四幕 月夜に還る

 夜子と信一郎は奥庭にある廟へと入って行った。

「中に招くのは明野さんだけだ」

 信一郎はそう言うと、奥庭を離れた。

 一方で、直幸と幸弘は、信一郎の言葉を受けて、屋敷の中へと消えて行った。

 客間の準備に向かったのだ。

 圭司達は奥庭に残された。

 幸子と葵は脱力し、その場に座り込んでいた。

 涼と徹は幸子を、圭司は葵の傍らで、それぞれ介抱していた。

 幸子はただ黙ったまま何も言わなかった。呆然として、言葉を発する気力すら失われていた。

 葵は嗚咽が止まらず、彼女から話を聞くことは叶わなかった。

 数分もしないうちに、夜子と信一郎は奥庭へと戻り、蔵へと入っていった。

 更に数分が経ち、二人は奥庭へと戻った。

 同じタイミングで、幸弘が奥庭に現れた。

 客間の準備はすぐに終わった。

 一同は屋敷へと入り、一階の客間へと向かう。

「あなた達もいたのね」

 圭司はその声に不意を突かれる。

 予期しない先客だった。

 声の主は三代子である。

 傍らには康介もいる。

「康介君に頼んで、三代子さんも連れてきてもらったんだ」

「警察の車って乗り心地悪いわね」

 三代子はあっけらかんとしていた。

「その、奥庭の、子供の件は……」

「ん? ああ、あれね。そうね……あんた達と話して、もう、どうでも良くなったのよ」

 ──あんな家、壊れてしまえば良いと思ったから。

「禁を破って奥庭に入ったの。中に何が有ろうか見てやろうと思ってね。そしたら、子供の死体を見つけちゃって、それどころじゃなくなったわ」

 三代子はそう言いながら、乾いた笑い声を上げた。

「さ、皆、入って」

 夜子が入室を促す。

「外に警官を待機させていますが、呼ばなくて良いんですか?」

「良いよ。それは最後。まずは──この人たちの事件を解決しなくちゃ」

 圭司は客間を見渡す。

 クラシック調の大きな客間である。横浜にある外交官の家を思わせる、そんな作りだった。テーブルや椅子は年季のあるものだが、その気品は損なわれてはいない。

 今はその客間も手狭に感じるほどに人がいた。

 六原信一郎と、その妻である六原三代子。

 三坂直幸、幸弘、幸子の三坂家。

 真中徹、乃木涼、最上康介の三人。

 初城圭司と衣笠葵──そして、明野夜子。

 皆が、夜子の言葉を待っていた。 

「さて────」

 夜子は一同を見渡す。

「一連のバラバラ事件の犯人は誰か、十和子さんを殺したのは誰か。この問いに答える前に、まず私たちは事件の構造と検討するべき謎について整理しようと思う」

「構造?」

「そう。雛さんから始まり、十和子さんまでの一連の事件。これは単なる連続殺人事件というわけではないんだ。この事件の中心には、六原家と三坂家が隠し続けてきたものがある」

 夜子は信一郎と直幸を見る。

 二人は、何も答えない。

「それは彼らの自身の罪でもある。彼らは、遠い過去、それを竹の中に隠すことを決めたんだ。文字通り、何を犠牲にしようとも、ね。七十年前、竹の中に隠された彼らの罪から、今回の事件は始まったんだ」

 罪と夜子は言った。

 あの竹の中に──何を隠した。

「七十年前、雛さんが何者かに殺された。時を経て、哲雄さん、博美さん、啓介さんの三人が殺された。そして、先日、十和子さんが殺された。傍らの子供と共にね。これらの事件は、一見して同じ表層を持っている。けれど、その実、性質の異なる事件の連なりなんだ」

 夜子は言葉を止める。

「それは……」

「言葉を変えれば……十和子さんは、バラバラ事件の犯人によって殺されたのではないということだよ」

 圭司には葵が息を呑むのが分かった。

 それならば、十和子は誰に──。

 夜子の言葉は止まらない。

「順番にいこうか。まず、全ての始まりとなった雛さんの事件からだ」



  *

 


「七十年前の事件が関係するのか」

 康介の問いに、夜子は「そう」と答える。

「ここからは、真中家に遺された『邑楽町事業史』と『永塚雛の手紙』に基づいた事実と私の推測による話だ」

 夜子は永塚雛の手紙と言った。

 徹が託された、夜子の手に渡った手紙である。

「事業史までが? それが、なぜ……」

「気になるかな、直幸さん? あなた達が代議士に頼んで、処分させようとしていた資料は実は残っていた。資料館の職員が処分したフリをして、密かに隠し持っていたんだ」

「……」

「あなた達にとっては困るだろうね。──ただ、その話は後だ。まず、被害者である雛さんの背景を整理しようか」

 夜子は更に続ける。

「彼女は刻条家──刻条弥之助に雇われた使用人だ。亡くなった当時は四十半ば。女学校を出た後、嫁に出ることもなく、すぐに刻条家に拾われたそうだよ」

「その、刻条家っていうのは?」

 三代子が口を挟む。

「北関東──まさに、この邑楽一帯の地域をルーツに持つ財閥だ。弥之助さんが祖となり、三菱をはじめとした財閥とまではいかずとも、地域の有力財閥として力を持っていた」

「刻条……それほどまでに成功したのなら、今も名残があっても良さそうよね。聞いたことないわよ」

「それも無理はないでしょう。刻条家という名前は既に無くなっている──というより、消そうとしてきた。地方企業ではあったから、その名を知る人も限られていたしね。ただ、一つ補足すると、刻条家の事業そのものが消えたわけではなく、名前を変えて存続し続けているんだ」

 夜子は信一郎を一瞥する。

「弥之助さんは天賦の商才を持っていた。彼は事業を発展させることに心血を注ぎ、それ以外を顧みなかった。それゆえに家族も私的な友人も作らなかった。だから、屋敷の維持や身の回りの世話を任せるために雛さんや──後ほど出てきますが、幸太郎さんが雇われたのです」

 瀬戸幸太郎は、異星人狩り事件の首班となった男だ。

「弥之助さんと使用人たちの生活は、淡白であれ、平和なものだった。彼の中心は家の事業を発展させることにあった。それ以外は全て雑事。ただ、人としての情けが無いわけではなかった。雛さんや幸太郎さんは所在の知れない流れ者。そうした、者たちを引き取り、屋敷に住まわせた。それだけではなく、縁談の世話までしていたそうだ。彼は、彼自身の家族的な幸福には興味がなかったが、周囲の人間が幸福であってほしいと、そんな願いを持った人間だったのさ。──ある時までは」

 夜子は眼を細める。

「転機は弥之助さんが四十も後半に差し掛かった時だ。彼自身も自覚はしていなかったのだろうけど、家族を求めていたのだろうね。雛さんや幸太郎さんの一家と親しくしていた。彼らに子供が出来れば、弥之助さんは大層可愛がっていたはずだ。ただ、彼自身の虚しさは抑えられない。何せ弥之助さんには家族がいない。そのころ、友人にも先立たれている。いくら家族同然に過ぎないとはいえ、使用人達と弥之助さんは、本質的には従業員と雇い主に過ぎない。彼が自身の伴侶を探し始めたのは、丁度その頃だ」

「自分が歳を取ったことで寂しくなり、慌てて家族が欲しくなったのか?」

「康介君の言う通り、寂しさもあっただろうけど、それだけではないだろうね。当時の刻条家は弥之助のワンマンと言っても良い体制だった。事業の継承と存続が喫緊の課題だったんだ。従業員の中から後継ぎを探すという手もあっただろうが、能力が伴わなかったのだろう。自分の後継ぎとして、彼は一から子を成して、育てる必要があったんだ。そこへ現れたのが──沙月だ」

「沙月?」

 声を上げたのは康介だった。

 六原家と三坂家の人間も、聞き慣れない名前に怪訝な表情を浮かべている。

「沙月は私の友人でね、その容姿は傾城経国といって差し支えないよ。ともあれ、彼女が弥之助の元へ現れた。沙月は諸国漫遊の最中で、丁度この辺りに訪れていた。そんな沙月を見て、弥之助さんは一目惚れしたのだろうね。沙月を引き留め、どうにか口説き落とそうした」

「あなたの友人ってどういうこと? 七十年前の話でしょ?」

「ああ……そうか、そうだね。三代子さん達は知らないのかな」

 夜子はそう言うと懐から小刀を取り出す。

 小刀を自身の胸に当て、そのまま突き刺した。

 圭司と涼、康介を除き、その場にいる全員が声を挙げた。

「皆さん、驚かせてしまってすまないね──ただ、この通り、私は普通の方法では死なないのさ。私は、あなた達が異星人と呼ぶ存在だ。そして、沙月も同じ異星人であり、私の親友なんだ」

