第3話
第3章
第3章 初陣、それから。
修行とは名ばかりの拷問に似た、スパルタ指導が始まって一ヶ月。
屍人退治という名のパトロールに付き合ったりして早3日。日に数体見かけたら良い方、見かけない日もあった訳だが。
本日はそれらが前菜と思うほどのメインディッシュ。
山と山の間を縫うようにして移動を繰り返して、山中の廃墟ビルに、屍人が目撃されたという情報が入ったらしい。
「昼勤務の人たちって、もしかして揃いも揃って怠け者?」
ランニングウェアに身を包み前屈による準備運動をしながら、隣にいる、この一ヶ月、室崎柿音が根を上げる横で平然と同じトレーニングメニューをこなしていた同居人に軽口を叩く。
「昼の内に見つけてさえいれば、ただの死体として回収できるでしょうに」
「魂の回収が本命の業務だからね昼勤の人達は。それに今回は群れだって噂だから。日光が届かないところまでは入っていけないよ」
「じゃあ、昼の内に戦闘出来る人をけしかければ良いんじゃないの?」
それがね、と溜息をつく古原堅太郎。
「屍人達は絶対に日光が出る場所へはやって来ない。加えて、日光に当たってしまうと魂が飛散して、昼勤務の人の仕事が面倒になる――って事で、昼と夜で仕事が分かれてしまってるわけだ」
「要は仕事上の都合!? はぁーあ。やってられないわねー」
何度かジャンプして、体の調子を見る。
「調子は?」
「絶好調よ!!」
「そうか。……人が人に似た何かを殴るのは、普通躊躇われる事だから、もし迷いだしたら――」
「なによ……散々師匠とスパーリング練習したっつうの」
"練習と本番は違うって言いたかったんだけど……"
困った顔で、目線だけでそんな台詞を告げる堅太郎。
人が人を殴る、という感覚は誰にも慣れるものではない。1ヶ月前には一般人(ふつう)だった彼女は言うまでもないだろうと思っての忠告だったのだが。
「まあ見てなさい。お荷物だなんて言わせない。この1ヶ月の成果を見せてやるんだから!」
ジャージの内ポケットから取り出す、蒼白く光る手のひら台の金属製の文鎮を思わせるそれを、彼女は掌の四本の指に通す。
両手に嵌めた武器(メリケンサック)を、柿音は拳を軽く打ちつけて金属音を鳴らす。
柿音に出来る道術は、魂の力を物理的な力に変える事のみ。故の近接特化(インファイター)形式であった。
「なんというか……それも良く作ってもらえたね……そんな物騒なの」
「そっちの短刀も物騒でしょ?」
「そうだけど……そうなのだけれども……」
何でも、発注された鍛治担当が狂喜乱舞しながら嬉しそうに作ったというのを人伝に聞いていた堅太郎。
送魂師(こちら)側に若い人が入って来るのは嬉しくもあるのだが、新しいことが良いこととは限らない……今日の仕事は、一層気にかけないとと思った堅太郎だった。
「なぁにしてんの古原君!はーやーく!!」
年上だからって敬語を使わなくて良いと言ったのは堅太郎側だったが。一緒にトレーニングをして、共に暮らして来た仲である柿音(かのじょ)に、一抹の不安を覚えるのは錯覚ではないのだろうと思った。
*
堅太郎が先行して、廃墟ビルに侵入する。
昔は何かの宿泊施設だったか。今宵の舞台はあらゆる創作物において戦闘の舞台として多く用いられるであろう場所。かつての日常の舞台は、非日常的舞台として機能する。
「――来たな」
鳴子が2つ分鳴る。
柿音が持っている鳴子には、桃色のリボンがつけられているのは彼女自身の趣味である。
「――――」
「室崎さ」
隣の少女の体が震えているように見え、声をかけようとして。
「私が、やる――!!」(顔グラ、怒りのそれで。)
「室崎さんッ!?」
駿馬の如く、前傾姿勢で走り出した少女は通路の先で身体を出していた屍人の横っ面を。
「お゛っるあ゛ぁあああ!!」
廃ビル中に響く気合の声。続いて痛烈な打撃音。間を置いて屍人が壁に叩きつけられて瓦礫が倒壊する音。
「――――はッ!」
そして彼女は、嗤った。
「あはっ!あははははっ!!あっははははははははははぁっ!!!」
嗤った。嗤った。嗤った。何がそんなに可笑(おか)しいのか。思ったより放物線を描いた屍人がか。勢い余って殴った屍人の首が180度ねじれた事がか。
「あの夜の借りを、ようっやく返せるわ……!!」
