第4話

第4章


4.黒く、昏い夜。


 杜坂高校2-Aには『姫』がいる。

 入学当初から目立っていた、わがまま姫。

 口を開けば傲慢と我儘。しかして立ち姿は華麗にして美麗。

 気に入らない事には不平不満。しかして文武両道。非になるところは、やっぱりひとつだけ。彼女の内面――


「けんたろー?お弁当一緒に食べよ?」


「ああ……いいよ。一緒に食べようか柿音」


 ある昼休み。

 教室が静まり返る。あの傍若無人の姫君が、普通の学生のような会話をしている。

 しかも相手はほぼ一月前にやって来た転校生である。転校して早々、彼女の怒りの琴線に触れてしまったと思っていたクラス中の視線を一身に浴びる二人。


「なになに?名前呼びなんだけどあの二人!?」

「姫君のバイト先と転校生の下宿先が同じな事は、姫君の口から語られてはいるが……」

「あの後確か、姫君もバイト先に下宿したんだってさ!バイト先と帰る先同じだと便利じゃないかって言って……って、店長さんが教えてくれたぞ」

「姫君の逆鱗に触れてから何があったんだ一体!?」


 クラス中が、新しく降って湧いた色恋沙汰が始まりそうな予感に色めき立つ。

 実際は始まる前に決まっていたというか。堅太郎自体に問題があって、色恋にはならなかったのではあるが。


「やっぱり目立つね」


「目立って噂になってくれた方が良いわよ。告白避けよ告白避け」


「酷いなあ。柿音は人をなんだと思ってるんだ?」


 言葉では嘆いているが、おそらく本気で嘆いてはいないだろうと、柿音は察する。

 肩をすくめて見せる相手は既に超然とした存在である事は、この際指摘できないので放っておく。


「なあなあ古原!!お前、姫君と付き合う気なのか!?」


 蛮勇、ここに極まる。

 しかも哀れ哉、ここは姫君の御前であると云うのに。


「ちょっと貴方?」


「は、はいっ!?」


 柿音の張り付けたような笑顔。

 姫君本人がいない所ならまだしも、本人の目の前で行われた目に余る愚行に、姫自らが天誅を下す。

 

「せっかくのお昼ご飯、静かに食べさせてくれないかしら〜?人のプライベートにズカズカ入って来られると気分悪くなるのだけれど〜?」


「グオ……!ずいまぜん…!!」


 愚かな男子生徒のネクタイが姫君殿下によって締められる。姫君の公開処刑を尻目に、2-Aは男子生徒を助ける素振りはなく、いそいそと昼ご飯の準備を進める。


「まあまあ、柿音もそのぐらいで……同じ下宿先になると何かと話す機会も多くなってね。自然と仲良くなっただけで、別にそんな浮ついたことは――」


 堅太郎の言葉は、柿音の剣呑な視線に制されて途切れる。

 ”あなたがそれを言うんじゃないわよ”そんなことを訴えているようだ。


 「……はぁ。ほら、アホな事言ってないで昼ごはん食べなさい昼ご飯。次やったらブン殴るわよ」


「は、はいぃ……」


 厄介者を払い除けて、柿音は席に座り直した。

 

「……ブン殴る、は何というか。実体験もあって冗談に聞こえないなぁ」


「冗談で言ってないもの。その時の私の気分にもよるけど」


 ははは、と笑う堅太郎を無視して、柿音は目の前の弁当に口をつけ始める。


 *


 姫君の評価は変わりつつあった。

 以前より穏やかになった、とか。感謝や謝罪の言葉をちゃんと言うようになった、とか。

 はたまたイジメの現場に遭遇したら真っ向から止めてみせた。カツアゲの現場を目撃してヤンキー達を叩きのめした。だとか。

 