 誰も言葉を継げない。

 何といっていいか分からない。

 かつてアメリカが異星人の存在を公表したことは知っている。

 ただ、それは自国のプレゼンスを向上させるためのプロパガンダに過ぎない、と、誰もが信じていた。

 圭司も、その場にいる皆の気持ちは分かっている。

 異星人など存在しないと。

 しかし、夜子自身がそれを強く証明している。

 誰もが絶句する中、三坂直幸だけは──憎悪と嫌悪に満ちた目で、夜子を睨みつけていた。

「そんなに私のことが気になるかな、直幸さん?」

「……いえ。ただ、驚きましてね」

「あなたの話はもう少し後だよ」

 直幸は、何も答えなかった。

 ただ、夜子に刺すような視線を向けている。

「私たちは、あなた達のいうところの不老不死に非常に近い存在だ。実際は老いるし、死ぬから、厳密な意味で不老不死ではないけれど、この星の時間軸でいえば、そう定義しても差し支えないだろうね。だから、私も沙月も、この星に来てから千年は超えている。年下趣味ということであれば、弥之助さんよりむしろ沙月の方だね」

「そうだったんだ……」

「外からどう見えたにせよ、二人が惹かれ合ったのは事実だろうね。弥之助さんは夜子の常人離れした精神性に惹かれ、人生の残りの時間を捧げると決めた。沙月は弥之助さんの一途な愛に絆され、生の一時を使うと決めたんだ」

「とてもロマンチックな話ね」

 三代子の感想は、場に似合わず能天気なものだった。

「ともかく、二人は程なくして結婚することになった。沙月が刻条家に嫁入りした。結婚生活は、最初は順風満帆だった」

「上手くいかなかったのか」

「康介君、その通りだよ。異類婚姻なんて、上手くいかないのが相場でしょう。ただ、弥之助さんの場合は、沙月の正体を知った上で結婚しているから少々事情は異なるけどね。二人は子宝に恵まれなかった。最終的に子を成してはいるのだけれど、子供ができるまでとても時間がかかった」

 夜子は続ける。

「沙月の異星人という体質と、既に弥之助さんの歳が五十に差し掛かっていた。本来なら、子供がいなくてもおかしくないけれど、沙月は奇跡的に懐妊し、無事に出産したんだ。しかし、折り悪く、彼は病に倒れた。全ての不幸が始まるのはここからだ」

 ──沙月を迎えたのは間違いだった。

 永塚雛の日記によれば、弥之助はそう語っていたという。

「沙月の子供は私たちの体質を強く受け継いでいてね。十年ほどかけて人間でいうところの一年の成長を遂げるんだ。そうして、君たちでいうところの、十六か七の年齢で成長を止めるんだ。弥之助さんは、そんな沙月や子供の姿が、疎ましく、そして憎らしく思ったのだろうね。彼がいくら愛を誓ったといえど、その感情は刹那的なものだ。老いることのない妻、いつまで経っても成長しない子供達。対して、自分は病に侵され、残された時間は短く、後継者育成も進んでいない。そうした境遇にあって、彼は、決して老いることのない沙月と、決して成長しないその子供を──憎んだ」

 それは──。

「……逆恨みでしょう」と涼が言う。

「そうだね。私もそう思うよ。弥之助さんの無念は察するものがあるが、沙月たちを恨むのは筋違いだ。ただ、それでも、彼は恨んでしまった」

「そんなことが……」

「これが物語の始まりだ。この後、沙月たちがどんな顛末を辿ったのか。それは、直接見てもらった方が良いだろうね」



  *



「外の蔵へ行くよ」

 夜子がそう言うと客間を出た。

 一同は、夜子に続き、奥庭へ出る。

 落ち着いた状態で奥庭を見渡すのは初めてだった。圭司は、改めて、奇妙だという印象を持った。

 庭の中央にはドーム型の建物がある。屋敷から見て右手には大きな小屋がある。

 山手にある六原の屋敷にも同じものがあるという話だ。

 小さなドーム型の建物は廟であり、大きな小屋は物置の役割を持っている。

 十和子の友人──愛はそんな話をしていた。

 ただ、何となく異様であった。

 圭司が何故そう思ったのか、彼自身も説明は出来ない。

 本能的な恐怖とも言い換えて良かったのかもしれない。

 本当に自分達は足を踏み入れて良いのか。

「圭司君、行こう」

 夜子が声をかける。

 迷っているわけにはいかなかった。

 何のためにここに来たのか。

 自分は真実を知り、この事件を解決するべきなのだ。

 ──そのために、この眼で見ておくべきなのだ。

 圭司は先ほどの自分を恥じる。

 恐怖に負ける程度の決意では無いはずだ、と。

 圭司は物置小屋の方へ歩き出す。

 夜子は立て付けの悪い扉を開け、中を一同に見せた。

 入口の戸を開けると、更に扉が据え付けられていた。そこを開けると、棚が乱立した物置になっていた。

「この奥だ」

 信一郎の声だった。

 夜子は部屋の中の棚をずらした。

 すると、更に扉が現れた。蔵の中に、隠し部屋があったのだ。

 夜子はその扉を開け、更に中へ案内する。

 小さな部屋だった。

 部屋の中央には椅子が置かれているだけの、小さな、何も無い部屋だ。

「大分片されていたけど、残っていたのはこれ。何があったのかは、推して知るべしといったところかな」

 言いながら、夜子は小屋の奥へ二人を案内する。

 転がっていたのは、複数の凶器だった。

 鉈やナイフ、ハンマーの様な物も置かれている。

 いずれも破損している様子だった。現在も使われていたわけではないだろうと夜子は語る。

「この汚れは……?」

 徹が懐中電灯で照らした先の椅子や、周囲の床には黒いしみが出来ていた。

「多分、血だよ。大量のね」

「血!?」

「そう。それで、そこに転がっている凶器は棚の下にあったもの。後は──そこと、そこに、食器が転がってるでしょ。辛うじて最低限の食事は与えられていたのだろうね」

 圭司は床を見渡す。夜子の言う通り、欠けた茶碗や湯呑、箸などが落ちていた。

「あとは、これ。棚の下に散乱していたやつで、何かの記録。あまり良いことは書いていないけどね」

 そう言いながら、夜子は徹と圭司に一枚の紙を渡してきた。

 圭司は紙を照らす。

 

『七月二日 実験記録

 腕部への切断試験 効果なし

 五指の破砕試験 効果なし

 腹部への刺突試験 効果なし


 いずれにおいても生命活動に支障なし

 回復の時間を置き、次回以降の試験内容を検討する』


「これは……」

「拷問。もしくは、それに類する活動が行われていたんだろうね。この紙だと、試験と書かれているけど」

「……」

 圭司は絶句する。

 この屋敷が六原と関係していることは間違いない。

 葵が持っている六原家の鍵を使い、この屋敷の玄関が開いたのだ。

 無関係だと言い切ることはできないだろう。

 これを、六原信一郎は知っていたのだろうか。

 夜子は、信一郎は何かを隠していると言っていた。

 それが、この光景なのだろうか。

「沙月の顛末はご覧の通り。彼女は、売られたんだ」

「売られた……?」

「そう。沙月という不老不死の存在を、弥之助は国に売ったんだ」

 夜子の言葉に抑揚は無い。

「当時、刻条家の事業はうまくいってなかった。刻条弥之助というワンマンに支えられていたのだから当然ともいえるけど、彼が病に倒れて、事業の前線に立つことが出来なくなった途端、事業が傾き始めたんだ。兆候は元々有った。丁度、沙月と出会った頃から体調を崩し始めてはいたらしいけど──ともあれ、事業の不振や弥之助さんの体調不良。そうした、刻条家に降りかかった不幸を、刻条家の関係者の憎しみを、沙月は一身に背負わされることになった」

 語りは淡々と続く。

 夜子の調子に変化はない。

 それが──圭司には恐ろしかった。

 夜子と自分たちは異なる生き物なのだと、否が応でも実感させられる。

「沙月が持つ不老不死を軍部に共有する。見返りに、国から資金を調達して、事業に充当する。それが、弥之助さんの行った取引だ」

 人間は、あらゆる方法で死を克服しようとしてきた。

 薬を開発し、上下水道を整備し、寄り合いを作り己を強くした。

 そうすることで、外敵や病原菌、自然環境の脅威を遠ざけ、生きてきたのだ。

 しかし、死の恐怖を根絶できたわけではない。

 だからこそ、不老不死という存在は人を狂わせるのだ。

 刻条弥之助もまた、不死に狂った人間だった。

「研究は秘密裏に行われた。万が一にでも情報が漏れるわけにはいかなかったから。その点で、田舎の大きな屋敷というのは好都合だったわけだ。沙月を使った不死の研究は、正にこの場所で行われたというわけだ」

「ここで、こんな実験が……?」

「初期こそ、血液やら体液、皮膚の成分分析から始まったと思うけれどね。ただ、それも限界があった。弥之助さんが求めている成果には至らなかったんだ。私達のルーツとしては、この星の人間と変わらない。多少の成分の違いはあれど、体液から不死性の機序を特定することは出来ないだろうね。だから、実験は徐々にエスカレートしていった。実験というよりも、最早、拷問といった方が近いのかもしれないけれど」

「そもそも、本当に国に売ったのか? 国が本当にそんなことを……」

「私が受け取った手紙には日本軍を含め、色々な議員や政府機関から声がかかったと書いてあったよ。そこで、最終的に軍部に売ったと書いてあった。実態はどうだか知らないけれどね。刻条家は国へのパイプもあっただろうから、話を持ち掛けたのも嘘じゃないんだろう。でも、死なない人間だなんて、普通そんな話を聞いたら眉唾だと思うさ。本当に、国が信じたかどうかは分からない。ただ、誰かが沙月の前に現れて、彼女をこんな目に遭わせたことだけは確かだ」

