第7話 オテンバ女王がやってきた。

 それから三日間は、朝も夜も関係なく、妖怪たちの大宴会が続きました。

私も錠之助さんも、ゆっくり寝ることもできません。

しかも、気が付けば、いろんな妖怪たちが、関係なく出入りして、いつの間にか、大人数になっています。

「いつになったら、帰るんだろう・・・」

 そんな愚痴が出ても仕方がありません。

「それも、今日まででござるよ」

「ハアァ~・・・」

 ため息しか出ません。久しぶりのことに、私は、疲れ切ってしまいました。

そして、その日の夜に、妖怪たちは、ゲゲゲの森に帰って行きました。

妖怪たちを見送ると、ホッとしました。あの喧騒がウソのように静まり返り、

シェアハウスは、シーンとして物音一つ聞こえません。

「静かね」

「久しぶりに、ゆっくり寝られるでござるな」

 錠之助さんの言葉に、私も深く同意しました。

でも、砂かけさんの言葉は、今も胸に深く刻まれていたままでした。

 今夜は、久しぶりにお客様もいないし、静かな夜を迎えられます。

と思った矢先に、誰かがやってきました。

「こんばんわザンス」

「ハァ~イ」

 私は、慌てて腰を上げて玄関に迎えに出ました。

「夜分に悪いザマスが、部屋は空いてるザマスか?」

 そこにいたのは、黒い燕尾服を着て、黒いシルクハットを被った、紳士然とした男性でした。

「あの、空いてはいますが、今しがた、お客様たちが帰ったばかりでして、お部屋の掃除がまだ・・・」

「構わんザマス。おい、オオカミ男、入るザンス」

「どもども、お世話になるでガンス。オオカミ男でガンス」

 どうやら、今夜もゆっくり寝られそうになさそうだ。

数時間前まで、不気味な妖怪たちに囲まれていた私は、オオカミ男など、どうってことはありません。

と言っても、そのオオカミ男さんは、少し太った中年の坊主頭の男性です。

普通に見れば、ただの中年の男の人にしか見えません。

「お二人様ですね」

「そうザンス。あたしは、吸血鬼ドラキュラ伯爵ザンス。よろしくザンス」

きゅ、吸血鬼って、あの人の血を吸う、ドラキュラのこと・・・

私は、思わず自分の首を両手で庇いました。

「大丈夫ザンス。お嬢さんの血は、吸わないザンスよ」

 そう言って、ドラキュラさんは、笑いました。その口元に、鋭い牙がいくつも見えました。

「沙織殿、客人でござるか?」

 錠之助さんが出てきました。

「おやおや、これはこれは、錠之助さま、久しぶりザンス」

「なんだ、ドラキュラとオオカミ男か。何しに来たでござる?」

「大王様から、休暇をもらって、久しぶりに人間界に遊びに来たザンス」

「なるほど。大王は、元気でござるか?」

「相変わらずでガンス」

 三人は、楽しそうな会話をしている。

「もしかして、知り合いなの?」

「昔、怪物大王がひと騒動起こしたとき、こいつらを助けた時に知り合ったのでござるよ」

 怪物大王って、いったい、どんな人なんだろう? エンマ大王みたいにすごい人なのかしら。

「その節は、お助けいただき、ありがとうザンス」

「ありがとうガンス」

 二人は、深々と錠之助さんに頭を下げた。

私は、取り急ぎ、一号室に二人を案内した。布団などは、慌てて敷き直しました。

夜も遅いので、二人は、すぐに休むと思ったのに、なぜか、すぐに出かけてしまいました。

「どこかにお出かけですか?」

「あっしらは、夜しか動けないので、ちょっと出かけてくるガンス」

「吸血鬼は、昼間は寝ているので、お嬢さんたちは、寝てていいザンス」

 やっぱり、怪物とか妖怪は、太陽の光は苦手らしい。

それでも、私は、大家なので、玄関の外まで見送ることにしました。その夜は、満月でした。 

 すると、その月を見た、オオカミ男さんが突然苦しみだしたのです。

「あの、大丈夫ですか?」

「うぐっ、ぐわぁぁ~」

 すごく苦しそうに胸を押さえて蹲りました。

「錠之助さん、ちょっと、来て」

 私は、大声で錠之助さんを呼びました。

「どうしたでござる?」

「大変なの、オオカミ男さんが・・・」

 それを見た、錠之助さんは、黙って腕を組んで見下ろしているだけで、助けようとしません。

「沙織殿、心配無用でござる。今夜は、満月だから、仕方がないのでござるよ」

 私は、一人でおろおろするばかりです。満月だから、何だというのか、わかりません。見ると、ドラキュラさんの様子もおかしい。背中に羽織っているマントが風もないのにヒラヒラさせてそれが見る見るうちに大きくなると、ドラキュラさんの体を包み込んだのです。

