第11話 血柱


 セラスが去るのを見送るしかなかったジョーは、脱いだ胸の鎧を、腹立ち紛れに投げ捨てた。樹脂爆弾の発した熱で、鎧は火にかけた鍋のように熱かったのである。


「くそう……逃げられたっ、失敗だっ!」


 ジョーは悔しげに呟いた。


 これまで、頼まれた依頼は全て達成してきたジョーだったが、今回は逃げられてしまった。初のしくじりである。


 ジョーは立ち上がると、トボトボと、来た道を歩き出した。


「調子に乗っていたのか? それとも焦っていたのか……」


 つまらぬ小道具に振り回された。ジョーは自分が腹立たしかった。


 それとも……あのエルザという女をメスラーに取られたことに腹を立てていたのか? ジョーは自分の気持ちがわからなくなっていた。


 変な爆弾のせいで、顎に石が当たってジンジンと痛い。失敗したという苦い気持ちが、その傷口をさらに痛く感じさせている。


「何もかも、うまく行かない……今日の俺はどうなってしまったんだ」


 ジョーは苛立たしそうに自分の太腿を拳で叩いた。


 その時のことである。


 ジョーは、ふと足を止めて、近くの草むらへと目を向けた。


「……ん?」 


 歩きながら周囲を見渡すと、急いで駆け抜けた時には見えなかったものが、見えてくることがある。


 今日のジョーもそうだった。


 草むらからガサゴソと動く音が聞こえるので覗いてみると、なんと馬がいるではないか。いつも無表情なジョーも、この時ばかりは思わず笑顔になっていた。


「そうか、これは象使いコレタたちの馬だな」


 ジョーは馬の元へ、草むらを掻き分けて入っていく。二頭の馬がいたが、一頭だけ足の速い競走馬が混じっていた。


「さすがは獣使いだ。いい馬を手に入れている……」


 ジョーはその馬を草むらから街道まで引き出して背中に飛び乗った。


 そして、自分が脱いだ鎧のある場所まで馬を走らせて戻った。


 さきほど脱ぎ捨てた鎧を触ってみたが、まだ熱くて着れそうにない。


 ジョーは死んだ馬の首から流れている血液を鎧にかけた。ジュージューと音を立てながら水分が蒸発していき、徐々に熱が下がっていく。血が固まって鎧にこびりついたが、ジョーはそれを雑に払って装着した。


「良し!」


 ジョーに気合が戻って来た。


「俺はまだ戦える!」


 ジョーはひとりそう叫ぶと、馬に飛び乗って腹を蹴った。競争馬は、走り出すとすさまじい速さだった。これはいい……これならセラスに追いつけるだろう……ジョーはそう思った。なにせ、三日月湖はとてつもなく大きいから、この道を真っ直ぐ走ればいずれ追いつくだろう。


