三幕 蓬莱へ往く
譲と奈緒子に会った翌日の夕方のことである。
涼と圭司、そして夜子の三人は桜木町駅最寄りのダイニングバーに集まっていた。
六原三代子と話をするためであった。
三代子の証言の食い違いは、奈緒子の言葉がきっかけとなって明らかになった。
奈緒子と別れた後、涼と圭司は事務所へ戻り、その内容を改めて夜子へと共有した。
「分かった。明日、六原三代子の所へ行こう」
「屋敷にですか? 門前払いですよ」
「涼ちゃん、そうじゃないよ。正面からいくんじゃない。六原三代子は確実に偽証している。これをネタにして、諸々聞き出すんだよ」
「やり口が探偵とは思えないですね……」
「手段選ぶなとは言わないけれど、目的をはき違えちゃダメだよ。なりふり構わずに真実に手を伸ばす。ね、圭司君?」
夜子はニヤリと笑った。
──そうして、三人は桜木町に集まることになった。
三代子は毎週、桜木町に習い事で通っていることは分かっていた。十和子が殺害された後、警察が事情聴取の中で知り得た情報だった。夜子は、康介からその情報を手に入れた。
今日がその日である。
習い事の終わり際を見計らい、三代子を呼び止める手はずになっていた。
「どうやって声をかけるんですか?」
「正面から声をかければ良いよ。奈緒子さんの話が本当なら、新宿の歌舞伎町、それも区役所前を男と二人で歩いてきたんでしょう? 十中八九、不倫だよ。信一郎さんから不倫調査を頼まれたとでも言いながら、近づくよ」
夜子は楽しげに語る。
実際、楽しいのだろう。
圭司は、自身と出会ってから、見たこともないほどの笑顔を浮かべている夜子に驚いていた。
「私も、出会ってから一番楽しそうにしてる……」
夜子は笑いを堪えながら、カップに口を付けた。
「そういえば、康介君から横やりの仕事があってね。二人にも知っておいて貰いたいんだけれど」
「何の仕事です?」
「人探しだよ。何でも、小さい子供が一人で彷徨っているらしい」
「子供?」
「そ。髪が長くて、古い着物を着ているらしい。ニュースにこそなっていないけれど、ちょっとした話題になっているんだって」
「分かりました、覚えておきます」
涼はそう答えた。
夜子は「ところで」と先ほどまでの様子とは一転し、神妙な面持ちで二人に声をかけた。
「本山啓介の件についても分かったよ」
「本当ですか?」
譲と奈緒子への聞き取りを通じて、刻条家の存在が明るみになった。
金井哲雄は殺害される以前に、刻条家に関する記録を残している。
森下博美は北関東の出張を経た後に命を落としている。出張先で何をしていたかと言えば、刻条家について調査をしていたという。
北関東といえば刻条家のルーツになった場所でもあった。
圭司達は、被害者を繋ぐ鍵として、刻条家に着目した。
二人と同様に、本山啓介も刻条家と何らかの関りを持ったのではないか。
この旨を夜子へ伝えると、彼女は康介を経由して啓介の行動を確認した。
「うん。本山啓介。彼は……殺害される二か月ほど前から、北関東へ頻繁に出張していたことが分かった。新たにデータセンターを建設する計画があって、その土地を見つけるためだったらしいよ」
「やっぱり……」
「北関東に何があったのかは分からない……けれど、事件に関わりがある可能性は高い」
「夜子さんは、その、刻条家について聞いたことは?」
「無いよ。今回が初めて」
刻条家が六原とどう関りを持っているのか。
これから明らかにしていかなければならない。
ただ、進む道は明確になった。
圭司にはそう思えた。
「それと……奈緒子さんの話についてなんだけど。信一郎さんは怯えた様子だったんだね?」
「あ、はい。そうですね。そう言っていました」
「なるほど……そうか。それなら、隠したいのもそうだろうけど──閉じたまま、開けたくなかったのかもしれない」
「夜子さん?」
「何でもないよ……まだいくつか確認しなきゃいけない事はあるかな」
身を乗り出したのは涼だった。
「夜子さん、何か分かったのなら教えて貰ませんか? 六原家が嘘を吐いているって言っていたのも、あれはどういうことですか?」
「まだ言えないよ。いくつか確認しなきゃいけないって言ったでしょう。そもそも犯人だってまだ分かってない」
夜子は圭司を見ながらそう言った。
携帯のアラームが鳴った。
三代子の習い事が終わる時間だった。
「行こう」
夜子はそう言うと席を立つ。
会計を済ませ、三人は外へ出た。
目指す先は桜木町駅の改札前である。
五分もせずに三人は改札前に着く。
「来た」
桜木町駅前には、ランドマークタワーへ続く大きなエスカレータがある。
三人は、三代子がエスカレータを降りて駅へ近づいてくるのを捉えた。
派手な格好であり、遠目にすぐ分かった。齢はもうすぐ五十に届くというが、微塵もその様子は見せていない。
「よし」
夜子の声に応え、三人は走り出す。
「六原三代子さん、ですよね」
声をかけたのは涼だった。
「え、ええ、あなたは……?」
「乃木と申します。探偵をしています。三代子さん、少しお話を伺いたいのですが、お時間はありますか?」
「な、何、あなたに話すことは無いわ。どいて頂戴。さもないと警察を……」
「おっと、待った」
涼の後ろから、夜子が声をかけた。
「何、今度は……子供じゃない」
「私から見たら、あなたの方が子供だよ。まあそれはいいか。六原三代子さん。あなた、不倫しているでしょう?」
「え、な……」
「十一月六日、新宿、歌舞伎町。相手は、六原の会社の社員かな」
「どうして、それを……」
「図星かな? あなたが私達の質問に答えてくれるなら、この話は伏せておきます。そうで無いのなら……」
「……何が望み?」
「ありがとう。六原家のことを少し聞きたくてね。聞いたことを教えてくれたらそれで良いよ」
夜子はそう言いながら笑った。
四人はタクシーを呼び止めると、夜子の事務所へと向かった。
「で、何が聞きたいわけ?」
三代子は、事務所のソファに深く座りながらそう聞いた。
鞄からタバコを取り出し、火をつけようとするが、夜子に制止された。
「ごめんね、禁煙なんだ」
「お堅いわね」
「あなたこそ、物怖じしないね」
「そりゃあ、あんな家に住んでたら、こうもなるわよ。財産に眼がくらんで嫁ぐんじゃなかったわ」
「変わった家だとは思いますけど。そこまでですか?」
「あなた……初城さんっていったっけ。前、うちに来たわよね。分からなかった?」
「排他的な印象は感じましたね」
六原家が外部から嫌われていることは周知の通りだ。
信一郎が家を守るために見せる排他性なのだと、圭司は考えていた。
「……そ。まあ、流石に見ず知らずの人にはあからさまにしないか。あいつら……特に、旦那や直幸は、六原以外の人間を人とすら思っていないわよ。六原にあらずんば人にあらず、ってね」
「極端ですね」
「今でこそ落ち着いたけど、私が嫁に来た時なんてもっと酷かったわよ。異常なのよ、あいつらは」
三代子の話は止まらない。
「私ね、屋敷の中で入っちゃいけない場所があるのよ。信じられる? 仮にも当主の嫁なのよ」
「入れない部屋があるんですか?」
「部屋というか……。初城さん、あなた、屋敷に上がったことがあるのよね」
「ええ……」
「玄関の正面奥に見える扉、あるでしょ。奥庭に繋がっている扉。私はあの扉から先に入ったら駄目なの。あの扉は三坂家の人間か、六原の血を引くものしか開けてはいけない神聖なものらしいわ」
圭司は六原の屋敷を思い出す。
十字の廊下に、奥庭へ続く扉。
「奥庭には、墓があると聞いたことがある」
夜子がそう話す。