「えっ、どういうこと?」

 私が驚いていると、ドラキュラさんの姿が、人間から大きなコウモリに変わったのです。そして、翼をバタバタさせて、夜空のどこかに飛び去って行きました。

 もう一人のオオカミ男さんは、もっとビックリです。

ようやく落ち着いた様子のオオカミ男さんが、顔を上げると、顔が毛に覆われて、キバを剥いて服が破れて体が二回りくらい大きくなり、まさにオオカミに変身してたのです。

「ワオォ~ン」

 月夜に向かって、遠吠えのように吠えたかと思うと、あっという間に夜の闇の中に走って行ったのです。

呆気に取られた私は、一瞬の出来事に、呆然とするしかありませんでした。

「今の、何だったの?」

「沙織殿、今のは、見なかったことにするでござるよ」

 そう言って、私は錠之助さんと部屋に戻りました。


結局、その日の夜は、他にお客様も来ませんでした。

宿泊のお客様は、二人とも、夜中に出て行ったままなので、久しぶりに静かな夜でした。部屋は別々でも、今夜に限っては、私と錠之助さんの二人だけということです。

別に緊張するわけではないのに、私は、なかなか寝付けませんでした。

 襖一つ隔てた隣の部屋では、錠之助さんが寝ています。

今日まで、二人きりになることは、記憶にありません。

必ずお客様が泊まっていたので、二人だけということはなかったのです。

二人きりだからと言って、私の部屋に無断で入ってくるような人じゃないことは、わかっています。

静かな部屋では、時計の音しか聞こえません。目を閉じて、何度も寝返りを打ったりしてなかなか寝られませんでした。結局、寝不足のまま、朝を迎えることになりました。

「おはようございます」

「おはようでござる」

 私は、寝不足気味の目を擦りながら洗面所に向かいました。

いつものように、朝が早い錠之助さんは、さわやかな顔をして私を迎えます。

「沙織殿、目が赤いでござるよ」

「えっ、そう・・・」

 私は、鏡の中の自分の顔を見て、こんなに寝不足が肌に悪いとは思わず、こんな顔を錠之助さんに見られて恥ずかしくなって、用もないのに、トイレに駆け込みました。

 朝ご飯の時も、二人で向かい合って食べるので、正面で食べている錠之助さんの顔を見られませんでした。

昨日の夜に出て行ったきり、戻ってこない、二人のお客様は、いつになったら帰ってくるのでしょうか?

「沙織殿、今日の客人は?」

「あっ・・・ えっと、ちょっと待ってね」

 私は、急いでご飯を食べると、帳簿を開いて確認しました。

「今日は、一組だけですね。怪子様とメグ様の二人です」

 私は、ノートを見ながら言うと、錠之助さんが驚きの顔をしました。

「沙織殿、今、何と申したでござるか?」

「今日のお客様は、怪子様とメグ様です。それが、どうかしましたか?」

「う~む、これは、厄介なことになりそうな気がするでござる。出来れば、拙者は、留守にした方がいいかもしれないが、そうもいかないでござろう」

 珍しく、錠之助さんが難しそうな顔をしていた。いったい、どんな人なんだろう・・・

「その二人のこと、知ってるんですか?」

 錠之助さんは、返事の代わりに大きく頷きました。

「怪子殿というのは、怪物ランドの姫様でござる。わがまま娘の箱入り娘で、世間知らずのおてんば娘でござるよ」

 私は、大きなため息を漏らしました。そんな人が来るとなると、また、ひと騒動ありそうだ。

「もう一人のメグ殿は、魔界の次期女王でごさるよ。魔界と言っても、魔法の国のことでござる。早い話が、魔法使いの魔女でござる」

 怪物ランドのお姫様と魔法の国の次期女王様という、訳のわからない組み合わせとなると、何が起きてもおかしくない。今日も大変なことが待ち受けているに違いない。私は、想像しようとしても、頭が追い付きませんでした。