 仮に当時の軍部が沙月の存在を知ったのならば。

 彼らは、不死の兵隊という存在へ野心を燃やしたはずだ。

 あるいは軍隊では無くても、不死の人間への渇望は古今東西の人々を惹きつけた。

 その謎を探求しようという人間がいても、おかしくはない。

 しかし、彼女の不死性の秘密は、当時の科学力では──恐らく今も、解き明かすことは出来ていないだろう。

 彼女たちは、そういう生き物なのだ。

 それ以上に説明しようがない。

 しかし、その研究が結実することはなかった。

 戦争が近づくにつれて、研究の優先順位も変わったのだろう。いつ使い物になるか分からない研究よりも、弾薬を一つでも多く作ることに金を使うことにしたのだ。

 そうした経緯で、刻条家への資金援助は徐々に縮小していったのだろう。

 ──夜子の説明はそのように続いた。

 研究対象としての大義名分も薄れ、形骸化した実験は次第にその目的を見失っていった。

 ただ、沙月への仕打ちだけが続いた。

 最早実験とはいえない、拷問にも等しい仕打ちが続いたのだ。

 軍の統制が離れることを、弥之助はむしろ歓迎したのだろう。

 当時の彼は、沙月とその子供への憎しみに突き動かされていたはずなのだ。

「私たちは傷や手足の欠損くらいならたちまち治る。ただ、痛みまで消すことはできないからね。そんな凄惨な実験は、しばらく続いた。そして──」

 ──沙月は死んだ。

「アメリカが発表している論文によると、地球への落着の衝撃で異星人は死んだ。熱による全身火傷が原因なのか、あるいは全身を圧迫されたことが原因なのかは分からなかった。けれど、沙月は、この実験で四肢をバラバラにされることで死んだ。私たちは、体をバラバラにされることで死ぬことが分かった」

「このことを、屋敷の人は知っていたのですか……?」

「一部は知っていただろうけど、周知の事実だったわけではないはずだよ。実際、雛さんは知っている様子は無かった。彼女の心優しさは、そんな所業を許さないだろうしね。ただ、その優しさが、彼女自身の命を奪うことになってしまう」

 夜子は目を細め、圭司を見つめる。

「沙月の窮状を知っていたのは、屋敷の中でも一部の人間に限られていた。雛さんはそのことを知らなかったのだろうね。ただ、沙月が危うい状況にあることを察してはいたはずなんだ。だから、彼女は沙月に手を差し伸べた」

「この部屋で、そんなことが可能だったのか?」

 康介が夜子に問う。

「沙月の状況を知っているのは屋敷の一部の人間に限られていた、と言ったはずだよ。それはつまり、不審に思われない程度に、日中の行動は制限されていなかったということ。沙月と雛さんの接触は普段通りに行われていたはずだ」

「それが、永塚雛の殺害に繋がるのか?」

「その通り。沙月には子供がいたが、弥之助さんの憎悪はその子供にも向いていた。沙月はせめて子供だけは救おうとしたのだろうね。頼った先が雛さんだったというわけだ。どこまで真実を語ったのかは分からないけれど。彼女は、沙月の要請に応えて子供を逃した。それが、弥之助さんに露見したのだろうね。──雛さんは、その報復を受けてしまった」

 永塚雛は、ただ沙月の身を案じ、手を貸した。

 子を想う母の願いを尊重しただけだ。

 しかし、それこそが、永塚雛にとっての不幸だった。

 これが、どれほど理不尽だろうと圭司は思う。

「永塚雛を殺したのは、刻条弥之助なんですか?」

 涼の声だった。

「いや、直接を殺したのは、幸太郎さんだろうね。彼は、弥之助さんの腹心という立ち位置だった。弥之助さんの思想には心酔していたんだ。当時の弥之助さんは体調を崩して、それどころでは無かっただろうからね。幸太郎さんが、弥之助さんの代わりに手を下したはずだよ」

「瀬戸幸太郎が異星人狩りの事件を起こしたのは、その流れを汲んで、ということかい?」

「徹さんの言う通りだね。弥之助さんから始まった異星人憎しという想いは、幸太郎さんへと受け継がれた。最初は、沙月ただ一人を憎いと思っていた。それはやがて、刻条家に仇なすものは全て異星人であるという考えに取って代わっていった。彼らの行動はエスカレートしていき、異星人狩りという事件が起きた。その中で、刻条家に敵対しているとみなされたものは攫って殺していたりもしたんだ。雛さんもその事件の中で殺された。異星人として、沙月と同じように四肢をバラバラにされて、ね」

「そんなことが……」

「事件はすぐに露見し、刻条家の関与も疑われた。それがきっかけで、パトロンの支援は完全に打ち切られることになり、刻条家の事業も徐々に傾いていくことになるんだ。最も、当時の議員の力によって事件そのものの捜査は打ち切らせた様だけどね」

 雛の事件が犯人が分からなかったのはそのためだ。

「ただ、この一件によって、刻条家とその関係者による異星人への憎しみは更に先鋭化していく。それは、彼らの死後も受け継がれることになり──やがて、新たな事件を引き起こすことになる」

 夜子は人並みを避けながら、蔵の外へ出る。

「さあ客間へ戻ろう。これが永塚雛の事件の真相だ。次は、三人を殺したバラバラ事件の真相についてだよ」



  *



 一同は客間へ戻り、夜子を囲む。皆、彼女の言葉を待っていた。

「永塚雛の事件が、他の三人のバラバラ事件にどう繋がるというんだ?」

 康介の声だった。

「そうだね。まず、現代に起きたバラバラ事件のおさらいといこうか。一連の事件、これの被害者とされる人間は四人。金井哲雄、森下博美、本山啓介、六原十和子の四人だね。ただ、この四人でも、十和子さんとそれ以外の事件に分けることが出来る」

「十和子だけが別の事件ということ?」

 口を開いたのは三代子だった。

「そう。まず検討すべきは、哲雄さん、博美さん、啓介さん──この三人の事件についてだね」

「彼らは一見して共通点は無かったはずだ」

 康介はそう言った。

「そうだね。確かに、一見して共通点は無い。ただ、彼らの行動を追っていくと、ある地点で交わることが分かる」

「ある地点?」

「順番に見て行こうか。まずは、啓介さん。彼は、六原家の系列会社の社長をやっていた。不動産関連の事業をやっていた。博美さんは経済紙の記者だ。彼女は様々な会社に取材を行っていて、六原も取材対象になっていた。最後は哲雄さん。彼は趣味として同人誌の執筆なんかもやっていたね」

「だから、それがどう関係するんだ」

 康介は少し苛立った様子で声を上げる。

「彼らは、この場所。即ち、刻条家という共通点を持っていた。……とは言っても、当然、彼ら自身が刻条家の関係者だった訳じゃない。彼らは、刻条家の存在に近づき過ぎたゆえに殺された」

「近づき過ぎた……?」

「この屋敷の存在を知り、そして踏み入れてしまったのさ」

 夜子は部屋を見渡す

 一連の事件、その裏にあったものが、刻条家の存在であった。

 ただ、何故、この屋敷を知ったものが殺されるのか。

 圭司にはそれが分からなかった。

「皆、分からない、という顔だね。良いかい、この屋敷は、刻条家の過去の汚点を象徴するものだ。とはいえ、そんなものを知った所でどうにかなるわけでもない。今を生きている人には関係のないことだ。あんな話を信じる人も珍しいだろうからね。──ただ、ある人物にとっては、そうではなかったんだ」

 夜子はある人物を見ている。

 その視線の先を、圭司は追う。

「直幸さん。少なくともあなたにとっては不都合があった。だから──殺した」

 夜子は、三坂直幸が犯人だと言った。

 直幸は何も言わない。

 信一郎は苦々しい表情を浮かべながら、直幸と夜子を交互に見ている。

「それを理解するにはまず──刻条家と、六原家、三坂家の関係を知る必要があるね」

 夜子が信一郎と直幸を順番に見つめる。

「三坂家は、刻条家の使用人の家系に連なっている。先ほど話に挙げた、瀬戸家の系譜だね」

「六原家は違うんですか?」

「涼ちゃん、六原家は三坂家が外部から迎えた人間の系譜だね。刻条家のビジネスを受け継ぎ、刻条家の資産を維持するための存在だった。徹さんに見せてもらった事業史の中にも名前は出ていたよ」

 夜子はそう言うと、信一郎と直幸を交互に見る。

 わずかな沈黙の後、口を開いたのは信一郎だった。

「……概ね事実だ。六原は元々、刻条家と取引があった家だ。弥之助氏が亡くなった後、刻条家の実権は当時の瀬戸家が握っていた。今の六原と刻条家の繋がりは、瀬戸幸太郎から事業の引継ぎを持ちかけられたのが発端だよ」