「そうね。私も旦那や直幸から聞いた話だけれど、奥庭にはお墓──うちでは廟と呼んでいたけれど──があるらしいわ。この眼で見たことが無いから本当は何があるのか分からないけれど」
「見ようと思ったことは無いの?」
「何度もあったわよ。でも、直幸からは、奥庭に出たら家を出て行って貰うって厳命されていたの。私には学も職歴も無かった。少し人より容姿と愛嬌に恵まれた程度。両親も死んで頼るものもなかったから、あの家を出て行くわけには行かなかったのよ」
それに──と三代子が続ける。
少し、声は震えている。
「あの廟を見た人は、皆、本当に消えたわ」
「物騒な話だね」
「昔ね、使用人を何人か雇っていたの。その内の何人かが好奇心から奥庭を覗いたりしたら……その子が、次の日から職場に来なくなった。連絡も取れなくなってね。以来、会ったこともない」
「まさか……」
「流石に、殺されたなんてことはないわ。その子は元々体調も悪かったし、偶然、その日を境に体調が悪化したのよ。ただ、あの廟は──というより、あの家は──呪われている。そう思わずにはいられないわ」
──幽霊が出るんですよ。
十和子の言葉を思い出す。
「幽霊……」
「ああ、奥庭に出るっていう? 旦那から聞いたことはあるわ。あの人、昔から幽霊が大の苦手だから、考えすぎなんじゃないかなと思ってるけど」
「旦那さんはどんな話を?」
「詳細まで聞けてないけれど……彼は、声が聞こえるって言っていたわね」
声。
それが、幽霊の声だというのか。
「三代子さんは、その声を聞いたことが?」
「私は無いわ。十和子も、屋敷の他の人も聞いたことは無い。聞いたことがあるのは旦那だけよ」
「旦那さんは、いつどんな話を聞いたのですか?」
「十五年前、彼の父親の葬儀の後ね。その後から、旦那は奥庭へ出たがらなくなった。奥庭どころか、屋敷にいるのが嫌になった様子だったわね」
奈緒子が言っていた、信一郎が屋敷にいることを嫌がるという話はここへ繋がっているのか。
彼は、奥庭で聞いた声を恐れ、屋敷を忌避したのか。
「信一郎さんが隠しているものって……」
「──いや、それだけじゃない」
夜子は、圭司の言葉を否定する。
三代子は笑いだす。
「随分と気にするのね」
「私たちにとっては、とても大事なことだからね。あなたは気にならないの?」
「全然。むしろ、馬鹿馬鹿しいとさえ思うわ。私も含めてね」
「どういうこと?」
「私には学も職歴も無いから、あの家にしがみつくしか生きていく術がなかった。でも、あの家の金と力さえあれば全てがどうにかなると思った。けれど、蓋を開けてみたら、屋敷の人間は異常者ばかり。旦那なんていい年して幽霊を恐れる始末よ。馬鹿馬鹿しいったらありゃしないわ。……あーあ。私の人生、どこで間違ったのかしらね。もう終わりよ」
「それはまだ分からないでしょう」
「……そうね、そうかもしれないわね。でも、もう遅いわ。私も、あの竹の中に囚われてしまっているから」
竹の外へ出ることはできないの、と三代子はつぶやく。
「あの家はもう終わり。話題になっていないだけで、系列の会社もいくつか倒産している。取引の打ち切りも多いって聞くわ。旦那と、直幸のお陰でギリギリ保ってはいるけれど──もう、終わりかしらね」
「六原家は、財閥なのでしょう。そんな簡単に……」
「昔の話よ。今はもう……駄目ね」
圭司の問いに、三代子は力無く答えた。
「私からも一つ聞きたいことが」
涼は手を挙げる。
「何?」
「六原の人で、北関東に関りを持つ人はいませんか? もしくは、六原自身が北関東に縁が無いか……」
「北関東? 群馬や栃木よね……そんなところ、誰も……」
三代子は何かを思い出したように涼を見る。
「そういえば、直幸や幸弘達は、たまに群馬へ出張していたわね」
「群馬に?」
「昔、系列会社の支店が群馬にあったのよ。五年前くらいに潰れたはずだけど……彼らは今も、年に一度のペースで群馬へ出かけているわ」
「その、支店以外に、群馬県に六原の施設があるんですか?」
「私が知る限りは、無いわよ。だから、ずっと不思議に思ってたのよね」
涼と圭司は顔を見合わせる。
二人の様子を見た後、今度は夜子が口を開いた。
「私からも良いかな。十和子さんについて聞きたいのだけれど」
「十和子のこと……十和子は、まあ、あの家の中で、我ながら良い子に育てたと思うわ。大概のことには動じなくなったつもりだけど、あんな殺されかたをした時は、流石に応えたけど」
「自慢の娘なんだね。ただ、まあ、聞きたいのはそこじゃないかな」
「何?」
「あなたの娘は本当はどこで殺されたの?」
「……何が言いたいの」
「十和子さんは、屋敷を出た後は家に戻らず、バラバラ死体となって発見された。いわば、屋敷の外で殺された──と、あなた達は言っていたね」
「そうね、それが?」
「私の想定はちょっと違っていてね」
夜子が三代子を見つめる。
「あなたたちは嘘を吐いていたでしょう?」
「何が言いたいわけ?」
三代子は夜子を睨む。
「十和子さんは、屋敷の外じゃなく、屋敷の中で殺されていたんじゃないのかな。つまり、彼女の死体を最初に発見したのはあなた達だ」
*
「言っている意味が分からないわ」と三代子が言った。
「言葉のままだよ。十和子さんは、実際は屋敷の中で殺されていた。つまり、六原の関係者は偽証をしていたんだ」
夜子はそう言った。
三代子は俯いている。
二の句が継げず、押し黙ったままである。
「否定はしないの?」
「……なぜ、私たちが嘘を吐いていると思ったの?」
「怪しいと思った点は二つ。一つは山手で十和子さんの目撃情報が全くなかったこと。もう一つは、十和子さんの鍵が屋敷に残ったままだったこと」
「それがどう繋がるというの?」
「まず、目撃情報が全くなかったこと。山手は閑静で静かな高級住宅街だ。十和子さんが抵抗していたとしたら、その音が聞こえてもおかしくない。その様子は全くなかった。もう一つは十和子さんの鍵が屋敷に置きっぱなしだったことだね。ただ、彼女が鍵を置いたまま屋敷の外へ出るかという点が疑問でね」
「……」
「屋敷の門が一度開閉された記録があるね。誰かが外に出たことは間違いないのだろうけど、鍵の件を考えると、それが十和子さんだとは限らないんじゃないかと思ったわけだよ」
三代子は黙ったまま夜子の話を聞いている。
「十和子さんが鍵も持たずに外に出たというのは考え難い。当然、外へ出て拉致されたという線も無い。十和子さんが屋敷にいながらにして、なぜ、殺されたのか。それは、彼女が屋敷の中で殺されたからじゃないか、と考えたんだ」
夜子は三代子を真っすぐ見つめる。鋭く、有無は言わさないといった様子である。
夜子は、彼女自身が言ったことが真実だと確信している。
あり得ない状況を説明するためには、六原家の人間が嘘を吐いている。
夜子はそう推理している。
三代子はどんな返答をするのだろうか──圭司はそんなことを思っていた。
すると、三代子は、突然顔を覆い泣き出した。
圭司は呆気にとられた。
自身より遥かに年上の人間が、人目も憚らずに泣き始めた事実を、圭司は思ったより冷静に受け止めていた。想定外の事態に、脳が理解を拒んでいるような感覚でもあった。
徐々に三代子の嗚咽が収まっていく。夜子は、彼女にゆっくりと語り始めた。
「私が言った通り、屋敷の中で、十和子さんの死体を見つけたのかな」
「そう……ね。……十和子は、私たちが帰って来た時には既に屋敷の中で殺されていたわ」
圭司と涼は顔を見合わせた。