 そこに、昨夜のお客様が帰ってきました。

「ただいまザンス」

「おはようでガンス」

 ドラキュラさんとオオカミ男さんの二人でした。

「お帰りなさい」

「久しぶりの下界の夜は、楽しかったザンス」

「久しぶりに、腹いっぱい食べて満足ガンス」

「吾輩たちは、夜まで寝るので、起こさなくていいザマス」

「おやすみガンス」

 そう言って、二人は、二階の部屋に入っていきました。

やっぱり、妖怪は朝に弱いらしい。明るくなったので、戻ってきたということのようです。

 その後、私は、いつものように、錠之助さんと部屋の掃除や今夜の用意をします。

お昼を過ぎて、一段落していると、玄関から声が聞こえてきました。

「すみません、こんにちは」

「ハ~イ」

 私は、急いで玄関に向かいました。

「ようこそ、いらっしゃいませ」

 私は、いつものように深く頭を下げて挨拶します。

「アンタ、錠之助を出しなさい」

 顔を上げると、小学生くらいの黄色の髪をした、女の子が私に厳しい目を向けて

ビシッと指を刺して言いました。

一瞬、なにを言われているのかわからず、唖然としていると、さらに続けて言いました。

「アンタ、人間でしょ。ただの人間が、錠之助の彼女なんて、どういうつもりなの?

いいから、錠之助を出しなさい」

「ちょっと、いきなりそれは、ダメでしょ。この人、ビックリしてるじゃない」

「あたしは、錠之助に話があるの。早く、出して」

「あの、どちら様ですか?」

 私は、気を取り直して、冷静になって言いました。

「ごめんね。ビックリしたでしょ。私たちは、予約してる、怪子ちゃんと私はメグよ」

「すみませんでした。承っております」

 私は、そう言いながら、何度もお辞儀をします。

「沙織殿、客人でござるか?」

 そこに、錠之助さんが出てきました。

「錠之助さまぁ~」

「怪子殿!」

「会いたかったですわぁ~」

 そう言うと、怪子さんは、錠之助さんに飛びつきました。

私は、突然のことに呆気に取られて固まってしまいました。

「怪子殿、離れるでござる」

「錠之助さま、もう、離しませんわよ」

「怪子殿、困るでござる」

「イヤぁね、照れてるの」

 目の前で繰り広げられる、小学生くらいの女の子と錠之助さんの二人の、見事なアンバランスに私は、どうしていいのかわかりません。

「怪子ちゃん、この人がビックリしてるでしょ」

 メグさんが、間に入って二人を離します。

「錠之助さま、迎えに来ましたのよ」

「迎えでござるか?」

「そうよ。錠之助さまは、あたしと結婚して、怪物ランドを再建するのよ」

「え~っ!」

 思わず、声が出てしまいました。どういうことなの? 

錠之助さんが、この子と結婚?