「俺が馬を手に入れたとは、あいつらは夢にも思っていないだろう。それどころか、追っ手から逃げきって、安堵の気持ちで馬を走らせているに違いない」


 ジョーはセラスの驚く顔が見れるかと思うと、妙な高揚感を感じていた。


 セラスたちの背後に、またもや危険な男が迫ろうとしていた。





 その頃セラスとバートンは、ジョーが追いかけていることを知らずに馬を走らせていた。


 二人とも疲れきっていたが、なんとか集中を切らさないよう交代で先頭を走っていた。二人は前方の警戒は怠らなかったが、後方からの追撃はもうないと思っていた。


「三日月湖にぶつかると、そこに吊り橋があるから、そこを左だ。そのまま湖の南側を迂回して、一気に北上していくぞ」


「もうちょっと……もうちょっとですね……セラス様」


「ああ、そうだ。もうちょっとだぞ、バートン……アラタカまで行ったら一息つくとしよう。お前ももう少しだけ辛抱してくれよ」


 セラスが振り返って軽く手をあげると、バートンは小さく頷いた。


 二人がもう少しで三日月湖へ到着しようかという頃、背後からまた馬の駆ける音が聞こえてくる。セラスはギョッとして振り返った。


「……変なトラウマが付いたな……まさかあの黒い戦士が追ってくるはずがない」


 セラスはフッと笑った。


「もしかすると、エルザが追い付いて来たのかもしれないな。だが待てよ……それなら途中であの黒い戦士に会うはずだが……」


 ここに至ってセラスは妙な胸騒ぎがした。

「嫌な予感がする……」


 セラスは目を凝らして良く見るが、遠すぎてよく見えない。だが、その馬の速さは尋常じゃなかった。そして、その馬が近づくにつれ、それが誰なのかセラスは理解した。


「なぜだ! あいつの馬は討ったはずだぞ!」


 黒い戦士である。


 セラスの顔はみるみる真っ青になっていた。もしかすると、後から追ってきたエルザを倒して、その馬を奪ってきたのかもしれない。


 エルザのことを想うとセラスは悲痛な気持ちになったが、憶測で物を考えるのは悪い癖だと思いなおした。とにかく、今はあのジョーをなんとかしなければならない。


 仕込み刀が放つ弾丸など、一度しか使えぬ小技である。そんな小道具が何度も通用する相手ではない。今度こそ刃を交えて闘うことになるだろう。

セラスもバートンも剣の腕には自信があるが、あのジョーという男は次元が違う……話にならない。


 ふと、バートンへ目を向けると、泣きそうな顔をしながらセラスを見ている。


「バートン! しっかりしろ! 飛ばすぞ!」


「はいっ!」


 二人は馬の腹を蹴って、スピードを上げた。


 だが、この細い山道の下り坂では、スピードが乗って危ないというのに……あの黒い戦士はなぜ、あんなにも速度を上げることができるのか。


 三日月湖の吊り橋までもう少しという時、セラスが振り返ると、黒い戦士・ジョーが、あと五〇メートルという所まで迫ってきていた。


 ああ、とうとう追いつかれてしまった……。


 このままに逃げても背後から攻撃されるだけだ。ならばどこか有利な地点で戦う方が活路を見出せるのではないか。セラスは唇をギュッと噛みしめる。


「バートン! 私は覚悟を決めたぞ! 二人で立ち向かおう! 死んだら死んだ時だ!」


「はっ! お嬢様! 私も決死の覚悟で臨みます!」


 二人は少し道幅の広い地点を選んで馬首を返すと、ジョーとの戦闘を開始した。


 セラスとバートンは、グレイブを振り回しながらジョーへと立ち向かった。バートンはグレイブの名手だったが、疲労がたまっているバートンは、本来の力を十二分に発揮できないでいた。


 バートンは2、3回、グレイブで斬りかかるのだが、ジョーは邪魔とばかりに斧を一閃。その斧を受けたバートンは、そのまま落馬してしまった。


「バートン!」


 セラスが叫んだ。


 そのセラスに、黒い戦士が迫る。


 振り下ろされる二挺の斧が、セラスへと降り注いでいく。だがセラスにも意地があった。狼のような咆哮を上げながら、ジョーへ捨て身の斬撃を放っていった。


「私には……私にはやらねばならぬことがあるんだっ!」


 セラスは鬼のような形相をして、ジョーと斬り合っていった。槍の穂先と石突と交互に繰り出したり、時に上段から斬り入れたり、様々な攻撃を行った。


 しかし、ジョーはそれを軽くさばいてみせた。


 セラスの攻撃が疲れを見せ始めた頃、今度はジョーの攻撃が始まった。段々と斧の連撃が早く、重くなっていく。


 セラスは防御で手一杯となって、とても攻撃ができる状況ではなかった。


 そのうち、セラスの身体が、ジョーの斬撃を受けるたびに、右や左へ振り飛ばされはじめるようになった。セラスの顔はもう泣きそうである。


「ああっ、これは! もう!」


 だがセラスは歯を食いしばって踏ん張っていた。とにかく体の動く限り腕を振り続けなければならない。だが、そんなセラスの頑張りも虚しく、ジョーの強い斧が横一文字に走った時、セラスのグレイブは弾き飛ばされてしまった。