十和子は外出した際にそのまま姿を消したはずだ。その後、横浜市内の公園で死体となって発見された。
夜子の言う通り、前提が異なっていたのだ。
「涼ちゃん」
涼は返事をしながら、資料を机の上に並べる。
十和子が殺害された事件の時系列と関係者の行動を整理したものだ。
「十一月六日に十和子さんが外出したきり家に帰らず、十一月八日に遺体となって発見されています」
「これが嘘だってことですか?」
「三代子さんの話によればね。ポイントは、八日に遺体が発見されたことじゃなくて、六日に十和子さんが外出したきり家に帰らなかったこと、これが嘘だったってことかな」
夜子は三代子を一瞥する。
「じゃあ、この日の話が全部嘘だったってことですか……?」
それは分からない、と夜子が圭司の言葉を制する。
「……全部ではないわ。私は夕方の十八時頃に帰宅した。友人に口裏合わせて貰ってはいたけど、あなた達の言う通り、男と新宿にいたわ──その点に関して、嘘と言えば嘘だけど。問題はその後ね」
「帰った後に何かがあった?」
「先に、旦那と直幸が帰っていたのよ。二人ともただ事じゃない雰囲気だった。詳しく話を聞いてみると……家の中で、十和子が誰かに殺されていたのよ」
圭司と涼は絶句する。
夜子は──夜子だけは変わらずに、三代子を見つめている。
「その時にご遺体を確認されたのですか?」
「……そ。十和子の遺体は彼女の部屋で寝かされていたの。しかも単に殺されていたわけじゃない。腕や首に、執拗に傷が付けられていた。後で分かったけれど、犯人が死体を解体しようとした後だった」
十和子は六原家の屋敷の中で殺されていた。
あまつさえ、何者かにバラバラにされようとしていたのだ。
「発見時点ではバラバラにはされていなかったわよ。……ただ、その後、屋敷の中から死体が消えた。そして、八日にバラバラ死体となって発見されたの」
「そんな……あり得ないでしょう」と圭司が言う。
そうだ。
あり得ない──圭司は己の言葉を、反芻する。
「信一郎さんと直幸さんの話が本当なら、十和子さんは朝食を終えた午前七時ごろから、彼らが帰宅する午後五時頃までに殺害されていたことになる。時間的に犯行は可能でしょう。ただ──」
「六原家の皆さんはアリバイが証明されています。犯行が可能だったのは、六原の屋敷の中にいた誰か、あるいは外から屋敷に侵入した人物ということになります」
「……屋敷の中に人が残っていたことはあり得ないわ」と三代子が言う。
屋敷のメンテナンスは主に直幸達によって行われている。
十一月六日の朝も、直幸達によって屋敷の掃除など、一通りの家事は行われた。
その中で、怪しい者はいなかったという。
「その、奥庭に潜伏していたとかは無いですか?」
「奥庭……。奥庭には物置に使っている蔵や廟があると聞いているけど、誰もいなかったそうよ。それに、蔵や廟には外から鍵をかけているらしいの。蔵を最後に開けたのは十月の末で……二週間以上前。その時、中には誰もいなかったらしいわ。廟の方はそれこそ、十年以上開けてないはずよ。あれは六原の直系の親族が亡くならない限り開くことはないから」
屋敷の中に誰かが潜伏していたなどありえない、と三代子は言っている。
それに、廟や蔵の鍵が使われた形跡も無かったそうだ。
先に家に戻っていた直幸と信一郎によって屋敷の中は一通り見分されていたそうだが、不審な点は無かったという。
「それなら、外からの侵入者ですか?」
侵入者については二つのケースを考えることが出来る。
一つは六原の関係者が帰ってきて十和子を殺害したケース。
もう一つは、外部犯のケースだ。
六原の屋敷は堅牢な正門に加えて、周囲が竹林に覆われている。街の高台に位置しており、正門以外から侵入することは出来ない。
従って、外部犯は十和子が屋敷に招き入れたという場合のみ成立する。
「自分たちで言うのもあれだけど、私たちが途中で家に帰って十和子を殺したというのは……あり得ないと思うわ」
「三代子さんも? 新宿にいたんでしょう」
「そうね。私は嘘を吐いていたけど……一緒にいた相手に確認を取ってもらっても大丈夫よ。私は、誓って十和子を殺していないわ」
「それは私もそう思うよ」
夜子は三代子に同調する。
十一月六日の動きについて、関係者のアリバイは証明されている。
六原の会社の人間、小田原での目撃証言などで確認が取れている。
彼らが一度自宅に戻って犯行は不可能だ。
残る可能性は外部犯の仕業である。
「正面から招き入れた場合、六原家の監視カメラに残っているはず。……なんだけれども」
「故障しているのでしたっけ」
「……家の監視カメラは数日前から何者かに壊されていたわ。そのせいで、映像のログも残っていない」
「壊されていた?」
「もしそうなら、カメラを壊した人間が怪しいということですよね……」
涼が言う。
六原家の監視カメラの存在を知っていた人間だ。
──圭司は嫌な予感がしていた。
杞憂で終わって欲しいと考えながら、三代子へ尋ねる。
「あの……他の外出していた人の鍵を盗んで使っていたとかは無いですか? 鍵は全て屋敷にあったという風に聞いてますが、数え間違えだったとか……」
「……それもないと思うわ。まず、我々の鍵は全員が全員肌身離さず持っていた。盗まれてはいないの。残るは十和子の鍵だけど、これもキーボックスの中に残っていたわ」
「キーボックス?」
「六原の屋敷で使われている鍵は、全て屋敷内のキーボックスへ納められているの。このキーボックスの開錠は電子式で、開閉の記録も確認できるわ。ボックスの開閉は我々家族で共有しているパスワードを入力することで開くことができるのよ」
「堅牢だね」
「六原の資産管理に関する情報なども多いからよ。他の家よりは多少堅牢なの。正門の開閉についても、記録が残っていて、普段は確認しないんだけどね。今みたいな非常時に備えて、取りつけたものってわけ」
三代子の話によれば、このキーボックスの中に十和子の鍵は納まっていたという。
十和子以外が使っている鍵は屋敷の外へ持ち出されたが、全て屋敷に戻っている。
十和子が、キーボックスを開けた様子は無かった。
また、正門の開閉については、六原家の人間が出かけた記録のほかに、一回だけ正門が開いた記録が残っていた。
その記録は、六原家の人間が、誰も心当たりの無い記録だった。
「十和子もどこかへ出かけようとしていたんだと思うわ」
「鍵も持たずに、ですか」
涼はそう言った。
夜子の話に戻ってしまう。彼女は鍵も持たずに出かけようとしたのか。
夜子は──黙ったままだ。
「あるいは、十和子さんが屋敷の中へ犯人を招いた可能性は?」
「状況的にはその可能性もあり得ると思いますが……、ただ、その場合は最低でも、正門が二階回開閉された記録が残っていないとダメではないですか?」
まず、犯人を屋敷へ招くための一回。
そして、犯人が屋敷を出て行くための一回。
この合計二回が必要だ、と涼は反論する。
「実際には一回しか開閉の記録が無いっていうのが曲者だね」
夜子の話はこうだ。
外部犯が、合理的に十和子を殺害することが出来た状況は二つ。
一つは十和子に屋敷へ招かれ、十和子を殺害し、屋敷へ潜伏し続けているケース。
もう一つは外部の人間が六原の鍵を持っており、十和子を殺害し、屋敷へ潜伏し続けているケースである。
「それだと……」
圭司の脳裏に、葵の母親──京子との会話が思い出される。
京子が見た、見知らぬ鍵の存在。
「夜子さん、三代子さん、涼さん」
圭司は三人に声をかけ、葵の実家で会話した、鍵の件を話した。
「状況だけ見れば……葵さんが怪しいね」
