第12話 「誰の子でもなく、わたしの名で」

 ──雨音が、しとしとと降り続けていた。


 石畳の濡れた路地裏。

 周囲の人間、エルフの人影たちが無関心に通り過ぎていく。

 

 青白い光に照らされた水たまりに映るのは、ひとりの幼い少女の姿だった。

 肩までの明るいミントグリーンの髪。制服ではない、薄汚れたワンピースを着た少女は、傘もささずにうずくまり、それでも、笑っていた。


 ──笑って、まるで誰かを待っているように。


 その光景を、”今のミミ”が遠くから見つめていた。

 涙をこぼしながら、必死に堪えていた“昔の自分”を。


「……なんで、こんなとこまで来ちゃったのかな……わたし」


 ポツリと、ひとりごとのように呟いたときだった。

 路地裏の奥から、足音が聞こえた。

 

「……こんなに濡れて。傘くらい、貸してやりたくなるな」

 ミナトが、静かに語りかける。


「ふふ……わたし、慣れてるから。誰も気づかないし、気にもしない。だから、平気だよ」


「それ、本当に“平気”だったのか?」


「……そうじゃなきゃ、やってけなかったもん……」


 ミミは、嘘の笑顔を貼りつけるようにして言った。


「だから──馬鹿みたいに笑うしかないじゃん

  昔も、──そして今も……」


「なあミミ、──俺は、今までのお前がダメだなんて思っていないぞ」

 

「──でも、お前は、ひとつだけ勘違いしている」


 ミナトの声が、雨音を貫くように静かに響く。


「今までお前が見てきたのは、“人間とエルフの嫌なところ”だけだ。

 でも、レイラは? フィリスは? セレナだってそうだ。

 “ミミだから”助けたかったんだよ──」


「うそ!!それはわたしが”かわいそうな子”だったからっ!!」

 

「……せんせぇだって、いつもふざけて、嘘の笑顔でごまかす、わたしなんかより、レイラちゃんやフィーちゃんのほうが可愛いとおもっているんでしょ?」


 ミナトは少しだけ、真剣な眼差しで頷いた。


「──そうだな」


 ミミの瞳が、揺れる。


「──え……?」


 ミミが言葉を詰まらせたとき、ミナトはそっと、ミミの頭に手を置いた。


「──あたりまえだろ?レイラも、フィリスも、ミミじゃないんだ」


「……え?」


「ミミを、ちゃんと見ているよ。

 俺は、お前がもう無理して、笑わなくてもいいクラスをつくりたいんだ」


 ミナトの声は、静かで、優しかった。


「お前がいないと、きっとみんな寂しい。

 レイラは心配してうるさくなるし、フィリスはムキになってお説教しそうだ」


「俺は教師だ。でも、全員を完璧に守れるわけじゃない。だけど……

 せめて、“そこにいてくれる子”のことを、ちゃんと見ていたいんだ」


「……わたし、”ここ”にいてもいいのかな」


「当たり前だろ!ミミがいないと、俺の教師生活がイージーモードになるぞ!」


 ミミが──笑う。


「……じゃあ、笑いときは笑っていいの?……辛いときは泣いていいの?」


「ああ、笑っていい。泣いてもいい。……わがままだって、甘えたっていい。

 子供ってのは、そういうもんだろ」


「……わたし、わたし……ほんとは……っ」


「うん。言っていいよ」


「……怖かったの……っ!!」


 堰を切ったように、ミミが叫んだ。


「見捨てられるのが! 嫌われるのが! “お前なんかいらない”って言われるのが!

