第9話 復活、シェアハウス。
「お参りですか?」
突然、後ろから声をかけられて、しゃがんだまま振り向くと、そこには、住職さんがいました。
「ハイ」
「何か、聞こえますか?」
「えっ・・・」
私は、一瞬、驚いてすぐに返事ができませんでした。
なぜか、住職さんに心の中を読まれたような気がしました。
「何か、お悩みのようですが、よろしかったら、お聞かせくださいませんか?
話をすれば、いくらかでも、楽になると思いますよ」
私は、静かに立ち上がると、住職さんに自分の悩みを言いました。
「それで、お嬢さんには、聞こえましたか?」
「いいえ・・・」
私は、少し肩を落として言いました。
しかし、住職さんは、手を合わせて、少し微笑みながら言いました。
「私には、聞こえましたよ」
「そうなんですか? なんて、言ったんですか」
「それは、私が言うことではありません。お嬢さんが、心の中で聞くことです」
「でも、私には、聞こえないんです」
「いいえ、もう、聞こえているのではないですか?」
私は、住職さんの言ってる意味がわからず、首を傾げます。
「あなたのいるべき場所。進むべき道は、あなたには、わかっているはずです。
聞こえませんか? あなたを待っているたくさん人たち。あなたを思っている大切な人。悩む必要はありません。そう思いませんか?」
それでも、私には、答えが見つかりません。
「そう言えば、先日、あなたと同じことを私に言った方がいましたよ」
「えっ! もしかして、私以外にも、お参りに来た人がいたんですか?」
すると、住職さんは、優しく頷くと言いました。
「お侍さんのような恰好をした、片目の男性でした。ずっと手を合わせていましたよ」
その時、私の頭の中に、あの人の姿が浮かびました。
もちろん、錠之助さんです。錠之助さんが、お参りに来ていたなんて、私には、衝撃的でした。
「それで、その人は、どうしたんですか?」
「答えを見つけたようですよ。私にお礼を言ってお帰りになられました」
帰ったって、どこに帰ったの? 錠之助さんに帰る場所はないはずです。
いや、一つある。それは、私と同じ場所だ。その時、私にも答えが閃きました。
なんで、そんなことがわからなかったんだろう・・・
私は、もう一度、手を合わせました。静かに目を閉じると、心の中に何かが聞こえてきました。
祖父や祖母の声が聞こえました。両親の優しい声も聞こえました。
私が行くべき道。それは、誰でもシェアハウスしかありません。
私には、錠之助さんがいるじゃないか。いつ、どんな時でも、私を守ってくれた人。
それは、獅子丸さんなんかじゃない。錠之助さんだ。
もう、私の気持ちには、迷いはなくなりました。頭の上の雲が取れて、晴れて行く思いでした。
「住職さん、ありがとうございました」
私は、感謝を込めて、心から言いました。深く頭を下げると、住職さんが言いました。
「どうやら、答えが見つかったようですね」
「ハイ」
「いい顔をしていますね。先ほどとは、別人のような、いい表情をしていますよ」
「ハイ、来てよかったです。おばあちゃん、おじいちゃん、お父さん、お母さん、ありがとう」
私は、声を出して言いました。
そして、住職さんに、何度もお礼を言うと、お寺を後にしました。
「帰らなきゃ。早く、帰らなきゃ・・・」
私は、その一点だけを思って、急ぎました。
電車を乗り継いで、駅を降りると自然に早足になりました。
そして、走り出しました。風が髪をなびかせ、額にも汗が浮き出て、息が切れてきました。それでも、足が止まることはありませんでした。
あの角を曲がれば、シェアハウスは、もうすぐそこだ。
私は、息が切れるのも構わずに走り続けて、その角を曲がりました。
「早く行かなきゃ・・・」
私は、それだけを思って走りました。すると、私の視界に人影が映りました。
思わず足が止まりました。自分の激しい息遣いだけが聞こえました。
私は、ゆっくりと息を整いながら歩きました。
次第にその人影が大きくなっていきます。まさか、そんなことが・・・
私は、大きくなっていく人影を見ながら夢を見ているかと思いました。
その人影とは、まぎれもなく、錠之助さんでした。
シェアハウスの門の前で、錠之助さんとバッタリ再会しました。
「錠之助さん・・・」