「六原家へ侵入することができ、十和子さんが招く可能性があった友人ってことですよね」
「そうだね。怪しいといえば、怪しい。だけど──」
──正門の開閉記録の件がある。
葵が十和子に招かれたにせよ、鍵を使って侵入したにせよ、玄関は二回開閉されたことが記録されていなければならない。
しかし、六原家の関係者に心当たりがない開閉は一回しか記録されていない。
つまり、葵が仮に犯人である場合、彼女はまだ六原の屋敷内に潜伏し続けている必要がある。
単純だが、絶対的な事実が、葵が犯人だという可能性を否定する。
「もし仮に葵さんが、六原の屋敷の中にいるとしたら……」
「それは……どうだろう」と夜子が答える。
「奥庭蔵や廟は外側からじゃないと鍵がかからないのでしょ? 内側から鍵をかけるのは無理なはずだよ。仮に葵さんが十和子さんを殺害して、物置か廟に潜伏していた場合、外から鍵をかけてもらう必要がある。信一郎さんや直幸さんは屋敷を検めたと言ったけど、廟や物置に異変は無かった」
夜子は三代子へ目配せする。三代子は応えるように頷いた。
「……それに、蔵も、廟も、まだ誰かが隠れているとしたら絶対に気付くはずよ」
信一郎と直幸は廟も物置の中も含めて確認したという。
三代子の言葉を最後に、四人の間に沈黙が下りた。
事態は確かに進展した。
六原家関係者による偽証が明らかになり、十和子は屋敷の外ではなく、屋敷の中で殺されたことが明らかになった。
ただし──その事実は葵が犯人である可能性をより高めるものになった、と圭司は理解していた。
正門の開閉記録の件が、葵を守っている。
しかし、裏を返せば、その一点のみでしか、葵の犯行を否定する材料はない。
十和子が招き入れ得る人物、あるいは六原家へ正門から堂々と侵入可能な人物──それらの条件に合致するのは、葵でしかあり得ない。
竹林の出口が見えたと思った。
その先にはまた、新たな竹林が待っているだけだった。否、迷うだけならば幸福だった。圭司の目の前には断崖が広がっていた。
「まだ分からないことは二つある」
沈黙を破ったのは夜子の声だった。
「一つは、わざわざ偽証した理由は何か」
圭司ははっとする。
そうだ。
考えてみれば、信一郎達が偽証する理由は何もないのだ。
そもそも、偽証自体にリスクが伴う。
捜査段階で刑事罰には問われないが、事件解決を遅らせるという点で信一郎達には何もメリットがない。
事実、警察は現時点で十和子が屋敷内で殺されたという事実を把握していない。
彼らは十和子が屋敷の外で何者かに殺されたという線で捜査を進めているはずだ。
しかし、この事実を知れば捜査方針も大きく変わるだろう。
信一郎をはじめとした六原の関係者は、いわば被害者だ。
だというのに。
なぜ、彼らは嘘を吐いたのか。
虚偽の供述をしてまで、隠したい何かが──あの屋敷にはあったのか。
「三代子さん」
「……それは分からないわ。本当に。あいつらの考えていることなんか、何も分からない」
三代子は首を振り、顔を覆う。
本当に何も知らないのだろう。
信一郎に言われるまま嘘を吐いたのだ。
「……凡そ、合理的じゃないわよ。まあ、それは私も含めてかもしれないけど」
「そんなものだよ。理性的であれっていうのは綺麗事なんだから。自分が追い詰められたら、目の前の恐怖から逃れることに精一杯になるよ」
人間は合理的な生物じゃない。夜子はそう続けた。
周囲の環境や常識が、その人にとっての合理を作り上げる。
傍目に見た時にどれほど突飛であっても、当人にとってはどこまでも合理的なのだ。
──それしか、知らないから。
「もう一つは、十和子さんの死体が消えた理由。誰が、どのように消したのか」
「それは犯人が死体を持ち去ったのでは……」
「涼ちゃん、それは違うと思うよ。信一郎さんや直幸さんが死体を発見した時、屋敷の中には誰もいなかった。信一郎さんと直幸さんには日中のアリバイがあるから、犯人ではありえない。犯人が死体を持ち去ったのではないのなら、犯人以外の誰かが十和子さんの死体を消したんだ」
「一体、誰が……」
「誰かまでは分からない。──けれど。私は、六原家あるいは三坂家の誰かが関わっていると考えているよ」
夜子のその言葉に、三代子は平静を装っているように見えた。
夜子は更に続ける。
「十和子さんの死体は、発見後、屋敷の中にあった。その死体が消えて、屋敷の外で発見されたということは、死体が屋敷の外へ持ち出されたことは明白だ。ただ、知っての通り、六原の屋敷へ外部から入ることは不可能だね。屋敷の中の人間──つまり、六原家か三坂家の人間、あるいは手引きされた外部の人間でないと死体を持ち去り、バラバラにすることはできない」
三代子の表情は語らない。
驚愕の色などは無く、ただ、黙って夜子の話を聞いていた。
彼女もその可能性にはたどり着いていたのだろう。
「最も、誰がやったのかを特定するのは難しい作業じゃないと思うけどね。監視カメラが壊れていたとはいえ、正門の開閉記録は残っているでしょう。そこから、誰がどこへ行ったのかを追っていけば、可能性は絞られるはずだよ」
夜子はそう言った。
「夜子さん、それは、屋敷の誰かが、バラバラ事件の犯人の仕業に見せたかったということですか?」
「それもあり得るね。もう一つ、関係者の誰かが、バラバラ事件の犯人という可能性もある。バラバラにした理由は分からないけれど」
事件の新たな様相が明らかになった。
圭司は大きな進展だと考えたが、新たな謎も浮かび上がった。
まず、十和子の死体をバラバラにしたのは誰なのか。
そして、六原家内部、あるいは外部の人間の仕業であるにせよ、ある共通した謎が生じることになる。
犯人はなぜ十和子の死体をバラバラにしたのかという謎である。
一見して、十和子殺害の犯人を外部の人間の仕業に見せたかったという動機は考えられる。十和子を殺したのは、連続バラバラ殺人事件の犯人であるように見せかけるために十和子の死体をバラバラにしたのだ。
ただし、それは十和子が六原家内部の人間に殺害されたという疑いが生じて初めて成立する。
しかし、六原の関係者は十和子を殺害することは出来ない。それぞれアリバイを持っているからだ。
この仮定を真とした場合、六原家の関係者、あるいは手引きされた外部の人間は、その必要も無いのに、十和子殺害を外部犯の仕業に見せかける工作を行ったことになる。
六原家の中に安置された十和子の死体を、態々バラバラにして外部に遺棄するという行為の、合理的な理由が圭司には考えつかなかった。
何故、そんなことをしたのか。
夜子は何を考えているのだろう。
圭司が夜子に問いかける前に、夜子は話し出す。
「いずれにせよ、もう一度、信一郎さんと直幸さんには話を聞かないとね」
「旦那は……何も話さないわよ」
「そこは、三代子さんにも協力して欲しいかな。今回の供述を元に、警察はもう一度、捜査しなければならなくなるから」
三代子は押し黙る。
圭司は、竹林に囲まれた六原の屋敷を思い出す。
あの正門の向こう、屋敷を越えた先に──。
信一郎は、一体何を隠したというのか。
「明日、信一郎さんと直幸さんは屋敷にいるのかな?」
「いないわ。……群馬へ行くそうよ」
三代子がそう言った時、圭司の電話が鳴った。
真中愛──十和子の友人からである。
「もしもし、初城さんですか? 真中です」
「初城です、どうされました?」
「あの……明日、私の実家に来ることは出来ますか? 実家にいる父が、葵さんに会ったそうなんです」
圭司は絶句する。
愛の父親が、なぜ葵と?
