第3話師匠との出会い
剣を振るうのは、想像していたよりもずっと難しかった。
「腕だけで振るな。腰を使え、腰を!」
父のゼイクリードが低く叱責する。
俺は、汗をぬぐう暇もなく木剣を振り続けていた。魔力測定の日から数年が経ち、俺は5歳になった。あの日から厳しい訓練が続いている。午前は魔力制御の訓練、午後はこうして剣術の訓練。5歳児にしてはハードスケジュールだが、文句は言わない。
(これが、強くなるってことだ……!)
疲労で足が震えるが、決して手は止めない。魔術の才能は確かにある。それでも、父は「剣も学べ」と言った。理由は明白だ。近接戦ができる魔術師は、それだけで脅威となるからだ。
「……よし、今日はここまでにしておこう」
ようやく父の声が掛かると、俺はその場にへたりこんだ。
「ふむ……根性はある。だが、まだまだ体が追いついておらん。レオン、お前は確かに魔力の才能に恵まれているが、剣は努力の道だ。忍耐がすべてだと心得よ」
父はそう言って、俺の頭をぐしゃっと撫でた。
「うん……ありがとう、父さん」
「ふっ、礼などいらん。お前が強くなるのは我が家の誇りだ。そして、安心しろレオン。お前には間違いなく才能がある。その数年で劇的に成長しているのがその証拠だ。」
父が優しい言葉をかけてくれる。
父は1ヶ月の中で数日しか領土に帰ってこない。軍務卿としての務めが山積みであり、領地に滞在できるのは限られた期間だという。
「レオン。今後はお前自身の意志と努力にかかっている。無理はするな……だが怠るなよ」
父は旅支度を終えた後、そう告げて馬車に乗り込んだ。
(父さん……俺、頑張るから)
そう心の中で誓った。
*
父がいなくなってからも、訓練は続けられた。だが、大人の剣術指南役はまだ与えられておらず、日々は自主訓練が中心だった。
「坊ちゃま、あまり無理なさらないでくださいね……」
クラリッサはそう言いながら、俺の汗を拭いてくれる。けれど俺の心には、焦りがあった。
(このままじゃ、限界がある。父の言う通り、独学じゃ身につかない)
そんなある日——
俺は、ひとりで森へ足を踏み入れた。
*
アルディスハイヴ領の東に広がる森。その一角には、かつて修道士や隠者が住まう静かな場所があり、今ではほとんど誰も訪れないと言われていた。
「……誰にも見つからずに鍛錬できる場所があれば」
そんな軽い気持ちで足を踏み入れた森の中で、俺は“それ”に出会った。
「ほう、こんな場所に童が1人で現れるとはな。」
低く、くぐもった声が響いた。
振り返ると、ボロボロのローブを纏った白髪の老人が、斜めに腰掛けた切株の上からこちらを見ていた。
「……誰?」
「こちらの台詞だ。まさかお主のような童がこんな森の奥に入り込むとはな……ふむ、ただの子供じゃないな。立ち方が違う」
(この人……只者じゃない?)
そう感じたのは、本能だった。前世でも直感にはそれなりに自信があったが、この世界に来てからその感覚はさらに研ぎ澄まされている。
「俺は、レオンハルト・フォン・アルディスハイヴ。修行してるんだ。貴方は?」
「……アルディスハイヴ、だと?」
老人の目が細くなった。
「ゼイクリードの子か。なるほどな。あやつにしては、なかなか可愛げのある子が産まれたようじゃな。ふむ、確かに彼奴に似た銀髪にアリシア嬢の翡翠の瞳、よく見れば面影がある。」
「父さんを、知ってるの?」
「ああ。もちろんだとも。お主の父親は儂の“弟子”だったからのう。」
俺の中で、何かが弾けた。
(……弟子!? ってことは、この人……!)
老人はごそごそとローブの中から一本の木剣を取り出した。そして、目にも止まらぬ速さでその剣を振るった。
「——!」
風が唸り、背後の数十本の木が音をたて、地面に落ちた。
「信じられぬか? 儂の名はエルヴァン・グレイハルト。かつて“剣帝”と呼ばれたただの老いぼれじゃ。」
(まさか……まさかこんなに早く”帝”の称号を持っていた存在に出会うなんて!)