「沙織殿。どうして、ここへ・・・」
「錠之助さんこそ、なんで・・・」
すると、錠之助さんは、照れたように頭を掻きながらこう言ったのです。
「やっぱり、拙者の居場所は、ここしかござらん。恥ずかしながら、戻ってきたのでござる」
私は、そんな錠之助さんを見て、なぜか、笑ってしまったのです。
「私もよ。私も錠之助さんと同じ。やっぱり、私の居場所も、ここしかないもの」
「そうでござるな」
「そうよ。さぁ、行きましょう。早く、鍵を開けて、シェアハウスを開けなきゃ」
私は、二人並んで玄関先まで行きました。そして、二人で、貼り紙を破きました。
私は、鍵を取り出して、玄関のドアを開けます。ところが、その鍵が開いていたのです。
「錠之助さん、鍵が開いてるわ」
「空き巣か泥棒でござるか? 沙織殿、気を付けるでござる」
錠之助さんは、私を守るように前に立つと、背中の刀に手をやりながら、ドアを開けました。
「曲者、出てまいれ」
錠之助さんの片目が鋭く光ります。私にも緊張が伝わりました。
私たちがいない間に、誰かが住んでいるのかもしれない。
まさか、空き巣なんて・・・ このシェアハウスに侵入する人がいるなんて信じられない。
「誰かいるでござるか? 出て来い」
錠之助さんの声が響きます。
「沙織殿、油断目去るな」
私も耳と目に集中して、気配を感じ取ります。
すると、リビングから誰かが出てきました。
「お前ら、家をほったらかして、どこに行ってたんだ? 大家が勝手に留守にしていいと思ってんのか」
「結城!」
「結城さん・・・」
そこにいたのは、宇宙警察の結城凱さんでした。
「貴様が空き巣か?」
「ハァ、お前、脳が腐ってるのか? 俺は、留守番をしてやってたんじゃないか。勘違いするな」
それを聞いて、私は、体から力が抜けそうでした。しかも、奥からも人がぞろぞろ出てきたのです。
「どこに行ってたんですか? 心配しましたよ」
顔を出したのは、地獄大使さんです。
「泊まりに来たら、開いてなくて驚いたぞ」
他に、ドクターヘルさんも出てきました。
「とにかく、無事に戻ってきてよかったわ」
さらに、如月さんも出てきました。
「虎おじちゃんとお姉ちゃんが戻ってくるまで、みんなで留守番してたんだよ」
それは、ニャンギラスさんの男の子でした。
私は、全身から力が抜けて緊張感が一気に抜けてその場に崩れ落ちそうになりました。それでも、大家だから、しっかりしなくてはと、気を取り直しました。
「皆さん、心配かけて、すみませんでした」
私は、お客様たちに深く頭を下げました。
「それで、どこでどうしていたんですか? 話を聞かせてもらいますよ」
ヘルさんが白い顎髭をなでながら言いました。
「あら、帰ってきたの?」
ヘルさんの後ろから、全身黒ずくめの黒いマスクをした、謎の女性が顔を出します。
「紹介する。わしの新しい彼女じゃ。ドロンジョ、挨拶しなさい」
「ふぅ~ン、ヘル様の話を聞いたけど、ただの人間の女じゃない。あたし、ドロンジョ。よろしく」
「ハ、ハイ、よろしくお願いします。あの、ヘルさん、シレーヌさんは・・・」
「あいつは、別に男を作って、出て行った。やっぱり、デーモンは、信用ならんな」
「そうよ。あたしは、ヘル様命だからね」
そう言って、いきなり寄り添って、見せつけてくれます。
黒光りするレザースーツで、しかも、レオタードなので、白い足が長くてきれいだ。
顔もマスクで覆われて、目と口しか見えないが、真っ赤な唇が大人に見える。
ヘルさんは、髪も髭も白くて、皴が多くて、どう見ても高齢者なのに、女好きのようで、とにかく、モテるらしい。
私は、錠之助さんとリビングに行くと、みんなの前に座って、話をしました。
「恥ずかしい話ですが、私は、獅子丸さんに振られて、これから、どうしていいかわからなくて、ここを続けていく自信もなくて・・・ 皆さんには、ご迷惑とご心配をおかけして、すみませんでした」
私は、そう言って、何度も頭を下げました。
「アンタ、何様だと思ってるの? アンタは、ただの人間の女でしょ。男の一人や二人に振られたくらいでなにを言ってんよ。バッカじゃない。これからもっと、いい男がいくらでもいるでしょ」
ドロンジョさんが私に顔を近づけて言いました。
「これ、ドロンジョ、口を慎みなさい」