「そうだったんですか……」

 圭司は合点が言った。

 奈緒子のインタビューで信一郎が呟いた、御宗家という言葉は、刻条家のことを指していたのだ。

「その、瀬戸幸太郎は刻条家に心酔されていた方ですよね。なぜ、自ら事業を引き継がなかったのですか」

 圭司はそう尋ねる。

「単純な話で、彼らには商才が無かった。当時の六原も実入りのある商売を欲していたから、お互いの利害は一致した。刻条の資産は全て瀬戸幸太郎の名義だったがね。六原の立場は番頭のようなものだった」

「瀬戸家は、その、今はどうなっているのです?」

「彼がその子孫だ」

 信一郎は言いながら、直幸と幸弘を指さす。

「私の先祖が刻条家の商売を引き継いだまでは良かった。だが、そこのお嬢さんが言ったように、瀬戸幸太郎と刻条弥之助は異星人狩りの事件を起こしている。蔵の中で見た様に、あれは凄惨な事件だった。この町の人間も犠牲になっている。──それが、刻条家の立場を悪くしたのだろうな」

「どういうことです?」

「刻条という看板が商売の邪魔をした。要は彼らの醜聞によって、商売がうまくいかなかった──だから、刻条という過去を清算しようと決めた」

 信一郎の言葉を、夜子が引き継ぐ。

「彼らは名前を捨てることにした。刻条という名前、その関りを持った瀬戸という名前を徹底的に消していった。会社の名前は勿論、関連した資料も消していった。そのために、刻条家が持っていた政界や官界へのコネクションを存分に使った。それこそ、代議士を使って資料館に貯蔵された資料を処分させようとした。刻条家に関連した事件の捜査を止めるように圧力をかけていたりもしたよね。特に、三坂家の実家近く──小田原に住んでいる代議士とは仲が良いんじゃないかな」

 夜子は直幸と信一郎を交互に見る。

 圭司が夜子と康介から聞いた話だ。六原家と繋がりのある代議士の力。それは、資料の破棄に留まらず、警察による捜査の妨害にまで及んでいた。

 刻条家の名前が出回っていないこと。

 そして、あれほどの事件を起こしながら、今日まで犯人が明らかになっていないのは、そのためだ。

「でも、なぜ三坂家に協力を?」

 涼が言う。

「多分、その代議士も遡っていくと、刻条家に関わりが出てくるんじゃないかな。沙月の研究と引き換えに刻条家へ出資したパトロン。そんなところだと思うよ。いくら過去の話とはいえ、そんな事実が露見したら議員生命が危うい。三坂家は、過去を人質に取って、協力させたんだろうね」

 夜子は直幸を見ながらそう言った。

「さて、瀬戸家の人間は、三坂へと名前を変えた。そして、表面上は刻条との繋がりを絶った。しかし、だからこそ、瀬戸家──否、三坂家の思想はより先鋭化していくことになる」

 夜子は直幸を見る。

「幸太郎さんは、全て刻条家の名誉を第一に考えた。その一点においてのみ、彼は筋の通った人物ではあったのだろうね。──そして、その遺志は、今も三坂家に引き継がれている」

 信一郎はゆっくりと頷く。

 直幸は──何も言わない。

 ただ、苦々しく夜子を見つめている。

「遺志?」

 尋ねたのは涼だ。

「そう。さっきも話したけれど、瀬戸家と刻条家は異星人に対して、憎悪を向けていたわけだよ。沙月への憎しみは、いつしか異星人そのものへの憎しみに変わった。それは、刻条家を陥れようとするものが即ち異星人である、という認知へと歪んでいき──現代における、一連の事件を引き起こしたんだ」

「話が見えないぞ……」

「直幸さんは、彼が殺した人間のことを、即ち異星人だと思っていた」

 恐らく、直幸と信一郎を除いた人間が絶句した。

 夜子の言葉を理解できるものがいなかった。

「夜子さん、言っている意味が分からない……」

「そのままだよ。直幸さんは、刻条家に敵対する人間を異星人とみなして、殺したんだ」

「敵対って……」

 どういうことなの──と、涼が続ける。

 圭司の意見も同じだった。

「三坂家──旧瀬戸家の人間にとって、刻条家の罪の歴史は隠さなければならないものだった。刻条家の名誉を保つために、過去の罪は露見してはならないものだった。刻条家の名が貶められるくらいなら、いっそ名前を消してしまおうと考えていた」

「それは、どういうことなんですか?」

「彼らにとって、刻条家の過去を暴こうとするもの──つまり、自分達が心酔する刻条家の汚点を明らかにしようとするものは、即ち、異星人であり、刻条家の敵である、という論理さ。敵を排除するためには、暴力さえ辞さなかった」

「そんな……」

「馬鹿げた話だと思うよ。少なくとも、殺された三人は刻条家への敵意は無かっただろうね。存在を知っていたかどうかすら怪しいものさ。でも──そんな、所謂、普通の道理は、三坂直幸には通じなかった」

 直幸は──何も言わない。

 ただ、黙ったまま、夜子を見つめている。

「彼は、その程度の理由で、何人も殺したのか。それは何故なんだ」

 康介が問う。

「それしか知らなかったから、かな」

 更に夜子は続けていく。

「私がそうだったからね。父と母に、他者を助けるように育てられた。私はそれ以外の生き方をしらないから、今、こんなことをしているんだよ」

 圭司は夜子の言っている意味を理解することができた。

 人は、己が知っている世界の中でしか生きることはできない。それは常識や習慣と言い換えても良いのかもしれない。

 圭司は葵の話を思い出す。

 センチネル島に住む人々の話だった。島民にとって、島に近づくものは外敵に他ならない。

 彼らは、自らの生活を守るために、島に近づく部外の人間を殺す。

 島外の人間にとってはただの好奇心に過ぎないとしても、センチネル等の住民にとっては関係の無い話だった。

 ──島に住む彼らにとって、そうすることが世界の全てであり、そうすることしか知らないのだ。

 人は、置かれている世界の中で変わり得る。

 圭司自身もそうだった。

 彼は謎を放っておくことが出来なかった。だからこそ、葵の後を追い、夜子と出会い、そして、この場所──群馬の刻条家邸へとたどり着いている。

 それしか知らなかったのだ。

 だから、圭司は、そうすることしかできなかった。

 直幸自身も同じなのだろう、と圭司は思った。

 直幸の気持ちを、理解することも、ましてや共感することもできはしない。

 ただ、直幸にとっては、刻条家の秘密を暴こうとするものは敵対する異星人であった。

 そして、それらを殺すことが、直幸──否、三坂家にとっての全てだった。

 直幸は、そうすることしか知らなかった。

「……バラバラ事件の犯人と、その動機は分かった。ただ……なぜ、彼は被害者をバラバラにしたんだ?」

「康介君の疑問はごもっとも。ただ、それも、難しい理由があったわけじゃないよ」

「どういうことだ?」

「異星人はバラバラにしないと死なない。だから、彼らは被害者をバラバラにする必要があった」

 三坂直幸にとっては──事実がどうあれ──本山啓介達は異星人である、という認識である。

 死なないはずの異星人は、体をバラバラに解体することで殺すことができる。

 沙月の一件を通じて、三坂家の人間もその事実を知っているはずだ。

 だからこそ、三坂直幸は異星人を殺すために、彼にとっての異星人である本山啓介達をバラバラにしたのだ。

「直幸君、間違いないね?」

「……ええ、あなたの言う通りです。ただ、一つ訂正させてもらうことがあるとすれば、金井哲雄を殺害したのは私ではないです。彼を殺したのは、私の父、三坂幸太郎──即ち、瀬戸幸太郎です」

「なるほど」

「当時、三坂の本当の仕事を教えてやると言われましてね。何かと思えば、金井哲雄の殺害を手伝わされたのです。死体の後処理でしたよ」

「死体を竹の籠に入れたのはなぜ?」

「竹は、刻条家にとっては清浄であることの象徴です。長生きで縁起が良いというのが由来でしてね。竹籠に異星人の死体を詰め込むことで、その穢れを浄化しようとしたのですよ。あなた達も塩をまいてお清めをするでしょう? それと同じことですよ」

「外に遺棄したのは?」

「屋敷の中に穢れを置いておきたくなかっただけです。鼠や害虫の死体を家の中に置いたままにしないでしょう。それと同じことですよ」

 直幸の口調は淡々としていた。

 何でもない、間違ったことはしていないと──彼の眼と口が、言外にそう語っている。

「信じられない……」

「端的に、不快なものを何としても避けようとしたんだろうね。そのために、一見して不合理な行動を執ってしまう。そういう人には心当たりがあるよ」

 夜子は目を細める。

「直幸さん、あなたは私を憎いと思うかい?」

「……ええ。勿論です。あなただけではないです。この場にいる全員を殺してやりたいと思っています」

「物騒だね」

「私にとってはそれが自然なのですよ。あなたの言葉を借りるなら、私はそれしか知らないのです。刻条家を暴こうとするものは皆、私の敵であり──殺すべき異星人だ。その考えは今となっても変わりません」

「……三坂幸太郎は子育てが随分と上手だったんだな」

「最上康介さん、でしたかな。父はとても頑固で厳しい人間でしてね。私は彼の許可が無い限り、屋敷を出ることが叶わなかった。テレビや本などの娯楽は勿論、外出も制限されていました。ほとんど学校にも行かず、父から与えられる情報が世界の全てでしてね」

