鼻のないゾウ、ルニ

平山文人

            1

 生い茂る木々の隙間から太陽の光が差し込み、二頭のゾウの姿を照らしています。大きなゾウはぐったりとした様子で大樹の根元に横になっています。その傍にまだ小さなゾウが今にも泣きそうな顔でしきりに体をすり寄せています。

「ママ、だいじょうぶ?」

「…少し気分が悪いだけで大丈夫よ」

 といった後、お母さんゾウのアムールは瞳を閉じました。体は小刻みに震え、高熱に苦しんでいます。娘のルニは、ママに何か食べ物を持ってこようとその場を離れました。ちょうど美味しそうな青草が茂っています。が……ルニはそれを集めることができません。なぜなら、ルニは生まれつき鼻がないのです。鼻の穴はあるのですが、ゾウの特徴である長い部分が全くないのです。仕方なく、ルニはかがみこんで口で青草を千切れるだけ千切って、くわえてアムールのところに持っていきました。アムールはその少しの青草をほおばった後、眠ってしまいました。ルニはアムールにぴったりくっついて、お母さんの病気が治るように……とひたすら祈りました。やがて、辺りは暗くなり、雨が降り出しました。強い雨は容赦なく青く茂る森に、そこで過ごす二頭に降りつけます。アムールは苦し気に荒い息をつきます。ルニは涙と雨で頬を濡らしながらママ、ママ、と何度も呼びかけますが、何もできません。そのうち疲れて眠ってしまいました。


 ルニが目を覚ますと、朝になっていましたが、辺りは薄暗く、空は灰色の雲が覆っています。ルニは体を起こし、顔を左右に動かして雨をはじきました。そして、アムールに話しかけます。

「ママ、おはよう。朝だよ。体はどう?」

 返事がありません。ルニはもう一度呼びかけた後、前足でアムールの長い鼻を押しました。でも、何の反応もありません。

「ママ、ママ! どうしたの! 起きてよ、返事してよ!」

 ルニは必死に声をかけ続けました。しかし、アムールは全く動きません。ルニはただただ泣いてアムールの体にすがることしか出来ませんでした。まだ一歳のルニは一人ぼっちになってしまいました。ゾウは本来血のつながった一族で群れで生活するのですが……アムールとルニが群れを出て二頭で過ごすようになったのはある事情がありました。


                 ◆


 

「やあ、今日も鼻がない間抜けヅラだな」

 と、長い鼻を伸ばしてくるのは三歳のミションです。その横から五歳のフロイドが

「鼻がないなんてあなたは本当にゾウなのかしら」

 と意地悪なことを言いながらルニの頭を鼻で叩きます。ルニは広い草原の隅でただうつむいているだけです。そこへ遠くにいたアムールが全力で走ってきて、二頭を追い払いました。いつもこうなのです。生まれつき鼻のないルニは、みんなと違うというだけでいつもいじめられているのでした。逃げたミションの母親のディアボルは

「あれはゾウじゃなくて悪魔なのよ。ああ恐ろしい。もう近づくんじゃありません」

 などと、まことしやかに言うのでした。

「はーい、ママ」

 ミションは泥浴びをしながらアムールとルニを見下した目で見るのでした。アムールは耐えかねて、群れのボスゾウであるイヌティラに訴えました。

「みんながルニのことをいじめるのをなんとかしてください」

 イヌティラは瞳を閉じて静かに考えていましたが、やがてこう言いました。

「どうしようもないわ。我慢出来ないならあなたたちが群れを離れなさい」

 アムールはこの時ほどがっかりして、また腹が立ったことはありませんでした。足元には怯えた目をしたルニがいます。

「わかりました。もうみんなとはやっていけません。私はルニを守ります。さようなら」

 アムールは決然といい、ルニとともに群れを離れていきます。二十頭ほどいたゾウの仲間たちは、白けた目で二頭を見送るのでした。


                  ◆


 ルニはただただお母さんが死んだことを悲しんで泣いて泣いて泣きつくしていました。私を守るために群れを離れてくれたお母さんが、もういない。私はこれからどうすればいいの? お願い、お母さん生き返って!! ルニは大きな声を上げて体をアムールに預けて泣き崩れました。──その泣き声を大樹の枝の上で聞いていたのは、双子のリスのクラージュとエスポールです。

