は、そう簡単には鎮まってくれない。
むしろ、焦れば焦るほど視界の歪みはひどくなり、異世界の断片が現実と重なり合う。
仲間の断末魔。魔物の咆哮。焦土と化した戦場で、絶望と怒りを吐き出す俺自身の声――。
「う……あああああっ……!」
限界だった。俺は思わず頭を抱え、床に蹲った。
息が苦しい。心臓が暴れ、視界は揺れ、過去の記憶と今が区別できなくなっていく。
このままでは、本当に正気を失ってしまうかもしれない。
その時だった。
部屋の隅に立てかけてあった、愛剣『月詠』が、ふいにカタカタと微かな音を立てて震え始めた。
はじめは気のせいかと思った。
だが、その震えは確かに存在していた。
そして、まるで俺の苦痛に呼応するかのように、鞘に収められた刀身の隙間から、淡い白銀の光がふわりと漏れ出した。
(……月詠が……?)
俺はハッとして顔を上げた。
月詠の震動は次第に大きくなり、それに伴って、部屋の空気が少しずつ変わっていく。
耳を澄ませば、どこからともなく金属音のようなものが響き始めていた。
高く澄んだ音――それは剣鳴りというよりも、むしろ、歌声に近い。
あるいは、何かの呼びかけのようにも聞こえる不思議な音色だった。
俺は、吸い寄せられるように月詠へと手を伸ばした。
柄に触れた瞬間、温かな何かが身体の中にじわりと流れ込んでくるのを感じた。
熱くはない。どこか懐かしく、柔らかく、そして静かな感触。魔力とは異なる――いや、それ以上に清らかで穏やかなエネルギーだった。
その光が、俺の中で荒れ狂っていた魔力と感情を、ゆっくりと鎮めていく。
暴れ回っていたノイズが消え、重く痛んでいた頭が静かになり、視界の歪みが次第に収束していく。
異世界の幻影も、まるで霧が晴れるように薄れていった。
痛みが消えるわけではなかった。
だが、確かに“回復していく”実感があった。
(……月詠が、俺を助けてくれたのか……?)
信じ難い。けれど、今の感覚を否定することはできなかった。
俺は、月詠の柄を握りしめたまま、呆然と立ち尽くしていた。
この剣は、単なる武器ではない。
異世界で、俺と共に数多の死線をくぐり抜けてきた、唯一無二の相棒だ。
だが今の現象は、それ以上の何か――まるで月詠自身に“意志”があるかのようだった。
その時、不意に。
――ヒトリ……デハ……ナイ……
言葉というにはあまりにも曖昧で、それでいて鮮明な“響き”が、頭の中へ直接流れ込んできた。
それは、音でも思考でもない。
感情の波に近い、優しく澄んだ波動だった。
月詠の“意志”なのか? それとも、これも幻覚の一種なのか?
戸惑いの中で、俺はもう一度、月詠に意識を集中させた。
すると再び、胸の奥に静かに問いかけるような響きが広がっていく。
――ソノ……チカラ……ナンノタメ……?
――オマエ……ナニヲ……ノゾム……?
それは確かに問いの形を取っていた。
けれど、単なる言葉ではなかった。
記憶の片隅に残っていた感情の残滓、あるいは遠い昔に聴いた子守唄のように、曖昧で、それでも心の深部へと静かに、強く染み入ってくる“何か”だった。
魂そのものに向けられた、深く、重い問い。
俺は、その問いにすぐには答えることができなかった。
静かに生きたい。
誰にも迷惑をかけず、ひっそりと。けれど、その平穏を守るためには、力が必要だ。
俺の望みは、矛盾している。
何を選び、何を守りたいのか。
自分でも、はっきりと分からない。
それでも――。
月詠から伝わってくる温かな波動は、そんな俺の揺れる心を否定せず、ただ静かに、優しく包み込んでくれていた。
(……ありがとう、月詠)
心の中で、俺はそっと相棒に感謝した。
この剣が傍にある限り、きっと俺は、まだ道を見失わずにいられる。
だが同時に、月詠との奇妙な共鳴と、あの不可解な問いかけは、俺の心に新たな疑問を投げかけていた。
俺の身体と魔力に起きている異変。
月詠が伝えようとしている何か。
それらは、これから俺が直面するであろう、より大きな運命の、ほんの序章に過ぎないのかもしれない。
俺は月詠を鞘に戻し、窓の外へ視線を向けた。
そこには、いつもと変わらぬ街の風景が広がっている――はずだった。
だが今の俺には、その風景がどこか歪んで、不安定なものに見えていた。
この世界の平穏は、あまりにも脆く、そして危ういバランスの上に成り立っている。
そして俺は――その均衡を崩しかねない、異質な存在なのだということを、改めて痛感させられたのだった。
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