 他人に無関心な現代社会であるというのに、彼女が何やら変わったらしい噂は杜坂高校(もりこー)中を駆け巡った。

 結果。他のクラスの何人かが、姫君の様子を見に来ていたのである。


「暇なの?杜坂高校(ウチ)の生徒どもって」


 食べ終わった弁当箱を包み終わって出入口を盗み見て、柿音は呟く。


「きっと、時間を作ってまで見に来たかったんじゃないかい?もしくは男女問わず君とお近づきになりたい、とか」


「せめて男子は御遠慮願いたいわ〜……うん?」


 怖々(こわごわ)と、同じクラスの女子生徒が近づいてくる。ショートヘアの大人しい女子生徒だ。名前は確か、渡辺江美子。後ろで二人の女子生徒が見守っている。


「あ、あのっ!室崎さん!」


「な、なに?」


「今週どっかで、空いてる時間、あるっ?カ、カラオケとか興味ないっ!?」

 

 遊びのお誘い。ずっと誘われる事が無くなっていたそれに、柿音は軽く面食らう。

 横目で堅太郎を伺うと、優しげな顔をたたえるばかり。"君が決めて良い"と言わんばかりである。


「じ、じゃあ……えっと。週末金曜とかバイト休みだけど……どう?」


「!!!?わ、わ、ど、どうっ!?」


 後ろを振り向くショートヘアの女子生徒。見守る女子達がハンドサインで"OK"と意思表示をしている。


「あ、ありがとう!!楽しみにしてるね!!」


 女子生徒は柿音の手を握って握手してから、見守る女子達の元へ。キャアキャアと女子グループが歓喜の声を上げる。


「……なんで嬉しがってるんだろ。ちょっと前まで怖がってたのに」


「君が変わったからじゃないか」


「そう、かな……私、変わったのかな」


 握られた自分の手を見る。

 彼女の手から流れて来た感情は、表に出ているものと同じ。紛れもなく本物だった。


「――――」


 人の思考を読めるようになった自分に対する不安はあった。

 それは幼い頃から今まで、関わって来た他人が軒並み信用の置けない人間であったがための、柿音が備えてしまった思考の癖のようなもので。


「……誰かが嬉しいと、自分も嬉しくなれるんだ」


 堅太郎だけに聞こえる声で、柿音はそう呟いた。


 *


 週末。カラオケは柿音にとって初めての経験だった。

 食わず嫌いというか、ただ訳もなく騒がしく歌うというのは、ただの馬鹿どもの馬鹿騒ぎに使っているだけだと思ったものだが。


 柿音は熱唱した。


 カラオケ独特の空気にあてられて。

 自分は歌えないと思っていたのだが。歌いやすいかなという誰でも知ってるような曲を歌ってみたら、思ったより具合が良い。

 カラオケの食事メニューを堪能しながらの二曲目以降も、盛り上げる側も合わせて合いの手を入れるなど、隙なく騒いでいた。不快な騒がしさではなく、どこか居心地の良い騒がしさだった。

 少なくとも柿音にとっては、初めての学生らしい放課後を過ごしたと言えるだろう。


 *


 青春の宴は日が没した直後まで続いた。

 カラオケからハシゴしてファミレスに移動し、色々な話をして駄弁る。

 話の話題はもっぱら柿音の話題。むしろ、そっちが本題なのでは?というほどに、古原堅太郎との現在について聞かれた時は、柿音はカラオケで高揚していた気持ちが少し萎えたりしたが。