「かわいそう、あの大きなゾウさん死んじゃったみたい」

「泣いているのはまだ体の小さな赤ちゃんゾウだな」

女の子のエスポールは少しもらい泣きしています。男の子のクラージュはふん、とひとうなずきして

「見て見ぬふりをすることは出来ないな。なぐさめにいこう」

「そうこなくっちゃ」

 二匹は顔を見合わせた後、素早く大木を滑り降り、おそるおそるルニの足元に近づきます。

「あの~……こんにちは」

「はじめまして。私はエスポール。この森一番のアイドルリス」

 ルニは驚いて泣くのをやめました。そして顔を向けて小さなリス二匹を見つめてました。クラージュとエスポールははじめてルニの顔をしっかりと見ました。彼女にはゾウ特有の長い鼻がないではありませんか。しかし、二匹はちょっと驚いたものの、そのことを口に出したりはしませんでした。

「お母さん死んじゃったの?」

「うん、死んじゃって動かないの」

 二匹はそれ以上何も言わず、しばらくアムールの顔の上に乗って皮膚をさすったり瞳孔を見たりしていましたが、やがて肩を落として、地面に降りて静かに祈りの言葉をつぶやきはじめました。

「天にましますわれらの神よ、ここに倒れるあなたの御子の魂を安らかに眠らせたまえ」

 ルニは会ったばかりの二匹が敬虔に冥福を祈ってくれることを子どもながらに感謝しました。と同時に、改めてアムールの喪失が心の底までこたえて、力なくうずくまってしまいました。その顔の右側にクラージュ、左側にエスポールが座って、口々にルニを慰めはじめました。

「とても悲しいね。でも心配はないよ。僕らと一緒に暮らせばいいんだよ」

「そうそう、お友達になろうね」

 友達? ルニは生まれてから友達が出来たことがありませんでした。いつもいつもからかわれいじめられるだけ。

「友達になってくれるの?」

「もちろん。困ったことがあれば……」

 いつでも私にも言ってくれればいい、と頭の上から声が降ってきました。ルニが見あげると、そこには大きなクマのウルスがいました。左右には子どもクマのフィスとフィーユが悲しげな顔をしています。

「ママ、この大きなゾウさん死んでるの?」

「これ、食べないかな」

 フィスは大事そうに抱えていたぶどうをそっとアムールの鼻先に置きました。しかし、何の反応もありません。

「残念ながらそうみたいだね……まだ若そうなのに、熱病でやられたのかな」

「ねぇ、あなたの名前はなんというの?」

 エスポールがたずねました。私はルニ、と小さな声で答えた彼女に、ウルスが聞きます。

「群れからはぐれたのかい? ほかの仲間はどうしたの?」

 ルニは事情を説明しようと思いましたが、うまく話せません。しどろもどろなルニにウルスは微笑んで言いました。

「いいよ、今は何も話さなくていい。それより、そのぶどうをお食べ。何も食べてないんだろう。ほかにも何か持ってくるよ」

 といってウルスはフィスとフィーユを連れて去っていきます。ルニは言われた通りぶどうを口に運びました。

「森には気のいい仲間がいっぱいいるんだぜ。俺を筆頭にな」

「ルニ、これからよろしくね。元気になったらこのミアの森を案内してあげる」

 ルニはほんの少しだけ微笑みました。木々の隙間から美しい太陽の光が差し込み、ルニの体を明るく照らしていました。


 やがて夜になり、ルニはアムールの足の間に体を入れて静かに瞳を閉じていました。思い出しているのはお母さんが話してくれたおとぎ話です。


──私のお母さん、つまりあなたのおばあちゃんフォルトはとても強いゾウだったの。ある時、群れをハイエナたちが襲ってきて、まだ小さな私を襲おうとしたの。私は必死に逃げたけど、一匹に足に食いつかれて倒れてしまったの。でもそこにフォルトおばあちゃんが来て、鼻を振り回してそのハイエナをひっぱたいてやっつけてくれたのよ。ほかのハイエナたちは恐れをなして逃げていったわ……フォルトおばあちゃんはハイエナなんか恐れない勇気をもっていたのね。ルニ、大事なことは勇気よ。あらゆるものに負けない勇気をあなたも持ってね──


