第8話 さよならシェアハウス。
それから数日たちました。その日は、シェアハウスの予約のお客様もなく、静かでした。
お昼ご飯を錠之助さんと食べて、急なお客様のために部屋を片付けたり掃除をしていました。
「こんにちは、沙織姉ちゃんいますか?」
ベランダで洗濯物を干していた私の耳に、そんな言葉が聞こえました。
私は、お客様だと思って、急いで下に降りて玄関に向かいました。
「ようこそ、いらっしゃいま・・・せ・・・」
言葉は、そこで止まってしまいました。
「沙織姉ちゃん、久しぶり」
そう言ったのは、小助ちゃんでした。そして、その横には、夢にまで見た、獅子丸さんがいました。
「獅子丸さん・・・」
「沙織、久しぶりだね。遅くなって、ごめん」
私は、夢かと思いました。目の前に、あの、獅子丸さんが立っているのです。
でも、私が想像していた姿ではありませんでした。私は、その場から動けませんでした。
「どうしたでござる?」
お風呂を掃除していた錠之助さんがやってきました。
「よぉ、錠之助」
「獅子丸! お主は、獅子丸か?」
「そうだよ。帰ってきたんだ」
笑顔で言う獅子丸さんの姿に、錠之助さんも驚いていました。
片目がこれでもかと見開いて、獅子丸さんを見詰めていました。
目の前に立っている獅子丸さんは、なんと、スーツ姿だったのです。
私が知ってる獅子丸さんは、忍者の衣装に、腰と背中に刀を差して、長髪をチョンマゲにしている姿です。
それなのに、今、目の前にいるのは、別人と見間違えるほどの姿なのです。
私は、獅子丸さんと再会したら、きっと胸に縋って泣く自分を想像していました。
懐かしの獅子丸さんとの感動の再会が、私の理想だったのです。
それなのに、胸に飛び込むどころか、涙の一滴も出ないのです。
余りの変わりように、唖然としていたというのが、正しいかもしれません。
それに、あの小さかった小助ちゃんが、私よりも背が高くなって、同じようにスーツを着ているのです。
ボサボサだった髪をきちんと櫛が通っている、短髪な髪型で、昔の面影は微塵もありませんでした。
「沙織姉ちゃん、元気だった? なんだか、すっごく美人になったね」
私は、そんな小助ちゃんの言葉が、全く頭に入りません。
なんなの、この人たちは・・・ 誰なの? ホントに、小助ちゃんなの?
獅子丸さんは、どうしちゃったの?
「沙織、遅くなってすまなかった」
「獅子丸さん・・・ ホントに、獅子丸さんなの?」
「そうだよ」
そう言われても、すぐに信じられませんでした。
それは、錠之助さんも同じで、体が硬直したまま突っ立ていました。
「上がらせてもらうぞ。イヤぁ、ここは、昔とちっとも変わってないな」
そう言いながら、二人は、靴を脱いで、部屋に上がりました。
私と錠之助さんは、二人して顔を見合わせながら、信じられないという思いでした。
リビングに行くと、二人は、私たちの向かいに座りました。
そして、驚くようなことを言いました。
「沙織、ぼくは、今、アメリカで仕事をしているんだ。小助もいっしょだ。今日は、一時帰国して、沙織に会いに来たんだ」
「どう、俺たち、アメリカで仕事してるんだぜ。すごいだろ」
自慢するように言う小助ちゃんの言葉が、右から左に流れていきました。
「沙織、すまん。キミの気持ちは、わかっていた。でも、キミの気持ちには、答えられないんだ。キミは、これから、自分の道を歩いて行ってくれ。キミに似合う男がいたら、その人と幸せになってくれ。今日は、それを言いに来たんだ」
ウソ・・・ そんなのウソよ。ウソに決まってる。私は、獅子丸さんのお嫁さんになるのが夢だった。
