第8話:規格外の“新人”と店主の目論見

 旧渋谷地下街ダンジョンからホーリィ商会へ戻ると、リサは相変わらずカウンターの奥で、気だるそうに雑誌をめくっていた。


 俺の姿を認めると、彼女はわざとらしく大きなあくびを一つしてから、眠たげな目をこちらに向けた。


「よう。お帰り、パートナー。で、首尾はどうだったんだい? 例の苔、見つかったのかね?」


「ああ」


 俺は短く答え、万能ポーチから、銀光苔がぎっしりと詰まった革袋を取り出し、ドン、とカウンターの上に置いた。


 見た目以上にずっしりとしたその重みに、リサの眉がピクリと動いたのが分かった。


「……頼まれていたブツだ」


 リサは、無言で革袋の口を開き、中を覗き込んだ。


 そして、その苔の量と、ほとんど傷んでいないその質の高さに、一瞬だけだが、驚きの色を目に浮かべたように見えた。


 だが、すぐにいつものポーカーフェイスに戻り、鼻を鳴らす。


「ふぅん。まあ、これだけあれば、当分は持つかねぇ」


 憎らしいほど落ち着き払った態度だが、その内心では、俺の予想以上の成果に舌を巻いているに違いなかった。


「で、いくらで買い取ってくれるんだい? 前回みたいに、足元を見るような値段はナシにしとくれよ、パートナーさん?」


 リサは、カウンターに肘をつき、にやりと挑戦的な笑みを浮かべてきた。


 どうやら、前回の取引で俺が意外と“分かっている”と判断したらしい。


「そっちの言い値を先に聞こう。俺は、あくまで素人なんでな」


 俺は、とぼけてみせる。

 リサは、そんな俺の態度を面白がるように肩をすくめた。


「はっ、相変わらず食えないねぇ、あんたは。まあいいさ。これだけの量と質だ。特別に……そうだな、七万でどうだい?」


 七万。前回のポーションと鉱石の取引が五万だったことを考えれば、破格の値段と言えるかもしれない。


 だが、俺は知っている。この銀光苔が、異世界ではどれほどありふれたものだったとしても、現代の、それも特定の需要がある状況では、もっと価値が跳ね上がる可能性があることを。


「……リサ。あんた、この苔が化粧品メーカーに高く売れるって言ってたな」


「ああ、言ったね。それが何か?」


「そのメーカーは、この苔の“発光成分”に興味があるのか? それとも、何か別の薬効成分でも期待しているのか?」


 俺の問いに、リサは一瞬言葉を詰まらせた。

 どうやら、図星だったらしい。


 彼女は、俺がただ素材を採取してくるだけの人間ではなく、その素材が持つ本質的な価値や、市場での需要まで見抜こうとしていることに気づいたのだろう。


「……へえ。あんた、ただの探索者崩れじゃなさそうだね。妙に勘がいいというか、知識があるというか……」


「買い被りだ。ただ、損はしたくないだけだ」


 俺は、リサの探るような視線を真っ直ぐに受け止めた。


「……十万。それ以下なら、他を当たる」


 俺の言葉に、リサは一瞬目を見開き、それから面白そうに喉を鳴らした。


「……へえ。アンタってのは、どうにもこう……商売人泣かせだね。こっちの足元を見るどころか、逆に踏みつけてくるタイプかい」


 彼女は、声を上げて笑った。だが、その目は真剣だった。


 しばらくの沈黙の後、彼女は大きくため息をついた。


「分かったよ、十万だ。ただし、今回だけだからね。次からは、もう少し手加減してくれたまえよ、パートナー」


「交渉次第だ」


 俺がそう言うと、リサは「本当に可愛げのない奴だねぇ」とぼやきながらも、どこか楽しそうに金を準備し始めた。


 取引を終え、俺が店を出ようとした時だった。


「なあ、パートナー」


 リサが、珍しく真剣な表情で俺を呼び止めた。


 彼女は、カウンターから出てくると、店の奥にある薄暗い事務所へと俺を手招きする。


「ちょっと、面白い“仕事”の話があるんだが……興味ないかい?」


 事務所のソファに腰を下ろしたリサは、細い煙草に火をつけ、紫煙をくゆらせながら言った。

 

 その瞳は、先ほどまでの商売人のそれとは異なり、どこか得体の知れない光を宿している。


「“面白い仕事”……ね。あんたの言う“面白い”は、大抵ロクなことじゃない印象だが」


「ははっ、手厳しいねぇ。だが、今回の話は、あんたにとっても悪い話じゃないはずだよ」


 リサは、テーブルの上に一枚の古びた地図のようなものを広げた。


 それは、明らかに現代の地図ではなく、手書きで描かれた、どこか異世界のダンジョンの見取り図にも似ていた。


「実はね、最近、ちょっとした“お宝”の噂を耳にしてね。それは、普通のダンジョンじゃ手に入らない、特別な代物らしいんだ。正体ははっきりしないが、“触れると持ち主の魔力反応が一時的に変質する”とか、“存在そのものが周囲の魔瘴濃度を僅かに吸収する”なんて、眉唾ものの噂もあるくらいさ。もっとも、そのありかは、かなり厄介な場所でね……腕利きの探索者でも、二の足を踏むような……」


 リサの言葉には、明らかに含みがあった。


 彼女は、俺の“腕”を見込んで、この話を持ちかけてきているのだろう。


 旧渋谷地下街ダンジョンでの一件で、俺の探索能力や、あるいはそれ以上の何かに気づいたのかもしれない。


「……その“お宝”とやらは、何なんだ?」


「さあね。そこまでは、あたしもまだ掴んじゃいない。だが、もし手に入れられれば、莫大な利益になることは間違いないだろうね」


 リサは、挑発するように俺を見た。

 俺は、しばらく黙って地図を見つめた。


 危険な仕事であることは間違いないだろう。そして、俺が「静かに生きたい」という目標とは、大きくかけ離れたものになる可能性も高い。


(……面倒事はごめんだが……)


 だが、同時に、この地図が示す未知の場所と、そこに眠るかもしれない“お宝”に対して、異世界の探索者としての血が微かに騒ぐのを感じていた。


 それに、リサとの関係を続ける上で、彼女の期待にいつまでも応えないわけにもいかないだろう。


「……少し、考えさせてもらう。すぐに返事はできない」


「ああ、構わないよ。だが、あまり時間はかけないでほしいね。こういう話は、足が早いからさ」


 リサは、俺の返答を予想していたかのように、あっさりと頷いた。


 彼女は、無理強いはしない。だが、確実に俺を、彼女のフィールドへと引き込もうとしている。


「気が向いたら、また来なよ、パートナー」


 その言葉を背に、俺はホーリィ商会を後にした。


 リサとのビジネス関係は、単なる素材の売買という枠を、早くも超えようとしている。


  俺の望む静かな日常は、どうやら、ますます遠のいていくようだ。


 ――抗いたいはずなのに、俺の足は、この面倒事を運んでくる女商人の店へと、また無意識のうちに向かってしまうのかもしれない。


 今はまだ、その選択の猶予が残されていることを、願うばかりだった。

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