ヘルさんに言われて、ドロンジョさんは、プイと横を向いてしまいます。
「確かに、お前さんの気持ちはわかる。獅子丸をここで待ち続けていたというのもわかる。だからと言って、ここを辞めることはなかろう」
地獄さんが優しい口調で慰めてくれました。
「それで、何で、戻ってきたんだ?」
結城さんに言われて、私は、顔を上げて言いました。
「行く当てがない私は、知らない街に行って、自分を見つめ直そうと思って・・・
それで、祖母たちのお墓参りに行くことにしたんです。これから、どうしたらいいのか、聞いてみようと思ったんです。そこで、気が付いたんです。やっぱり、私は、ここしかない。私の居場所は、ここしかないことに気が付いたんです。獅子丸さんには振られたけど、私には、錠之助さんと、ここにやってくるお客様たちがいます。私が、間違っていたんです」
その横で、黙って話を聞いていた錠之助さんが、口を開きました。
「拙者も同じでござる。沙織殿と同じ、獅子丸に振られ申した。ここにいる意味を失くして修業のやり直しに、出て行ったものの、やはり、ここしかござらん。
拙者は、沙織殿を守ることが使命でござる。それゆえ、戻ってきたでござる」
「そうしたら、ここの前で、錠之助さんとバッタリ会って、なんか、運命を感じて・・・」
「拙者も同じでござる。沙織殿、この通り、拙者が悪かったでござる。許してくだされ」
そう言うと、錠之助さんは、私に頭を下げました。
「そんなことないわ。私だって、錠之助さんがいないと、ここを続けていけないのよ。これからも頼りにしてるから、今日からまた、よろしくお願いします」
私は、錠之助さんの手を取りました。
「沙織殿・・・」
錠之助さんの片目が少し光って見えました。
「よし、それじゃ、これで、万事めでたし、丸く収まったわけだ」
結城さんが、手を叩いて言いました。
「ハニー、チビネコ、酒を持ってこい。今夜は、飲むぞ」
「あら、いいわね。結城さんも、たまには、いいこと言うじゃない」
「たまにじゃない。いつもだ」
「それはそうと、いい男じゃない。あたし、強い男が好きなのよ」
「こらこら、ドロンジョ、わしがいるのを忘れるな」
あのヘルさんが、やきもちを焼いたように言いました。
「黒子ども、祝杯の用意じゃ」
地獄さんが言うと、小さな黒子人たちが、大勢現れて、あっという間に、目の前に、あらゆる飲み物と見たこともない食べ物が、テーブル一杯に並びました。
唖然とする私をよそに、お客様たちは、賑わい始めます。
「それじゃ、大家と錠之助が戻ってきたことを祝って乾杯」
「カンパ~イ」
みんながグラスを合わせて傾けます。
でも、グラスに注がれている飲み物は、赤とか緑とか、カラフルな色をしていて、
私が知ってるような飲み物には見えません。絶対、飲んではいけない飲み物です。
それでも、口を付けないわけにはいかないと、そんな雰囲気を感じて、口元にグラスを近づけると錠之助さんがその手を止めました。
「沙織殿は、飲んではダメでござる。沙織殿にも飲めるものを用意してないのか?」
「そうだった。ごめんなさい」
そう言うと、如月さんがキッチンから、普通のお茶を持ってきました。
「ハイ、これなら、飲めるでしょ」
「ハニー、こういう時は、酒だろ」
「なによ、大家さんを酔わせて、どうするのよ?」
結城さんと如月さんの楽しい会話に、思わず笑みがこぼれます。
私は、戻ってきたんだなという実感がわきます。
「それで、どこまで行ってたんですか? 自分を見つけた場所って、どこなのか、聞きたいですな」
地獄さんが紫色の飲み物をおいしそうに飲みながら言いました。
「それなんですけど、全然知らない街で、行ったことがないところで、海とか山があって、すっごい田舎で、迷子になってた困ってた私を、おばあさんに声をかけてもらって、一晩お世話になったんです。そこで、お墓参りに行くことにしたんです」
「ブゥゥ~・・・」
「こら、ハニー、何してんだ。チビネコ、タオル持ってこい」
突然、如月さんが、飲み物を吹き出したのです。
「ご、ごめん」
「大丈夫ですよ」
ニャンギラスくんが持ってきたタオルでテーブルを拭きながら言いました。
「お墓参りに行っても、そこの住職さんの話を聞いて、気が付いたんです」
すると、如月さんが、私の肩を優しく叩きながら、私の前に立ちました。