否。柿音(かのじょ)は自分を揺るがす存在だった存在を単なる雑魚としてブチ倒せた歓喜(よろこび)。心の底からの狂喜(よろこび)。
一体目がやられた事で、群れの中で動揺が広がっていた。屍人は生者を襲うが、半屍人に対しては自分達の存在を揺るがさない限りは無視するのだが。
「っしゃあ!!どんっどん来いよお!!?」
自分達の存在を乱す目の前の異物に、屍人達は発破をかけるように叫びながら飛びかかった。
*
目の前の光景が信じられないのは、齢百年を超えた半屍人。
自分は戦闘に慣れるまで半年はかかった。
だが彼女の場合は一ヶ月。ほんのひと月の期間で、屍人との戦いに適応する程の戦闘形式(スタイル)を身につけた。
いや、それどころか、彼女は。
「あハッ!数だけ揃えても雑魚は雑魚ねえ!!狩るのが簡単すぎて反吐が出るっつう、の!!」
屍人の胸を拳で突き差しながら、笑みさえ浮かべている。
――屍人との戦いを、楽しんでいる。
「危ない」
別方向から来ている屍人の群れを捌きながら、堅太郎は小さく呟いた。
*
「ん〜!今までの人生のストレス全部解消したぐらい気分良い〜!!」
血塗れの上腕は、黒い衣服では目立たず、武器をはめた掌は赤い。顔には返り血を浴びているが、彼女の顔は不釣り合いに清々しい笑顔だった。
「――――室崎さん、魂の回収は終わった?」
「ああ、うん。もちろんよ」
言って、名前が浮き出た人型をまとめて懐から取り出す柿音。
「初めての仕事だったけど、この作業が一番地味よね〜。どこに吹っ飛んだのか、探すのに苦労したわ」
「そうか」
堅太郎が近づくまで、柿音は相手の表情(かお)を読んでいなかった。
パンッ
「へ――?」
地面に散らばる人型。
呆(ほう)けた様子で、平手を自分の頬に受けた柿音は、自分に起こった事に数刻理解が及ばない。
「送魂師の大前提の一つ。『魂に敬意を払うべし』。君はこの仕事の主軸は、魂の回収である事を分かっているのか?」
「――――」
「屍人化してるとはいえ、相手は元人間だ。戦いを愉しんじゃいけないんだよ」
「――――――」
向き直った貌(かお)は、見たこともないほど冷たい視線。
――次の瞬間には、堅太郎の左頬に拳がめり込んでいた。
「ごおッ!?」
倒れる堅太郎を見下ろす柿音は、どこまでも冷たく。
「……誰の為に強くなったと思ってんの。馬鹿」
暫(しばら)く見下ろしていた柿音は、血に濡れた手で地面に散らばる人型を拾い集め始める。
「やっと、私でもやれるんだって。無力だった私から、ちょっとでも出来るようになったんだって、思いたかっただけなのに」
血染めの手に、涙が落ちる。
「私、間違えちゃったのかなあ……?」
「――――――」
屍人の骸が散乱する廃ビル内で、少女の啜り泣く声が響いていた。
少年は、少女の傍に立つと、その背中に手を――
「触んないでよッ!!」
涙に濡れた手で、少年の手は弾かれた。
「[私なんかより、奥さんの方を気にかける方がいいんでしょっ!?]」
手に集めた人型を、堅太郎の手に押し付けて、柿音は血塗れの廃ビルの廊下を走り去っていく。
古原堅太郎は、手に持った人型を握りそうになって、すんでのところで耐えて、代わりに唇を噛み締めた。
「何やってるんだ僕は……!!」
人型をポケットにしまうと、少女を追いかける。
*
「何してんだろ、何してるんだろう私……!!」
柿音は廃ビルを出て、夜中の山中を走っていた。舗装された道路から、未舗装の道へ。
"昔、僕にも奥さんがいた事があってねぇ……"
話の流れはどうだったか、覚えていないが。
柿音が覚えているのは、その、昔の奥さんとやらの話をした時の顔が、自分もいる時よりもずっと、ずっとずっと幸せそうで。
"……普通の人間だから、当然老衰して亡くなって……魂になっても会いに行った。『私の事はもういいから、あなたは別の人を幸せにしてあげて』なんて言われたけど、それ以来……女性を見ても恋愛感情を抱いた事が無くて……"
「ゔわあ゛ぁああああああ!!」
感情任せに殴りつけた大木が、軋んだ唸りをあげて倒れていく。
「なんで、なんで!!こんなこと思い出してんのよ!!」
倒れた巨木にのしかかり、何度も、何度も殴りつける。
「割り切ったんでしょ!!こんな感情抱いても意味ないって!!満たされないって!!分かってたんでしょ!!なのに、なのになんで!!