その為に、今日まで獅子丸さんを待って、ここを守っていたんだ。
それなのに、私のことを拒絶した。あのときも、いっしょに行くといった私は、置いて行かれた。
そして、また、今日も同じことを言われた。そんなことがあるわけがない・・・
私は、頭が真っ白になりました。例え、姿形は変わっても、私は、獅子丸さんについて行く。
今度こそ、ついて行くと決めていたのに、また、置いて行かれようとしている。
「獅子丸さん・・・ 私じゃダメなの? 私のことが、嫌いになったの?」
「そうじゃない。俺は、もう、昔の俺じゃないんだ」
獅子丸さんは、ハッキリ言いました。
「獅子丸、拙者との勝負はどうなる? 今度こそ、拙者とカタをつけるという約束は、いかがした? もしかして、忘れたでござるか?」
錠之助さんが、語気を強めて言いました。
「そうじゃない。よく聞け、錠之助。もう、俺は、お前には勝てない。勝負しても意味がないんだ」
「な、なんだと!」
「これを見ろ」
そう言うと、獅子丸さんは、持っていたバッグから刀を取り出して、鞘から抜きました。それは、とても短い折れた短い刀でした。
「見ての通りだ。銀紗持の太刀は、この通り、あの時のお前との勝負で折れてしまった。だから、俺は、もう、二度とライオン丸には変身できない。そんな俺は、もう、お前と勝負しても勝てないんだ。勝負は、お前の勝ちだ」
それを聞いた錠之助さんは、ガクッと項垂れて、悔しそうにテーブルを何度も叩いた。
「貴様、それでも武士か! あの強かったライオン丸は、どうしたんだ」
顔を上げた錠之助さんは、片目から悔し涙を流していた。
「拙者の片目を切ったのは、ライオン丸、貴様だぞ。それを忘れたでござるか?」
「忘れてはいない。だが、それと引き換えに、お前は、この刀を折った。
それで、俺は、ライオン丸には変身できなくなった。お前は、その刀がある限り、
タイガージョーには変身できるはずだ。だから、勝負は、お前の勝ちだ」
「ウオォォ・・・」
錠之助さんは、涙も拭うこともなく、悔しそうに声を上げると、庭に飛び出して行った。今の錠之助さんの気持ちが、私には、痛いほどわかる。
私も同じだった。獅子丸さんに裏切られたと思った。
「それで、私は、どうなるの? また、一人になるの? いっしょに連れて行ってはもらえないの・・・」
「すまん。沙織。それは、出来ない。キミは、キミの道を歩いて欲しい。俺と小助は、今、こうして新しい道を歩いているんだ。きっと、キミにも新しい道が見つかるはずだ。こうして、シェアハウスもある。好きな男と結婚して、幸せになってくれ」
もう、涙も出なかった。悔しすぎて、心が折れそうだった。
待ち焦がれていた獅子丸さんから、そんな言葉を聞くなんて、思いもしなかった。
その時、私は、思ってもいないことを口にしていました。
「なにを言ってるのよ! 私の気持ちはどうなるのよ。今まで、ずっと、待ってたのよ。あなたのことが大好きで、いつか戻ってくるのを信じて待ってたのよ。あなたのお嫁さんになることが私の夢だった。それなのに、また、私を置いて行ってしまうの? 冗談じゃないわよ。そんなことを言うために、戻ってきたの?」
「沙織姉ちゃん、落ち着けよ」
「小助ちゃんは、黙ってて」
「ちょっと、俺は、もう、大人になったんだ。いつまでも昔のぼくじゃないんだから、小助ちゃんていうのは辞めてくれないかな」
小助ちゃんにも否定された気分になりました。あんなに可愛かった小助ちゃんが、立派な大人に成長した。私よりも背が高く、素敵な男性になっていた。獅子丸さんも、自分の新しい道を歩いている。
それじゃ、今の私は、なんなの? 全然成長してないってこと?