目の前の老人は確かに年老いてはいたが、その佇まいはどこか只人ではなかった。むしろ、力を秘めすぎて沈み切っている、深海のような静けさと圧を持っていた。
「興味があるなら、教えてやっても良いぞ。お主にその根性があるのならばな。」
俺は即座に頭を下げた。
「お願いします、エルヴァン様。俺を、鍛えてください!、弟子にしてください!」
「良かろう。儂の事は今後師匠と呼ぶが良い。まさかゼイクリードの倅を弟子にする日がこようとはの。じゃがのう、剣は甘い道では無い。血を流す覚悟はあるか?痛みにもがく勇気はあるか?」
「ある。強くなりたい。……俺は、“何者か”になりたいんだ」
老人の目が細くなり、そのままニヤリと笑った。
「良い目をしている。良かろう。だったら地獄の門を叩いてみるが良い童よ。」
*
こうして俺は、隠遁した元剣帝・エルヴァン=グレイハルトの弟子となった。
誰にも言わず、クラリッサにも内緒で、毎日こっそり森へと通う日々が始まる。表向きは魔力制御と教養の学習、だが裏では、元剣帝から直々に剣術の教えを受けることになるのだ。
俺の運命は、確実に回り始めていた。
森の中の修行は、想像以上に過酷だった。
「腕だけで振るなとは言ったが……腰も足も背も、全てを一つにまとめて振れ。それが“剣”だ」
「っ、はい……!」
エルヴァン師匠の指導は、父のそれとはまた違っていた。無駄が一切ない。動きの一つひとつに、意味と理が通っている。わずか数日のうちに、俺の剣筋は目に見えて変わり始めていた。
だが——
「遅い」
木剣が、容赦なく俺の脇腹を叩く。
「ぐっ……!」
痛みで息が詰まりそうになるが、倒れない。倒れたら、そこで終わりだ。
「剣とはな、命を奪う術だ。それを扱う者にとって、甘さは死に繋がる。お主が扱おうとしている“力”は、その意味をよく理解した上で振るうべきものだ」
師匠の言葉は厳しい。しかし、それ以上に重みがある。かつて剣帝と呼ばれた男の、生き様そのものが、言葉の奥に感じられる。
(強くなる。絶対に……!)
俺は歯を食いしばり、何度でも立ち上がった。
***
森での修行を始めてから、2年の月日が流れ、俺は7歳になっていた。
表の顔は、貴族の跡取り息子。日々、母や家庭教師の前では魔術の制御や教養の勉学に励む。夜になればクラリッサが絵本を読んでくれたり、普通の生活を送る。
けれど——
心の奥では、日々森の中での修行が脈打っている。
(父さんが言っていた通りだ……才能だけじゃ足りない。剣は“積み重ねるもの”なんだ)
魔術だけに期待していた頃とは違う。剣を握ることで、身体の動き、敵の呼吸、気配すら敏感に感じ取れるようになってきた。何より——
(身体が、変わった)
腕力、持久力、踏み込みの鋭さ。すべてが向上している。以前は使うたびに疲弊していた魔術制御ですら、今はより正確に、より効率的に行えるようになった。師匠は言っていた。
「剣は剣だけにあらず。己を知り、極限まで鍛え、戦いを支配する。それが“本物”だ」
その言葉が、俺の道を定めていった。
***
ある日のこと。
「よし、今日はちと趣向を変えるぞ」
そう言って、師匠は手に“二本目”の木剣を持って現れた。
「……二刀流?」
「違う。今日は実戦形式だ」
師匠が、俺に向かって一本の剣を投げ渡す。
「これから、儂は容赦なくお主を叩く。お主は防ぐなり、避けるなり、好きにせい。ただし——」
その目が、氷のように鋭くなる。
「一太刀でも貰えば、即座に“終わり”じゃ。剣士としても、弟子としても、そこで終了とする」
「……!」
震えが走った。言葉ではなく、魂に突き刺さるような威圧。だが、それと同時に、胸が高鳴っていた。
(これは試練だ)
「覚悟はあるか?」
「あります。お願いします……師匠」
「——良かろう」
師匠が一歩、踏み出した。
地面が揺れたように感じた。
次の瞬間、視界が霞むほどの速さで剣が振るわれた。
「っ——!」
なんとか身を引いて避ける。だが、かすめただけでも風圧が肌を裂く。
(速い! でも、感じる……師匠の動きが、見える!)
考える暇はない。次の一瞬にすべてをかけ、ひたすら避け、弾き、跳ね、そして踏み込む。
(ここだ!)
ほんの一瞬、師匠の重心がわずかにずれる。その隙を突いて、一太刀を——
「——惜しい」
バンッ!
地面に背中を叩きつけられた。師匠の木剣が、俺の喉元にぴたりと当てられていた。
「……っ、く……」
悔しい。でも、不思議と悔いはない。
「ふむ……いい動きだった。あと一年、いや半年鍛えれば、お主は“使える”ようになる」
師匠は、にやりと笑った。
「今後も続けたければ、明日も来い。来なければ、それまでだ」
そう言い残し、木々の間へと消えていく。
俺は、地面に寝転びながら、満天の空を見上げた。
(これが、本気の“剣帝”か……)
だが、まだ終わってはいない。むしろ、始まったばかりだ。
(追いついてみせる。いつか、絶対に)
その夜、俺は夢を見た。
誰かが剣を振っている。血まみれになってもなお立ち上がり、剣を振り続けている。
その姿が、まるで自分の未来のように思えた。
そして、確信した。
——俺は、この道を進む。どれだけ血を流そうとも、絶対に辿り着いてみせる
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