第10話 「望まれなかった子ども」
霧のように微細な魔力が、早朝の教室に漂っていた。
窓を少し開けたままのXクラスの教室。鳥のさえずりとともに、今日もいつもの騒がしさが始まっていた。
「おっそーい! ほら、せんせー! 筋肉痛でベッドから起き上がれなかったんでしょー?」
ミミがいつものように明るく笑って、ミナトに抱きつく。
「ちょっ……お前、朝から甘えすぎだろっ」
「ふふ、じゃあせんせーには“中年用魔法椅子”を支給しなきゃね☆ 腰痛予防つきで!」
「誰がそんな限定装備いるか!」
「ふむ……おじさま専用アイテムというのも、悪くはありませんわね」
フィリスが皮肉混じりに言うと、ミナトは(いや、お前たちが原因なんだけどな)と心の中で頭を抱える。
「な、なに色気づいてんだよ!ミミのくせに……!!」
レイラが耳としっっぽを立て、一喝!
「レイラちゃん、嫉妬〜?♡」
「し、してねぇよっ!///」
そんな掛け合いも、いつも通り。
だが、ミナトの目は、ミミの笑顔の奥の“揺れ”を見逃さなかった。
——あの特別授業のあと。
聖刻神殿の神官が語った教義。「混血は魔力が不安定で、世界の秩序に反する」。
その言葉に、ミミがどれほど傷ついたか。
あれから数日。ミミは、あの日と変わらぬ笑顔で過ごしている。
だが、笑い声の“トーン”が、ほんのわずかに軽すぎる。
それを感じ取ったのは、ミナトだけではなかった。
「……先生」
放課後、レイラがぼそっと呟いた。
「ミミ、あのあと、夜泣いてた。あたし、耳いいから」
そしてフィリスもまた。
「笑ってはいますけど、あの子……瞳が、まったく笑ってませんの」
ミナトは、うなずいた。
「……わかってる。俺も……見てた」
* * *
空の端が、ゆっくりと朱に染まりはじめた。
ひとり、夕暮れの庭園に腰を下ろしていたミミの前に、
白銀の仮面をつけた黒髪の少女が、静かに現れた。
その姿はまるで、夕暮れの影そのものだった。
「……神殿の人、でしょ?」
ミミは、無邪気な笑みを浮かべながらも、声に棘があった。
「あはは、もしかして“感情の観察”ってやつ? まさか、ミミが“危険因子”扱いされてるのかなぁ~☆」
「いいえ。私はただ……話をしに来ただけです」
仮面の奥から聞こえる声は、静かで落ち着いていた。
でも、どこか——迷いのような、複雑な想いが、微かに滲んでいた。
「神殿の教義って、混血は不安定って、そう言ってたよね」
ミミはぽつりと呟く。
いつものように、笑って。
「実際そうかも。あたし、人間とエルフのハーフだし。
両方の魔力が混ざって、制御しにくいって、ずーっと言われてたし」
どうしてだろう。
なぜかこの人には……ちょっとだけ、自分と似てる気がして。
つい、話してしまっていた。
「……」
「人間の孤児院に入った時もね、耳がちょっと尖ってるだけで、気味悪がられて。
だから、笑顔でいたんだ。甘えて、馬鹿っぽく振る舞えば、ちょっとは可愛がられるからさ~。
そしたら、誰も“混血のくせに”とか言わなくなるんだよ? すごいよね、人間って!」
そう言って、にぱっと笑うミミ。
でもその声には、かすれたノイズのような震えがあった。
沈黙。
仮面の少女は、そっと──一歩だけ近づく。
「あなたは……誰かの子である必要はない」
「え?」
「家族は、必ずしも“血”でできているわけではない。
そして──近くにいるからといって、
いつも“居場所”になれるとも限らない」
その言葉に、ミミの目がすこしだけ見開かれる。
「……それって、おねーさんも?」
仮面の奥にある表情は、見えない。
だけど、その沈黙が、なにより雄弁だった。
「神殿の教義は、“世界を守るための道標”。
でも──すべてが正しいとは、限らないわ」
「……うそ。だって、神殿の人なのに。そんなこと、言っていいの?」
「私は……そう思っているだけ。
それでも、間違いに気づいたなら……変える努力は、できる。
あなたのような子が、もう“笑わなくても”生きていけるように」
ミミは黙って、仮面越しの黒髪の少女を見つめた。
(この人……もしかして、あたしと……)
目を伏せて、ひと息。
「……あたし、ほんとは──笑いたくないのかもね」
「……それに気づけたなら。あなたはもう、ひとりじゃない」
ふたりの間を、やさしい風が通り抜ける。
その静寂は、確かに“居場所”だった。
* * *
そして、ある日。
学園全体に響き渡る警報。
校内に設置された魔力感知装置が、急激な干渉を検知したのだ。
ユグドラ学園の地下に眠る封印遺跡の一つ。聖刻神殿によって数十年前に封印されたとされる“因果安定の祭壇”区域から、強い魔力の波が拡散した。
学園長室に教師陣が集められ、ゼリオが静かに語る。
「ふむ……まさか、あの封印がこのタイミングで反応するとはな……。因果の波などというものは、こちらの都合などお構いなしじゃ」
「封印の再活性化……となると、神殿の協力が必要です」
ジル=ヘルネストが言った。
「うむ。向こうも既に動いておる。だが、現場の判断は我らが行う。……ジル先生、冷静にな」
「心得ています」
各クラスから教師と生徒の選抜が行われ、調査隊の編成が決定された。
ミナト、レイラ、フィリス、ミミの四人がXクラスから選出される。
その発表を聞いた時、ミミはほんの少し、口元を吊り上げた。
「そっか、あたしも参加なんだ。……うん、がんばるよっ☆」
「お、やけに前向きじゃねーか!」
レイラが首をかしげる。
「ふふーん、レイラちゃんが一緒なら──怖くないもん♪」
そう言って笑うミミの声は、
ほんの少しだけ、震えていた。
「なっ、なに言ってんだ、バカ!///」(しっぽ、ふりふり)
「ふぅ……相変わらず騒がしいですわね。けれど——少し、安心しましたわ」
フィリスが柔らかく微笑む。ミナトも、そんな生徒たちの様子に、ほっと息をついた。
それぞれが少しずつ、確かに変わってきている。
ミミもまた、自分の傷と向き合いながら、少しずつ前を向こうとしていた。
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