いつまでも、獅子丸さんのことを思って、夢を見ていた自分が、バカみたいに思えました。余りにも情けなくて、涙も出ません。
「沙織、この通りだ。これからは、自分のことを考えて、俺のことは忘れてくれ」
そう言って、頭を下げる獅子丸さんを見ると、悲しいよりも怒りがこみ上げてきました。
今まで、獅子丸さんのことを思い続けていたのに、やっと再会できたと思ったら、
俺のことは忘れてくれなんて、忘れられるわけがない。忘れるなんて、絶対できない。それじゃ、私が今日まで生きてきた意味がない。
「沙織、さよならだ。もう、二度と会うこともないだろう。元気でな」
「沙織姉ちゃん、さよなら。沙織姉ちゃんのこと、ぼくは、忘れないから」
そう言って、二人は、立ち上がると玄関に向かって歩き出しました。
私は、立ち上がることもできず、何も言い返せませんでした。
「待て、獅子丸。拙者と勝負だ」
錠之助さんが、庭から飛び出して、玄関先で刀を抜いて立ちふさがります。
「よせ、錠之助。もう、勝負はついたんだ」
「イヤ、付いておらん。拙者は、貴様を斬る。沙織殿の気持ちを踏みにじった、貴様を拙者は許せん」
錠之助さんは、そう言うと、タイガージョーに変身した。
「獅子丸、拙者は、貴様を許せん。沙織殿が、今日まで、貴様のことを待っていたのでござる。それを貴様は・・・」
私は、その声を聞いて、慌てて玄関に靴も履かずに飛び出ました。
「錠之助さん、待って」
「沙織殿、退くでござる。拙者は、獅子丸が許せんのでござる」
見ると、タイガージョーに変身した錠之助さんが、泣いていました。
片目から大粒の涙を流しながら、刀を構えて動きません。
「沙織殿の気持ちが、お主にはわかるはずでござる。それなのに・・・」
錠之助さんの声が震えていました。
「やめて! 錠之助さん、もういいの。だから、もう、やめて」
「イヤ、やめんでござる。拙者は、獅子丸を斬る」
「錠之助さん、お願いだから、やめて。私のことは、もういいの」
私は、そう言って、必死に錠之助さんの体に縋りついて止めました。
なぜか、その時、私も泣いていました。虎の姿になった、錠之助さんの胸に顔を埋めて声を殺して泣いていました。
「獅子丸さん、小助ちゃん、早く行って」
私は、泣きながら大声で言いました。
「沙織、すまん」
「謝ってなんて欲しくない。私は、もう、大丈夫」
私は、涙でぐしょぐしょの顔を向けて、小さな声で言いました。
そして、獅子丸さんと小助ちゃんは、そんな私に背を向けて、出て行きました。
「獅子丸、それでも男か。沙織殿をこのままにして、また、出て行くのか。見損なったぞ、獅子丸」
「もういいの。錠之助さん・・・ もういいから」
私は、錠之助さんの腕にしがみ付きながら何度も言いました。
「沙織殿・・・」
錠之助さんは、そんな惨めな私をしっかり抱きしめてくれました。
「沙織殿、拙者は、命に代えてお守りすると誓ったでござる。沙織殿の幸せが、拙者の幸せでござる。それなのに、獅子丸は・・・ 拙者は、悔しいでござる」
「錠之助さん、ありがとう」
二人して泣きながら、いつまでも抱きしめ合っていました。
その後、部屋に戻って、リビングで向かい合って座ります。
何か話さなくちゃと思いながらも、二人とも俯いたまま、無言の時間が流れました。
何から話したらいいのかわかりません。何を話したらいいのかもわからない。
その時、不意にあることを思いつきました。
「私、ここを出て行きます」
自分でも思っていなかった一言でした。ゆっくり顔を上げると、錠之助さんは、
黙って私を見ています。
「もう、ここにいる意味がないわ。私も、獅子丸さんのように、新しい道を探してみます。だから、ここは、もう、辞める。ここは、私の居場所じゃない」
私は、ゆっくりと噛み締めるように言いました。
それが、今の私に一番必要なことだと思ったからです。
私は、獅子丸さんを待ち続けて、いつか帰ってくるのを待つためにここを始めました。祖母の後を継ぐことが一番大事なことなのは、わかっています。
でも、今の私には、もうここを続けていく意欲がありません。
続けていく意味もない。いくらここを続けていても、もう、獅子丸さんは帰ってきません。
私は、獅子丸さんに振られてしまったのです。今の私は、抜け殻同然でした。
