依頼
三
瀬戸内海に面した地方都市・
妖怪や物の怪、魑魅魍魎の類いが、異常に多い地域であるためだ。
そのためか、退治屋の組合もあった。
鴉羽堂夜風が組合からある通知を受け取ったのは、三月に入ったばかりの夕方だった。
「夜風、どこか行くの?」
夜風が外出の支度をしていると、住んでいる家の家主で同居人の
鷹森市内で活動する拝み屋で、夜風の幼馴染である。
「ああ、知り合いが死んだみたいでね。通夜に呼ばれたんだ」
「そう。気をつけてね」
「うん」
夜風は鷹森市郊外の通夜会場へ向かった。通夜会場は、故人の家だった。
通夜会場に着くと、弔問客が続々と訪れていた。家の仏間には棺が置かれ、遺影には壮健そうな男の顔が写っていた。
退治屋を忌み嫌う僧侶や神職は多く、退治屋の葬儀で経が読まれないのも、そういう理由があった。葬儀社は通すものの、退治屋という事情を知る鷹森の小さな葬儀社が、鷹森市の退治屋の葬儀を受け持っていた。
「……随分酷いな」
棺の中を見た参列者のひとりがぽつりと漏らした。故人の顔は激しく損傷し、遺影の面影を残すものはほとんどなかった。死因は妖怪との戦闘で喉を噛み切られ、体中を喰われたためだという。
しかしそれは夜風にとっては——そして参列者の退治屋のほとんどにとっても——珍しいことではなかった。退治屋が仕事中に命を落とすことはままあることで、十代にして修行中に落命した者、開業して三年以内に死ぬ者は珍しくもないし、五年以上退治屋をしていても目や耳、指や四肢が欠ける者は多く、欠けた部位がない者でも、生死の境を彷徨った経験は十中八九あった。
通夜会場には弦之介の妻と、幼い子どももいた。妻は目を伏せ、子どもは状況をよく理解していないようだった。こうやって、退治屋の子どもが早くに親を亡くすのも、よくある話だった。実際、今回亡くなった弦之介は十八歳のときに父親を亡くして矢取屋を継いでいた。
ありふれた、よくある退治屋の人生の一幕だった。
夜風は参列を終えて、通夜会場をあとにした。
「——鴉羽堂さんですか」
会場から出て帰路につこうとすると、後ろから声がかかった。
若い男の声だった。
振り返ると、立っていたのは二十代になったばかりくらいの男だった。走ってきたのか、息が上がっている。
「そうだけど、なにか用かな?」
若い男は浜崎と名乗った。関東の大学で神職を目指している大学生だという。
「神職見習いが退治屋になんの用?」
「鴉羽堂さんに、退治していただきたい妖怪がいるんです」
浜崎は一度息を吸い、吐き出して、そして言った。
「磯のよめじょを、退治して欲しいのです」
夜風が現地である和田津市浜ノ浦町七ヶ浦に訪れたのは、通夜の日から一週間後の三月半ばだった。
七ヶ浦集落を訪れた夜風が最初に感じたのは、磯から流れてくるぬめりけを帯びた潮風と、自身に向けられる不審そうな視線である。
——ま、こんな格好のがうろついてたら、そりゃ気になるよな。
夜風の雪原のような真っ白の髪はよく目立つ。街中でも人目を引くのだから、田舎ともなれば余計に目立つだろう。
夜風は住民の視線を気にすることもなく、待ち合わせ場所の集会所を目指した。
集落は海に面した、寂れた漁村というふうである。浜沿いに小さな家々が肩を寄せ合うように連なり、漁港には小ぶりな漁船がぷかぷか浮いている。集落の家々はどれもそれなりに古そうだったが、その中にいくつか、ここ数年でリフォームしたらしい真新しい壁や瓦の家もちらほら見られた。他に小ぢんまりとした商店が一、二軒。
浜沿いの集落から少し高いところに上がった場所に、七ヶ浦の集会所はあった。木造瓦葺の小屋で、戸口に「七ヶ浦集会所」とあった。夜風が引き戸をがらら、と開けて中へ入ると、畳が敷かれた屋内には二人、老いた男と浜崎が座っていた。
「ようお越しくださいました。どうぞ、中へ」
「どうも」
夜風は土間で靴を脱ぐと、上がり框のところに背負っていたリュックサックと黒革の細長い袋を置いた。
「この人が、専門家の人なんか?」
老人が訝しげに夜風を一瞥し、浜崎へ視線を送った。この妙にへらへらした、若い小娘が? とでも言いたげな目で。
夜風の格好は、ほつれやシミのある黒いコートによれよれのジーパンと、いつもの小汚なそうな格好である。
「ええ、いまの状況をなんとかできる人だと思いますよ」
「できるかどうかは、話を訊いてから判断するよ」
畳の上に腰を下ろしながら、夜風は浜崎を横目で見る。
「浜崎くん、本当に大丈夫なんやろね?」