「ホントは、秘密にしておこうと思ったんだけど、大家さんを見てると、黙っていられなくなっちゃった。いい、ちゃんと見ててよ。それと、男連中は、目をつぶってるように」
そう言うと、如月さんは、一つ咳払いをすると、こう言ったのです。
「あるときは、田舎のおばあさん」
その瞬間でした。如月さんの体が七色に光ると、着ていた服が飛び散りました。
一瞬だけど、ヌードになります。しかし、すぐに飛び散った服が体に纏わり付きました。瞬きせずに見ている私の目の前で、如月さんが、あの時のおばあさんに変身したのです。
「・・・」
口を半開きに開けたまま、目を見開いている私の前で、如月さんが続けて言いました。
「またある時は、寺の住職」
すると、またしても、服が飛び散り、一瞬だけヌードになると、それが体に戻ります。輝く光が治まると、私の前には、あの時の住職さんがいました。
「・・・」
驚く私を尻目に、如月さんは、さらにこう言ったのです。
「しかして、その実態は・・・ハニーフラッシュ!」
今度は、住職の服が飛び散り、変わって体に戻ったのは、いつものミニスカート姿の如月さんでした。
「驚いた。アレ、全部、私なのよ」
口をパクパクさせる私は、呆然と見ているだけでした。
「イヤぁ、いつ見ても、いい眺めだなぁ」
「結城さんのエッチ」
「空中元素固定装置は、さすがですな」
「イヤイヤ、ホントに、如月博士の大発明ですな」
感心しているお客様たちとは逆は、私は、余りのことにビックリしすぎて、脳が停止したままです。
「ちょっと、大家さん、大丈夫?」
如月さんに肩を揺さぶられて、私は、やっと現実に戻りました。
「あの、それじゃ・・・」
「ごめんね。黙って見ていられなくてさ。でも、随分探したのよ。ホントに、ごめん」
如月さんは、そう言って、両手を合わせて謝ります。
「そんなことないわ。ありがとう、如月さん。あなたに言われて、私は、自分を見つけることができたんだもん」
「怒ってないの?」
私は、首を横に振りながら、笑顔で言いました。
「むしろ、感謝しているくらいだわ。ホントに、ありがとう」
私は、如月さんの両手を握りしめて、心から感謝しました。
「もう、大家さん・・・ ホントに、可愛いんだから」
そう言って、私をきつく抱きしめたのです。
「ちょ、ちょっと、如月さん・・・」
「おいおい、それは、錠之助の役だろうが」
「そうでした」
如月さんは、ペロッと舌を出して、隣の錠之助さんを見ました。
「タイガージョー、大家さんをちゃんと幸せにするのだぞ」
地獄さんに言われて、錠之助さんは、黙って頷いていました。
そこまでハッキリ言われると、恥ずかしくなって、私は、キッチンに走りました。
なんだか、顔が熱くなってきた。お酒を飲んだわけではないのに顔が熱い。
ついでに顔が赤くなってる。どうしてなんだろう・・・
その時、私の頭にある言葉がよぎりました。
今しかない。今、言うんだ。私がずっと言いたかったこと。今こそ、思い切っていう時だ。私は、自分に気合を入れて、リビングに戻りました。
「あの、錠之助さん・・・ 私、気が付いたことがあるんです。私をお嫁にもらってください」
私は、みんなの前でそう言って、右手を差し出して、目を閉じて頭を下げました。
賑わっていた部屋が、静まり返ります。水を打ったような静けさでした。
そこにいた人たちが、私と錠之助さんを見ているのがわかりました。
錠之助さんは、なんていうだろうか・・・ 私は、期待も込めて、勇気を振り絞って言った一言に何と答えてくれるだろうか? そして、錠之助さんは、静かな声で言いました。
「沙織殿。そなたの気持ちは、拙者にもわかるでござる。しかし、それは出来ないでござる。気持ちだけ、もらうでござる」
錠之助さんは、立ち上がるとそう言って、私の右手を握ってはくれませんでした。
静けさの中で、錠之助さんの穏やかな声が聞こえました。
「錠之助、お前、それでも男かよ」
「ジョーさん、どうして・・・」
「お前、どういうつもりだ!」
結城さんと如月さんが大声を上げます。しかし、錠之助さんは、落ち着いた声で言いました。
「拙者は、武士でござる。沙織殿とは、身分が違うでござる。だから、それは無理でござる」
そう言って、錠之助さんは、背中を向けてしまいました。