 大事なことは勇気。ルニは何度もこのアムールの言葉を頭の中で繰り返すのでした。うん、私、勇気を持って生きる。彼女は立ち上がり、木々の隙間から星空を見上げた。そこに輝く星々はルニを祝福するかのように瞬いていた。


 翌朝、ルニがお腹が空いたので足元の青草をかがみこんで食べていると、木々の隙間から一羽の青い鳥が舞い降りてきました。 

「やあおはよう! 今日から君も森の仲間なんだね。僕はオオルリのアミィ。この美しい青い羽根でみんなに幸運を呼び込むんだよ。……君の鼻はゾウとしては個性的だけど、そもそも僕には鼻自体がないんだよね」

 と言いながら彼女の足元に降り、照れ笑いをした後、

「君に心ない言葉を浴びせる奴がいたらすぐに僕に言うんだよ。死んだほうがまし、と思うぐらいの罰を与えてやるんだから」

 と羽を大きく広げて怖い顔をした後、再び笑顔になって

「ほら、お友達が何か持ってきてくれたよ」

 アミィの言葉に驚いているルニが後ろを振り向くと、クラージュとエスポールが両手にやまほどドングリを抱えてやってきました。

「おはようルニ。よく眠れた?」

「このドングリは甘くておいしいんだ。全部食べちゃいな」

「……ありがとう」

 ルニは感謝してドングリを食べはじめました。が、普通のゾウのように鼻を使って食べることが出来ません。前足を広げてかがんで直接口から食べるのです。

「鼻がないと不便そうだなぁ。でも、ほかのみんなは長い鼻なんか持ってないんだよね」

 アミィが腕組みをして考え込むと、エスポールが言います。

「こうやって食べられるから何の問題もないんじゃないの?」

「……ゾウは悪い虫が肌につかないために泥浴びとかするらしい。あと、高いところの果実とかも鼻で取るんだよ」

 クラージュが手を使ってジェスチャーします。

「私……鼻がないからいじめられて、群れからお母さんと一緒に逃げたの」

 ルニがか細い声で言いました。途端に二匹と一羽は怒りだしました。

「そんなバカなこと! 鼻がなくてなにが悪いの!」

「鼻がないのはルニのせいじゃないだろうよ!」

「ゾウってのはくだらない連中だな。見損なったぜ!」

 ルニは産まれて初めて他人が自分の鼻のことを馬鹿にしないで、それどころかかばって怒ってくれる言葉を聞きました。ルニの両目から思わず涙があふれました。

「ああ、辛かったんだね、よしよし。ルニはとっても可愛いよ」

 エスポールがルニの頭に乗って、頭をさすってくれます。クラージュは

「ルニは鼻がないのはおかしい、と思ってるのかもしれないが、他のみんなを見なよ、誰も長い鼻なんて持ってない。なにもおかしくないんだよ」

 と、言葉を並べてなぐさめます。そうさそうさ、とノシノシやってきたのはウルス一家です。手にはタケノコなど持っています。

「お母さん、ルニはとてもきれいな目をしているね」

 フィーユはルニのまつ毛にそっと触れ、泥を落としてあげました。フィスはタケノコをほおばりながら

「今からバテムの川に遊びに行くからルニも一緒に行こうよ。冷たくて気持ちいいよ」

 と彼が言った瞬間にクラージュとエスポールがフィスの両肩に乗りました。

「ヒャッハーッ! 川だ! 泳ぐぞ!」

 アミィはルニの頭の上にちょこんと停まりました。

「さあ行こう。見てもらいたいものもあるんだよ」

 ウルス一家はくるりと反転し、森の奥へと歩いていきます。ルニもあれよあれよという流れの中で、少し戸惑いながらも一緒に行くことにしました。少し歩くと、タヌキの群れに出会いました。

