幕間④ 「冷たい炎の、その向こう」

 ──ユグドラ学園の朝。教師たちの定例会議室。


 各クラスの指導方針をめぐり、活発な意見交換が飛び交っていた。


 Xクラス担任、ミナト=カザミもその輪に加わっていたが──

 朝から胃がきりきりと痛む。できれば年齢のせいにはしたくなかった。


 (……断じて違う。原因は――あいつだ)


「Xクラスの個別対応は、全体の効率を著しく下げています。能力差を把握したうえで、優先すべき指導に集中すべきです」


 冷ややかな声が飛んだのは、斜向かいの席からだった。


 ジル=ヘルネスト。Aクラスの指導を担当するエリート教師。合理性と成果を重視し、その指導方針は、Xクラスの“個別成長”とは真逆だった。


「確かに、効率だけを考えればそうかもしれません。でも、生徒一人ひとりの“伸びしろ”に寄り添うのが、俺のやり方です」


 ミナトの声は穏やかだったが、その奥には確かな熱が宿っていた。


「まず守るべきは、生徒の未来です。無駄な遠回りをさせてはいけないのでは?」


 ジルとミナトの言葉のぶつかり合い。


 職員たちは空気を読み、視線を逸らす。学園長ゼリオも特に止めない。二人の意見が真っ向から対立していることは、すでに周知の事実だった。


 会議が終わったあとも、ミナトはどこか胸の奥にモヤモヤを抱えていた。


* * *


日も沈み、校舎が夜の静けさに包まれた頃。ミナトはひとり、教員室で書類を片付けていた。


「……たまには、外で息抜きでもしてくるか」


 そのとき、扉が開いて、ローグが顔を出した。


「おい、飲みに行くぞ。今日の会議、お前さんもかなり疲れてたろ?」


 いつもの軽口に、ミナトは苦笑した。


「……そんな顔、してました?」


「バレバレだっての。いい店、知ってるんだ。ちょっと高いけど、味は保証するぞ」


「じゃあ……付き合いますか」


「そうこなくちゃな」


* * *


 ──王都の片隅に佇む、古びた石造りの酒場サルーン・ノクターン

 木の温もりと、わずかにスモーキーなランプの香りが漂う、落ち着いた空間。


 ローグに連れられて入ったその店は、確かに少しだけ“高級”な趣があった。


 扉を開けたミナトは、すぐに見覚えのある背中に気づいた。


「……あれ?」


 カウンターに一人、グラスを傾ける――ジル。


「……ミナト=カザミ」


 ジルが顔を上げ、ミナトとローグに気づいた。


「よう、ひとりで寂しく飲むには、いい店だろ?」


 軽口を叩くローグに、ジルは無言で頷く。ミナトはやや気まずさを感じながらも、ローグに促され、彼の隣に腰を下ろした。


「……教師同士が、仕事帰りに飲み交わすのも悪くないだろ?」


 ローグの言葉に、ジルはわずかに眉をひそめる。


「私は、雑談に時間を割く趣味はありません」


「それでも、酒は飲んでる。……つまりは、必要なんだろ。そういう夜がさ」


 静かに、ローグはそう言って席を立った。

「じゃ、俺は別のテーブルにいる。……ま、飲め」


 ぽつんと残されたミナトとジル。


 しばし沈黙が続く。


 グラスの中の液体を見つめながら、ミナトがぽつりと口を開く。


「……こうして向き合って話すの、初めてかな」


「必要なければ、会話はしない主義だ」


「……まあ、そんなところだろうな」


 また沈黙。だが、完全に気まずいわけではない。

 ジルが視線を動かさずに問う。


「……Xクラス。あなたの教育は、“理想の押し売り”じゃないのか」


「理想を押しつけるつもりはないよ。……けど、“信じて待つ”ことも、教師の役目だと思ってる」


「既存の教育の枠に収まらない、異端児たち。理想だけで子どもは育たない。……そうは思わないか?」


「思ってない。けど――信じたいんだ。あいつらの可能性を。……俺も理想だけで動ける歳じゃないしな」


 その言葉に、ジルの指がほんのわずかに止まった。


「……意外だな」


「何が?」


「もっと感情論を振りかざすかと思った」


「それじゃ、あいつらに笑われる。彼女たち、結構シビアだからな」


 わずかに、ジルの口元が緩んだ。


「……確かに」


* * *


 グラスを重ねるうち、ジルの頬がほんのり赤くなる。


「……”俺”は、孤児だった」


 ミナトが目を見開く。ジルは続ける。


「名もなき孤児院で育ち、魔導の素質だけが取り柄だった。生きるためには、才能を磨くしかなかった。……感情など、必要なかった」


 ジルの言葉が、少しずつ熱を帯びていく。


「やがて、貴族の家に養子に入った。表面上は恵まれた人生だと見られるが、実際は、“失敗”が許されない環境だった。少しでも無駄があれば、“期待外れ”の烙印を押される」


「……それで、効率重視の教育を?」


「そうだ。無駄を省き、結果を出す。それだけが生き残る術だった」


 そして、彼は静かにグラスを置いた。


「努力だけでは、未来は変わらないこともある。だから、俺は“効率”という力を身に着けた。生徒には、同じ想いはさせたくない──」


 ジルは続ける。


「才能を正当に“評価されない”痛み。お前も、あの生徒──レイラを通して、見たはずだ」


「……ああ」


「信じる……なんて言葉は、私には……」


 そこまで言って、ジルはぐらりと体を揺らした。


「おい、大丈夫か」


「……酒は、あまり強くなくてな」


ミナトは思わず吹き出す。


「なら飲むなよ」


「うるさい……っ」


 そんなふたりのやりとりを、ローグは黙って見ていた。そして、ふっと笑って言った。


「……面白ぇよな。氷と炎でも、同じ火種を抱いてることがある。教師ってのは、そういうもんだ」


 その言葉に、ミナトもジルもわずかに驚いたように彼を見る。ローグは立ち上がり、伝票を持って歩き出した。


「……支払いは任せた。じゃあな、先生たち」


 去っていく後ろ姿に、二人は同時にため息をついた。


* * *


 気まずいまま別れた翌朝、職員室でジルがミナトに話しかけた。


「ミナト=カザミ、昨夜は──」


「ジル、昨日のことだけど……俺も酔ってたし、よく覚えてねぇよ」


 ジルは一瞬だけ目を見開き、ふっと笑った。


「……そうか」


 その笑顔は、ほんの少しだけ、氷を溶かしたように見えた。


 ──教育の形は違えど、彼らは同じ“教師”として、少しだけ距離を縮めた。


 それは、小さな夜の出来事。

 でも、きっと忘れられない一夜になる。

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