「信じられないな……」

「信じずとも結構。ただ、私にとってはそれが全てでした。そんな風に育ってきましたから、私としても、刻条家から連なる世界を何としても守りたかったのですよ」

 直幸もまた、竹の中に囚われていた。

 竹の中に秘められた罪を隠すため、竹の中に、その殺意を秘め続けてきたのだ。

 ──気が付けば、部屋にいる誰もが、直幸から距離を置いている。

 後ずさり、まるで化物を見るように直幸を見つめている。

 夜子と、そして、信一郎を除いて。

「六原信一郎さん、このことをあなたは知っていたのですか」

 声を上げたのは圭司だ。

 答えたのは夜子である。

「知っていたはずだよ。当然だけれど、信一郎さんは好ましく思わなかっただろうね」

「……私がこの事実を知ったのは森下博美さんが殺された時だった」

「けれど、信一郎さん、あなたはその事実を頑なに隠していた。違う?」

「ああ、その通りだ。当時、六原の事業は落ち目だった。その上、世間の風当たりは強い。恨まれてもいる。そんな中で、六原の関係者が人を殺していたということが知られたらどうなるか──君も想像に難くは無いだろう」

「……」

「私はね、社長として事業を守る責務があった。従業員や取引先、その家族まで含めると何百、何千という人間の生活が私に懸っていたわけだ」

「でも、その後も、新たに犠牲者が出た」

「……申し開く言葉は無い」

「沙月から続く、この事件の真相こそが、あなた達が隠したかったものなのでしょう。あの竹の中に、己の罪を隠し続けてきた」

 夜子の声は、僅かに震えていた。

「……凶器の隠し場所を考えていたんだ。この屋敷の廟の中に、凶器や竹の籠が隠されているのでしょう? 下手に処分するより、誰からも見つからない場所へ隠した方が良いと、そう考えたんだ。元々は山手の屋敷にあったものを、こちらに移していたってところかな」

「……確かめてみると良い」

 信一郎の言葉を合図に、康介が部屋を出る。

 外に待機している警官を呼びに行った。

 その後、すぐに康介は部屋に戻ってきた。

「凶器と、竹籠が見つかったそうです」

「そう、ありがとう」

 夜子は無感情に応える。

「山手の屋敷も見てくれ。あちらにも解体用の凶器は残っていたはずだ」

 そう言ったのは信一郎だった。

「ここまで来たんだ。……観念するさ」

 信一郎は諦めた様に、穏やかな口調で夜子にそう言った。

「……これが、金井哲雄、森下博美、本山啓介の三人が殺された事件の真相だよ」

「────待って」

 葵の声だった。

「十和子は……十和子も、その人が殺したんですよね……」

「最初に言ったけれど、彼女を殺したのは、信一郎さんでも直幸さんでもないよ。ここまでの事件が遠因にはなっているけれど、被害者と加害者という関係においては、彼らは無関係だ」

 夜子は、性質の異なる三つの事件の連なりだと言った。

 それならば──。

 十和子を殺したのは誰なのか。

 そして、何故、彼女は殺されたのか。

「次が最後の事件だ。十和子さん殺害の真相について話をしよう」



  *



 夜子の言葉に、葵は食い下がった。

「待って……その人が殺したんじゃないのなら、一体誰が……」

「落ち着いて。今から、その話をしようというんだよ。──ただ、そうだね、まずは順を追って説明しようか」

 夜子は客間を見渡す。

「十和子さんは、十一月六日に山手の六原邸の中で殺された。死体の首や四肢には、刃物で執拗に切り付けられた跡があった。一部は骨にまで達しており、犯人は死体を切断しようという意図があったと思われる。更に、後日になって山手の屋敷内で子供の死体が発見された。その子の死体も、十和子さんと同じように死体が傷つけられていた」

 当初、警察の調べでは六原十和子は屋敷の外に拉致され、殺害されたという見解だった。

 六原家の関係者はそう証言している。

 その後、六原三代子の証言により状況は一変した。

 関係者の偽証が明らかになり、事件の全容が分かった。

 夜子の言った通り、六原十和子は屋敷の中で殺されていた。

 そして、更に、知らない子供の死体が新たに発見された。

「当然の疑問がある。彼女は誰に何故殺されたのか。傍らの子供は誰なのか。子供は誰に殺されたのか。両者の遺体は何故、切断されようとしていたのか。これらの疑問に回答を出すために、話を少し遡っていこう」

「遡る?」

「そう。この事件の発端は、去年発生した、啓介さんの殺害が契機になっている」

「本山さんと何の関係が?」

「啓介さんと十和子さんは、交際していたんだ。それも、結構な長い期間をね」

 信一郎や三代子は何も言わない。

「二人の──少なくとも、十和子さんは、啓介さんのことを本気で愛していたはずだよ。その証拠に、彼女は家を出て、単身で子供を出産したんだ。六原空さんをね」

「子供まで……そうだったのか……」

「信一郎さんは、どこまで知っていたのかな」

「二人が交際していたことは何となく知っていた。……ただ、子供まで産んでいたとは知らなかった。先日、十和子が殺された日まではね。あの子は、本山君と十和子の子供だったのか……」

「十和子さんが家出してまで出産したのは、啓介さんとの仲を引き裂かれることを恐れてのことだろうね」

 信一郎は、俯いたままだ。

「最終的に十和子さんは山手の屋敷に戻った。でも、この話の本質はそこじゃない。それほどまでに愛した相手を殺された事実が、十和子さんと──そこにいる葵さんを突き動かした」

「葵君を?」

「そう。十和子さんは犯人への復讐を誓ったんだ。警察には頼らず、この手で犯人を見つけ、必ず殺してやる──そう思ったのだろうね。十和子さんと無二の親友だった葵さんも、これを手伝うことにしたんだ。……そうだね?」

「……はい」

「啓介さんは、恨みを買うような人間ではなかった。殺す動機があるとすれば、六原の内部、あるいは彼の会社の関係者──二人はそう思ったのだろうね。十和子さんは六原の内部から、葵さんは外から事件を調査した。そして、二人の予想は見事に的中することになった。あなたの家にあった日記の写真、あれは三坂直幸さんのものだね?」

 圭司が葵の部屋で見つけた日記の写真のことだ。そこには『また異星人を殺すことが出来た』と書いてあった。

「……十和子から受け取ったものです。直幸さんの部屋にある日記にそんなことが書いてあったと。最初は、訳が分かりませんでした。ただ日付を見ると、啓介さんが殺された日と近しいものだった」

「そんな日記を残していたのか……」

「彼にとっては、あくまで害虫や害獣を駆除した以上の意味を持たないのだから。ただの日常の延長戦だったのだろうね。……その後、二人はどうしたのかな」

「その時は、まさか啓介さんを殺害したことを指しているとは思いませんでした。ただ……何か事件に関係があるに違いないと考えました。調査を続けているうちに、私や十和子の周囲に嫌がらせが起きたんです」

「まさか、家の周囲の不審者って……」

「多分、私への嫌がらせの一環だったと思う」

 圭司は、自宅周辺に不審者が出ていたことを思い出す。

「信一郎さんはそのことはご存じだったのかな」

「……十和子と葵君が何かを探っていることは気が付いていた。それが本山君絡みだろうということも。もし、この件の真相が明るみになれば、六原はたちまち瓦解することは分かり切っていた。それだけは何としても避けたかった」

「だから、二人の周囲に嫌がらせを?」

「穏便にことを済ませたかった。調査は警察に任せれば良い。二人が動く必要は無かっただろう」

 信一郎にとっては苦渋の決断だったのだろう。

 六原を守るために、調査の手を止めてもらわなければならない。

 外部から調査を隠すことは容易だが、十和子は六原内部の人間である。

 信一郎は十和子が遠からず真相にたどり着くことを恐れた。

 六原家当主としての責務を全うするために、娘の愛する人を殺した人間を庇うことを選んだのだ。

「六原家の鍵を持っていたのも……」

「私が六原家で働いていた時の鍵を、十和子から受け取ったものです。万が一の時のために、持っていると色々と都合が良いから、と。普段は持ち歩かず、実家に隠していたましたけれど」

 圭司は十和子の実家に置いてあった、竹の紋様が描かれた箱のことを思い出す。

「十和子は、直幸さんの動向をずっと追っていた。そして、不自然な外出について知ったのです。不定期に、彼は群馬に行っていることを突き止めたんです。──私が家を出る、直前の話でした」

「その時既に、犯人の喉元まで迫っていた」

 圭司は十和子との電話を思い出す。

 彼女が言いかけた、奴という言葉。

 あれは、本山啓介を殺害した六原家内の犯人を指していたのだろう。

「一年間越しの悲願でした。ただ、私は十和子に今まで通りの生活を送って欲しいと思っていました」

「そんなもの、言ってくれれば……俺だって……」

「圭司君にも迷惑をかけることはできなかったから。──あの段階では、犯人を絞り込むことはできていなかった。どの道、姿を消すことは決めていたけれど、それはもっと後の予定だった。でも、結局、嫌がらせがエスカレートして、早めに家を出ることにしたの……」