 もう……耐えられなかったの!!」


 ミナトは黙って、彼女の頭を優しく撫でた。


「よく言えたな。……偉いぞ、ミミ」


 その言葉に、ミミは震えながら、涙を流し続けた。


「……わたし、ただ……誰かに……」

「“ここにいてもいいよ”って、ちゃんと、言ってほしかっただけなのに……」


「じゃあ、今言うよ」


 ミナトは、そっと目を細めて、優しく言った。


「ミミ、お前は大事な生徒だ。いっしょに帰ろう」


「……せんせぇ……」


 ぽつ、ぽつ、と残っていた雨音が──

 ふいに、静かに、止んだ。

 空に光が差し込み、水たまりのミミの涙が、そっと揺れた。


 空に魔導式の紋章が浮かび上がる。

 それは、魂の記憶に刻まれた魔法陣──


 ──《魂の共鳴──エンパシア》


 発動の合図だった。


 同時に、ミミの左手首を締めていた《エデュ・シール》が

 静かな音を立てて、亀裂を走らせ──

 砕ける。


 その瞬間、精神世界は光に包まれ、

 ミミとミナトの体が現実へと引き戻されていく──。


* * *


 ミナトが瞬きをした瞬間、手に温もりが戻る。崩れゆく遺跡の最奥。ミミが、彼の手をしっかりと握っていた。


「ミミ──」


「……ただいま、先生」


 その声が届いた、その刹那だった。


 地鳴り。


 そして──激しい崩落。


 天井が音を立てて崩れ、岩塊と魔力の塊が混じり合って飛び散る。足元が割れ、紫電を孕んだ霧が噴き出した。


「くっ……!みんな、下がれッ!」


 ミナトが怒鳴る。だが逃げ場はない。瓦礫の壁、波打つ地面、濁流のように流れる魔力の奔流。


 遺跡の天井が音を立ててきしむ。床が振動し、次の瞬間──轟音と共に瓦礫が降り注いだ。


「まずいですわ!」


 フィリスが咄嗟に詠唱を開始。


「《白銀結界陣──ラミュール・ドーム》!」


 彼女の足元に魔導式が展開され、純白の防壁が展開される。だが──空間を満たす魔力の乱流がその魔導式を蝕む。

 バチッ……と、紫電が走る。


「くっ……! この霧、術式を乱して……っ!」


「フィリス!」ミナトが叫んだ。が、結界が軋みを上げる中、どうすることもできない。


 その時──


「……フィーちゃん、大丈夫だよ。わたしが、支えるから」


 声の主は──ミミ。


 ミミの足元に、柔らかな光の魔導式が咲いた。

 白と金、そして水色が溶け合うように展開される。


「《聖慰の結界(アフェクタス・リリーヴ)》──っ!」


 ミミの声と共に、花びらのように舞い上がる魔導紋章が、フィリスの《ラミュール・ドーム》に触れた瞬間──

 魔力が共鳴した。


 フィリスの防御陣が一度、光を吸い込み、そして──


 膨張するように、結界広がる。

 透き通った光のバリアが、瓦礫の雨を弾き、地割れのエネルギーすら跳ね返す。


「な、なんですの……。術式が……共鳴している……?」


 フィリスが息を呑む。


「魔導式の挙動が……完全に、共鳴してますわね……っ!」


 フィリスの白銀に、ミミの水色が交わる。

 精密と感性、理知と感情の魔法が──完璧に重なった。


 レイラが目を丸くして言う。

「ミミ……やるじゃん!」


「──この場所で……もう誰も、傷つけない……!」


 ミミの祈るような声と共に、最後の崩落を受け止める光の結界が広がっていく。


 それは──

 誰の子でもなく、“ミミ”という一人の魔導師の名で、紡がれた力だった。


 崩落までの数秒。


 転移魔法陣が展開され、全員が眩い光に包まれた。


 遺跡が──崩れ落ちる。


 その直前、崩壊していく石壁に刻まれていた聖刻神殿の紋章が、静かにひび割れ、


 ──砕け散った。


* * *


 瓦礫と霧の向こうに、騎士のように整列する神官たちの姿が現れる。


 全員が無言で、崩落した神殿の残骸を見つめていた。

 その中に、一人だけ異質な存在がいた。


 ──白銀の仮面をつけた、黒髪の少女。

 少女が、ふわりと静かに歩み出る。


 ミミが、誰よりも早く反応した。


「──あ~っ!!」


 手をぶんぶん振りながら、ミミは声をかける。


「神殿のおねーさんっ!」


 その呼びかけにも、少女は視線を向けない。

 ただ、ゆっくりと。足音ひとつ立てずに──


 ミナトの前で、ぴたりと、足を止めた。


「……先生。」


 仮面の奥から、鈴の音のような小さな声がこぼれた。


 その響きに、ミナトの胸がわずかに疼く。

 ──どこか、懐かしい。


「せんせぇ?」


 きょとんとしたミミが首をかしげる。


