第7話:異邦人の“散歩”

 旧渋谷地下街ダンジョンの内部は、予想以上に単調だった。


 ひび割れたコンクリートの通路が続き、時折、崩れた壁や散乱した瓦礫が行く手を僅かに遮る程度。

 

 異世界で踏破してきた数々のダンジョンに比べれば、まるで整備された公園の遊歩道だ。


 もっとも、あの忌まわしい魔瘴の気配だけは、このダンジョンの奥底から、微かにだが確実に漂ってきている。それが、俺に油断するなと警告しているようだった。


(……それにしても、モンスターが弱いな)


 通路の角から飛び出してきたのは、猫ほどの大きさの、赤黒い目をした巨大ネズミ。探索者ギルドの資料によれば「ドブネズミ・変異種」といったところか。


 キーキーと甲高い威嚇音を立てて飛びかかってくるが、その動きは鈍重で、牙も爪もまるで脅威を感じさせない。


 俺は、腰のサバイバルナイフを抜くことすら億劫に感じ、すれ違い様に足元の小石を軽く蹴り上げた。


 小石は、正確にネズミの眉間に当たり、キャンという短い悲鳴と共に、そいつはあっけなく地面に転がって動かなくなった。


(……こんなものか)


 これが、現代のダンジョンモンスター。


 罠らしい罠も見当たらない。異世界ならば、一歩足を踏み入れるごとに神経をすり減らすような巧妙な罠が仕掛けられていたものだが。


 あまりの“安全さ”に、逆に戸惑いを覚えるほどだった。


◇ ◇ ◇


 しばらく進むと、前方から何やら騒がしい声が聞こえてきた。


 どうやら、他の探索者パーティーがいるらしい。


 俺は、気配を消して慎重に近づき、物陰からそっと様子を窺った。


 学生服姿の男女四人組。

  

 口だけは勇ましいリーダー格の男子生徒が、安っぽい長剣を振り回し、先ほどのネズミより一回り大きい、コウモリのようなモンスター数匹に囲まれ、明らかに苦戦していた。


「くそっ、こいつら、動きが速いぞ! おい、魔法まだか!?」


「ま、待って! 今、詠唱中だから……ひっ!」


 後方では、泣きそうな顔をした小柄な女子生徒が、震える手で古びた杖を握りしめ、必死に何かを唱えている。

 

 その魔力の流れは不安定で、とてもではないが実戦レベルには見えない。


 残りの二人は、一人は見た目だけは立派な騎士風の盾と鎧を装備しているが完全に棒立ちの男子。

 

 もう一人は明らかにサイズの合っていない弓を構えているが矢を放つ気配すらない気の弱そうな女子だった。

 

 完全に及び腰で、盾役にも攻撃役にもなっていない。


 連携はバラバラ、装備もどこかちぐはぐで、モンスターの攻撃をまともに避けることすらできていない。


(……あれで、よく今まで生き残ってこれたな)


 内心で呆れるのを通り越して、少しばかり感心すらしてしまった。


 異世界だったら、あんなパーティーは数分と持たずに全滅だろう。


 ふと、リーダーの男子生徒が足を滑らせ、体勢を崩した。そこへ、一匹のコウモリが鋭い爪を振りかざして襲いかかる。


「危ない!」


 後方の女子生徒が悲鳴を上げた。


 ――瞬間。


 俺は、無意識のうちに、落ちていたコンクリート片を指で弾いていた。


 それは、風を切る音もなくコウモリの翼の付け根を正確に撃ち抜き、そいつは奇妙な声を上げて地面に墜落した。


 あまりに一瞬の出来事だったためか、学生たちは何が起きたのか理解できていないようだった。


(……いかん、つい手を出してしまった)


 目立つ行動は避けたかったのだが。


 俺は、彼らに気づかれる前に、そっとその場を離れた。


◇ ◇ ◇


 リサに依頼された「銀光苔」は、ダンジョンの比較的浅い階層、壁一面がじめじめと湿った広間のような場所で見つかった。


 ぼんやりと淡い光を放つ苔が、壁や天井にびっしりと群生している。


 ちょうど、別の探索者グループ――こちらはもう少し年配の、経験がありそうな三人組だった――が、壁に張り付いてナイフで懸命に苔を削り取っているところだった。

 

 だが、その作業は遅々として進んでいないように見える。


(……あれでは、日が暮れてしまうな)


 銀光苔は、傷つけずに採取するのが意外と難しい。下手に力を加えると、すぐにボロボロになってしまうのだ。


 俺は、彼らから少し離れた場所で、万能ポーチから小さな革袋を取り出した。


 そして、異世界で薬草を採取する際に使っていた、ごく僅かな魔力操作を試みる。指先に意識を集中し、苔の根本にだけ微弱な振動を与えるイメージ。


 すると、面白いように、銀光苔が根本から綺麗に剥がれ落ち、ふわりと宙を舞った。それを、革袋で次々と受け止めていく。


 ものの数分で、革袋はずっしりと重くなった。これだけあれば、リサも文句はないだろう。


「……おい、あんた、今のは……?」


 不意に、先ほどの三人組の一人が、驚いたような顔でこちらを見ていた。どうやら、俺の手際の良さに気づいたらしい。


 俺は、何も言わずに軽く会釈だけして、さっさとその場を後にした。


 異世界の知識や技術は、こんなところでも役に立つものらしい。だが、それもまた、目立つ原因になりかねない。


◇ ◇ ◇


 銀光苔の収集も終わり、そろそろダンジョンから離脱しようかと考えた時だった。

 

 ふと、通路の奥から、これまでとは比較にならないほど濃密な魔瘴の気配を感じ取った。


 まるで、腐臭を凝縮したような、吐き気を催すほどの邪悪な気配。


 異世界の深層ダンジョンで感じた、あの絶望的な瘴気に近い。


(……この先に、何かいるのか……?)


 俺の中に眠っていた、異世界の探索者としての本能が、強く警鐘を鳴らすと同時に、未知の領域への抗いがたい探求心を刺激した。


 魔瘴の根源を確かめたい。もし、それがこの現代社会に害をなすものならば、今のうちに何とかしなければならないのではないか――。


 そんな考えが、頭をよぎる。


 だが、すぐにそれを振り払った。


(……いや、今はまだだ)


 「静かに生きたい」。それが、俺が現代で立てた、唯一の目標だ。


 ここで深入りし、何らかの騒動に巻き込まれるのは本意ではない。それに、この濃密な魔瘴の先に何が待ち受けているのか、今の俺には情報が少なすぎる。


 俺は、奥へと続く通路に一瞥をくれると、強く自制心を働かせ、踵を返した。


 魔瘴の気配は気になるが、今はまだ、その正体を暴く時ではない。


 まずは、このダンジョンから無事に脱出し、リサに銀光苔を届けるのが先決だ。


 次への布石は、それから考えればいい。


 ……だが、この世界は、どうやら俺に“静寂”をそう易々と許してくれそうにはなかった。

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