いや、そんなことはどうでもいい。
葵が──。
葵の手がかりが目の前にある。
六原家の事件の様相が変わる中、事態は進もうとしている。
「はい、行きます、絶対に」
圭司は電話を終えると、愛の話を皆に共有した。
夜子は話を聞き終えるとすぐに「行こう」と言った。
「信一郎さんの方も、群馬のどこへ行くのかが分からないままだ。それなら、確実に手がかりのある葵さんの方を追った方が良い」
夜子が涼と圭司を見る。
枯れた死体の発見場所。
バラバラ事件の被害者の共通点。
信一郎や直幸も群馬に行くと言い、そして、葵も群馬にいることが分かった。
──そこには確実に何かがある。
「私は群馬に行こうと思う。二人はどうする?」
圭司も涼も、その言葉に間髪入れずに頷いた。
*
三代子との会合を終えた後、もう一度愛から連絡があった。
愛の実家の住所を告げるものだった。
愛は群馬県内の駅を指定し、ここへ来来ることが出来るかと尋ねた。
圭司は二つ返事で了承した。
信一郎と直幸と話をするため、葵の足取りを追うため、圭司たちも群馬へと行くことを決めていた。
圭司達は翌日、横浜駅へ集合することにした。
翌朝、圭司は眼を覚ますと、すぐに外へ出た。
無心で、速足に駅へ向かう。
横浜駅で夜子と涼と合流し、電車へ乗り込んだ。三代子の偽証については、康介へ伝えた。そのまま、六原家内の捜査は康介に委ねることにしたのだ。
愛の実家は、群馬県館林市にある。
横浜から久喜駅を経由し、電車で二時間ほどの場所に位置していた。
電車の途中、圭司の思考はまとまらなかった。
葵が失踪したことで、全て始まった。
彼女の行方を追い、六原十和子に出会った。
しかし、その直後、十和子は何者かに殺害された。しかも、死体はバラバラに解体されていたのだ。
三代子の話によれば、十和子は六原の屋敷の中で殺害されていたという。
十和子に招かれた人物。
あるいは、六原の屋敷に入ることが出来た人物が犯人だと考えられる。
その条件下で十和子を殺害しうるのは、葵だけだ。
ただし、なぜ死体をバラバラにしたのかという謎は残る。
現場の状況的に、犯人が十和子の死体を解体することは不可能であったはずだ。
十和子の殺害犯とは異なる人物が、十和子の死体をバラバラにしたのだ。
夜子は事件の構造が徐々に見えてきたと言ったが、圭司にはまだ検討すらついていない。
過去の事件との関係はどうなっているのか。
葵は、どうして姿を消し、今まで何をしていたのか。
群馬に一体何があるのか。
──圭司が思考の迷路から抜け出すことが出来ないまま、気が付けば、電車は館林駅に着いていた。
二人は駅の改札を抜ける。駅前のロータリーで真中親子と待ち合わせていた。
「あ、初城さん、明野さんこっちです」
車から降りた愛が手を振る。
夜子と圭司、涼の三人は後部座席に乗せられた。
「初めまして、愛の父の徹です。医者をやっています」
徹は運転席に座っていた。白髪交じりの髪の毛を短く刈り揃えている。肌も黒く、健康的なスポーツマンという風情だった。圭司の徹に対する印象は随分と若い、というものだった。初対面では四十代に見えていた。
──圭司は後に愛に聞いたが、徹の年齢は六十を超えているという。
「衣笠さんの恋人は、あなたですか?」
「はい。初城です。初城圭司といいます」
「ああ、よかった。会いたかったんですよ」
徹は頭を下げた。
彼に促され、圭司達はそのまま車へと乗り込む。
三人が乗ったことを確認し、徹は真中家へと向かった。
道中、預かっているものがあると、徹は言った。
「夜子さん、あなた宛のものです」
「私に?」
「ご友人からと聞いていますよ」
夜子は意外だという様子で返事をする。
夜子の友人──沙月からの手紙だろうか。圭司はそんなことを考えていた。
「徹さん、あなたは葵さんとどんなご関係なんですか?」
涼が尋ねる。
「ああ、そうですね。そこからお話しましょうか」
徹は続ける。
「改めて、私は産婦人科医を生業としています。四年前に六原十和子さんの出産に立ち会ったのです」
「出産?」
「ええ。十和子さんは、空君……六原空君を出産されました。最初は墓場まで持っていこうと思っていましたが──事態がこうあっては、話さなければならないな、と。それに圭司さん、あなたには知る権利があると思っています」
ここ数日で、いくつもの予期しない出来事に遭遇した。
十和子が出産していたという情報も、その一つだった。
彼女は子供を産み、空という名前を付けていた。
「随分と訳ありの様子でしたね。誰にも言わないで欲しいと懇願し、出産に臨んだんです。唯一、彼女の支えになっていたのは、衣笠葵さんでした。衣笠さんもよく、六原さんが入院している病院を訪ねていました」
六原十和子は五年前に六原家を離れていた。
四年前に出産したということは、出産の準備のために家出をしたとも考えられる。
「報道で、六原十和子さんが殺害されたことを知りましてね……。お恥ずかしながら、産業界には疎いもので。六原さんが名家の出だというのを知ったのは、彼女が死んだ後でした」
「その、十和子さんのご家族の方は?」
「彼女の出産に際して、衣笠さんを除いて、誰も顔を見せませんでしたよ。旦那さんはおろか、ご家族でさえね」
十和子は、葵を除いて、家族の誰にも打ち明けなかったのだ。
三代子は十和子が家出している間に何をしていたのか、知っている様子は無かった。
「愛さんはご存じ無かった様子でしたけど」
「先に申し上げた様に、誰にも言ってくれるなと。六原さんはそう言ったのです。──こんなことが無ければ誰にも言うつもりはありませんでしたよ」
失礼、と、徹は言葉を続ける。
「別にあなた達を糾弾したいという意図があったわけではないのです。ただ、訳ありの母親が殺された。その友人も姿を消した。同じタイミングで、娘からは衣笠さんについて尋ねられる。尋常じゃない事態が起きていることは分かります」
「どうしてあなたがそこまで協力してくれるのですか?」
「私の家で、しばらく十和子さんのお子さん──空君を預かり、世話をしていたんです。私にとっては、最早、家族も同然です。だからこそ、彼女達のために何かできることをしてやりたい。事件の解決に協力したいと思っているんです。蚊帳の外のままは嫌ですからね」
「そうだったんですね……」
「私も聞きたいことがあったんです。衣笠さんと六原さんに何があったかを知りたいんですよ」
「葵さんと十和子さんに、ですか」
夜子が答える。
「そうです」
この人も同じなのか、と圭司は思った。
思い入れのある人に事件が起き、何も知らないまま事態に巻き込まれる。
断片的な情報だけを拾い──気が付けば何もかもが終わっている。
そして、彼が真相を知ることは無く、心にしこりを残したまま日常へと戻っていく。
「夜子さん……僕らで話せる範囲のことは話しましょう。今日の話は、僕らにも助かる内容のはずです」
「……そうだね。圭司君が良いなら、私は大丈夫だよ」
圭司と夜子はこれまでの顛末を話した。
葵が圭司の元から姿を消したこと。
十和子が何者かに殺されたこと。
過去のバラバラ事件のこと。
葵が今回の事件に関係しているだろうということ。
──そして、それらが交わる場所が、ここ、群馬だろうということ。
徹は黙して話を聞き、ただ頷いていた。
「なるほど、ありがとうございます。……犯人のあたりはついているのですか?」
「具体的にはまだ分からない。けれど、事件の大枠についての仮説はあるよ」
夜子が答える。
「あの、真中さん。刻条家について何か心当たりはありますか?」
「刻条……。いや……、──ああ、そうだ」
「何か心当たりが?」
「お力になれるか分かりませんが、地元の郷土史資料に名前が出ていたような気がします。家にあるので、着き次第お見せしますよ。それと、葵さんも、その刻条家について調べていた様子でしたよ」
「ありがとうございます。──それと、僕からも一つ良いですか」
圭司が尋ねる。
「先ほど先生がおっしゃった、十和子さんの子供というのは……今、どちらに?」
「ああ……あの子なら六原さんが引き取っていきましたよ」
「十和子さんが?」
「そうです。彼女の子供、空君をうちで預かっていたことは言いましたよね。家の事情でどうしても面倒を見ることができないからと、六原さんは私たちに子供を預けていたのです。お金は出すからと言ってね」
