017. 「混乱の渦、動き始める繋がり」



 市街の空が、じわじわと鉛色に沈んでいく。

 さっきまで晴れていたはずの空は、もう跡形もない。巻き上がった粉塵と黒煙がビルの谷間を埋め尽くし、空気は重たくよどんでいた。


 


「怪我は?」


「擦り傷だけだ。そっちは無事か」


「問題ない。……とにかく、民警の隊員と合流できれば打開できる」



 ショウ・アヴェリンとトラフィム・マルカヴィッチは、互いの背を確認しながら、破片と瓦礫の散乱する歩道を走った。


 何度目かもわからない爆発の余波で、既に街の地形は変わり果てている。電柱は傾き、店舗のシャッターは歪み、地面には至る所に割れたガラスが散らばっていた。



「このまま広場南西――通報が入ってた通りだ。あそこに応援の民警が集まり始めてるはずだ」




 トラフィムが地図を睨みながら言う。


 ショウは小さく頷き、握っていた通信端末をもう一度確認した。画面には相変わらず「圏外」の文字が点滅していたが、一瞬だけ電波が引っかかった気配がある。



「……中継が戻ってきてるかもしれない。周囲に通信班がいるなら、遮断帯を抜けられる」


「よし、なら動くぞ。これ以上、ただ巻き込まれるわけにはいかない」



 ふたりが動き出そうとした刹那、破裂音が近くの路地で弾けた。


 ショウが瞬時に身体を低くして壁に寄ると、トラフィムが反射的に彼を引き戻す。



「……さっきの誘爆、位置的にガス管か? けど、あれだけの爆圧……建物ごと狙ってるな」


「そんな手間かけてまで……」


「かけるやつがいるんだよ、最悪なことにな」



 ショウは何も返さなかった。ただ、視線の先――揺らめく煙の奥を、しっかりと見据えるように前を向いた。



「とにかく今は、民警と合流する。それが第一だ」



 ふたりは小さく頷き合い、再び駆け出す。

 煙の奥に、倒れた街灯と、声を張り上げる民警の姿がかすかに見えた。


 走る途中、通りのあちこちで立ち尽くしていた市民たちが、彼らの姿を見つけて追うように動き出す。誰かの背を押すように、誰かの手を引きながら。





 「いた、民警だ!」



 トラフィムが指さした先――煙の中、倒れた標識の影に、濃紺の制服が見えた。

 ショウとともに瓦礫を乗り越え、その姿に向かって駆ける。




「――そっち! 無事か!? こっちに来て!」



 叫んだのは、肩に階級章をつけた中尉クラスの男だった。数人の隊員を指揮し、簡易バリケードの内側で負傷者の処置を行っている。


 私服のまま駆け寄るふたりを見て、男は一瞬警戒の色を見せた。



「おい、君たち――!」


「人民警察訓練院所属、訓練生です! 通りがかりに巻き込まれました!」



 ショウが即座に叫ぶ。



「民警の方と連携したくて……そこの広場に避難者が集中してるんです!」


「……訓練生、か。現場に入るのは原則禁止だが……」



 男の視線が、負傷者の数と不足する隊員の数を見渡す。

 市民の泣き声、重傷者の呻き、誘導に追われる下級隊員の動き――その全てが、余裕のなさを物語っていた。


 数秒の逡巡の後、彼は頷いた。



「わかった。名を聞かせてくれ」


「ショウ・アヴェリン、狙撃課志望」


「トラフィム・マルカヴィッチ。犯罪取締課志望です」



 男は短く「よし」と返し、すぐに指示を出し始める。



「二人とも、広場側で避難誘導にあたってくれ。規制帯を越えて流れてくる市民の一時収容を優先だ。状況が変わったら連絡する」


「了解!」



 制服こそ着ていない。だが、ふたりの動きには迷いがなかった。

 ショウはすぐに端末を取り出し、位置マップを確認する。


 ノイズが走ってはいたが、広場側の遮断は一部で解消されつつあるようだった。



「……この先の通りが通れる。そっちを回れば、広場の東端に出られる」


「よし。移動するぞ、ショウ」



 ふたりはもう一度、隊員に軽く頭を下げて駆け出した。


 視界の先、まだ煙は晴れず、人々の悲鳴と警報だけが響いていた。









 崩れかけた建物の壁際。


 ショウとトラフィムは、民警隊員とともに、立ちすくむ市民を次々と誘導していた。



「こっちです! 身を低くして、壁沿いに!」



 ショウが声を張るたび、粉塵に咳き込みながら人々が動く。


 倒れたカート、割れたガラス、散らばる商品や破裂した配線の中を踏み越えながら、彼らは誘導を続けた。



「――アヴェリン!」



 呼ばれて振り返ると、ラチェスタがいた。


 顔と腕に軽い擦過傷を負いながらも、数人の市民を先導している。


 そのすぐ後ろには、片足を引きずるようにして歩くヴィタリーの姿もあった。



「……ヴィタリー!」


「よぉ……マジで最悪な日だわ」



 頬に小さな切り傷、そして足をかばうようにして歩く姿に、ショウはすぐ近寄った。



「歩けるか? 支えようか」


「なんとか歩ける。捻っただけだと思う……ラチェスタが庇ってくれた」


「……無理すんな。ここまで来られたなら、あとは俺たちがやる」



 ショウとトラフィムが、自然と互いの動きに目を配る。


 市民の流れは徐々に整ってきていたが、それでも油断はできない。


 そのときだった。