私は、差し出した右手を戻して、顔を上げました。
「また、振られちゃった・・・」
独り言のように呟くと、目から涙が零れました。
でも、それでいいのです。私は、ただの人間の女です。錠之助さんといっしょになれるわけがありません。
私は、獅子丸さんに振られて、今度は、錠之助さんにも振られてしまった。悲しいけど、仕方がありません。
「よし、それじゃ、俺の嫁になるか? 錠之助なんかより、ずっといいぞ」
結城さんがそう言って、私の肩を掴み引き寄せました。
結城さんの顔がすぐそばに来て、近すぎてドキドキする。
私は、突然のことに、どうしていいかわからず、固まってしまいました。
その時です。私と結城さんの顔の前に、なにか光るものが見えました。
「その手を離せ。沙織殿にそれ以上近づいたら、貴様のその首、今この場で斬る」
それは、錠之助さんの刀でした。きらりと光る刃に私の顔が映るのが見えました。
横目で見ると、錠之助さんの片目が鋭く光っています。
「だったら、離すんじゃねぇよ」
結城さんは、そう言って、にやりと笑います。
「その前に、これを何とかしろ。危なくていけねぇ」
結城さんが言うと、錠之助さんも刀を収めました。私もホッとします。
錠之助さんは、本気なのがわかりました。
「錠之助さん、私は、大丈夫だから」
それだけ言うのがやっとでした。
「どうすんだ、これでも、大家の話を受けないつもりか」
「拙者は、武士でござる」
「ハァ? あんた、いつの時代の話をしてるのよ。今は、令和よ令和。江戸時代と違うんだよ」
ドロンジョさんが、呆れるように言いました。それでも、錠之助さんは、私に背中を向けたままです。
「まぁ、よいではないか。錠之助にも考えがあるんじゃろ。どうかな、わしに知り合いがいるんだがいい男だぞ。紹介してやるぞ」
地獄さんが言いました。
「それより、ジョーさんなんて追い出してやったら。見損なったわ、あたし」
如月さんが錠之助さんの背中を睨みつけます。
「ここは、大家一人でもやっていけるだろ。何なら、俺が手伝ってやってもいいぜ」
結城さんが言いました。
「ぼくもお姉ちゃんのお手伝いするよ」
ニャンギラスくんまで私に気を使うように言いました。
「皆さん、ありがとうございます。私は、大丈夫です。私は、そんな女じゃないし、立派な人間でもないから錠之助さんとは、釣り合わないんです」
私は、明るい笑顔で言いました。でも、自分もでもわかるくらい、無理した作り笑顔でした。
「この、スカポンタン! 男の一人や二人に振られたくらいで、くよくよするんじゃないよ。アンタくらいの美人なら、すぐにいい男が寄ってくるさ。あたしの知ってる男なんて、全国の女子高生に振られてばっかりでも、全然懲りてないのよ」
ドロンジョさんは、そう言って、ヘルさんに抱き付きました。
「沙織殿、今宵は、これにて失礼するでござる。ごめん」
錠之助さんは、そう言うと、自分の部屋に入っていきました。
「なんだい、あいつは」
「放っておけ、あんなやつ。それより、飲み直しだ。ハニー、チビネコ、酒を持ってこい」
結城さんは、そう言うと、私の肩を押してソファに座らせます。
私は、このまま消えてなくなりたくなりました。穴があったら入りたい。
このままどこかに消えてもいい。ここにいるのが、つらくて、悲しくて、切なくてたまりません。
「ほら、飲みな。飲んで、イヤなことは、忘れちまいな」
そう言って、ドロンジョさんがお酒をコップに入れてよこします。
「これは、あたしが持ってきた酒だから、アンタでも飲めるから、安心しな」
そう言われて、私は、ゆっくり顔をあげてコップを受け取りました。
「大家さん、気を落とすな。錠之助にも考えがあるんだろ。明日になれば、ケロッと忘れていつも通りのはずじゃ」
地獄さんに慰められて、いくらか気持ちが軽くなりました。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
ニャンギラスくんにまで心配かけて、申し訳なく思いました。
でも、私は、頷くことしかできませんでした。
「ねぇ、大家さん、あたしの知り合いにいい男がいるんだけどさ、会ってみない?」
「わしの昔の知り合いにも、いい男がいるぞ。紹介してやろう」