「見なよルニ。誰も長い鼻じゃないね」

 アミィが言うが早いか、今度は横からウサギが数匹姿を見せました。

「ほら、あいつらは耳は長いけど鼻は短いね」

「本当…だね」

 実はルニも群れで生活している時に他の動物にも会ってはいるのですが、そんなことを全く意識して見てはいなかったのでした。いつもいつも意識していたのは、私には鼻がない、だからいじめられる、ただそれだけでした。

「おっそろそろ森を抜けるね。あっ、イノシシだ」

「あんたにちょっと似てるね。仲良くなればいい」

 とウルスが言いました。そこにやって来たのはイノシシのルサブレでした。

「みなさんこんちは。おっ、新入りさんか? 俺はイノシシのルサブレ!よろしくな!」

「この女の子のゾウさんはルニって言うんだよ。昨日お母さんが病気で亡くなったばかりで大変なんだ。気分転換にバテムの川に行くんだ。お前も来るかい?」

「……ご愁傷さまです。俺のおふくろも去年人間に撃たれて死んじゃいました。とても悲しいけど、前向くしかないから。俺も一緒に川に行っていい?」

 ルニの胸が痛みました。同じように母親が死んで苦しんでいるんだ、このイノシシさんも。

「よかったら一緒にいきましょう」

 ルサブレはにっこりと笑ってルニの横に並びました。いよう、とクラージュが声をかけました。一行はミアの森を抜け、大きく広がる草原を進みます。ルニは嫌な予感がしました。もしかしたら抜けたゾウの群れに会うかも……と。しかし、見渡す限りには青々とした草原が広がるのみです。アミィが羽ばたいて空に舞い上がり、周りの様子を観察します。

「大丈夫だ、腐れ人間どもはどこにも見当たらない。そして……」

 ニヤっと笑って続けました。

「ゾウもどこにもいない」

「もう二度と会わなくていいんだよ。だいたいゾウはゾウだけで暮らしてるから狭い価値観しか持ってないんだよ」

 とウルスがいうと、エスポールが畳みかけるように続けます。

「そうよそうよ。鼻がないからなんなのよ。ルニはとっても可愛いわ。いいこと、ルニ。昨日までの考えは捨ててしまうのよ。あなたのまま、あなたらしく生きればいいの。困ったときは誰かを頼りにすればいいだけ」

 ルニにはまだ二人の言うことがはっきりとは分かりません。だけれども、今周りにいるみんなは私のことを肯定してくれている、ということだけははっきり分かりました。私はこれでいいんだ、という。

「着いた!」

 とフィスが叫びました。バテムの川はとても大きな川で、向こう岸まで100mはありそうです。そして、ルニの目に入ってきたのは、川辺にたむろするサイの群れでした。

「鼻はないけどツノはあるねぇ。みんな違うね。そしてそれが当たり前なんだよね」

 と、クラージュが振り向いてルニに言います。

「みんな違うのが当たり前」

「違うからと言ってバカにしていいのなら、俺たちはゾウの群れを鼻の長い気持ち悪い奴ら、と言うこともできるよ。でもそんなことに何の意味がある。そんなことはしなくていいんだ」

 アミィはルニの頭に舞い戻って力強く言いました。鳥一羽、リス二匹、クマ三頭、イノシシ一頭、ゾウ一頭はみんな仲良く水浴びを始めました。冷たい川の流れはなだらかに区別なく彼らを包み込み、その恵みを惜しみなく与えます。ルニは川の水に優しく包まれながら、母を失い傷ついた心を癒し、自分を認めるんだ、と何度も自分に言い聞かせました。鼻がなくても間違ってなんかない、お母さんの言う通り、勇気を持って生きるぞ。ルニは力強く、わあぁっと叫び声を上げました。その大きな声は四方に響き渡りました。

「いいぞルニ! その意気だ!」

 つられてルサブレも咆哮しました。クラージュもフィスも両手を挙げて叫びました。きっと、ルニは大丈夫だ。ウルスは目を細めて、その光景を見つめているのでした。終

 

 

 

 

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鼻のないゾウ、ルニ 平山文人 @fumito_hirayama

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