「沙織殿、わかり申した。それなら、止めは致さん。拙者も出て行くでござる」
「錠之助さんも自分の道を探した方がいいと思うわ。いつまでも私のことなんて思ってないで自分のことを考えたほうがいいと思う。
「そうでござるな。拙者もまた修業のやり直しでござる」
そう言うと、錠之助さんは、静かに立ち上がると、部屋に帰ってしまいました。
これでいいんだ。いつまでも守られてばかりじゃダメです。自分の身は自分で守らなきゃ。
私も強くならなきゃいけない。一人になって、自分を見つめ直そう。
私は、そう決意しました。そして、仏壇の祖母と祖父、それに両親の位牌に手を合わせました。
「おばあちゃん、おじいちゃん、お父さん、お母さん、ごめんなさい。私を許してください」
私は、静かに言って、手を合わせます。一筋の涙が頬を伝いました。
翌朝、早く起きた私は、着替えだけをバッグに詰めて、リビングに行きます。
昨夜は、余り寝られませんでした。すると、そこに、錠之助さんもいました。
「おはようでござる」
「おはようございます」
そう言ったきり、また、無言の時間が流れました。
「さて、それじゃ、お別れでござる。寂しくなるが、沙織殿もお達者で」
「錠之助さんも元気で」
私たちは、笑顔で別れました。玄関のカギを閉めて、しばらく留守にしますと書いた貼り紙を貼ります。
「沙織殿、また、どこかで会えるのを楽しみにしているでござるよ」
「私も。錠之助さん、次に会うときは、私も強くなってるからね」
「では、さらばでござる」
「うん、さよなら」
別れとは、あっさりしたものだった。私と錠之助さんは、それぞれ背中を向けて、
左右に分かれて歩き出しました。振り向く気持ちはありません。
錠之助さんも同じだったと思います。これで、お別れです。
歩きながら、これまで出会った、妖怪たちや宇宙人のみんな、魔女や地底人など、
たくさんのお客様の顔が思い浮かんできました。
中でも、錠之助さんの笑顔が浮かんでは消えての繰り返しでした。
私は、その足で駅に向かいました。電車に乗るのは、久しぶりです。
すべてがシェアハウスの中で事足りるので、外出するのは久しぶりでした。
とりあえず終点までのキップを買いました。正直言って、行く当てなど、どこにもありません。
シェアハウスを始めたときから、学生時代の友だちとも連絡を取っていません。
知り合いも友達もいない私に、頼れる人は一人もいません。
ホントの一人ぼっちになったことを今更ながら実感しました。
電車に揺られていても、どこに行くのかもわからない有様です。
どこでもいい。誰も知らないところで、自分を見つめ直す。それが、今の私のやることです。
そう思ってしばらく電車に揺られて終点に着いた駅は、一度も降りたことがない駅でした。
駅前は、何もない田舎のような場所でした。コンビニもスーパーも商店街らしいものもありません。
バスもタクシーも止まってない、何もない駅でした。
私は、足の向くままに歩き始めました。行く当てなどないのに、いったい、私はどこに向かって行くのだろう?
そう思いながらも、足が勝手に動いていました。
すると、海が見えてきました。久しぶりに見る広い海でした。でも、ここがどこだか、全然わかりません。
歩いているときも、人にすれ違うこともなく、住んでいる人の気配も感じません。
民家はところどころありました。でも、誰ともすれ違うことがありませんでした。
海についても、泳いでいる人も砂浜にも人がいません。静かな波音だけが聞こえているだけでした。
私は、そのまま、海に沿って足の向くままに歩き続けました。
空は青空がどこまで広がって、風が気持ちいい。
いったい、私は、どこまで歩くんだろう? 自分でもわからないまま、歩きました。
「そうだ。今夜は、どっかに泊まらないと」
いくらなんでも、知らない街で野宿するわけにもいきません。
私は、一人呟きながら、どこか旅館がないか目を凝らして探しました。
しかし、何もないのです。何も見つかりません。ホテルらしい建物もありません。
ひたすら歩き続けて、疲れてきた私に、日差しが容赦なく照り付けます。
歩き疲れた私は、岸壁に座りました。
「ふぅ~」
一息ついて、周りを見ても、海と山しか見えませんでした。
休憩するにも、喫茶店などもなく、お腹も空いてきました。