「葵……」

 圭司の前から葵が姿を消したのは、葵が、圭司に対して累が及ぶことを恐れたがゆえのものだった。

 そして、それが今回の事件の始まりを告げるものだった。

「葵さんが姿を消した後、圭司君はすぐに行動を起こした。あなたの実家を訪れ、日記の写真や六原家の家紋に関する情報を得た。その後、私の事務所へとやってきて、捜索の依頼を出した。──その後、圭司君は十和子さんに出会った」

 圭司は十和子に会った時のことを思い出す。

 十和子と葵の関係が話題の中心だった。

 電話口で葵が失踪した理由を知っているとも言っていた。

 圭司は、今回、夜子と葵の話を聞いて合点がいった。十和子は、嫌がらせを含めた葵の状況を把握していたのだろう。

 彼女は電話口で葵の行方を知っていると言ったのはそのためだ。

「でも、一つ気がかりなのは、なぜ、十和子さんは俺に葵の話を教えようとしたんです?」

 十和子と葵は復讐のための調査を行っていたはずだ。

 圭司自身がいくら葵の恋人とはいえ、計画を知るものが増えることには差しさわりがあると考えるのが自然である。

 十和子が、葵が失踪した理由を圭司へ伝えるメリットは存在しない。

「葵さんが失踪したことを、十和子さんに告げていなかったのでしょう?」

「……そう、です」

「恐らくだけれど、葵さんは十和子さんの手を汚させたくなかったのじゃないかな。群馬県というところまで、あたりはついていた。後は自分だけで出来ると考えた。そして、圭司君はおろか、十和子さんにも何も告げず、姿を消した」

 葵は黙ったまま頷いた。

「十和子さんは、圭司君の話を聞いて初めて、葵さんの意図を理解した。親友が人を殺すことは、十和子さんにとっても本意では無かったのだろうね。ただし、その場所までは分からなかった。自分一人で動くにも限界があった。そんな十和子さんにとって圭司君は渡りに船だったのだろうね。圭司君と協力し、葵さんを止める──そのはずだった。しかし、十和子さんは、圭司君と会話した翌日に殺されてしまった」

「発見は十一月八日じゃなかったのか……?」

 疑問を呈したのは徹だった。

「報道に出ている情報はそうでしょうね。ただ、実情は異なる」

「どういうことです?」

「六原家の関係者は偽証していたのですよ」

 当初、十和子は屋敷の外で拉致され、殺害されたという話だった。

 しかし、事実は異なっている。

「本題に入る前に、もう一つ知らなければならいことがある。彼女は恐らく、事件の前日に、外にいるある人物を家に招き入れた」

「ある人物?」

 康介はそう言うと、葵を見る。

「葵さんでもないし、今ここにいる六原の関係者でもない。彼女は、彼女の子供──六原空を屋敷に招き入れていた」

「子供を……?」

「そう。十和子さんが啓介さん殺害の犯人を捜査していたことはさっき言った通りだね。同時に、彼女と彼女の周囲への嫌がらせや脅しが起きたことも事実だ。葵さんが言っていた通り、その行いは徐々にエスカレートしていった。十和子さんは、嫌がらせや脅しの魔の手が、自分の子供に及ぶことを恐れたのさ」

「なるほど……しかし、何故、屋敷に……?」

「灯台下暗しとも言うでしょう? 六原の屋敷には、匿うのにうってつけの場所があったんだ。あなた達も見た──奥庭の廟。あそこなら、誰にも見つからない。十和子さんはそう考えた」

 夜子の説明は続く。

「廟は、刻条家──ひいては六原家にとって神聖不可侵なものだった。十和子さんは、子供をそこに匿うつもりだったんだ。あの廟は一種の墓でもある。六原の関係者が亡くならない限りあれが開くことはないからね。逆に言えば、普段は決して開くことの無い廟の中に、彼女は子供を隠そうとしたんだ」

 圭司は廟の姿を思い出す。

 奥庭で見た、半円形の小さな廟。成人した大人が入るには大きいが、小さな子供なら問題なく入ることが出来る大きさだった。

 竹で出来たあの廟の中に──十和子は、自身の子供を隠そうとしたというのだ。

「当然、それは一時的な措置だ。あんな場所にずっとはいられないからね。彼女は一時的に子供を廟に隠し、新たな潜伏先を見つけて、子供を移すつもりだった」

「そうか、だから、あのタイミングで……」

 徹が合点がいく。

「六原家の人間は前日も出払っていたのだろうね。そのタイミングで徹さんと落ち合い、子供を引き取った。そこまでは十和子さんの思惑通りだった。彼女は無事に、子供を屋敷に連れてくることができた」。

「待ってくれ、それなら、傍らに有った子供の遺体というのは……」

「六原空さんの遺体だよ。余談だけれど、六原家の監視カメラが事件の二日前から壊されていた件については、彼女の仕業だろうね。屋敷に子供を連れてきた記録を残すわけにはいかなかった」

 事件の二日前──十一月四日。圭司が、十和子と出会う前日の話だ。 

「さて、前置きが長くなったけれど、十一月六日に何があったかを話そう。午前中に十和子さんは殺害された。その間、山手の屋敷で何があったのか。誰が──十和子さんを殺したのか」

 夜子は改めて客間を見回した。

「当時、屋敷の正門が開いた記録が一度だけあった。つまりその日、屋敷に人の出入りがあったわけだね。──この状況下で、犯人として考え得るのは誰か」

「屋敷のセキュリティは厳重でしょう。外部犯の犯行は不可能では?」

「そう。しかし、六原の関係者による犯行も不可能だ。十和子さんが殺害された時間、六原の関係者には皆アリバイがあった」

 夜子は一度言葉を区切る。

「信一郎さんは品川で商談を行っていた。三代子さんは新宿で友人と会っていた。直幸さんは信一郎さんを品川へ送った後、小田原にある三坂家の実家へと向かう途中だった。幸子さんと幸弘さんも同じく小田原にある三坂家の実家へと向かっていた。──皆、第三者の目撃情報があり、アリバイが成立している。十和子さんと空さんを殺すことは不可能だった」

「なら、外部の人間がセキュリティを突破して十和子さんを殺害したということ?」

 十和子が外部の人間を招き、その者が殺害した場合はどうだと康介は言った。

「それは難しいだろうね。仮に外部の人間を招いた場合、開閉の記録は最低でも二回必要だからね。まず、十和子さんが外部の人間を招き入れる際に一回。招き入れられた犯人が外に出るのに一回だ」

「犯人が殺害した後に屋敷に潜伏していたままだったとしたら?」

「その可能性も否定できる。まず、十和子さんの遺体が発見された後、六原の皆さんは屋敷の隅から隅まで調べつくした。けれど、中には誰もいなかった」

「なら誰が……」

「私が持っている結論は一つ。犯人は殺害前に屋敷に潜伏しており、十和子さんを殺害後、屋敷の外に出た──というものだよ」

 三代子がえずいた。

 信一郎も苦々しい表情を浮かべている。

 直幸や幸弘も夜子から目を背けた。

 圭司には彼らの気持ちが理解できた。

 夜子が言っていることはつまり──彼らは、山手の屋敷で、知らずに犯人と暮らしていたと言っているのだ。

「馬鹿な……一体、誰が……」

 苦悶の中、絞り出すような声だった。

「それが可能だった人物。即ち、十和子さんを殺した犯人の名前は──空だ」

 夜子の声は空虚に響いた。

 


  *



 皆が耳を疑った。

 夜子の言葉をすぐに理解できなかったのだ。

 彼女は、空が十和子を殺したと言ったのだ。

 しかし、当の六原空自身も誰かに殺されているはずだ。

 心中したというのだろうか。

 その後、三坂家あるいは六原家の誰かが死体に傷をつけ、バラバラにしたのか。

 客間が騒然となる。

 銘々に憶測を語る。

 夜子の言葉に囚われ、客間の緊張が緩んだ。

 ──その瞬間、幸弘が動いた。

 幸弘は人垣を縫って、客間から飛び出した。

 そのまま、廊下を走っていく音が聞こえた。

「待て!!」

 康介の制止は功を奏さなかった。彼は待機していた警官に声をかけ、幸弘を追った。

 結果は、あっけないものだった。

 警察官はすぐに追いつき、幸弘を確保した。

 夜子や圭司が追い付いたころには、彼は地面に組み伏せられていた。

 ──それが、陽動であると気が付いたのは、屋敷から上がる火の手を見た時だった。

 直幸は屋敷に残り、刻条家の屋敷を放火していたのだ。

 涼はすぐに消防に連絡をした。

「皆、逃げて!」

 康介が大声を上げる。

 徹と三代子、次いで信一郎が外へ出る。涼は幸子に肩を貸しながら歩いている。

 圭司は葵を外に出るよう促す。

 部屋には、夜子と直幸が残っていた。

「夜子さん!」

 彼女は動かない。

「私は大丈夫。彼との話はまだ終わっていないから。それに、これくらいの炎なら、私達は死なないよ」

 ──この羽織もあるしね。

 夜子はそう言った。

 火勢は徐々に強まっていく。

「空さんのことを隠蔽しようとしたのは、どうして?」

「旦那様のご意向だ。本山さんの子供だと思ってはいたのだろうが、その時点で確証は持てなかった。子供の父親が分からない以上、六原家にとってどんなスキャンダルになるか分からない。だから、子供の存在を隠そうとした」

