第6話 「私は、感情に支配されない」—令嬢は心に鍵をかけ、誰にも触れさせない。
朝のユグドラ学園。
Xクラスの教室は今日もにぎやかだった。
扉を開けた瞬間から、耳に飛び込んでくるのは、誰かの叫び声と、爆ぜる魔力の音。
「せんせー! あたしのプリントどこいったー!? 魔導計算、全部犬耳で覚えたのに!」
「それプリントの意味ないだろ!」
「先生、今日も神様が“ノートは不要”って言うんです」
「メル、それを理由に提出物なしは許されない!」
ミナトは、雑音と笑い声の渦の中で、今日も全力で教壇に立っていた。
とはいえ、彼の顔には疲労の中にもかすかな達成感がある。
ひとつひとつの反応、やりとりが、かつての“無関心”だった頃に比べれば、ずっと賑やかで、温かい。
「せんせぇ〜、今日もかっこいいね♡ ごほうびちゅーは〜?」
「ミミ、それ毎回言うけど、一度たりともOKしてないからな!」
「えぇ〜? じゃあ“抱っこ”で妥協してあげよっか♡」
そんなやりとりに、レイラが椅子をがたんと引いて振り返る。
「なに甘えんぼしてんだよ、ミミ。気色悪ぃ」
「わー、嫉妬だ~♪ レイラちゃん、ヤキモチヤキヤキ♡」
「だ、誰が! 違うし!!」
──教室の端。
完璧な姿勢でノートを取るフィリスは、そんな騒ぎを一瞥するも、すぐに視線を戻す。
(……くだらない騒動を繰り返すのが、ここの日常ですのね)
彼女の前には、距離がある。
誰よりも真面目に授業に臨み、誰よりも早く課題を終える。
それは賞賛されるべきことのはずなのに、どこか──孤立していた。
フィリス自身も気づいていた。
その“壁”を、自分が築いていることを。
* * *
その日の午前、教員会議室でゼリオ学園長から全体通達がなされた。
「今年の遠征訓練についてじゃが、Xクラスも参加することが決定した。魔獣領域での実地演習、制御付き訓練として行う」
ミナトは少し目を見開いた。
「……いよいよ本格的ですね」
「お主の“教育”が、どこまで届いとるか……確かめる時じゃな」
ゼリオの目は、冗談めいていても、その奥に本気の期待が宿っていた。
「それから、今回の遠征には……」
横に立っていた、栗色の三つ編みロング、丸眼鏡の若い女性が、一歩前に出た。
「ユグドラ学園、魔導学担当の《エルネシア=フロース》です! 今回、Xクラスに同行させていただきます!」
23歳。
ミナトよりも若い。
まっすぐな目と明るい声。だが、その中にひたむきさと誠実さが感じられた。
「ミナト先生、以前の模擬戦演習──あの授業……。本当に、感動しました。
生徒と向き合うその姿勢、わたしも学ばせていただきたいと思いまして!」
ミナトは少し照れくさそうに、後頭部をかいた。
「そ、そんな大したもんじゃ……。でも、こちらこそよろしくお願いします」
* * *
教室。
「はじめまして! エルネシア=フロースと申します! 遠征訓練に研修として同行させていただきます!」
ピシッとした挨拶。
その姿に、Xクラスのメスガキ達の目がきらりと光った。
「……せんせーより若い♡、そして可愛い☆」
「これは……ミナトせんせーの恋の予感ww?」
「まさかの同僚、年下攻め!? やばっ、青春始まっちゃった!??」
「お、おまえらなぁぁあ!!!」
耳まで真っ赤になるミナト。
エルネシアは目を丸くして、戸惑いながらも微笑む。
「わ、わたし、そんな……! そ、そういうのじゃ……っ」
奥の席では、ふくれっ面のレイラが、むすっと呟く。
「ふーん……別にどうでもいいし……」
エルネシアも顔を赤くしながら、慌てて話題をそらす。
「え、えっと……よろしくお願いしますっ!」
(かわいい……)
ミナトの内心に謎の動揺。
フィリスはその様子を見て、静かに溜息を吐いた。
(この学級は、教育というより……劇場ですわね)
* * *
その夜、寮の食堂。
”おかん寮母”こと 《マルタ=グレイニー》が厨房から現れ、タオルを腰に引っかけたままミナトに詰め寄る。
「ミナト先生、あんた、いい加減、嫁もらいなさいよ」
「な、なんで今その話!? 明日遠征なんですけど!?」
「だからよ。旅先で命落とすかもしれないのに、独り身でどーすんの。帰ってくる保証ないよ?」
「縁起でもない!!!」
「子どもってのはね、放っておいたら、大人になんてなれないの」
“おかん”の一喝に、教員としての自信が根元から揺らぐ。
「マルタさん、それ反則です……」
「ほら、煮込み冷めちゃうよ、ちゃんと食べるんだよ」
「うっ……はい」
* * *
夜、フィリスの部屋。
荷造りは既に完璧。
整った姿で魔導書の確認をする。
だが──
小さく、息をついた。
「……遠征など、騒ぎにしかなりませんわ」
それでも、手は止まらなかった。
革製の鞄の中身をもう一度見直し、整えて、蓋を閉める。
「……浮かれるだけの集団の中で、わたくしはわたくしを保つだけ。
それが、わたくしの──存在理由」
小さく、つぶやく。
だが、どこか空虚な響きだった。
彼女の瞳に映るのは、自身の理想ではなく、ただの“鎧”だった。
「……完璧でなければならないなんて。
……誰が、決めたのでしょうね……」
その囁きは夜の静寂に溶け、誰にも届かなかった。
* * *
出発当日。
朝陽を浴びる学園の前庭に、Xクラスが集まった。
制服に防護ケープ。魔導具とリュックを背負い、それぞれが期待と不安を胸に立っていた。
「ぜってー、なんか出るよな!? 魔獣、ぶっ倒してやる!!」
「寝袋に入って寝れるかな……?(神様付き)」
「旅のしおり、忘れたら死ぬんだよね!?」
ミナトは一歩前に出て、全員を見渡した。
(全員、そろってる。心配もある。でも──今は、信じてみよう)
「よし。Xクラス、出発するぞ!」
その号令とともに、生徒たちは歩き出した。
ユグドラ学園から、初めての“外”へと──
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