第4話師の背を追いかけて

森の朝は冷たい。


湿った土の匂いと、霧に包まれた木々の隙間から漏れる光が、どこか神聖な空気を纏っていた。俺はその中で、剣を握り、ひと振り、またひと振りと繰り返していた。


「足の運びがまだ甘い。間合いを詰めるときの腰の入れ方、今のじゃ軽すぎる。もう一度だ」


「はい……!」


師匠――エルヴァン・グレイハルトは、今日も変わらず厳しかった。だがその指摘のすべては的確で、わずかでも意識を変えるだけで体の動きが変わるのがわかる。


「強くなるとは、己の無知と未熟を認め続けることじゃ。それができぬ者に、剣は握れん」


俺は、師匠の言葉を胸に刻みながら木剣を振る。


表では魔術と学問、裏では剣術と生身の鍛錬。その両輪が、俺の中で確かな変化をもたらしていた。


ある日のことだった。


「なあ、師匠」


「なんじゃ」


「師匠は……どうして“剣帝”を退いたの?」


ずっと聞けなかった疑問を、ふいに口にしていた。


師匠は焚き火の前で黙っていた。しばらくの沈黙の後、ふう、とひとつ溜息をついて語り始めた。


「儂はな……戦いの天才だった。物心着いた頃から剣を握り、お前の歳で戦場を駆け回り、青年の歳をすぎる頃には儂のことを戦場で知らぬ者は居なくなった。、そして20を過ぎた頃その時の”剣帝”を下し、“剣帝”の称号を得た」


淡々とした語り口だが、その言葉のひとつひとつが重かった。


「だがな……強くなりすぎたのじゃ」


「……強く、なりすぎた?」


「ああ。敵などいなくなった。戦場でも、一騎当千。誰も儂に剣を向けん。敵も味方も、ただの背景になってしまった」


そこには、どこか虚無のような響きがあった。


「ある日、儂は自分の剣に意味を見失った。ただ殺すだけの技、誰も届かぬ境地。……そんなもんに何の価値がある?」


「……」


「だから儂は、“人の剣”を教えることにした。剣とは命を救うためにあると、そう思えるようになったんじゃ。……ゼイクリードも、その一人だった」


「父様が……」


「お主の父は、儂の数少ない弟子の中で最も愚直で、最も真っすぐな男だった。あやつの剣は、人のためにあった。彼奴は我が弟子の中で最も才が無かった。だが努力の才能だけは人一倍あったのじゃ。いつの間にか彼奴は我が弟子達の中でも最上位の存在たる剣聖にまで上り詰めた。」


父の話に思わず聞き入ってしまう。


「話が逸れてしまったのう。まあそんなこんなで儂は人に剣を教えることで人を取り戻していった。」


焚き火の炎が揺れる。


そこには、ただの老剣士がいた。かつて“帝”と呼ばれた男は、戦いの虚無の果てに辿り着いた、人の剣を伝える者へと変わっていたのだ。


「そして決戦の時はきたのじゃ。儂の弟子の中で、最も強かった男がおった。そやつに決闘を挑まれ、儂は敗北したのじゃ。」


ふと、師匠を俺は見た。その眼には懐かしさが浮かんでいた。師匠がこちらを見つめてくる。


「お主を見ていると、かつてのワシを思い出す。剣に取り憑かれ、答えを求め、前だけを見て走る姿じゃ」


「……それは悪いことですか?」


「否。それは、必要なことじゃ。だがな、忘れるな。剣を握る意味は、いつも自分で選ばねばならん。それができぬ者は、いつか自分を見失う」


その言葉は、まるで未来の自分への警告のように響いた。


「……うん。忘れない」


「よし。それでこそ、弟子よ」


そして翌日から、師匠の稽古はさらに過酷になった。


刃のような言葉と、地獄のような鍛錬。そのすべてが、俺を削り、そして鍛えていく。


だが不思議と、俺の心は折れなかった。


(これは……俺が選んだ道だ)