駅に戻ろうかと思ったけど、また、駅まで歩くことを思うと、そんな気力は残っていませんでした。
「どうしようかしら・・・」
こんなところで迷子になるとは思いませんでした。自分探しどころではありません。私は、重い腰を上げて、再び歩き出します。その時でした。誰かが私を呼ぶ声がしました。思わず、声がした方を振り向きます。でも、誰もいません。
「空耳かしら?」
私は、そう思いながら、また、ゆっくり歩き出しました。
ところが、数歩歩いたところで、また、私を呼ぶ声がしました。
「誰? 私を呼ぶのは、誰なの?」
すると、不思議なことに、私の目の前におばあさんが立っていました。
ビックリして、後ろに反り返ります。
「アンタ、こんなところで何をしてるんだね?」
「えっと・・・」
「観光かね? でも、ここには見るとこなんてどこにもないぞ」
白いかっぽう着を着て、白髪のおばあさんは、不思議そうに私を見上げます。
「あの、どこかに泊まるところはありませんか?」
「アンタ、どこから来たんだね?」
「東京です」
「ふぅ~ン、悪いが、泊まるところなんてここには、一つもないよ」
私は、絶句して言葉が出ませんでした。黙っていると、おばあさんが言いました。
「よければ、ウチに来るかい? ウチは、一人暮らしの年寄りだから、遠慮はいらないよ」
「いいんですか?」
「アンタさえよければな」
「すみません。お願いします」
私は、そう言って、深く頭を下げました。おばあさんが神様に見えたのは、言うまでもありません。私は、おばあさんの後について行きました。
少し歩くと、山のふもとの小さな家が見えてきました。
そこが、おばあさんのウチでした。木造の小さな家です。
「遠慮はいらん。入りなさい」
「失礼します」
私は、そう言って、玄関から中に入りました。
通された部屋は、ちゃぶ台とテレビがあるだけの質素な部屋でした。
「なんか食べたのか? 腹が減ってるなら、残り物でよければ作るぞ」
「すみません。実は、朝から何も食べてなくて・・・」
私は、遠慮がちに言うと、おばあさんは台所に行きました。
田舎の一軒家という感じで、部屋の中もとても静かです。
テレビはあっても、つけていないので、何も聞こえません。
静かな時間だけが過ぎていきました。それでも、私には、とても居心地よく感じました。
少しすると、おばあさんが食事を持ってきてくれました。
ご飯にお味噌汁、煮物とお漬物という、簡単な和食です。
それでも、今の私には、ご馳走です。
「いただきます」
と言って、ご飯を食べました。お味噌汁も煮物もとてもおいしくて、私は、夢中で食べてしまいました。
その様子を、おばあさんはニコニコしながら見ています。
食事を終えて、差し向かいでお茶を飲んでいると、おばあさんが言いました。
「何か、悩みでもあるのかい? よければ、この年寄りに話してみなされ。話せば、いくらか楽になるぞ」
おばあさんの優しい言葉に促されるように、私は、今の自分の思いを正直に話しました。おばあさんは、なにも言わずに最後まで話を聞いてくれました。
「お前さんは、なにか勘違いしているんじゃないかな?」
話を聞き終えたおばあさんは、お茶を一口飲んで言いました。
「好きな男がやってきたのに、振られてしまったわけだな。自分の居場所と意味がわからなくなったとお前さんは、そう感じたんだな」
「ハイ」
「だがな、それは違うんじゃないかな? わしが見るには、お前さんは、ずいぶん幸せだと思うぞ」
「私が幸せに見えるんですか?」
「気が付かないだけじゃ。お前さんには、ちゃんと居場所がある。お前さんを待ってる者がたくさんいる。それに、アンタを守ってくれる人もいる。その目をちゃんと開いて、見てみなされ」
「・・・」
「心の目で見るんじゃ。きっと、見えてくるはずじゃ。困ったら、相談してみるといい」
「相談て・・・私は、親も兄弟もいません。友達も相談できる知り合いもいないんです」
「なにも、相談する相手は、生きている者とは限らんだろ。困ったときは、アンタの家族に聞くんじゃ」
「でも、私の家族は、みんな・・・」
「さっき、言っただろ。心の目で見る。心の耳で聞いてみるんじゃ」
そう言われても、私には、相談出来る人はいません。
私の家族は、みんな天国に逝ってしまったのです。
