第5話 夏の終わりに
名前も姿も、おそらく、ついさっきまで行動を共にし、会話していたことさえも、悪夢とは言い難い彼……。
32年前に死んだ生徒が、さっきまで、ここに私たちといた。
*
「東っ、ここ、絶対にヤバいっ! 逃げなきゃ!」
私は東の手を引っ張ると、図書室の扉を開いた。その瞬間、焼け爛れた霊が怒涛のように、二階の階段から廊下に流れ込んできた。それは、まるで人の姿をすりおろしてできた赤い川のようだった。
熱い、苦しい、早く逃げたい!
耳を削ぎ落とされそうな悲鳴。燃えるような苦悶の声に、私は東と一緒に頭を抱えて嗚咽した。私たちの体が溶けてゆく。
……が、その時、
赤い流れが突然、白い光に遮られたのだ。
『3年生はあっち! 2年生はこちらへ来なさいっ!』
その声が響いた瞬間に、凄まじい力で空気が逆流した。白い光が手前に見えた。目を凝らして視ると、職員室の方向にぼうっと白い顔が浮かび上がっている。
その目が私たちを『こちらへ来い!』と誘っていた。
「東、もう諦めよう。これはきっと馬鹿な遊びをしてしまった私たちへの罰なのよ」
きっと、このまま間引かれて、私たちも浮かばれない霊の一人になってしまうのだ。私は夢遊病者のように、東の手を取ったまま前へ進み出た。その時、白い手が私の体を強い力で突き飛ばした。
*
気がつけば、私と東は真っ暗な校庭にいた。
北校舎は暗闇の中に変わらぬ姿で建っていた。今までのことは悪夢だったのだろうか。けれども、たまえの姿がどこにも見えない。
音楽室からかすかに響いてくる
* *
皆が去った後に、
もう一緒に行きましょう。と、先生は言って、俺の手を引いてくれた。
弔い明けが来た後は、誰もあなたを思い出してはくれないから。あなたを癒す人はいなくなるからと。
けれども、俺はまだここにいる。だって、まだ、助けてやれていないんだ。
大好きだった、あの娘を……。俺は……。
* *
三崎たまえの家が全焼した事を聞いたのは、私 ― 村上規子 ―と、東和彦が、肝だめしをリタイアして家に帰った後のことだった。逃げた家族のうち、たまえだけが、焼死体で発見された。たまえは、私たちに黙って、榊隼人と北校舎を抜け出して自宅に戻り、火事の災難にあったのだろうか。あの日のことは、私には未だによく分からない。
東は、あの夜から姿を現していない。聞いた話には強度のうつ病を発症し、今は日常生活にも支障をきたしているらしい。
昨夜、もう一件、訃報を聞いた。”肝だめし委員会”のメンバーの一人が、自宅マンションの11階のベランダから投身自殺をしたそうだ。北校舎で撮った写真を送った私の同級生だった。
一週間後に、たまえと同級生の分も合わせて、32年前の火災事故の最後の法要が行われた。
私も献花台に花を供えて彼らの冥福を祈った。
弔い明けの夏が終わる。
けれども、私は来年もさ来年もその先も、ずっと、彼らの墓前に花を供え続けるつもりだ。
それが、私をこの世に返してくれた彼らへの弔いになると思うから。
【弔い明けの夏】 ― 完 ―
〖後書き〗
次の話はこの第5話の別バージョンです。
ラストだけが少し違っています。どちらが好きかは読んでくださった方の好みです。怖さは別Verの方が少しあるのかな~。ぜひ、次話も楽しんでいただければ幸いです。
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