幼いながらも、その自覚だけは確かにあった。


***


ある日、屋敷に久しぶりに父が帰ってきた。


「レオン、随分と引き締まったな」


父の視線が、俺の身体と構えを一目見て変化を感じ取っていた。


「魔術の制御も、剣の型も……まるで別人のようだ。誰に習った?」


「最近は自主練習に力を入れているんだ。」


俺はとっさにごまかす。師匠との修行は、まだ誰にも話すつもりはなかった。


「……そうか」


父は深くは追及しなかった。だがその目は、どこか驚きと興味を湛えていた。


「ならば、試してみるか? 私と、一戦」


「いいの!」


剣を交える親子の稽古は、初めてだった。


お互いが木剣を構える。師匠との修行で成長したからこそわかる。父には隙がない。踏み込めばたちまちに負けてしまうだろう。そして沈黙が続く中、ほんの一瞬父に隙が産まれた。


「シッ!!」


俺は地を蹴った。重心を低く保ち、一気に懐へ踏み込む。

空気が裂ける音と共に、鋭く振り抜いた一太刀は、迷いなく父の胴を狙った。


——が、木剣は空を切る。


「甘い!」


父の声と共に、視界が揺れた。

一歩先に、父はすでに移動していた。俺の剣が届く瞬間には、もういない。——読まれていた。


「っぐ!」


直後、左脇腹に重たい衝撃。地面が傾いたように感じた。

だが、倒れない。俺の中の“本能”が叫んでいた。倒れるな、ここで終わるな、と。


「もう一撃!」


身体を捻り、無理矢理に間合いを詰める。

バランスは崩れている。それでも、剣を振る。速く、鋭く、諦めずに。


「……!」


父の眉がわずかに動いた。

さっきとは違う。一手一手に“狙い”がある。闇雲じゃない。師匠に叩き込まれた“崩し”の型、そして“読み”を重ねた一撃。


「ほう……!」


父の剣が初めて大きく振るわれ、受け止めた。

重い。まるで岩にぶつけたかのような反発。だが、俺の手は離れない。ここで退けば、意味がない。


(届く。今なら——!)


俺は、師匠から教わった“崩し”の一手を打ち込んだ。

剣を斜めに滑らせ、わずかな軌道のずれを作る。次の動作を遅らせ、そこへ全身を預けた踏み込みを重ねる。


「ハァッ!」


最後の一撃。木剣の先が、父の肩口へ——


——だが、


「悪くない。だが、まだだ」


父の膝が沈んだ。瞬間、俺の重心が逆に浮かされる。

その隙を見逃すはずもなく、父の剣が下から跳ね上げられた。


「くっ……!」


宙に浮いた身体を捻り、なんとか着地する。だが、膝が震える。

一瞬、視界が揺れた。全力を出し切った身体が、悲鳴を上げている。


「終いだ」


木剣が、静かに俺の喉元に添えられていた。まるで風のような動きだった。


「……負けまし、た。」


「いや、お前の中に“勝ち”が見え始めている。あと一歩で、それを掴める。そういう動きだったぞ、レオン」


父の言葉に、胸が熱くなる。だが、それ以上に——


(悔しい……!)


あの一手、届くはずだった。あの一太刀で、俺は父の余裕を崩せると思った。


「くやしいな……!」


歯を噛み締め、膝をつく。けれど、父は微笑んでいた。


「悔しさは力になる。その気持ちを忘れるな、レオン」


俺は、こくりとうなずいた。悔しさは、次への糧だ。そして、あの背中に、もう一度挑むための理由にもなる。



「やっぱり父上は強いね」

それでも父が強い事には変わりなかった。

勝てるビジョンが浮かばない。

師匠との修行で強くなった自信も自覚もあった。だけど、父の背も、師匠の背も未だ見えてこないほどに遠い。

父と戦ってなにかが吹っ切れた気がする。



***


森の稽古場に戻ると、師匠は俺の様子を見てニヤリと笑った。


「ゼイクリードと打ち合ったようじゃのう。」


「……どうして分かるのですか?」


「お主の気配が、一段と冴えておる。あやつの剣はそういう剣だ。相手に“問う”剣だ。――己の信念を、試されるのじゃ」


(父様の剣……)


「だが、ようやく始まりじゃ」


師匠はそう言って、俺に新たな課題を与えた。


「魔力を込めた剣技、“魔剣”の基礎を教える。身体と魔力を一体化させ、剣に通す技術だ。これを扱える者は少ない。だが、お主には向いておる」


師匠の言葉に俺は胸を踊らせた。魔剣見るからにかっこよく、強そうな言葉だ。今まで文字通り血反吐を吐いた甲斐があったというものだ。

期待に胸を膨らませ、明日からの修行に向けて俺は眠りについた。

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