幕間② 「誰の理想でもなく、私のやり方で」

 ──ユグドラ学園・旧図書塔、地下二階。


 そこは、生徒の立ち入りが許可されていない、静寂と魔力に包まれた“知の保管庫”だった。


 煌びやかなシャンデリアはなく、光源は魔導灯のみ。


 無数の古書と巻物が整然と並ぶその場所で、ひとりの少女が本に囲まれていた。


「……やはり、ヴァルトライン家の記録には不備がありますわね」


 呟いたのは、フィリス=フォン・グランディール。


 碧の瞳に映るのは、古の魔導体系と、その系譜に連なる自らの“ルーツ”。


 ──フィリスは、“グランディール家”の娘でありながら、同時に、名門魔導貴族“ヴァルトライン家”という本家筋からの疎外者でもあった。


 表向きは傍流。だがその実、彼女の母は“正統の血筋”を持つがゆえに、本家の政略結婚に巻き込まれた過去を持つ。


 彼女は幼い頃から、“本家の影”に怯えるように育てられてきた。


 ──“完璧”であれ。それが、傍流に許された唯一の存在意義。


「……私の母は、魔導の才を“家”のために捧げた……そして、私は“完璧であること”を求められていた……」


 ページを捲る手が、わずかに震える。


 その書には、魔導貴族の歴史と共に、ある種の“禁忌”に関する記述があった。


 “ヴァルトライン家と聖刻神殿の交差”──


 かつて、神殿に所属していた記録魔導士が、本家ヴァルトライン家と極秘裏に研究協定を結んでいたという一節。


 魔導と信仰は、本来相容れない価値観のはず。だが、魔導による魂の構造解析や“刻印”研究は、神殿の秘匿領域に踏み込む危険な領域だった。


 さらに、一部の記述には、刻印研究が“魂の共鳴現象”──すなわち《エンパシア》と呼ばれる現象に繋がっていた可能性があるという示唆が残されていた。


「……あの家は、“何か”を隠している」


 フィリスは静かに呟く。


 ふと、ページの端に記された一節に目が止まった。


 “天藍の双月の夜に、継ぐ者あり──”


 “あの方”の名は記されていない。


 だが、フィリスは知っている。


 ヴァルトライン家の中に存在する“蒼の継承公(アズール・ヘリター)”。


 同世代にして天才の誉れ高く、魔導騎士団すら一目置く存在。


 ──彼女。


「……あの方は、いずれ“私”を否定するために現れる……」


 誰もいないはずの空間に、フィリスの声だけが響いた。


「ならば、私は……」


 指先で魔導式の印を描く。


 それは、血統に刻まれた“魔導紋章”──本来ならば、本家の者にしか許されないはずの術式。


 フィリスは、静かに呟く。


「……もう、完璧は求めませんわ。私は、私。

 “私のやり方”で、証明してみせますの」


* * *


 その夜、彼女はミナトに声をかけた。


 ──星の見えるテラスで。


「先生……あの、少しだけ……話、聞いてもらえますか?」


「ん、いいよ。眠くなる前にな」


「……もう、軽口を叩くなら結構ですわ」


「冗談だって。フィリスがまじめな顔で来るから、ついな」


 ミナトが軽く笑うと、フィリスはぴくりと肩を震わせた。


「べ、別に……私はいつだって真面目ですのっ///」


 ツンと顔をそらしながらも、耳の先がわずかに赤く染まっている。


 制服の袖をぎゅっと握る仕草は、恥ずかしさを隠すようでもあり、何かをこらえるようでもあった。


 一瞬の沈黙。


 彼女の長い睫毛が伏せられ、瞳の奥にかすかな揺らぎが走る。


 やがて、ぽつりと──

 押し出すような声で、フィリスは言葉を紡ぎ始めた。


「……私、ずっと“正しく”あろうと努力してきました。誰にも隙を見せずに。……」


 ミナトは黙って頷く。

 フィリスの視線と真正面から向き合いながら、言葉ではなく、静かなまなざしで続きを促した。


 それは、「続けていいよ」と言っているような──

 けれど、「無理に話さなくてもいいよ」とも感じられる、あたたかい目だった。


「でも、あの共鳴の日。先生の“間違えたって、人は生きていける”という言葉が……胸に、刺さったんですの」


「それは、どうして?」


「“間違えてもいい”ってことは、信じられる人がいる。というですわよね?

 “失敗しても、戻ってきていい”、傍でみていてくれる人がいる。そんな感じがして……」


「うん。信じるっていうのは、相手の“これから”に期待することだから」


 フィリスは、そっと目を伏せた。


「だったら……私は、私でいても……いいのかしら」


 ミナトは、少し微笑んで言った。


「いいさ。”完璧”なんて背負い続けるもんじゃない。自分を好きでいられる方が、ずっと強い」


「……っ、うぅ……」


 フィリスは、涙をこぼさないように、空を仰いだ。


「……なんですの。先生って、たまに……ずるいくらい優しいですわ」


「……教師だからな。少しくらい頼りにされないと困るんだ」


「べ、別に……褒めてるわけじゃありませんからね? ただ……ほんの少しだけ、救われた気がしただけですの……」


 ふたりの間に、穏やかな夜風が吹いた。


 ──その後、フィリスは図書塔に足を運ぶたび、自分の名を記すようになった。


 “フィリス=フォン・グランディール”。


 誰の家でもなく、誰の理想でもなく。


 “私は、私ですの”。


 それは、魔導と誇りの名にかけた、小さな革命だった。

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