徹は懐かしむように目を細めた。
「愛も一人暮らしを始めてね。丁度家が寂しくなっていたんです。私たち夫婦としても、六原さんが良ければと申し出を受け入れました。彼女が訳ありということはその時十分知っていましたし、彼女の力にはなりたかったんです」
「その間、十和子さんは?」
「彼女なら定期的に家を訪れてくれました。子供の様子を見に来て、遊んでくれましたよ。いつも、もう少し待っていてね、と言いながら、名残惜しそうに帰って行きましたよ。つい、先日のことでした。十和子さんがお子さんを連れて帰って行きました」
そうだったのか、と圭司は驚く。
圭司の率直な感想だった。
圭司が十和子に会った時、彼女はそんな素振りを見せなかった。
あの日、十和子に屋敷へ招かれた日。十和子の子供もいたのだろうか。
同時にある疑問が思い浮ぶ。
もし、そうだとしたら、十和子が殺害された際に子供が見つかってもおかしくないはずだ。しかし、三代子は屋敷には誰もいなかったと言っていた。
十和子の子供は、今どこにいるのだろうか。
「ああ、そうだ」
徹が何かを思い出したように言う。
「どうしました?」
「いや、一度だけ、六原さんが旦那さんの名前を言っていたことがありましてね。それを思い出したんです」
「旦那さんの、ですか?」
「そう。ええと、確か──本山啓介という名前だったと思います」
本山啓介は昨年の九月に殺されている。十和子と同じように、死体はバラバラにされていた。タイミング的には、十和子が出産後に殺されたことになる。
信一郎のことを思い出す。厳格そうな印象を受ける。
十和子が隠し通そうとしたことも頷ける。
見方によっては六原家にとって、一種のスキャンダルだ。啓介と信一郎の関係にも亀裂が入るだろう。十和子がそれを理解していなかったはずはない。六原家のため、そして自分と子供のため。そして、愛する人のために選択した苦肉の策が単身での出産だったのだ。
十和子の決心は、一体どれほどの覚悟だったのだろうか。
「子供……そっか、子供か」
夜子が呟く。
圭司が真意を尋ねようとした時、徹が「着きましたよ」と車内に告げた。
館林の土地は広く、横浜の様に住宅がひしめき合ってはいなかった。
そのため、真中親子の家も広かった。
庭は勿論のこと、部屋数が多く、その部屋自体も一回り広い。
これなら夜子と圭司が泊まることになっても困らないのだろう。圭司は漠然とそんなことを思っていた。
──葵の家もそうだったな。
圭司は、初めて葵の実家に訪ねた時も、同じように家の広さに驚いたことを思い出す。
三人はリビングへ通される。
「少し待っててください。愛、お前は皆さんにお茶を淹れなさい」
「はーい」
そう言うと、徹は二階の自室へと上がり、程なくして下りてきた。
徹は便箋と鍵を持っていた。
「家の外にある蔵へ行きましょう。そこに譲り受けた資料があるのです。葵さんも、そちらで何か調べものをされていました」
徹はそう言うと、三人を連れて玄関を出る。
庭には小さな平屋があり、扉を開けると、壁一面に本が並んだ書斎が広がっていた。
徹は電気をつける。
「すごい数ですね……」
「大体、三十年前ですかね。元々、この資料は郷土資料館に収蔵されていたんですよ。ただ、資料館の閉館が突然決まりましてね。この資料も処分しようという話になったんですよ。ただ、それは忍びないと知人が内緒で資料を引き取りましてね」
「それを、真中さんが引き取ったんですか?」
「知人が体調を崩し、入院が決まったんです。家族もおらず、資料の保管やメンテナンスもできなくなったので、私が譲り受けたのです」
「その方は今は……」
「残念ながら、既に他界されています」
徹の話によれば、知人は天涯孤独の身だった。
妻に先立たれ、息子も事件に巻き込まれて死んでしまっていたという。徹だけが、彼にとっての唯一の知己だった。
知人の名は、金井といった。
金井哲雄の親であった。
事件に巻き込まれて死んだという息子は、哲雄のことだったのだ。
彼は、実家に保管されていた郷土資料を元に『密室手帖』に掲載された論考を書き上げた。
哲雄が見たという資料が、目の前に並んでいる。
「埃っぽくて申し訳ないですが、好きに見てもらって構いません」
「ありがとう」
そう言うと、夜子は手近な本から調べ始めた。涼もそれに続いた。
「夜子さん、沙月さんという方をご存じですか?」
「え? ええ、まあ」
「明治時代の魚の一件も?」
「知っているけど……」
「後は……沙月さんに渡した髪飾りは何の花ですか?」
「藤の花でしょう。それがどうしたの?」
「なるほど……。やはり、夜子さんは夜子さんで間違いないですね」
「どういうこと?」
「いえ。手紙を預かっていましてね。先ほどの質問に答えられた人に、渡して欲しいと」
徹はそう言うと、古い手紙を夜子に渡した。
「これは?」
「永塚さんの手紙です」
永塚といえば、七十年前の事件の犠牲者の名前である。
「知り合いだったんですか?」
「いや、知らないかな……」
「金井さんが永塚家の方から預かったものです。金井さんから、更に私へ託されたという形です」
宛先は確かに、夜子と書いてある。
「ありがとう。これはもう読んでも?」
「ええ、大丈夫です。──それと、初城さん」
圭司も書斎の奥へ入ろうとした時、徹に呼び止められた。
「必要な情報を見つけたら、急いだほうが良いかもしれないです。私も警察には一応連絡したんですが、芳しい返事は得ることができていないので」
徹は重い声でそう言った。
「どういうことです?」
「杞憂なら良いのですが……死ぬつもりなんじゃないかと。そう思えてならないんです」
徹は、葵のことを言っているのだ。
彼は葵と会っている。
「葵と会った時にどんなお話を?」
「あなた達と同じでした。刻条家について尋ねてきました。その詳細と、近況についても」
「なぜ、葵は死ぬと?」
「彼女から恋人がいると聞いたんですよ。しばらく家に帰っていないとも言っていましたね。帰った方が良いんじゃないかといったら……今会えば別れが辛くなる、と。それに、決心が鈍るとも言っていました」
「……」
「十和子さんの件については、ニュースで聞いていました。私は──何の根拠もないですが、彼女は何か良くないことをしようとしているんじゃないかと思いました。ただ事じゃないなと」
「真中さん……」
「私では彼女が何をしようとしているのかを聞き出すことは出来なかったし、私の制止も意味が無かった。力及ばず申し訳ない」
徹はそう言うと、頭を下げる。
徹は何も悪くない。
ただ、悠長にはいられないことは確かだった。
「いえ、ありがとうございます。絶対に、葵を止めます」
「……ありがとう。あなたは、本当に彼女を大切にされているのですね。老婆心ながら、そう思いました。彼女が持っていた髪飾りからも、それは伺えました」
髪飾り──その言葉に、圭司は引っ掛かりを覚える。
圭司は、葵へ髪飾りをプレゼントした記憶は無かった。
「髪飾り、ですか」
「そうです。衣笠さんが持っていた、古い藤の花の髪飾り──あなたが贈ったものでしょう?」
「藤の……花……?」
圭司には髪飾りに思い当たる節が無かった。
答あぐねていると、横から夜子が現れた。
「徹さん。その髪飾りは、こんな形だった?」
夜子は紙に、髪飾りを描いて見せる。
「え、ええ……確かにそんな形だったと思いますね」
「──そっか、ありがとう」
夜子はそう言うと、手元に何冊か本を抱え、書斎の奥へ歩いて行った。
「夜子さん、今、何て……」
圭司は、彼女が去り際に、──沙月、と呟くのを聞いた。
*
「終わった?」
涼が圭司へと話しかける。徹との会話が終わるタイミングを見計らっていたのだ。
「ああ、すみません。こちらは大丈夫ですよ」
徹が答える。
「ありがとうございます。──初城さん、こっちへ来て、見てほしいものがあるの」
涼に連れられて、圭司は書斎の奥へ行く。
書架に並ぶ本の背表紙は見慣れない町名が並んでいた。
大泉町、千代田町、邑楽町、明和町、板倉町の名前が目立つ。
「この町名は、館林じゃないんですか」