私は、一気に頭がパンクしました。なにがなんだかわからない。

「怪子ちゃん、落ち着いて」

 メグさんが、取りなします。私は、パニック状態になって、口が開いたままでした。

「とにかく、錠之助さまは、あたしと怪物ランドに行きましょう」

 そう言って、錠之助さんの腕を離さない怪子さんです。

錠之助さんも困ったような顔をして、私に助けを求めています。

と言っても、私もどうしていいやらわかりません。

 玄関先で、大騒ぎしていると、その声に目を覚ましたらしい、ドラキュラさんとオオカミ男さんが起きてきました。

「何の騒ぎザンス」

「うるさくて、寝てられないでガンス」

 そう言いながら、階段を下りてきました。

「あーっ!」

「ひえぇ~」

「なんだ、お前たち。どうして、こんなとこにいるんだ?」

 そう言って、バッタリ会った、ドラキュラさんたちを見て、怪子さんが驚きます。

「怪子お嬢様!」

「姫様・・・」

 ドラキュラさんたちも、驚いて慌てて降りてくると、その場に跪き、頭を下げました。

「お前ら、なにしに来た?」

「えっと・・・ その、あの・・・」

「ハッキリ言え」

「ですから、坊っちゃんに休みをもらって、久しぶりに下界に来ただけザンス」

「そうでガンス。そういう、姫様は、どうしてここにいるでガンス?」

「決まってるだろ。錠之助を迎えに来たんだ。錠之助は、あたしの婿になる人よ」

 どういうことなの? そんな話は、聞いてない。誰か、説明して・・・

「ちょっと、怪子ちゃん。なにを言ってるのよ。あなた、来月、怪物くんと結婚するんでしょ」

 メグさんが呆れたような顔をして言いました。

「そうザマス。怪子お嬢様は、坊っちゃんと結婚して、女王様になるザンス」

「イヤよ、あんなガキんちょ。あたしは、大人の男が好きなの。それに、錠之助さまは、強いのよ」

「そんなこと言ってはダメでガンス。大王様が決めたことでガンス」

「そんなの知らないわ。ねぇ、錠之助さま」

 そう言って、子供なのに、ちゃんと女としての自覚があるのか、錠之助さんに色目を使っている。

一方の錠之助さんは、困った顔をしたまま、なにも言ってくれません。

「とにかく、お部屋で話をしましょう。すみません、お部屋は、どこですか?」

 メグさんに言われて、現実に戻りました。

「一号室になります」

「ありがとう。ほら、行くわよ」

 メグさんは、そう言って、怪子さんを連れて行きます。

「アンタたちも来なさい」

 そう言われて、ドラキュラさんとオオカミ男さんもついて行きます。

錠之助さんも、腕を離してくれないので、仕方なくいっしょに行きました。

一人取り残された私は、完全に蚊帳の外です。

ポツンと玄関先に佇んだまま、立ち尽くすだけでした。

 一体全体、何がどうして、どうなって、こうなったのでしょうか?

いきなり現れた、怪物ランドのお姫様が、錠之助さんを迎えに来た。

しかも、お婿さんにすると言い出した。ということは、錠之助さんは、怪子さんと結婚するのか?