 だが、次の瞬間──少女の仮面は、音もなく外された。


 艶やかな漆黒の長髪。静かな銀灰の瞳。

 感情の波がほとんど表に出ない、無表情な少女の顔。


「──ミナト先生、お久しぶりです」


 その名前を、確かに彼女は口にした。


 その瞬間、時間が止まったようにミナトは感じた。


「……天音?……来栖 天音?」


 ミナトは、信じられないものを見る目で、少女を見つめ返した。


「……なのか……?」


 少女──アマネは、微かに頷いた。


「“アマネ=クルス”として、現在は聖刻神殿の監察官を務めています。

 でも──中身は、来栖 天音です」


 ミナトは、凍りついたように立ちつくす。


「……せんせぇ、おねーさんと知り合いだったの?」

 ミミだけが、ぽかんとしたまま、笑った。


 ──来栖 天音。


 十年前、自分が教師として担当していた教え子。

 成績は優秀で、誰にも迷惑をかけず、寡黙で──

 それでも、どこか張りつめていた。今なら、分かる。


 “あの時”、気づくべきだった。向き合うべきだった。

 

 だが──


 (お前は……)


 言葉が、出ない。


 まるで凍りついた舌の奥から、何を絞り出しても、それは届かないような感覚。


 それもそのはずだ。


 ミナトの視線の先には、まるで十年前の姿のままの少女が、静かに立っていた。


 ──髪の色も、背丈も、あの頃と何一つ変わっていない。


 違うのは──その瞳だった。


 十年前にはなかった、異質な静けさが、そこに宿っていた。


 「……っ」


 ミナトは、無意識に拳を握った。


 (俺は、十年を過ごして……)


 教師を辞め、後悔を抱きながらも、自分なりに前へ進んできた。


 年齢も重ねた。

 心も、身体も、あの頃とは違う。


 けれど──彼女は、まるで“あの日”から一歩も進んでいないように見えた。


 それが、たまらなく──残酷だった。


 言わなければならないことは、山ほどあるはずなのに。


 何から言えばいい?

 あの時、助けられなかったこと?

 なぜ、今ここにいるのかという問い?

 どうして、神殿に身を置いているのかという疑問?


 けれど。


「……いや……違う」


 ポツリと口をついて出たのは、そんな理屈じゃなかった。


 (──何を、言えばいいんだ。俺は……)


 顔を上げると、アマネはもう仮面をつけ直していた。

 そのまま、静かにミナトを見つめている。


 その無表情の奥にあるものを、ミナトは掴めなかった。


 ただ──


 この十年間、自分が生きてきた時間と、彼女が歩んできた時間は、

 決して、同じではなかった。


 時間は進んだ。

 だが、彼女は進まなかった。


 それが、“彼女を取り巻く運命”だったのかもしれない。


 アマネは一礼するように、静かに頭を下げた。


 その声は、変わらぬまま、けれどほんの僅かだけ──震えていた。


「また、あらためて……お話ししましょう、ミナト先生。私たちは、まだ……終わっていませんから」


 そのまま、仮面の少女は神官たちの中へと消えていった。


 白銀の光が、遺跡の崩壊の残響と共に、風に流される。


 ──その後ろ姿は、まるで過去そのものが、今もずっと背中に貼りついているようだった。



(あとがき)

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!


第3章まで、レイラ・フィリス・ミミ──

それぞれの心の傷と、変わっていく姿を描いてきました。


当初は各章を4話構成でまとめる予定だったのですが……

書いていくうちに、彼女たちの背景や想いがどんどん膨らんでしまって。

気づけば、章を超えて描きたくなるくらいの物語になっていました。


とはいえ、あまり重たくなりすぎず、

読者のみなさんが“気持ちよく読めるテンポ”を大切にして、

必要な描写をぎゅっと詰め込みながら進めています。


各章で描き切れなかったエピソードや日常シーンは、

今後【幕間】として補完できればと思っていますので、お楽しみに!


──そして、第3章のラストで、ついに現れた“アマネ”。

彼女とミナトの過去、そして現在の交差は、

これまでとは少し違う空気感で描いていく予定です。


第4章からは、教師としての“選択”や“贖罪”、

そして「過去とどう向き合うか」が、静かに、でも深く問われていきます。


続きも読んでいただけたら、とても嬉しいです!


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