「今夜一晩、ゆっくり寝て、考えてみることじゃな。もう、遅いから、隣にふとんを敷いてやるから寝るといい。きっと、明日には、何かしら答えが見つかるはずじゃ」
そう言って、おばあさんは、隣の部屋に布団を敷いてくれました。
私は、お言葉に甘え、ふとんに横になりました。
昼間に歩き過ぎて、疲れていたのか、考える暇もなく、すぐに眠ってしまいました。
その夜、私は、子供のころの夢を見ました。
私が小さな子供だった頃、祖母の膝の上で、甘えている夢でした。
懐かしくて、楽しかったころを思い出して、なぜか涙が流れていました。
もう一度、会いたい。それは、獅子丸さんではなく、祖母でした。
悲しかったこと、イヤなことがあった時は、いつも祖母の胸に抱かれて、頭を撫でてもらっていました。
すると、なぜか、そんな悲しい想いがどこかに行ってしまって、泣き止むと気持ちが晴れ晴れとしていたのです。
その時、私は、祖母に会いに行こう。そう思いました。大好きだった、祖父と祖母、両親が眠るお墓に行こう。
そして、今の私の悩みを聞いてもらおう。心の耳で聞くというのは、そのことなのかもしれない。そんな夢でした。
翌朝、私は、陽が昇るのと同時に目が覚めました。
ぐっすり寝たので、昨日の疲れは残っていません。
「おはようございます」
そう言って、部屋を開けると、おばあさんは、朝ご飯を作ってくれていました。
「寝られたかい」
「ハイ、ぐっすり寝られました」
「朝飯を食え。しっかり食べなされ」
「ハイ、いただきます」
湯気が立っているおいしそうなお味噌汁。ホカホカのご飯。焼きたてのお魚と玉子焼き。今の私には、贅沢過ぎる食事でした。
私は、朝ご飯を夢中で食べました。人に作ってもらったご飯を食べるのは、久しぶりです。
シェアハウスにいたときは、錠之助さんと二人で食べるものは、全部私が作っていました。何ておいしいご飯なんだろう・・・ 昨日の夕食と同じ感想でした。
それも、昔、祖母が作ってくれた味に似ている気がして、なんだか泣けてきます。
「ご馳走様でした」
私は、感謝の意味も込めて言いました。
「どうやら、答えは出たようじゃな」
「ハイ。これから、祖母や祖父に会いに行ってきます」
「それがいいな。アンタ、昨日とは別人のような、いい顔をしてるぞ」
そう言って、おばあさんは、優しく笑ってくれました。
私は、朝食を食べると、おばあさんにお礼を言って、帰ることにしました。
「ホントに、ありがとうございました。なにもお礼ができなくて、すみません」
「構わんよ。アンタのような若い娘が、元気を取り戻してくれれば、わしもうれしい」
「お世話になりました。この御恩は、一生忘れません。このお礼は、必ずお返します」
「そんなこと、気にせんでいい。アンタなら、やり直せるはずじゃ。がんばりなされ」
「ハイ。ホントに、ありがとうございました」
私は、何度もお礼を言って、おばあさんのウチを後にしました。
朝陽を浴びながら、駅までの長い道のりを歩きました。
昨日は、とても長く感じた道も、今の私には、ちっとも長く感じませんでした。
しっかり前を向いて、歩くのも苦になりません。太陽が、私の背中を押していました。
駅に着くと、すぐに電車がやってきて、私はそれに乗り込みます。
これから行くのは、私の大切な家族が眠るお寺です。
久しぶりのお墓参りでした。シェアハウスを始めてから、余り行ってなかったのです。昼過ぎに着くと、私は、お花とお線香を持って、家族が眠る墓前に向かいます。
すると、驚くことに、お墓に花がありました。
「誰が、お参りしたのかしら?」
花は、まだ、枯れていないので、最近、誰かがお参りに来たとしか思えません。
でも、私以外にお参りに来る人なんて、思い浮かびません。
私は、自分が持参した花を活けて、お線香を上げました。
そして、しっかり手を合わせて、心の中で言いました。
「おばあちゃん、おじいちゃん、お父さん、お母さん、私は元気です。
でも、これから、私は、どうしたらいいんですか? 教えてください」
私は、手を合わせて目を閉じながら、相談しました。
今の私には、すがる相手は、家族しかいません。
私は、その返事が聞こえるまで、心の耳を澄ませました。
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