「うっ!」


 セラスの体が馬から落ちそうになる。そこへジョーのトドメの斧が、セラスの首筋へと飛んだ。


 その時、バートンが徒歩でジョーの馬前に飛び出して、グレイブを顔めがけて突き入れてきた。


「おおおっ!」


 ジョーがのけ反りながらそれを回避したので、斧の軌道がずれた。斧はセラスの肩あてに当たって、そのままセラスを馬から突き落としてしまった。


「きゃああ!」


 セラスは地面を転がると、すぐに膝立ちになった。


 ジョーはバートンには目もくれず、馬首をセラスの方へ向けた。だがバートンも捨て身で飛び込んでいって、グレイブで突き刺していく。


「やあああっ!」


 だがジョーはその突きを半身で躱すと、グレイブそのものを脇で挟んで固定してしまった。


「ああっ!」


 バートンはグレイブを引いたがビクともしない。バートンが黒い戦士の顔を見上げると、その黒い仮面の中から、大きく見開かれた目がバートンをギロリと睨みつけていた。


 バートンがその目を直視すると、まるで石にでもされたかのように硬直してしまった。


 そしてジョーは、バートンをまるで竹でも割るかのように斧で両断した。


 バートンの鎖骨あたりから首へ、斧の刃が突き刺さる。バートンの顔面が苦痛で激しく歪んだ。


「お嬢様ぁっ!」


 バートンは絶叫すると、血を吹きながら地面へと倒れた。


 ジョーは改めてセラスを見た。


 セラスは走って逃げようとしていた。


「どこへ行く!」


 ジョーはセラスを追おうと馬の手綱を掴んだが、背後から馬の駆ける音がするので振り返った。


 すると、ジョーの顔めがけて、柔らかい鞠のようなものが飛んできたので、思わず手で払ってしまった。


 すると、その鞠が破裂して、中の液体を顔から被ってしまったのである。


「む? この臭いはっ!」


「油だよ!」


 ジョーが顔を上げると、赤い髪の女が火の着いた剣を振り下ろしてきていた。


「くらえこの!」


 ガキーン! という音とともに、ジョーの頭へ炎の剣が振り下ろされた。


 ジョーは斧を振り上げて剣を止めたが、代わりに火の粉がバァーッと落ちてきた。


「むうわ!」

 