なんで止まらないの!!」
地面が割れる。土埃が舞う。
「無力な私から抜け出したのに!!一人でまた生きていくって思っているのに!!
なんで好きになったのが堅太郎なの!!」
巨木に大穴が空いた。
「ハァッ……ハァ――ッ……はは、はははっ……嫌われた……絶対、絶対嫌われた……私、もう戻れない……」
幽鬼の様にゆらり、立ち上がり。振り向いた後ろに。
「――――――あ」
「ハッ…ハァッ……室崎さん」
必死になって走ってきたのか、息は乱れて。木々を掻き分けた為に汚れた肌と服は、少女の暴れっぷりを追ってきたのだろうと悟らせる。
「けん、たろ――いや違、こはら君……」
「――――」
見つめ合う二人。
先に動いたのは、堅太郎。柿音がいる方へと、一歩、また一歩。
柿音(かのじょ)は後ろに下がりたかったけど。追ってきてくれた事に、どう感情を持っていけば良いか分からなくなって。
ただ泣き腫らした目を、相手に向ける事のみ可能だった。
相手の息が触れ合う距離まで近づいて。
――――堅太郎は柿音の肩に触れる。
「――――あぁ」
堅太郎に柿音の記憶が送られてくる。
それは少女が不器用に、年上と分かっても誰かを想うに至った記憶。
「ひ、ぐ……ふぅう!や、やだあ……!」
柿音に堅太郎の記憶が送られてくる。
それは少女に対する憧憬。友として慕う記憶。人格を想う記憶。
触れることで理解し合う、半屍人の二人。
二人は違うところを平行線を辿るように向き合ってきた。交わる事など、有り得るはずがなかった。
「ごめん……室崎さん。僕は君の気持ちに察しがついていた。でも応える事はできないと思ってたんだ。……僕にとって、君は守るべき人間達の中の、一人の女の子だから」
「……うぅ」
腕を跳ね除ける気力は無く、柿音は堅太郎の言葉を聞き続ける。
「君の欲しい言葉じゃないかもしれないけど……僕は君の事を大事に思ってる。僕と同じ咎を背負わせてしまった人間として、一人の女の子として」
「――――」
それは決してロマンスを含まない感情だった。
要は、堅太郎が柿音に抱くのは庇護欲。父親が娘に純粋に向けられる感情。劣情が尽きた彼にとって、それは定命の存在よりも色が濃い。
「……私、私っ、堅太郎の足を引っ張りたくないの、自分がそういう性格だからだって思ってたの。そしたら、奥さんがいたっていうのを聞いてっ!頭の中、グチャグチャになっちゃって!」
嗚咽を漏らしながら話す柿音を、堅太郎は黙って見ている。
「堅太郎の役に立ちたいっ!それに、私が半屍人になったあの夜の鬱憤を晴らしたい!だから戦いだって一生懸命覚えたのっ!今日、やっと、それが、全部叶うって思ってっ!そしたら、そしたらぁっ!!」
「うん、うん……役には立ってた。鬱憤を晴らしたい気持ちも分かる。……さっきの僕は、仕事の上司みたいな怒り方しちゃったんだね。」
忘れてた。と、柿音の頭を右手で撫でる。
「君はまだ高校生の、普通の女の子だった」
「ぐずっ……ひぐぅっ……!」
目の前の堅太郎(ひと)に女性として好きになってもらいたかった悔しさなのか。
形は違えど想ってくれていた事に対する嬉しさなのか。
血と涙で汚れた手と顔を、堅太郎は持っていたハンカチで優しく拭き取った。
*
柿音が倒した大木に、少年少女は座っていた。一方の内面年齢128歳なのは、この際許して欲しい。
第三者から見れば、ボーイミーツガール映画の一場面に見えなくもないのだから。
「どうやら僕は、とんだ暴れ馬に捕まったらしい。倒れた木について、どう言い訳をしたら良いものかなぁ」
「す、すいませんでした……」