「ああ……群馬県には、板倉、千代田、大泉、邑楽、明和の五つの町から構成される邑楽郡という行政区画があるの。館林はそのうちの大泉町意外と隣接しているの。ここの書斎に並んでいるのは、その邑楽郡に関係した町の歴史のようね。ただ、内容はちょっと変わってるわよ」
そう言うと、涼はテーブルの上に乗っている一冊の本を取り出す。
「見て、これ」
圭司は涼が指した本を手に取る。
タイトルは『邑楽町事業史』というものだった。
圭司は邑楽町が自治体として行ってきた事業の歴史を纏めたものだと考えた。しかし、ページをめくるうちに、その考えが誤りだったということが分かる。
その本は、ある企業の、邑楽町における事業の歴史を綴っていた。
「おかしいでしょ?」
「確かに……」
「ああ、これらの本は単なる郷土史料というと語弊があるかもしれません。これらは、刻条家を中心にした、企業群の活動の歴史を綴っているのです。客観性には乏しいですが、刻条家が何をやってきたか、という点についてはこれ以上ない資料だと思いますよ」
「そうなんですね……。──あ、夜子さん、ちょっといいですか?」
「……ん? ああ、ごめん、ちょっと待って?」
夜子は黙々と手紙を読んでいる。
仕方なしと、涼と圭司は部屋の中央のテーブルに集まった。
徹も含めた三人は、涼が広げた本を見る。
「これ、もしかしたら七十年前の事件に関係あるかもしれないと思って」
日記にはこう綴られている。
『新聞に題してあった異星人狩りなる事件は、正気の沙汰ではないだろう。皇国の臣民でありながら、かような妄言に踊らされるとは。甚だ愚かしいと言わざるを得ない』
「異星人狩り、ですか」
「そ。詳細は載っていないけれど」
「気になるね。これ、どこにあったやつ?」
涼は背後の棚を指した。
圭司は隣接した本を何冊か取り出し、テーブルに広げた。涼は恐ろしいスピードでめくっていく。すると、「あった」と声をかける。
「これじゃない?」
異星人狩りと題された事件は、要すれば魔女狩りであった。
記録としては永塚雛が殺害されたと同時期、七十年程前の記録である。
当時、少なくとも、市民の暮らしは決して裕福ではなかった。
自分たちの暮らしは良くないのに、役人や議員達は贅を貪っている。
そのような鬱憤が溜まりに溜まった結果が、異星人狩りという事件である。
不満のはけ口、分かりやすい敵として、異星人というペルソナが選ばれたのだ。
曰く、赤い服を着ているから異星人だ。
曰く、英語を知っているから異星人に違いない。
曰く、豪華な飯を食べたからお前は異星人だ。
「非科学的ですね」
「ええ……。ただ、分からないのは、なぜ異星人なのか、という点よね。時代が時代だから、敵視すべきは対象は財閥や外国などいくらでもあったはず。なのに、なぜわざわざ、異星人という対象を選んだのかしら」
そうした涼の疑問に、圭司は同調する。
圭司は夜子を横目に見る。
彼女はこの頃、関西にいたはずだ。
この事件のことは知らないのだろう。
「主導した人物も書かれていそうですよ」
そう言ったのは徹である。
「ほら、これです」
「瀬戸幸太郎……?」
涼は首をかしげる。
「……幸太郎は、三坂直幸の父親の名前と同じです」
圭司は涼の疑問に答える。
三坂家は、父、幸太郎の代から六原家へ仕えている。
十和子はそう言っていた。
「つまり、この人は直幸さんのお父さんってことですか」
「幸太郎って結構ありふれた名前じゃない?」
涼が発したその言葉に反論したのは徹である。
「いや、本当に直幸さんの父親かもしれませんよ」
更に徹が続ける。
「六原さん……六原十和子さんから聞いた話だと、彼女はよく三坂直幸さんにおどかされていたそうです。悪いことをすると異星人がやってくる、と。なぜそんな話をするのかと直幸さんに聞くと、彼は父親から教わったと言っていたそうです。もし、仮に、異星人狩りを主導した人物が父親だったとするならば、そのような脅しを子供に教えていても不自然ではないなと」
結局、瀬戸幸太郎と三坂幸太郎が同一人物なのかは日記からは分からなかった。
「この時代……まあ今と比べたら当たり前なんでしょうが、随分と物騒ですね。ほら、人攫いの事件も起きている」
徹はそう言った。彼は更に言葉を続ける。
「異星人の存在を恐れたあまりの誘拐──いきすぎた行動なのだろう、という考察がありますね」
「胸糞悪いわね」
答えたのは涼だ。
結局、瀬戸幸太郎の名前はそのページにしか登場しなかった。
彼が何者なのか。日記から、その疑問が明らかになることは無かった。
「あ、待って、これ」
涼が声をあげる。
彼女が指さした先に、六原、という名前が書いてある。
当時は木材問屋として、刻条家との取引があったそうだ。
「でも、これだけですか?」
「うん、他には……事業や土地の譲渡を検討って書いてある」
刻条家が持つ土地の権利やその管理を六原家へ依頼している。
加えて、付随する不動産関連の事業も六原家へ譲ろうとしていた。
六原家の不動産事業は、そこから始まったのだ。
書斎での調査を始めて既に一時間ほどが経過した。
その間、夜子は、ただ本と手紙を読み進めていた。
そこへ電話の鳴る音がした。
夜子のものだった。
「もしもし。ああ、康介君? 調査の方は──」
圭司の位置からでは、夜子の会話は聞き取れなかった。
しばらくすると、電話を終えた夜子が書斎の奥から現れた。
「夜子さん、電話の相手は……」
「康介君から。それと、一つ分かったことがあるんだ」
「何です?」
「六原家から、子供の死体が発見された。死亡推定時刻は、十和子さんが死んだ数日前。何者かに殺されていたらしい」
書斎の誰もが言葉を失う。
子供の死体──。
あの屋敷で死んでいたのは、十和子だけでは無かったのだ。
「身元は確認中。だから、誰かは分からない。ただ、十和子さんと同じように、四肢を解体しようとした跡があったらしい」
十和子と同じように、子供の四肢にも傷が付けられていた。
何者かが、十和子と子供を殺したのか。
屋敷の中に埋められていた以上、六原の関係者が殺したと考えるのが自然だろう。
「そもそも、なぜ……子供の死体が発見されたのですか?」
「三代子さんの通報だよ。屋敷の中を探っていたら、奥庭に子供の死体が埋められていたそうだよ」
三代子が奥庭を調べたという事実に、圭司は驚きを隠せなかった。
夜子との会話で、何か吹っ切れるものがあったのだろう。
「徹さん」
「何ですか?」
「葵さんは、藤の花の髪飾りを持っていたのは間違いないんだね」
「え、ええ、そうですが……それが何か?」
「その髪飾りは、古かった?」
「はい。大分古いものでした」
「そっか。……いや、何でもないよ。ありがとう」
何かを理解したように頷く。
「何か分かったんですか?」
「──彼が殺したんだ」
夜子はそう呟いた。
その言葉に、涼と圭司が振り向く。
夜子は殺したと言った。
「夜子さん、今、なんて……」
「結局、それしか知らなかったんだ」
夜子はそれ以上、圭司達の問いに答え無かった。
「これが、多分、刻条家の場所だよ。ここに、信一郎さんや直幸さんがいるはず」
そう言うと、夜子は日記のページを見せる。
「これは……今でいうと、館林と板倉の境ですね。場所は分かりますよ」
「皆」
行きましょう、と圭司が声をかける。
三人は黙ったまま、ゆっくりと頷いた。
*
書斎での調査を終え、圭司達はすぐに出発することにした。
日記に記されていた屋敷の場所へと向かうのだ。
信一郎と直幸──そして恐らく、葵もその屋敷にいるはずだ。
「康介君に連絡する。こっちに来ているらしいんだけれど、彼と落ち合ってからいくよ。色々と共有したいこともあるからね。すぐに後を追うから、三人で先に向かっておいてもらえる?」
夜子はそう言うと、書斎に残った。
徹は、涼と圭司を車に乗せて、出発する。
午後を過ぎた時間だった。
「隣町……板倉の方ですね」
「近いんですか?」
「うちから二十分ほどですね。丁度、館林との境です。少し急ぎますよ」
圭司と夜子は徹の車へと乗り込み、出発した。
徹の家は市内にあり、住宅や店舗も多かった。
そうした光景は一転して、田畑が広がっている。
「あれだ」
それはすぐに分かった。
竹だ。
竹林に覆われた、大きな屋敷がある。
「これは……」
「六原の屋敷と同じだね」
山手にある六原の屋敷は、高台の上に、竹林と共に鎮座している。
それと同じだった。