まさか、そんなはずはない。錠之助さんは、そんなことは、一言も言わなかった。

あの、錠之助さんが、結婚だなんて、そんなのあり得ない。

私は、胸の中がモヤモヤして、カァーッとしてきました。

もしかして、私は、怪子さんに焼き餅を焼いているのか? そんなことはない。

私と錠之助さんは、ただの従業員で、仲間というだけで、男女の恋愛関係ではありません。

錠之助さんが、誰を好きになって、誰と結婚しても、私には関係ない。

「そうよ。私には、関係ないことだわ」

 つい、口に出してしまいました。それでも、なんだか胸の内は、晴れません。

「あの、お部屋って、空いてますか?」

 そんな時、いきなり話しかけられて、我に返りました。

「ハ、ハイ、ご利用ですか?」

「ここに、沙織さんて人いると思うんだけど、いますか?」

「沙織は、私ですけど、何でしょうか」

 そこにいたのは、長身で、スタイルも良く、茶髪の長い髪で、胸が大きく開いたシャツにミニスカートから伸びる、長くて白い足が、とても素敵です。

目がパッチリして、鼻筋も通り、唇がピンク色でとても美しい。

そんな大人の女性が目の前にいました。

「あたし、如月ハニーと言います。実は、あなたに伝言があって来ました」

「伝言ですか?」

「そう。獅子丸さんから、伝言を伝えに来たの」

 その名前を聞いて、私は、一気に目が覚めました。

「し、獅子丸さんですか・・・」

「あら、知らないの? そんなはずはないんだけど・・・」

「し、知ってます。獅子丸さんのことは、よく知ってます」

「あら、そう。だったら、話は早いわ」

 そう言うと、如月さんは、驚くことを口にしました。

「獅子丸さんね、もうすぐ戻ってくるから、待っててくれって」

 私は、雷に打たれたくらいの衝撃的な一言でした。

頭のてっぺんに稲妻が落ちたと思ったほどです。

「獅子丸さんが、戻ってくる・・・」

 私がずっと待っていた人。それが、獅子丸さんです。それが、やっと叶うときが来ました。

「あの、獅子丸さんは、元気なんですか? 今、どこにいるんですか?」

 私は、如月さんの肩を掴んで前のめりになって聞きました。

「ちょっと、落ち着いて。大丈夫だから、獅子丸さんは元気にしてるから。もうすぐ帰ってくるから」

「獅子丸さんは、日本にいないんですか?」

「そうよ。ちょっと、仕事でね。でも、もうすぐ、帰ってくるから」

 獅子丸さんが帰ってくる。この日をどれだけ待ちわびていたことか・・・

心の中のもやもやも、一瞬にして消え去りました。

「とにかく、あがってください。今、お部屋に案内します」

「ありがと」

 私は、三号室に如月さんを案内しました。

すると、一号室のドアが勢い良く開くと、怪子さんが飛び出してきました。

そして、私の前に立ちふさがると、私を見上げて、こう言ったのです。

「アンタ、名前は?」

「沙織です」

「そう、沙織。今から、あたしが言うことをよく聞くのよ」

「ハ、ハイ」

「いいこと、錠之助を絶対に離しちゃダメよ。あんないい男、もう、二度と現れないんだからね」

「あ、あの・・・」

「何度も言わせないで。あたしは、錠之助にちゃんと振られてやったんだから、アンタに譲ったんだから

アンタは、錠之助と幸せになるのよ。いい、わかったわね」 

 なぜか、最後の方は、涙目になりながら言うと、一号室に走っていきました。

そして、すれ違いで、錠之助さんが出てきました。

「イヤぁ、沙織殿、驚かせてすまんでござる。さっき、言ったことは、忘れてほしいでござる」

 私は、何のことは、一瞬、わかりませんでした。

怪子さんに言われた意味が、飲み込めませんでした。

「あら、ジョーさん」

「おや、ハニー殿」

「久しぶり、元気してた?」

「この通りでござる。今は、ここで、働いているでござるよ」

「ヘェ~、ジョーさんがねぇ・・・ てことは、もしかして、この人に関係あるのかしら?」

「沙織殿は、拙者の命でござる」

「いうわねぇ」

 そう言って、如月さんは、錠之助さんをからかうように言いました。

今、私のことを、拙者の命って言ったけど、それは、どういう意味なのかしら?

「ところで、ハニー殿は、なに用でござるか?」

「そうそう、ジョーさんにも伝言があるのよ」

 そう言うと、如月さんは、錠之助さんに、驚くようなことを言いました。

「獅子丸さんが戻ってくるわ。ジョーさんにも、よろしくって」

「なんと! 獅子丸が戻ってくるのでござるか」

「そうよ。だから、もうちょっと、待ってて」

「言うまでもござらん。拙者は、その時を待っていたのでござる」

 そう言った錠之助さんは、元の錠之助さんに戻っていました。

「沙織殿、朗報でござる。獅子丸が帰ってくるでござるよ」

「うん」

「この時を指折り数えて待ちわびていたのでござる。やっと、その時が来たでござるな」

「よかったわね」

「沙織殿、よかったでござるな」

 私と錠之助さんは、顔を見合わせて、うれしくなって笑い合いました。

「でもね、余り、期待しない方がいいわよ」

 その時、如月さんが意味深なことを言いました。

「あの、それは、どういう意味ですか?」

「ごめん、今のは、聞かなかったことにして」

 そう言って、すぐに謝ると、三号室に歩き出しました。

私は、気になって、呼び止めてもう一度聞きました。

「あの、さっきのことは、どういう意味なんですか?」

 足を止めた如月さんは、少し考えてから言いました。

「ごめんなさいね。あたしの口からは、言えないわ。帰ってきたら、本人に聞いてみて」

 そう言って、部屋に入ってしまいました。

私と錠之助さんは、また、顔を見合わせて考え込みました。

でも、二人とも、言葉が出てきません。獅子丸さんに何があったのだろう・・・


 その夜、私は、夢を見ました。まだ、私が子供のころの夢でした。

あの頃は、祖父も祖母も、まだ元気でした。道場には、祖父の元で、獅子丸さん、小助ちゃんがいてまだ、両目が開いていた頃の錠之助さんもいました。まだ、小学生だった頃の私は、学校が終わると、道場に走って帰りました。そして、獅子丸さんや錠之助さんに遊んでもらった。

小助ちゃんは、まだ、幼稚園で私の後をついて回っていました。

兄弟同然で育った私は、獅子丸さんに憧れ、いつしか恋心を持つようになっていました。

小助ちゃんは、弟のみたいな男の子で、私の後について回る、可愛い子です。

夜になると、祖母のウチで夕飯をみんなで食べました。

六人家族のような感じで、毎日、わいわい楽しく賑やかでした。

 そんなある日、突然、錠之助さんが出て行ってしまったのです。

学校から帰ると、なにも言わずに消えてしまっていました。

祖父や祖母に聞くと、修業の旅に行ったとしか教えてくれませんでした。

寂しくて、その日は、泣いて暮らしました。それを獅子丸さんが、優しく慰めてくれました。

その頃から、私は、獅子丸さんが好きになりました。大きくなったら、獅子丸さんのお嫁さんになると公言していました。祖父も獅子丸さんも、笑っているだけで相手にしてはくれません。でも、私は、本気だったのです。