 それでも柿音は、この時間は悪くないと思ったのだ。


 *


 柿音は三人とは別れて、『くれのあ』への道をショートカットする為、家屋やビルの屋根を駆ける。

 屋根を駆けながら柿音は、こんな放課後を自分は彼女達とあと、何度できるのだろう。そんな考えが湧いて出る。

 自分は不老不死で、普通の人間の生活を送れなくなった。恐らく、同窓会とかも行けないのだろうとも思う。

 そうしたら彼女達とは学生時代まで――後ニ年も無い期間しか共にいれないという事になる。


「……もっと早く誘いを受けていればなぁ」


 所詮は、もうあり得ないif(イフ)の話。

 彼女が半屍人と化した時に、決定づけられてしまった別れ。もし定命であったとしても、長い付き合いになるかどうかも分からない。

 新しい場所で新しい友人を手にするかもしれない。

 それが遅いか早いだけの問題だ。


「大事に過ごそう。今までよりもずっと」


 生者だった頃に見せた事のない笑みを浮かべて、彼女は空を駆けて帰路に着く。


 *


 帰宅後速攻で黒いランニングウェアに着替えて、再び空を駆ける。

 堅太郎と連絡を取り合い、担当エリアを半分に割ってパトロールを行うのが、最近の彼等の方針だった。


 そして、鳴子が鳴る。


 彼女の永い夜が幕を開ける――


 *


 鳴子を頼りに屍人を探す。

 やがて見つけたのは、屍人が隠れ住みそうな廃屋(はいおく)だった。

 住民が亡くなってどれほど経ったであろうその廃屋は、家主が亡くなって以来誰からも咎められずに解体業者も動かせずにいる地元の厄介物件であった。町内会で話題に上がるも、未だ解決の目処は立っていない。


「――――」


 柿音は廃屋を一周して、すぐに異変を察知した。

 勝手口の鍵が壊されている。それに……僅かながら、中から物音がする。


 柿音はなるべく勝手口から静かに室内に入る。

 中は荒れ果てて、床がところどころ抜け落ちている。

 物音を立てまいと忍足になるも、老朽化した床はそれを許してくれない。

 床に足をつけた途端に鳴った軋んだ木材の音で、僅かな物音の正体……新たな家屋の主がこちらへ向かってやって来る足音が聞こえる。


 柿音はやってくる存在に向かって身構える――


「ほう。半屍人の送魂師とは珍しい」


 ――そして仰天する。

 知恵を持つ個体の目撃例がある事は分かっていた。

 ただ、いざ自分が出くわすと驚きが勝る。目の前の屍人は確かに人の言葉を流暢に話す……!


「それも随分若いな。しかも、なってから日が浅い……惜しい。生きていれば食べ頃であったろうに」


 低く底冷えのする声で、恐ろしい事を言ってくる知恵ある屍人。天井に擦れそうな程の背丈。黒髪で、黒コートに身を包み、黒装束に身を包んだ相手――堅太郎から事前に言われていた識別名は……


「生憎、貴方みたいな人タイプじゃないわ。『白虎』」


「……フン。生前はよく言われたよ。女が寄り付かなくてなあ……あぁ後、その識別名は気に入っている。四獣の一柱の名前を拝命するとは光栄だ。まぁ適当につけただけかもしれんが」


「どっちでも良いじゃない。どうせ退治されるんだ、し!」


 不意をついた一撃。

 道術を乗せた脚で相手に向けて飛びかかり、瞬時に間合いを詰めて拳を突き出す。


「威勢がいいな。ますます勿体無い……」


 柿音の拳は屍人の心臓の位置の直前で男の角張った掌で防がれる。冥界で鍛錬された武器(メリケンサック)が、屍人(びゃっこ)の荒れた皮膚を焼く。


「無辜な民衆の一人であったなら、私の呪詛の餌食としても遜色無い美しさを保ったであろう――」


 柿音のもう片方の手が振るわれるが、白虎には届かない。無慈悲に空を切る拳を、軽くもう片方の手で受け止める。

 柿音はそれでも、道術で強化した脚を振るう。しなやかな脚は屍人が羽織るコートを少しだけ汚すだけに留まった。


「だが少々、大人しくしてもらおうか」


 柿音の両の手を片手で鷲掴み、空いてる方の手を屍人は脇腹に落とし込む。


「ぐっ……この――」


 身を捩るのも意味も無い抵抗。


「ごっ――ぶふぅ!?」


 屍人の拳が、柿音の腹を貫く。不幸中の幸いでこれは比喩ではあるが、衝撃で柿音の内臓と肋骨が体内で砕け散る。


 メシッ。ミシッ。ボキッ。

 