暴れて泣いて、堅太郎の隣で柿音は完全に塩らしくなって、膝を抱えて座っていた。
「きっといつかは、腹を割って話す時間が必要だったんだろう。それが今日だったってだけだ。……まぁ、物理的損害は置いておいてだけど。女の子に殴られたのは人生で初めてかもしれない。奥さんにビンタされたことはあるけど」
「だから、悪かったって言ってるじゃない!!」
「謝ったからってすまない事もあるだろう?ことさら暴力なら。」
「ぐっ……やっぱり、私の事嫌いになった?」
「触って確かめてみる?」
「嫌だ、怖いから……」
「相手の事を知るのが怖いか……やっぱり繊細なんだね」
「……初めて言われた。繊細とか……」
言ってから柿音は、そもそも他人に評価されるほど、他人と交流したこともなかったな。と思い直す。
他人を寄せつけない、『姫』という俗称、或いは蔑称をつけられた柿音(じぶん)に、最近唯一深い交流を許された相手。
――少女が初恋をするには、あまりに不相応というか、今後の恋愛に支障が出そうな相手。
「マジで、責任取って欲しい……」
「……僕、君を巻き込んだ責任は存分にとってると思うけど?」
「今までの話の流れで!そっちじゃないの!
わ!か!る!で!しょっ!!?」
「痛い痛い。もう君からのダメージは許容したくないぞ僕は」
つい30分ほど前に殴られた時とは比較にならないほど可愛らしい、包丁で切る時に良く言う、卵を握る様な猫の手でポカポカという擬音が鳴るように殴られる。
「責任か……惚れられた事は一度や二度ではないけど、時間が解決したからなぁ……同じ半屍人に惚れられた事も初めてだ」
「…………ちょっと待った」
「うん?」
堅太郎を嗜めるための攻撃が止む。
「私がまだ高校生だから相手にされないだけで、大人になる年齢になったら……その時にまだ、私があなたの事が大好きだったら……その…」
柿音(かのじょ)らしくなく、だいぶ歯切れの悪い口ぶりで、
「私と、こ、恋人、とか、結婚、とか!真剣に考えてよね!!」
柿音(しょうじょ)らしい、恋をした相手への純粋な願いを。
時代を超えてきた存在に真っ向からぶつけたのだった。
「困った……君に触らなくても本気だと分かる。しかも期限付きか……時間が解決してきた今までとは訳が違うぞ……?」
「どれだけ言い寄られてたのよっ!良いから、約束……は出来ないかもしれないけど!私次第にはなるけど!三年後!覚悟しててよね!!」
これは逃げられない。
堅太郎以上の男に言い寄られたら彼女も考えるかもしれないが、それが無い限り考えるのは堅太郎自身である。
「分かった。それまでお互い、死なないように頑張ろう。
[柿音]」
「ンなッ……!!?」
優勢と思われた情勢が一転した柿音は、突如投下された巨大爆弾に、息切れする金魚の様に口をパクパクさせる。
「どうしたんだい?柿音。君だって、しれっと名前呼びしてただろ?」
いつもの素朴な笑顔が、いたずらめいたものに見える。
「君ばっかりじゃあズルいじゃないか。それに、しばらくは一緒に仕事をするんだから、名前呼びの方が気楽だろ? 柿音?」
「〜〜〜ッ!!堅太郎ぉおお!!」
柿音の声が山の星空に響く。
満点の星々が、二人を祝福しているようだった。
――ここまでが、添石町を守る二人の『送魂師』が後に迷コンビと呼ばれるまでの顛末。
――けれども町に蔓延る、生者への悪意が消えた訳ではなく。
それらが牙を剥くのは、まだまだこれからだ。
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