如月さんとヘルさんに言われても、すぐに返事ができません。
「ほら、グッと飲め。飲んで、あいつのことなんか忘れろ。俺もこいつらもいるじゃないか。アンタのそんな顔は、見たくないな」
結城さんに言われて、私は、ゆっくり顔を上げました。
そして、両手で持ったお酒が入ったコップを口に近づけました。
飲もう。今夜は、とことん飲んでやる。飲んで、錠之助さんも、獅子丸さんも忘れよう。
明日から、一人でここをやって行こう。きっと、助けてくれる人もいるはずだ。
これからは、私一人で生きて行こう。私は、そう思って、一口飲もうとすると、
いきなり、ドアが開いて、錠之助さんが飛び出してきました。
そして、腰の刀を抜いて、そのまま私の前にひれ伏したのです。
膝をついて、両手を床につき、頭を下げてこう言いました。
「沙織殿、先ほどは御無礼いたして、誠に申し訳ない。深くお詫びいたす」
ひれ伏して額を床に付けたまま言いました。
私も他の人たちも、呆気に取られてみていることしかできません。
まさか、武士が、私如きに頭を下げるなど、あるわけがない。私は、信じられない思いでした。
「改めて申し上げる。沙織殿、拙者の嫁御になって下され。この通りでござる。
拙者、命をかけて、沙織殿を一生お守り申す。武士に二言はござらん。拙者を信じて、嫁になってくだされ」
私は、夢を見ているかと思いました。
そんなバカな・・・ この私が武士の嫁になんてなれるわけがない。
確かに最初に言ったのは、私の方からです。でも、あの時は、思いが先に立って勢いで言ったようなものでホントに受けてくれるとは思っていませんでした。
だから、振られたときも悲しいよりも
やっぱりなと思って、涙は出ても、寂しくはありませんでした。
それなのに、今、私の目の前で、こうして頭を下げている錠之助さんの言葉を聞いて、私は、なんて言ったらいいのか、言葉がわかりません。
部屋は、水を打ったように静かです。誰もが錠之助さんの姿を見下ろしていました。
まるで、時間が止まったようです。そんな時、如月さんが私の肩を強く叩きました。
「ほら、大家さん、なんか言ってやんなよ」
「アンタ、男が頭を下げてんだよ。今度は、アンタが返事をする番じゃないのかい」
ドロンジョさんがからかうように言いました。
「しっかりしろ」
結城さんが、私の背中を強く推しました。私は、その勢いで、一歩前に踏み出しました。もう、なにがなんだかわかりません。脳内の思考が停止して、なにも言葉が見つかりません。なのに、勝手に、口から言葉が出ていました。
「錠之助さん、顔を上げてください」
「・・・」
「武士が、私のような女に頭を下げちゃダメじゃないですか」
私は、錠之助さんの前にしゃがんで、その手を取りました。
そして、錠之助さんの顔を見ながら、言いました。
「ホントに、私でいいんですか? ホントに私をもらってくれるんですか?」
「武士に二言はござらん」
「わかりました。私は、錠之助さんのお嫁さんになります。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
「沙織殿・・・」
やっと、顔を上げた錠之助さんは、一つしかない目で私を見詰めました。
「私は、普通の人間ですよ。ただの女で、全然強くありません。それでもいいんですか?」
「心配ござらん。沙織殿は、拙者がお守り申す。必ず、幸せにするでござるよ」
「ありがとう。これからも、私を守ってくださいね。私は、錠之助さんと幸せになります」
私は、最高の笑顔で言いました。こんな時に、泣いたらおかしい。
私は、涙をこらえて笑顔を作りました。
「錠之助さん、武士が泣いてはおかしいですよ」
私の代わりに、錠之助さんが泣いていました。片方しかない目から、大粒の涙が光っていたのです。
「沙織殿」
起き上がった錠之助さんは、そのまま私を強く抱きしめました。
「ちょ、ちょっと、錠之助さん・・・ 離してください。みんなが見てます」
力一杯抱きしめられて、私は、笑いながら言いました。でも、ちっとも痛くなんてありません。
むしろ、うれしくてたまりませんでした。この日の夜のことは、一生忘れない思い出になりました。
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