 それからというもの、私の記憶から、錠之助さんの影が次第に薄くなっていきました。私の心の中は、獅子丸さんで一杯になりました。

 ところが、私が中学生になったころ、祖父が亡くなりました。

私は、涙が枯れ果てるまで泣きました。悲しくて、優しかった祖父のことを思うと、涙が止まりませんでした。

お葬式が終わると、道場も閉鎖されました。その翌日、獅子丸さんが出て行くと言い出したのです。

「修業のやり直しをしてくる。必ず、帰ってくるから、それまで待っていてくれ」

 もちろん私は、いっしょについて行くつもりでした。幼いころから兄弟同然に育った私は、獅子丸さんから離れて暮らすなど、到底考えられません。だから、どこまでもついて行くつもりでした。

でも、獅子丸さんは、私が女だからというだけで、ついて行くことを許してくれませんでした。

そして、小助ちゃんを連れて、獅子丸さんは、家を出て行ってしまいました。

 後に残された私は、祖母と二人暮らしです。それまでは、6人家族で毎日賑やかで

楽しかったのが、ウソのように静かになってしまいました。

祖母と二人だけの暮らしは、寂しくて切なくて、獅子丸さんのことを思うと涙が自然と流れました。

 私が高校を卒業を間近に控えたある日、今度は、祖母が亡くなりました。

ついに、一人ぼっちになってしまったのです。そのとき、私は、祖母に誓いました。

祖母がやっていた、誰でもシェアハウスは、絶対に辞めない。私が引き継いで、続けていく。私は、祖母の手を握り、心に誓ったのです。私は、高校を卒業すると、大学進学も就職も諦めて誰でもシェアハウスを新規オープンさせました。

その翌日のことでした。突然、錠之助さんが戻ってきたのです。

『沙織殿、久しぶりでござる。拙者をここで雇っていただきたい』

いきなり現れても、私には、すぐにわかりませんでした。

しかも、片目で、背中に刀を背負った目つきの鋭い怖い人にしか見えませんでした。

その人が、錠之助さんだということを思い出しても、十年ぶりの再会です。

まして、私が幼い頃の記憶は、獅子丸さんと比べると、限りなく薄かった。

だから、最初は、断りました。うれしい再会とは、程遠い気持ちでした。

 なのに、錠之助さんは、何度もやってきては、頭を下げました。

『沙織殿のことは、拙者が命に代えても守るでござる。それが、師匠との約束でござる』

そう言って、頑として動こうとしませんでした。師匠とは、祖父のことです。

亡くなる前に、祖父は、弟子の錠之助さんに私のことを頼んだのです。

私には、それが、なぜ錠之助さんで、獅子丸さんではないのか不思議でした。

それが、獅子丸さんだったら、どんなによかったか・・・ 

 それでも、女一人では、やっていけないのはわかります。

結局、錠之助さんを受け入れて、いっしょにシェアハウスをすることにしました。

それでも、獅子丸さんではなく、錠之助さんなのです。すぐに受け入れられません。

 最初は、目も合わさない、口も利かない、そんな間柄でした。

私が大家で、錠之助さんは、ただの従業員という感じで、必要以上のことは、会話もしませんでした。

 でも、誰でもシェアハウスをしていると、身の危険を感じることがあります。

侵略宇宙人がここを乗っ取ろうとしたり、ニセのエンマ大王が攻めてきたり、

悪い妖怪がここを壊そうとしたり、その度に私は、怖い思いをしてきました。

命がいくつあっても足りない。祖母は、一人でやってこれたなと不思議に思いました。

 そんな時、私を守って戦ってくれたのが、錠之助さんでした。

どんなに傷ついても、ケガをしても、命の危険があっても、私とシェアハウスを守ってくれました。

何度倒れても立ち上がり、敵に向かって行きました。そんなことが何度もあり、

それを目の前で見ているうちに、次第に錠之助さんの思いが募ってきました。

いつも守ってくれる強い人。それが、錠之助さんなのです。

 それがいつしか、好きになって、好意を持っていることを知りました。

いつになったら戻ってくるかわからない獅子丸さんより、いつもそばにいてくれる、錠之助さんのが思いが強くなってきていました。

 ところが、その獅子丸さんが、やっと戻ってくるのです。

錠之助さんには申し訳ないけど、やっぱり、私は獅子丸さんのが好きなのです。

早く会いたい。顔が見たい。獅子丸さんの元気な姿をこの目で見たい。

早く戻ってこないか、私は、そればかりを考えていたのです。

 そして、その日がついにやってきました。夢に見た、獅子丸さんとの再会でした。

ところが、それは、私の思い描いていたこととは、まるで違ったのです。

この時のことを私は、まだ、知る由もありませんでした。

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