「あ、ぎ……ッ!!?」


 ボギッ。グシャッ。

 

 握られていた掌も、屍人の手によって潰される。

 解放された柿音は、色褪せた畳の上で力を失った手のひらを見る。

 ひしゃげた指。薄くなった掌(てのひら)。屍人を殴ってもいないのに赤くなっている手は、もはや今宵、拳を作ることは出来なそうであった。


「ゲッホ!ッゴホ!ハァッ…! この、やろう……」


「あぁ……半屍人はまだ喋れるのだったな。まあ良い――


――屍人にする欲求を、今日は既に満たした」


 言い残して屍人(びゃっこ)は家屋を後にする。

 後で分かったことだが、彼は街にいくつもの拠点を持っており、人目を避けながら移動を繰り返していたのだ。


「待てっての……!……え」


 柿音は目の前の、開け放たれた襖の隙間から覗く目を見る。

 それはよく見知った顔で。続いて、もう一人。いや、もう一体。


「……あ」


 なぜ、この家屋に入り込んでしまったのか。


 それは今重要ではなく


 つい数時間前まで、放課後の宴に興じていた相手が、赤黒い目でこちらを見ていた。


 *


「どう、して……」


 二体の屍人は、人間から別の存在になりたてなのを確かめるように、ゆっくり、ゆっくりと歩いていく。


 柿音の疑問にも無反応のまま、生者のいる屋外へと移動している。


「ッ!! ダメ!!」


 柿音は歩く二体の屍人の脚を、自分の足に引っ掛けて転倒させる。

 次に二体の足にしがみつく。

 二体の屍人は、唸りながら柿音を力ばった手のひらの爪で引っ掻く。


 "何とかして、堅太郎に連絡しないと……!!


 柿音は自分の懐からスマホを取り出そうとして、一体の屍人に逃げられる。

 慌てた柿音だが、どうやら相手はこちらを敵と認識したようで、屋外に行かずに垣根を睨みつけている。


 "それならそれで好都合…! 私に気を取られているなら、その間に……"


 潰された手で、痛みに耐えながらスマホを操作する。二体の屍人は柿音に交互に襲いかかる。攻防の末、堅太郎に繋がる電話。手にも持たずに堅太郎に叫ぶ。


「堅太郎ッ!?すぐに四丁目5-11の廃屋に来て!!言ってた屍人も見つけた!まだ近くにいると思う!!後……屍人にされた人がいるんだけど、私、手がやられて……! とにかく来て!!」


 屍人の足が柿音のスマホを蹴飛ばした。

 連絡が絶たれた柿音は、一体の屍人の足を掴み押し倒す。それを見たもう一体の屍人が襲いかかる……

 これを何度も繰り返した柿音。内側のダメージも深刻だが何よりこぶしが握れずにいるために、彼女達を救えない事が、何よりももどかしかった。

 

 「……私、おかしいのかな」


 つい数時間前まで共にいた、友人になっていたかもしれない相手に。屍人と化してしまったとはいえ心臓を潰してしまおうと考えられてしまうのは。


 普通の人間だったら迷うだろうか。

 相手が親友だったら迷うだろうか。

 幼い子供だったら迷うだろうか。

 もし迷えなくなっているのだとしたら、柿音(じぶん)はやっぱりどうにかしていると思う。


 半屍人になったから?

 それとも、両親が死んだあの時から?

 他人を寄せ付けなくなってから?