 飛んだ火の粉を浴びたジョーの上半身は、バアーッと燃え上がった。


「があああ!」


 ジョーは馬上で身悶えした。


 だが、その火はすぐに収まってしまい、相手に火傷を負わせることすらできなかった。


 確かにエルザもたいして火傷を負わなかったのだから、驚かせる程度のものかもしれない。


だが、今のエルザには、そんなことはどうでも良かった。


「セラス様! 掴まって下さいっ!」


 エルザは炎の剣を投げ捨てると、セラスの方へ馬を飛ばした。


「エ、エルザぁっ!」


 セラスは苦し気な顔を上げた。


 それを見たジョーは馬の腹を蹴った。


 エルザはジョーを無視してセラスの元へと走った。走りながら、剣と手綱を右手に持ちかえて、馬の左側へと体を乗り出す。


 視線の先で、セラスが膝をついてこちらを見ている。


 エルザは左手を伸ばした。


「セラス様!」


 するとセラスが叫んだ。


「エルザ! 後ろぉ!」


 その時エルザはセラスの襟首を掴んだ。そして腕に力を込めて、引きずりながら持ち上げていった。


「セラス様! 失礼を……むおおっ!」


 するとセラスの身体がグングン持ち上がっていく。


 そして、そのまま鞍の横まで引っ張り上げた時、エルザとセラスが見たものは、エルザの右側にぴったりと貼りつくジョーの姿だった。


「ぎゃあああ!」


 二人は驚いて悲鳴を上げた。


 そしてジョーは斧を振りかぶった。


 ジョーとエルザの目と目が合う。


 その時エルザは不思議な体験をした。音が全くない世界で、すべての動きがゆっくりに見えたのだ。


 まるで、時が止まったかのような静寂の中で、ゆっくりとジョーの斧が落ちてくる。


 エルザはとっさに、セラスの方へ体重を移して、鐙から右のつま先を外した。


 鞍から尻が浮いて、体が外へ落馬していく。


 左手に感じるセラスの重みが、体を逃がす助けになった。


 そこにジョーの斧が落ちて来る。


 躱そうと動くエルザに、ジョーの斧は容赦なく飛ぶ。


そしてジョーの斧は肉を断った。


「うおおおーっ!」


 ジョーは力を込め、強く歯噛みしながら斧を斬り下げ、肉を斬り裂き、骨を断つのを感じていた。


 猛烈な血柱が立ち上がった!


 ジョーの耳が馬の断末魔の悲鳴でいっぱいとなって、噴き出る血柱で視界が赤一色に染まった時、その中からキラリと光るものが見えた。


それは一体、何だったのか。


ジョーは己の首から血を吹くのを見て、ようやく理解した。……あれは落馬間際に振り上げたエルザの剣先だったのだと。





 エルザはしたたか背中を打っていた。


 受け身もへったくれもなく落ちたので、その痛みは尋常ではなかった。しかし、ジョーの追撃が怖かったので、エルザは歯を食いしばって立ち上がった。


 エルザは馬の血で濡れた顔を袖口で拭ったが、その袖も服も馬の血でべっとりと濡れていた。


「身体中が血塗れだわ」


 しかもエルザのズボンは、股の所が少し……斧で切断されていたのだ。


「あと、数センチずれていたら……」


 エルザはゾッとしながら、手の平でゴシゴシと血を拭った。そして剣を構えて周囲を見渡したが、ジョーからの攻撃はない。


 すると馬の向こうに、うずくまった男の姿がある。どうやらジョーは馬から落ちて、しゃがんだままでいるのだ。エルザが馬の腹からジョーを見ると、向こうも首筋を押さえながら睨むようにエルザを見てきた。首からは血がビュッ、ビュッと血が吹いているようにも見える。


「……もう、追ってこないでね」


 エルザはセラスのそばまで歩くと、肩を支えて立ち上がらせた。セラスは身体の至る所に打撲で青くなったところがあって、数カ所、浅く剣で斬られたような傷も見られた。


「セラス様……歩けますか?」


「ううう……すまない……」


 肩の傷が痛むのか、セラスの声は力なさげで、美しい顔を苦痛に歪めていた。


 街道を進むにつれ、ジョーの姿は山陰に隠れて見えなくなった。その時、エルザは自分が生きていることを、初めて実感した。


 あれほどの苦難に遭遇しながら、五体満足に生きている。これほどの幸運があるだろうか。


「セラス様……私たち……生きてますよ」


 セラスはそんなエルザを見て微笑んだ。


「ああ、生きてるとも……私たちは生きてる」


 エルザは、少し元気が出て来た。そして、セラスの手を引いて三日月湖へと向かった。


「ああ、バートン……お前の一撃は私の命を繋いだのだ……。ありがとう、バートン。私は必ず、薬を王都へ持ち帰るからな……」


タイムリミットまであと4日。まだ時間はあるというものの、まだまだ安心は出来ない。二人には馬がないのだ。


 二人が木々の生い茂った街道を抜けた時、パッと景色が開けて、三日月湖の湖面と遠くに連なる山々が見えた。そして眼前には、目印となっていた吊り橋が見えたのである。


「エルザ、吊り橋だぞ」


 その景色はとても開放的で美しく、二人は思わず大きく息を吸うのだった。

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