「なるほどね。あなたと信一郎さんが家に帰ってきた時、十和子さんと空さんの死体があった。まず、十和子さんをバラバラにしたのは、彼女があなたにとって異星人だったから?」

「……そうだ。刻条家の秘密を暴こうとした。それは大きな罪だ。だから、私は十和子様をバラバラにして殺した。……信一郎様はお止めになったが、それは駄目だ。彼女は異星人だったのだから、確実に息の根を止めなければならない」

 六原家の人間が事件の偽証をした理由はスキャンダルを恐れてのことだった。誰の種か分からない子供の存在が引き金だった。加えて、屋敷内での事件ともなれば六原家の人間が疑われることは目に見えている。これ以上の醜聞を広めないため、信一郎達は偽証することに決めたのだ。

「その口ぶりからすると、信一郎さんとしては、死体は屋敷の中に埋めておくつもりだったんだね。あなたが十和子さんの死体を解体したことで、あのような形で偽証せざるを得なくなった」

 三代子の様子からしても、十和子の死体がバラバラにされたことは想定外だったのだろう。ただ、信一郎にとっては僥倖だったのかもしれない。直幸によって、十和子殺害が外部犯の仕業であるかのように演出することができたのだ。

 夜子は話を続ける。

「空さんは何もせず埋葬したんだね」

「あの子は罪を犯していない」

 直幸は冷静に、何てことはないといった風に夜子と問答している。

 ──狂っている。

 圭司はそう思った。

 遠くで大きな音がした。

 柱が折れた音だろうか。

「聞きたいことは聞けた、行こう。……あなたは逃げないの?」

 夜子は入り口に向かう途中、足を止め、直幸にそう尋ねた。

「……私は、ここにいる。本懐は遂げた。刻条家に仇なす異星人を殺すことが出来たんだ。本当はこの手で、貴様も殺してやりたかった」

「そう。──それなら、一つだけ」

 夜子は冷たく、直幸へ言葉を投げかける。

「あなたは本懐なんか遂げられていない。あなたがやってきたのは、ただの八つ当たりだ。あなたが本当に殺したかった、異星人は殺せてなんかいない」

 ──彼は、生きている。

 彼女はそう言った。

「待て、それは……どういう──」

 天井が崩れ落ちる。

 その音に、直幸の言葉はかき消された。

 火の手は更に強まる。

「夜子さん……」

「急ぐよ」

 夜子の羽織が圭司に被せられる。

 屋敷を出るまでの数分の間──圭司の脳裏には、夜子の言葉が響いていた。

 

 ──夜子達が外を出て間もなくして、消防隊が到着した。

 到着後、屋敷の火はすぐに消し止められた。

 屋敷は古く、消化作業を終えた頃には崩れ去っていた。

 直幸は瓦礫の下から見つかった。既に息を引き取っていた。

 一連の事件の事情聴取のため、圭司達も夜まで拘束されることになった──。

 

「圭司君、犯人に会いに行こうか」

 屋敷を脱出し、事情聴取を終えた頃には、既に夜も更けていた。

 ようやく解放され、警察署を後にした圭司の前に夜子が立っていた。

 傍らには、葵もいた。

 葵は、殺人未遂の容疑をかけられていた。

「康介君に無理を言ってね。少しだけ葵さんを借りることにしたんだ」

 圭司は、康介の苦々しい顔が思い浮べる。

「あんなことがあったから、結局語り切れなかったけれど、事件の結末を知りたいんじゃないかと思ってね。結局、十和子さんが殺された事件は、君たちにとっては解決していないままでしょう?」

 夜子の言う通りだった。

 十和子を殺した犯人は空だ、と夜子は言った。

 何故、空が十和子を殺したのか。

 あの子も、傍らで死んだはずではなかったのか。

 圭司達は、事件の結論を得ることができていない。

「移動しながら話そうか。康介君を待たせているから」

 翻った真紅の羽織は、月夜に照らされていた。

 

「いくつか疑問があります」

「何だい?」

「まず、犯人は六原空さんでは無いですよね」

「──なぜ、そう思ったのかな」

 仮に、六原空が殺した場合、辻褄の合わない点がいくつかあった。

 一つは、十和子と空の死体に切断しようとした点があったこと

 あの場で二人分の死体があったことは問題ではない。空が十和子を殺害し、自殺したという線も考えられる。六原空は他殺体だったというが、十和子の死の直前、彼女が空を刺し違えたとも考えることができる。

 問題なのは、空と十和子の死体を切断しようとした人物がいたという点である。

 これを実現するために、空でも十和子でもない第三者の介入が必要である。

「それだけじゃないです。空さんが犯人だと考えた場合──十和子さんに何らかの殺意を持っていた場合、十和子さんが空さんを屋敷に招き入れた時点で殺害すれば良かったでしょう」

 空はまだ子供だ。

 精緻な犯行計画を立てることは困難である。

 十和子に殺意を持っており、彼女の殺害を決心していた場合──そのチャンスを逃すだろうか。そして、空が十和子を殺害するためのチャンスは存分にあったのだ。

 ただ──。

「僕の考えはここまで、です。違和感はあるんですが、解がない」

 空でも、十和子でも、事件の真犯人としては不適格だ。

 全容を合理的に説明するために、もう一人必要である。

 屋敷の正門が一度しか開いておらず、屋敷に誰も潜伏していないことが明らかになっている以上、犯人は屋敷から外へ出て行ったことは間違いない。

 殺害時点で、屋敷の中に誰かがいた。

 十和子と空だけではなく、もう一人誰かが屋敷の中にいたのだ。

 一体、それは誰なのか。

 圭司には解答を出すことが出来なかった。

「仮に外部犯が屋敷の中にいたとする。その犯人は十和子さんと空さんを殺害して外に出たとする。次の問題は、その人物はいつ、屋敷の中に入ったかということです」

「外から屋敷の中に入ったとしたら、六原家の人たちが気づかないはずがない」

 康介はそう応える。

「いつ屋敷に侵入したのか……」

「圭司君、最初からだよ」

「え?」

「最初から、屋敷の中にいたんだよ。ずっとね」

「どういうことですか?」

「屋敷の奥庭に、半円形の廟があるでしょう。刻条家の屋敷は、山手にある六原の屋敷の元になったもの。山手の屋敷は、あれをそのまま模倣して建てた屋敷だから。奥庭の廟の中に、ずっと隠れていたんだろうね。あれは墓だ。普段は絶対に開くことがない。隠し場所としては最適でしょう?」

「それは──」

 いくら何でも無理がある、と圭司は思った。

 隠し場所としては最適、という点に異論はない。

 六原家にとっては墓という存在であるからこそ、あの廟を開けようとは思わないだろう。

 しかし。

「仮に、あの廟の中に隠れていたとして……食事などの問題もあるでしょう。一日なら飲まず食わずは可能かもしれないですが、六原家の人間の目を盗みながら食事を摂るなんて、できないでしょう」

「そう。だから、食事も摂らない、水を飲む必要が無かったんだよ。──そんなことをしなくても、生きていることが出来たから」

 そんなことが可能な人がいるのか。

「それは誰なんです?」

 否、だ。

「空だよ」

 そんなことが出来るのならば────。

「ですから、空さんは十和子さんの────」

 ────それは、もう、人類という理の外にいる存在だ

「空というのはね、沙月の子供の名前だよ。彼──あるいは彼女は、私と沙月と同じ生き物であり、君たちが異星人と呼ぶ存在だ」

 

 

  *



「便宜上、彼、と呼ぼうか。空君は、七十年前の生まれたばかりのころ、永塚雛の手によって匿われた」

「しかし、いくら異星人とはいえ、見た目は普通の子供でしょう。永塚雛に子供はいなかったはずだ。不自然に思われる。どのように匿ったというんだ」

 運転席の康介が夜子に問いかける。

「康介君、雛さんは籠に入れたんだよ。護身用の懐刀と、子供用の着物と一緒にね」

「籠に……?」

「そう。当時、空君は生まれたばかりの子供だった。彼を籠に入れて、他の籠と一緒に隠したんだ」

「廟の中に、か」

「当時、刻条家の人間は異星人狩りを行っていたと言っていたね。その中で、子供を含む、異星人と目された人間を誘拐して殺していった。廟は正に、そういった誘拐して殺した人たちの死体を隠すために作られた。子供達の遺体は籠の中に入れられていてね。空君の入った籠は、その籠たちと一緒に、廟の中に隠されたんだ」

 態々、籠の中の死体を確認する人間はいない。

 木を隠すなら森の中だと、永塚雛はそう考えたのだ。

「その籠を全て、山手の屋敷に移したのか?」

「刻条家の屋敷に隠していた籠の中身は、刻条家の汚点の証になる。元々屋敷は引き払う予定だったから、それを誰もいない屋敷に置いたままにするのもそれはそれでリスクだと判断したのだろうね。手元に残し、隠したままの方が良いと踏んだのだろう。七十年前の当時から引っ越しの作業は進んでいたはずだ。雛さんはその作業に紛れて、板倉から山手の屋敷へ籠を運ぶ途中で、空君を逃がそうとしたんだろう。一時しのぎとして廟の中へと隠したまでは良かった。ただ、雛さんはその直後に殺された」