 考えはまとまらない。

 そして、ほんの一時ですら戦場は油断を許しはしない。


「――!?しまっ…!」


 獣性が優先される屍人にとって、格好の餌食である。

 一体が組みつき、もう一体も折り重なるように覆い被さる。

 黑く変じた瞳が、柿音を刺す。

 憎悪。憎悪。憎悪。

 生者を理由(わけ)なく恨む瞳。

 非業の死を遂げて、ひたすらに生者を恨まんとする眼(め)。


 「うう……ッ!!ごめん!!」


 謝りながら柿音は屍人の腹を脚で蹴り、押しのける。

 柿音は身体ごと転がり、二体の屍人から距離を取る。


 後どれくらい耐えれば良いのか。

 それとも自分が……?いや、流石に潰された掌で拳は握れない。武器もまともに扱えないだろう。

 ならばと柿音はゆっくりと、屍人との位置を扉を背にするかたちにしていく。


 使えない両手は、体制を崩して起き上がる時に使えないのも不便極まりない。

 故に先程のように倒されるのは、回避しなければならない。


 屍人を誘い、回避。

 二体の屍人は、再び交互に襲いかかる。

 急に二体同時に掴み掛かられる事はあっても、転ばないように柿音は耐え続けた。


「ハッ…ハァッ……!!堅太郎…!!まだなの……!?」


 柿音の声に呼ばれたように、にわかに屋外が騒がしくなってくる。


「柿音ッ!!」


 勝手口が開かれる音と、堅太郎の呼びかける声に、柿音は安堵する。

 それを見透かしたように一体が襲いかかるが、柿音は余裕を持って回避出来た。


「柿音。……彼女達は」


「うん。今日カラオケに行ったばかりの……手伝って。私の手、こんなだから」


 ひしゃげた手を、堅太郎に向けて突き出す。


「それでも、私が終わらせてあげたいの。いい?」


「ああ。分かった」


  堅太郎は人差し指と中指を両の手共に揃えて、


「『縛(ばく)』」


 道術を二体の屍人に向けて発動させる。


「ンギィっ!?」「ゥギュッ!!」


 見えない何かに縛られたようにして、二体の屍人は両腕を身体に吸い付いて離れない。足の自由も効かずに、その場に倒れ伏す。


「ありがとう……短刀(これ)借りるね」


 柿音は痛みに耐えながら、堅太郎の懐に刺してある短刀を引き抜いて、屍人となってしまった二人の――友人となるはずだった少女達を見やる。


「……カラオケ、楽しかったよ……バイバイ」


 (暗転。刺す音、2回。)


 動かなくなる屍人。それぞれの額に人型を張り付ける。

 『井上麻友』『松原彩子』。それぞれの名前が浮かび上がる。

 柿音は魂が封じられたそれを、いつも以上に大事そうに持つ。


 「……柿音」


 彼女を気遣い堅太郎が声をかけた

 ――という訳ではなかった。残念ながら。


 鳴子は鳴っていない。ただ、啜り泣くような声が聞こえてくる。

 堅太郎は声を頼りに、聞こえてくる方向を探った。


 不意に開け放たれる押し入れの扉。


 「ヒィッ…!!」


 埃が溜まっているその中に、一人の少女が蹲っていた。

 柿音に声をかけた大人し目の女子。渡辺江美子が押し入れの中に声を殺して潜んでいたのだ。


 「渡辺さん?」


 心配そうに呼びかける柿音。

 

 「人殺し――!!」

 

 それを、渡辺の怒りと非難に満ちた声で変えされる。


 「も、も、もう警察呼んじゃったから!あなたたちはもう終わりだ!わ、私を殺しても、い、意味なんて無いんだから!」


 立ち上がれないのだろう。渡辺は震える声で、大きな誤解を抱えたまま二人に叫び続ける。


 「……『眠(みん)』」


 言魂に意味を乗せた道術。向けた指先から常人には不可視の光線が走る。頭に当たったソレが、渡辺の意識を遠のかせた。


「柿音。彼女の屍人と出会った記憶を書き換えるよ……良いね?」


「……うん。お願い」


 堅太郎はあらゆる魂道術に精通している。

 屍人を捕縛するのに使う捕縛ノ印。そして今回使う忘却ノ印、記換ノ印。長い時間の中で、その他の魂道術も習得している。

 柿音は基本的な、身体の強化に使う強ノ印しか使えないため"屍人と殴り合うしか芸が無い"と戦闘訓練の師匠に言われた事がある。

 