「まあ、まずは話をしてみましょうよ。ああ、紹介が遅れましたね、松井さん、こちらの方が鷹森の退治屋の鴉羽堂夜風さん。夜風さん、こちらは松井武男さん。七ヶ浦の自治会長をされています」
夜風と松井は互いに「どうも」と無愛想に会釈をした。集会所の座敷には、松井の向かいに夜風、その間に浜崎が座る形となった。
「じゃあ早速、被害状況を教えてくれる?」
「はい。去年の末頃から、この地区に訪れる釣り人が失血死して磯で見つかることが増えてきたんです」
「ほう」
「初めはよくある事故かとみんな思っていました。ですが、次第に釣り人客から、妙な噂が立ち始めたんです」
その噂というのが、次のような話である。
ある釣り人が、夜釣りをしようと磯にやってきた。
普段、その磯はよく釣れることで有名なのだが、そのときは全くといって良いほど釣れなかった。
そろそろ帰るか、と釣り具を片づけていると、ひた、ひた、とこちらに近寄ってくる足音が聞こえた。音のするほうを見ると、そこに着物姿の女がいた。
長い髪をぐっしょりと濡らした、異様に美しい女だった。
時刻はすでに真夜中近いのに、その女の白い肌は、仄かに燐光しているようにも見えた。
にこりと浮かべた笑みの口元は鮮烈な紅色で、白い肌に映えてより赤く見える。
「すみません、かんざしをなくしてしもうたんやけど、見とらんかなぁ」
この地方の訛りが入った言葉だった。
「いや、見てませんね」
「そうなぁ、おお、そこや、拾ってくれんかぁ?」
女は釣り人の足元を指さした。そこには、かんざしが一つ落ちていた。
「ああ、良いですよ」
釣り人が竿を置いて腰をかがめ、かんざしを拾おうとすると——
ぎぎぎっ
手首になにかが巻きついた。
見ると、髪の毛が絡みついている。その髪の毛は女から伸びてきている。
女の顔は、妖艶な微笑を歪め、にたにたと笑っていた。
そして、手首に鋭い痛みが走ったかと思うと、手が痺れ出した。
手首から、血が滴り落ちている。
釣り人は恐怖し、腕を振り回した。しかし髪の毛はぐいぐい締めつけてくる。
「助けてぇッ! 誰かぁッ」
男が絶叫したとき、どこからか、「大丈夫かあッ」と男の叫ぶ声がした。
眩しいライトの光が釣り人の顔を照らす。
「助けて、女に、女にぃ!」
すると、手首の締めつけがゆるみ、髪の毛がするすると離れていった。
「誰じゃあ、そこにおるんは!」
駆けつけた男がライトを照らすと、女の姿はそこになかった。
そして、ざぶん、となにかが海に飛び込む音が聞こえた。
磯に残ったのは釣り人と、駆けつけた男だけだった。
釣り人は手首からだらだら血を流し、手から先は黒ずんで壊死しかけていたという。
「——という噂が立ち始め、似たような話が相次ぎ出したんです」
「なるほど。警察や役場に相談は? それと、寺とか、神社とかに相談は?」
「駐在さんに相談はしました。しかし、当然といえば当然ですが、まともに取り合ってくれず……寺や神社ですが、寺の住職は信じておらず、神社は——僕の父が宮司なのですが、父は霊や妖怪が視えない人間でして……」
「ああ、なるほど」
つまり、頼れる先が退治屋しか残っていなかったのだ。
「質問良いかな」
「ええ、どうぞ」
「浜崎さんは依頼のとき、磯のよめじょって言ってたけど、それはどうして?」
「ああ、それは——」
「それは、わしから説明したほうがええやろう」
ずっと黙っていた松井が口を開いた。
「磯のよめじょ言うんは、この村に伝わっとるお化けの名前や。わしらが小さいときは、ようお袋から『夜中に磯辺へ行くな、磯のよめじょに食われんぞ』言われてな。その磯のよめじょがどんなんかはわしらもよう知らんのやけど、よめじょって言うんやけん嫁さん姿の若い娘っこじゃろう……」
「なるほど、磯に出る嫁さんで、磯のよめじょか……」
「ほうじゃ。わしらもまさかほんまにおるとは思わなんだし、今も半信半疑なんやが……」
「僕たちもただの噂だとは思っていたのですが、事故にしてはおかしいし、死に方も異常なので……」
「だいたい分かった。報酬を出すなら受けよう」
夜風は報酬の見積もりを提示した。浜崎と松井はその額に目を剥いたが、最終的には条件を飲んだ。法外とまではいわないが、決して安くはない金額だった。
「契約成立だな。報酬の分はきっちり仕事するよ」
「ありがとうございます」
「ああ、頼むで」
松井は最後までしかめ面だった。夜風は終始、不敵な笑みを浮かべていた。
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