 中身を知らぬまま、空は山手へと運ばれたのだ。

「六原家の竹に対する信仰もそこから来ているのだろう。清浄の象徴として、誘拐した人たちの遺体を封じたことが最初。廟が竹で作られているのも、同じ理由だろうね。不浄な存在を竹の中へ閉じ込め、屋敷の清浄さを保とうとした」

「だからって……子供なら、すぐ成長してしまうんじゃないのか」

「人間の一年分の成長するために、異星人は十年の時間がかかる。七十年前に生まれているなら、まだ七歳くらいの背丈だよ。廟の中には十分に隠れていられる」

「そうか……そういうことだったのか」

「ついでに言うと、信一郎さんが山手の屋敷を恐れていたのも空君の仕業だろうね。彼が十五年前の葬儀の時に、廟を開けた。その時に空君の声を聞いたんだ」

「廟の中で空君を見たということですか。でも、それなら信一郎さんが殺されるんじゃ?」

「あの廟は、外か見える入口の先は小部屋になっているんだ。部屋には更に扉があって、それを開けると遺骨が安置されているんだ。信一郎さんはその小部屋で、空君の声を聞いたんだ。信一郎さん自身は聞き間違えだと考えたが、どうしても奥の扉を開けることはできなかった。結局、遺骨は手前の扉の前に置いたまま。誰も確かめようがないから、それ以来、あの廟の扉は封印されていた」

 ──妻が言っていたかもしれないが……情けないことに、私は昔から幽霊が怖いんだ。だから、この扉を開けずに帰ってしまった。この廟はそうそう開けないから誰かにバレる心配もなかったものでね。

「あの廟の中で、私にそう教えてくれたよ」

 以来、信一郎は屋敷にいること自体を恐れるようになった。彼が廟に近づいた十和子を心配したのもそのためだろう。信一郎は屋敷の中にいる何かに怯え続けていたのだ。

 十五年前といえば、空もある程度成長しているはずである。

「それなら、十和子さんと六原空さんの遺体を切断しようとしたのは……」

「空君だろうね」

 にわかには信じることができない。

 しかし、状況がそうだと告げている。

「圭司君と会った時に言わなかったっけ。私たち異星人はね、生まれた頃の記憶や意識、それこそ赤ん坊の頃の思い出をちゃんと覚えているんだ。私もそう。お世話してくれた両親のことは今も忘れていない」

「それがどうしたんだ」

「復讐、じゃないかな。彼は、彼の母親が殺されている場面を目の当たりにしていたんだ。そう思っても不思議じゃない。最も、彼の母親を殺した人間はもう死んでいる。だから、十和子さんと空さんが殺されたのは、不幸としか言いようがない。復讐を想い続けた空君の前に、偶然、彼女たちは姿を見せてしまったんだ」

 彼は七十年間、暗い竹の中で、ただ復讐を念じ続けたのだ。

 いくら死なないとはいえ──それは、どれほどの苦痛であろうか。

「空君にとって、六原家への復讐は悲願だったのだろうな」

「そうだろうね」

「娘は殺され、関係者は過去の殺人事件の犯人だ。六原家にとってはこれ以上の無いスキャンダルだ。……気の毒だが、事業への影響は計り知れないだろう」

「結局、自分達が犯し、隠してきた罪に縛られていたんだ。その罪によって何人も死んでしまった。それは最終的に、六原家──否、刻条家自身を殺してしまったわけだ」

 七十年前、刻条家は大きな罪を犯した。

 その罪を隠すために、三坂直幸は殺人を重ねてきたのだ。

 直幸の殺人は、十和子の復讐心を呼び起こした。

 十和子は、竹の中に隠された罪を見てしまった。

 その結果、刻条家の歴史──そして、六原家は終わってしまうのだ。

 ──それが、この事件の顛末だ。

「……」

 車内に暫しの沈黙が満ちる。

 それを破ったのは圭司だった。

「あの、この車はどこへ?」

「……刻条家の屋敷跡だ。そこで、少年が死んでいるという通報があった」

「少年が?」

「酷く衰弱していたそうだ。今まで何故生きていられたのか、不思議だそうだ」

「──これから、弔いに行くんだよ。空君は友人の子供で、しかも同胞は私しかいないから。せめて最期くらいは、ね」

 葵さんには悪いけれど──夜子はそう付け加える。

「……その人は、髪が長いですか?」

「ああ。特徴が一致している。髪が長く、ボロ布を纏っているそうだ」

「葵?」

「……この藤の花の髪飾り、髪の長い男の子から受け取ったんです。大事なものだから、届けて欲しいって」

「届ける、誰に?」

 分からない、と葵は首を振った。

「そういえば、夜子さんは何で空君が犯人だと分かったんですか」

 元々屋敷に潜伏していた人間しか、十和子を殺害し得ないという筋道は分かる。

 しかし、いくら何でも異星人が犯人という発想には至らないだろう。

 圭司はそう思った。

「……十和子さんの殺害の状況を考えた時、屋敷の中に誰かがいたという以外には考えられなかった。けれど、確信を持てたのは葵さんのお陰だよ」

「え?」

「その髪飾りは私から沙月へ贈ったものなんだ。それを、沙月が、空君に託したんだろうね。それがあったからこそ、十和子さんを殺した犯人が空君だと分かったんだ」

 それに──と夜子は続ける。

「この国では、異星人は竹の中にいるものでしょう?」

 夜子が言い終わると同時に、車が止まる。

 刻条家の前に到着していた。


 圭司達は車外へと出る。

 明るい。

 月は煌々と刻条家の屋敷を照らしていた。

 かつての栄華は久しく、敷地の半分以上が焼けていた。

 屋敷の中にいた時は気づかなかったが、屋敷の外縁に達するほどに火勢は激しかったようだ。

「あれだ」

 康介が言う。

 彼が指さした先には警官が集まっており、その中心に、長髪の少年がいた。古びた着物を纏っている。

 彼は辛うじて燃え残った生垣に背中を預けていた。

「そうか……子供の目撃情報とは、彼のことだったのか……」

 康介はそう呟いた。

「最初から屋敷にいた彼は、犯行後に屋敷の正門から出て行った。それが、記録されていた一回だね。……ただ、知っての通り屋敷のカメラは壊れていたし、あの周辺に人通りは無かった。彼は誰にも見られることなく外に出た。そのまま刻条家の屋敷に歩いて向かった。その途中で、長髪の子供がいるという目撃情報が上ったんだろうね」

 少年の肌は青白く、黒い斑点が所々に浮かんでいる。

 異星人にとっての死相だ、と圭司は理解した。

 以前、異星人の死体が枯れる、と夜子は言った。

 少年もそうだった。

 正に竹が枯れるかのように、彼の姿は褪せていた。

「亡くなっていたのでは?」

 康介はすぐそばにいる警察官に声をかける。

「救急車を呼んだ後に息を吹き返したんです。ほとんど言葉は通じませんが、何とか息をしている状況です」

「分かった。──ありがとう、下がってくれて大丈夫だ」

「はっ……彼女は?」

「夜子さんだ」

 あれが例の──警官はそう言い残し、康介と少年の元から離れる。

 夜子は空に近づき、かがみ込む。

「初めまして、私は夜子」

 空は、僅かに顔を上げる。

 少年は言葉を発さない。

 ただ、微かに頷く。

「あなたが、殺したんだね」

 夜子の声は、とても慈愛に満ちていた。

「これは返すよ。あなたが、お母さんから貰ったものでしょう? 最期まで、大事に持っておいて」

 夜子は優しく、空の頭に手を置く。

 懐から藤の髪飾りを取り出すと、空にそっと握らせた。

「あなたと、あなたの母親を殺した人間の罪は暴かれた。これから、然るべき報いを受ける。だから、安らかにお眠り」

 ──君の事件は、もう終わったから。

 夜子はそう言った。

「──────」

 圭司と葵には、空が何と言ったか聞こえなかった。

 ただ、夜子は頷いた。

 あの二人に分かれば、それで良かったのだろう。

「……ねえ」

 葵が、圭司に声をかける。

「ん?」

「あの子のお母さんは、あの子が復讐することを望んでいたのかな」

「……どうだろうな」

 沙月の気持ちは分からない。

 普通なら、子供には──大切な人には、殺人などして欲しくなんてないだろう。

 変わらずに生きていて欲しい。

 大切な人に望むことなど、それくらいだろう。

「葵」

「何?」

 もし、私が────。

「償いは必要だ。でも、俺は、俺だけはずっと味方でいるから」

 それが、圭司から葵への解答だった。

 ──風が吹き込む。

 夜子が「あ」と声を上げた。

 彼女の視線の先には、焼け跡の灰と同時に、藤の髪飾りが宙を舞っていた。

 舞い上がる灰は、富士の煙の様に──夜空の月へ棚引いていた。

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