幕間⑤ 「ありがとうのかたち」

 ──夢を見ていた。


 ふわふわと霞がかった光の中。

 そこにいたのは──見覚えのない、でも、どこか懐かしいふたりの人影だった。


 ひとりは、白銀の髪をなびかせた青年。 尖った耳と、静謐な瞳をもつ、エルフのような人物。


 もうひとりは、淡い琥珀色の髪をした人間の女性。 優しく微笑みながら手をかざすと、ふっと傷が癒えていく。


 ふたりは、決して許されぬ恋をした。 そしてその果てに──ミミが生まれた。


 炎の夜と、花の香りに包まれた昼の記憶。 それは断片的で、あまりにもぼんやりとしていたけれど。


「……でも、なんとなく、覚えてる……」


 ミミは目を覚ました。


 自分の胸元をそっと撫でる。 共鳴のあと──、ミナトと心を重ねたあのとき。 彼の中に触れた優しさが、今もずっと残っている。


「せんせぇが言ってたもん……“お前の居場所は、ここにある”って」


 その言葉を信じてみようと思った。 そして、ふと思うのだった。 

 ──きっと、パパとママも、“居場所”を探してたんだって。


* * *


 学園の食堂棟。その奥、調理実習室のひとつ。


 広い厨房に、ミミの声が響く。


「……卵、まぜまぜしてぇ……お砂糖は~……えっとえっと~」


 巨大なボウルと奮闘する姿は、まるで小さな魔法使い。 寮母マルタの許可を得て、特別に借りた厨房だったが── 予想以上に、手間と戦っていた。


「バターって、すぐ焦げちゃうんだね……!」


 お菓子作りのレシピは、孤児院の修道女が教えてくれたもの。 渡したい相手は、セレナ。


 遺跡調査の時、ラグナの攻撃からミミをかばってくれた、誇り高い騎士。 王家に連なる名門貴族の出でありながら、学園内では、どの身分の生徒とも対等に接する彼女を慕う生徒は多い。


「だから……ちゃんと、ありがとうって……伝えたいんだぁ」


 どんなお礼より、手作りの気持ち。 それが、今のミミにできることだった。


 窓の外で風がそよぐ。 その風の中に、小さな決意がそっと溶け込んでいった。


* * *


 昼休み。


 セレナは静かに、学園の裏庭で読書をしていた。 昼食後のひととき、彼女がよく訪れるお気に入りの場所。 華奢な指がページをめくるリズムは、まるで剣の型のように整っていた。


 そこへ、そろそろと近づいてくる小さな足音。


「……あのっ、セレナちゃんっ」


 声をかけたのはミミだった。


 セレナは本から視線を上げ、すっと立ち上がる。


「何かしら、ミミ=フェリシア」


 その口調は凛として、どこまでも礼儀正しい。 だが、そこに冷たさはなく、相手を尊重する優しさが込められていた。


 ミミは、おそるおそる包みを差し出した。


「これ……あのときの、お礼っ……! セレナちゃん、ラグナから守ってくれたからっ……ほんとに、ありがとうっ」


 セレナはその手をじっと見つめ、そして──ゆっくりと受け取る。


「……感謝されるようなことではありませんわ。 騎士として当然のことですもの」


 それでも、その瞳はどこかやさしく揺れていた。


「でも……ありがたくいただきますわ」


 ふわっと笑うミミに、セレナも思わず、小さく微笑んだ。


 その笑顔はほんの一瞬だったけれど、ミミの胸にはずっと残った。 ぽかぽかと、心があたたかくなる。


* * *


 昼休みが終わる頃。


 ミミが中庭を歩いていると、不意に誰かと肩が触れた。


「──ごめんなさ……あっ」


 そこにいたのは、聖刻神殿の監察官、アマネ=クルスだった。 白銀の仮面に覆われた彼女の表情は読めない。


「あっ、えと……おねーさん、この前は……」


 ミミは、かつてアマネが語った”神殿の教義だけがすべてではない”という言葉を思い出していた。


「……ありがと、あのとき……」


 アマネは立ち止まり、ミミを見つめる。

 そして──ほんの一拍の間を置いてから、ぽつりと返す。


「……そう」


 そっけない返事だった。

 でも、それすらもミミには、少しだけあたたかく感じられた。


「ねぇ、おねーさん……神殿のひとって、みんな冷たいの?」


 しばしの沈黙のあと、アマネはぽつりとつぶやいた。


「……誰にでも優しい人間は、誰にも優しくないのよ」


 難しい言葉だったけど、ミミはなんとなく、その意味を考えた。

 そして、ぽつりと口にする。


「……そっか。でも、せんせぇは──わたしには、やさしかったよ」


 アマネは何も言わず、ふいに視線をそらした。


 その仕草が、どこか“さみしそう”に見えて──

 ミミは、胸の奥がきゅっとした。


* * *


 その日の夕暮れ。


 教室に戻ったミミは、窓際に立って空を見上げた。


 橙色に染まる空に、誰かの歌声が重なるような気がして。


「……あたし、もう……笑うだけじゃなくて、 ほんとの“ありがとう”が言えたんだ」


 涙がこぼれそうになった。


 でもその涙は、ただの悲しみじゃない。 居場所を見つけた証──。


 だから、ミミはそっと、空に向かってつぶやく。


「……おぼえてたよ、パパ、ママ」


 そして、にっこりと笑った。


 ──その笑顔は、もう処世術じゃない。 彼女自身の、本当の顔だった。

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異世界教師になったら全員メスガキでしたw でも俺、マジで教育するつもりなんだが!? ものなり @Mono_nari

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