「……マルカヴィッチとアヴェリン! いるか!」



 聞き覚えのない声に、トラフィムが顔を上げる。


 背後――瓦礫を越えてこちらに向かってくる数人の民警隊員。

 その中にいた年配の男が、彼らふたりに目を留めた。



「すまない、君たちに確認がある。さっき、南通りの避難ルートに協力してくれた、と中尉から聞いた。……君たちの名を、もう一度確認したい」



 ショウとトラフィムは短く名乗る。



「……ショウ・アヴェリンです」


「トラフィム・マルカヴィッチ」




 男の表情がぴくりと動いた。

 周囲にいた数人の隊員も、反応を見せる。



「やはり……。名前に覚えがある。“秘匿協力者”として第二課に登録された訓練生ふたり。……君たちが、そうか」



 その場の空気が一瞬、張り詰めた。



「事情は知らんが、上にはすでに連絡がいってる。……君たちの行動は、規定により記録されるが、同時にここでの協力は正式に認可されるはずだ」


「……了解です。今は、それより避難を」



 ショウが遮るように応じた。

 男はそれ以上は問わず、頷いて歩き去る。


 ラチェスタが、少し不安そうにふたりを見る。



「……なんか、おまえら、変なことに巻き込まれてないか?」


「変なことばっかだよ。……今に始まったことじゃない」



 トラフィムが自嘲気味に吐き捨てる。


 ショウは、隣に立つヴィタリーの腕をそっと肩に回し、支えながら誘導を再開した。

 視界の端では、別の隊員たちが壊れた給水管の修復や負傷者の応急処置に追われていた。



 ――その歩みの先。

 煙の向こうには、まだ救いの手を求める誰かがいた。


 そしてその誰かの隣には、まだ仕掛けられた“罠”の気配が潜んでいる。


 だから、止まるわけにはいかなかった。








 人々の誘導がひと段落し、粉塵がわずかに収まり始めたその時だった。



 「――伝令! 別働第五班からの連絡だ!」



 市街の奥から駆けてきたひとりの民警下士官が、バリケードのそばにいた中尉の元に報告を届ける。

 続けて、指揮線の中にいたショウたちのもとへと向かってきた。




 「お前たち……私服か? 民間人ではなさそうだな、名前は」


 「訓練生、アヴェリン・ショウです。マルカヴィッチと二人で、現場の誘導を補助していました」


 「……マルカヴィッチ。アヴェリン。なるほど、秘匿協力指定を受けた者たちか」


 

 下士官は納得したように頷き、姿勢を正した。



 「現場における行動は、引き続き制限下にあるが、協力者としての補佐行動は認可されている。現状のまま補助にあたってくれ。……そして、聞いておけ」



 彼は声を落とし、続けた。




 「第五小隊が北区画の高層ビル上階から妨害機器らしきものを発見した。現在技術班が無力化を試みている。もし成功すれば、通信の一部が復旧する見込みだ」


 「……っ!」



 ショウは胸ポケットからスマートフォンを取り出した。

 先ほどまで沈黙していた画面の上部に、圏外を示すマークがかすかに点滅し、やがて通信アイコンに変わる。




 「……回線、入り始めてます!」



 通知一覧に、メッセージアプリの未読表示が浮かぶ。その中に一件、専用チャンネルと同期されたクラウド通知があった。




 「――犬班からの連絡だ」




 トラフィムがショウの肩越しに画面を覗き込み、目を細めた。

 画面には「クラヴツォフ伍長より通信要求。応答してください」の文字。


 ショウはすぐさま承認を押し、通話を開始する。




 『こちらクラヴツォフ伍長。現地にてアヴェリン訓練生、マルカヴィッチ訓練生、応答願います』


 「こちらアヴェリン訓練生、マルカヴィッチ訓練生と共に広場南端にて行動中。避難誘導の補助にあたっています」


 『確認した。現在我々は市内東側から再編中。連絡通路を経由して合流地点を指定する。現場状況が変動中のため、現地の判断で動く際は逐次報告を』


 「了解しました」


 「マルカヴィッチ訓練生にも伝達を頼む。現場での行動については後ほど報告を求める。引き続き協力任務にあたるよう伝えてくれ』


 「……はい、伝えます」





 クラヴツォフの無機質な通信音が切れたあと、ショウがふっと息をついた。



 「……犬班の応答が取れた。市内東側から再編中らしい。指示があった。今のまま、現場補助を継続していいってさ。……あとは、終わったら報告しに来いって」



 そう言って困ったように苦笑いしながら顔を上げると、トラフィムが鼻を鳴らした



 「今言うかよ、フツー」


 「ハハ…… さておき、無線、全域回復。……やっと繋がったな」


 「そうだな ……これで、まともに動ける」




 そう口にしたトラフィムの瞳には、静かな覚悟が宿っていた。


 


 今この街には、数多の命が取り残されている。

 そしてこの惨劇の裏には、まだ見ぬ“仕掛け”が息を潜めているはずだった。


 だが、ようやく手にした繋がりが――それを暴き、抗う力になる。



 その確信を胸に、ふたりは次なる混乱の渦へと、再び歩を進めていった。

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