「忘。置換。」


 魂を込めた言葉が、現象となる。

 少女の額に当てた堅太郎の指に、淡い光。

 眠らされた少女の顔から険しさが消えていく。


「……よし。上手くいった……警察にも送魂師の仲間はいるから、後は僕が書き換えた記憶と辻褄を合わせてくれる」


「――――」


 柿音は安堵してから、振り返り屍人と化していた同級生の二人に振り向く。


 もし送魂師になっていなかったら、柿音(じぶん)は彼女達のように屍人化されてしまったのだろうか。

 彼女達のように、無力なまま。

 いや。先程も圧倒的な呪詛と暴力の前に無力なままだった。


 半屍人の影響で、手の痛みは引いたけれど。

 まだ痛みが引いてくれなかったら良かったのにと、柿音(じぶん)は思う。

 

 *


 深夜。送魂師の仕事が終わって、応急処置が施された柿音は、包帯巻きにされた状態で、自分の部屋の布団の上で膝を抱えて座っていた。


 住宅地の合間から見える星空(そら)を見上げる。

 星々は堅太郎と本音をぶつけ合ったあの夜の星の光とは似つかない、燻んだ光に見える。


 何も出来なかった。

 名前付きの屍人相手に、手も足も出なかった。

 力を得たと奢っていた自分に腹が立つ。


 あの時、屍人に変えられた相手が知らない人間だったなら。自分は動揺なんてしなかったのだろう。

 自分は薄情だ。

 昔も今も。

 知らない他人を知ろうとせず、関わろうとせず。

 他人を避けてきたし、寄りつかせなかった。

 相手から誘ってきた時だけ、良い気になって。友達ごっこのような事をして。

 

 屍人になった彼女達を仕留める時、不思議と迷いは無かった。

 自分が名乗り出たのだって、責任を取るフリだったのかもしれない。

 彼女達を屍人にした奴を倒せなかったから、償いたかっただけ。いや。償いにもなっていない、ただの自己満足。


 自分は結局、弱い自分のままで、やれた事なんて一つも無かった。

 今までやった事も、やれる範囲の自己満足であって。

 それで良い気になっていたから、今回の様に倒せない相手に向かっていってしまった。

 本来だったら距離を置いて、素直に応援を呼べば。

 少なくとも、屍人と化した彼女達を柿音自身の武器で苦しみから解放してあげられただろう。

 

 ――悲観に暮れる柿音がいる部屋に、控えめがちなノックの音が二回響いた。


「柿音。入るよ」


 来訪者は堅太郎だった。

 湯気立つコップを持ってきている。


「ココア。少しぬるめにしといたから、飲めたら飲んでみて」


「…いらない」


「今はいらないかもしれないけど、飲む気になったらで良いから」


「――――」


 感謝の言葉も、謝罪の言葉も出てこず、柿音は堅太郎を見つめる。


「……上は喜んでたみたいだよ。情報が正しかった事で、白虎の討伐に期待してる。……主に、僕に対して」


「そ。お荷物だった私に対してはノーコメントって感じ?」


「新入りに冷たいだけだよ。君は十分がんばった。屍人を出そうとせずに、僕を応援に呼んだ。何もしなかったより、ずっとすごい事だ」


「でも……堅太郎が来なかったら私、彼女達を救えもしなかった……」


「少なくとも、彼女達が人を殺す事は阻止出来た」


「――――」


 それでも、増長によって、白虎を逃した事は事実。

 柿音を元気づけようとしている堅太郎には申し訳ないが、柿音は落ち込む事をやめられない。


「ちょうど、明日明後日は休日だ。柿音はゆっくり休んで」


 堅太郎は柿音に背を向けて立ち去ろうとする。

 ドアノブに手をかけて振り返るが、何も返答がない事を認めると、扉の向こうへ消えていく。


 柿音はベットに横になる。


「……時間があったら、色々考えちゃうんだけどな」


 呟きは、日が落ち切った寒々しい部屋に溶けていく。


 夜明けは、まだ遠い。

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