平野の中に、竹林に覆われた屋敷がある。
「皆ここに……」
「あそこを見て」
涼が言う。
屋敷の門前に車が停められていた。
ナンバーは横浜のものだった。六原家の車のものである。
「降りましょう」
車を屋敷の側面に停め、三人は屋敷へと向かう。
門には竹の紋様がしつらえている。六原の家紋に思えた。
鍵がないことが懸念材料だったが、屋敷の正門は開かれていた。
正門の扉はすんなりと開いた。
そこに、圭司にとって見覚えのある光景が広がっていた。
石畳が続いており、それを囲うように竹林が広がっている。
山手で見た、六原の屋敷そのものだった。
思わず、圭司は立ち止まった。
「どうしました?」と徹が尋ねる。
「いや……山手の屋敷と、同じだったので……」
「六原家の?」
三人は石畳を進んでいく。
程なくして、建屋が見えた。
これも山手の屋敷と同じだった。
外から見える敷地の広さを考慮すれば、実際の屋敷の建屋部分まで、正門からもっと歩いてもおかしくない。
だというのに、敷地の中央部分に建屋が存在している。
同じように──何かを隠している。
屋敷の玄関は開いていた。
ぎぃ、と音を立てて玄関の扉が開く。
「同じだ……」
再び、圭司にとって見覚えのある光景が広がっている。
玄関から真っすぐに廊下が伸びており、その向こうに扉が見える。廊下は、真ん中で左右に折れており、大きな十字路を作っている。
劣化は著しいが、山手にある六原の屋敷の全く同じ間取りだった。
明確に異なっていたのは、玄関の対向にある扉が開いている点だった。
「向こうにいるに違いない」
圭司と涼、徹は廊下を進んでいく。
外装に反して、屋敷の内装は綺麗だった。
「しっかりとメンテナンスされているようですね」
徹がそう言う。
表に停めてあった車や、三代子の話を踏まえる。信一郎や直幸は、定期的にこの屋敷に訪れていたのだろう。
「ただ単に、屋敷の維持管理をしていただけだとは考え難いわね」
「そうですね」
涼の意見には、圭司も頷くところだった。
信一郎が隠しておきたかった何かが、ここにあるのだろうか。
逸る気持ちを抑えながら、三人は廊下を歩く。
──そこへ、甲高い悲鳴が聞こえた。
女性のものだった。
聞いたことが無い声である。
奥庭から声がした。
三人は奥庭へ続く廊下へと走る。
奥庭は竹林で囲まれており、中央には半球状の建物があった。
右手に蔵があり、先日確認した六原家の図面と同じ作りになっていた。
「あ────」
奥庭の光景に、圭司は絶句する。
そこに。
衣笠葵がいた。
血眼で追い続けた相手が、そこにいた。
葵は、圭司に気づいた様子は無かった。
「待って、あれ」
葵の手にはナイフが握られていた。
知らない女性の首を絞めながら、ナイフを突き立てている。
その葵を囲むように、三人の男が立っていた。
信一郎、直幸、幸弘の三人である。
葵が誰かを人質に取り、六原家の人間に相対している。
「何で……何で十和子を殺したの!!?」
「君は何か思い違いをしている。十和子は殺していない」
「嘘。あなた達が殺したんでしょう」
「殺してないと言っているだろう。葵君、まだ間に合う。幸子さんを離しなさい」
葵が人質に取っている女性は幸子といった。
三坂幸子のことなのだろう。
「証拠なら……あるわ。異星人狩り、あなた達の仕業でしょう。過去に行われた、異星人狩りという名の人殺しを、現代でもやっている」
「……」
言葉に詰まったのは信一郎の方だった。
「どこでそのことを……。それこそ、世迷言だ」
「世迷言じゃない!」
「冷静になりなさい。こんなことをしても──」
「私は正気で冷静よ。十和子を、私の親友を殺したあなたを許せないでいる。これ以上なく正気でしょう? あなたこそ、実の娘を殺していて、正気じゃないんじゃないの?」
葵の声は徐々に大きくなる。
「十和子だけじゃない──啓介さん達も、あなたが殺したんでしょう!?」
「……違う、私は殺していない」
「嘘」
「君は何が望みなんだ?」
「最初から言っているでしょ。信一郎さん、あなたに、死んで欲しいの」
葵は──錯乱している。
圭司の目には明らかだった。
涙を蓄え、金切り声を上げながら、信一郎を糾弾している。
信一郎が殺したと葵は言った。
それは。
真実、なのか。
「葵──!」
圭司は叫んでいた。
その場にいた全員が圭司の方を向く。
「あ……圭司、君……?」
どうして──と。
葵はそう問いかける。
葵の拘束が緩む。
その隙に、幸子が葵の手を払った。
葵の手を離れ、信一郎達の元へ走る。
直幸と信一郎が幸子を守るように駆け寄った。
幸弘は三人の前に立ち塞がる。
彼女から、三人を守ろうとしていたのだ。
葵はただ茫然としている。
圭司は、葵の元へと走り出していた。
間違いを犯す前に、止めなくてはならない。
──私が人を殺したら、どうする?
「あ────あああああああ────!!」
今度は葵が叫ぶ。
大きく手を振り上げた。
握られたナイフが、圭司の眼前へ振り下ろされようとする。
その直前に、彼女の手を掴む。
ナイフを取り上げ、嗚咽する葵の肩を抱く。
「早く、警察を呼べ!」
信一郎の声だ。
あたりに怒鳴り散らしている。
「君たちは何なんだ……何故ここにいる!」
「私達はあなたと話をしに来たんです」
圭司が答える。
「今さら何を……。君たちと話すことなど何もない。私は忙しいんだ。その女と同じように、君たちも警察に引き渡して──」
「待ってください! ただ──」
「ただ? ただ、何だ! どいつもこいつも、私達の邪魔ばかりする──!」
圭司の言葉は信一郎へ届いていない。
激昂する信一郎の声が屋敷中へ響く。
その刹那────。
「────ただ、竹の中身を知りたいだけですよ」
女の声がした。
喧騒が止む。
人々が止まる。
皆、一様に同じ方向を見ている。
奥庭の入り口に、誰かがいる。
そこには、真紅の羽織を纏う姫が立っていた。
足取りは悠然として軽い。
彼女の所作、その一つ一つに魅入られる。
皆、呆然と彼女を見つめている。
圭司だけが理解していた。
全てを終わらせるため、明野夜子がやってきた。
「二度目だね、六原信一郎さん。息災かな」
「君は……」
「改めまして、私は明野夜子。見ての通り、探偵だよ」
「……何の用だ」
「古今東西、探偵がやることといえば一つだけでしょう?」
「呆れたな。もう少し話の分かる御仁かと思ったが」
「話は分かってるつもりだよ。あなたの心中は察するに余りある。ここまでの苦労は、さぞ辛かったに違いない」
「……何が言いたい」
「────だって、あなたは何も知らなかったのでしょう? 全て、そこにいる三坂直幸の独断だ」
信一郎の顔が強張る。
直幸は、夜子を睨みつける。
「それは……」
「あなたの言葉に嘘は無い。ただ──どうしてそうなったのか、あなたは知らない。あなたは事態に対応するための手段を執ってきたに過ぎない。それが結果として様々な悲劇を招いてしまったわけだけれども」
信一郎は何も答えない。
「信一郎さん、あなたも潔白とは言えないが、あなたが被害者であるという点も事実だよ。あなたは被害者として、事件が解決されることを望んでいるんだ。そして、それは、ここにいる圭司君と変わらない。あなたも彼も、目指すところは同じなんだ」
圭司と信一郎は視線を交わす。
「黙って聞いていれば……。信一郎様、こいつの話を聞くことはありません。すぐにつまみ出しましょう」
「大人しくしておいたほうが良いと思うけどね。外には警察も待機している」
夜子の言葉に、直幸は黙り込む。
「信一郎さん。あの廟の中──竹の中で何を見たのか、教えてくれないかな」
「……君は、何を知っているんだ」
「大方は知っているつもりだよ。あなたが見た子供と十和子さんの死体。あれが誰の仕業なのか、私には分かるよ」
信一郎は少し黙った後、「分かった」と言った。
「旦那様」
幸弘が信一郎に声をかける。
「幸弘、もう良いんだ」
信一郎はそう答えた。
「圭司君、お待たせ」
「あ、ああ、はい……」
夜子が圭司へ手を差し伸べる。そして、真っすぐに圭司を見つめながら、こう言った。
「しっかりと見届けて。私は、今からこの事件を解決するから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます