第3話「理(ことわり)の剣、咆哮を断つ」
午後の陽が傾き、実技演習場に長い影を落とす。
模擬戦演習、最終戦。
対峙するのは、ユグドラ学園最強の精鋭──Aクラス。
その中でもひときわ存在感を放つのが、銀青色の髪をなびかせる一人の少女。
セレナ=フォン・エストレリス・ルクレシア。
その名と姿は、まさに“完璧な剣姫”。王族の血を引き、礼節と強さを兼ね備えたその立ち姿は、誰の目にも眩しいほどに鮮やかだった。
そして──彼女の視線の先。
「……見下ろすなよ」
焦げ茶のツインテールが、陽光の中で揺れる。
獣耳がぴくりと反応し、レイラの瞳がギラついた。
「セレナ。今日こそ、全部ぶつけてやる……!」
控え席。
「はいはーいっ、じゃあ作戦会議いってみよー☆」
ミミが、スカートを揺らしてひょいっと跳ねた。
「うーん、ミミはとりあえずフィーちゃんと一緒に行動して、後ろからバフしながら……敵の後ろにまわって、こちょこちょしちゃおうっかな〜♪」
「“こちょこちょ”……? それ、戦術の言葉として成立してますの?」
フィリスは眉間を押さえて溜息をついた。
「もう、やる気があるのかないのか……戦場でぬいぐるみでも投げるおつもり?」
「うわ〜、それちょっといいかも♡ フィーちゃん、頭いいね〜♪」
「……もういいですわ」
一方で、レイラは座ったまま、剣の柄に手を置き、黙り込んでいた。
「……レイラ?」
ミナトが声をかけようとしたが、彼女は答えない。
その視線は、すでに一点──セレナだけを見据えていた。
(作戦どころじゃない、か……)
ミナトは頭を掻きながら、少しだけ笑った。
でも──それでもいい。
心の底からぶつかり合える相手がいるのなら。
* * *
──模擬戦、開始の合図が響く直前。
「レイラ、落ち着いて。今回は“勝つこと”だけが目的じゃないですわ」
フィリスが淡々と告げる。だがレイラはすでにセレナの姿しか見ていなかった。
「へっ、勝つも何も、あいつにゃ言いたいことがあるんだよ……!」
ケモ耳をぴんと立て、剣を抜くレイラ。その眼は、まるで狩りに出る獣のようだった。
対するセレナもまた、静かに構えを取る。
彼女の表情は──冷静、そして凛としている。
(今度こそ、“あの時”とは違うわ。私の剣は……私自身の覚悟)
彼女の中で、記憶がよみがえる。
──王都の庭園での試合。
レイラの獣のような剣に敗れた、あの日。
その時の、レイラの“笑顔”が……心のどこかに刺さっていた。
(あの子の剣は荒削りで、礼儀もなくて……だけど)
(……なぜ、私は“あの剣”が目に焼き付いて離れなかったの?)
戦闘開始の合図。
次の瞬間、爆音が轟いた。
レイラとセレナが、まるで弾丸のように互いに踏み込む。
轟く剣戟。
魔力が軋み、空気が揺れる。
「っはあああああっ!!」
レイラの獣牙大剣(ルフェル・クロー)が、真横に唸りを上げて薙ぎ払う。
瞬間、セレナが風を纏って跳ねた。
「舞陣剣・翠風(すいふう)──踏風三連」
軽やかに空を切る音とともに、三つの斬撃が音速で走る。
金属と金属がぶつかり合う音が、空に響き渡った。
レイラが後ろに跳ね、体勢を立て直す。
(速い……! でも、止まらない!)
「うぉおおおおっ!!」
そのまま、斜めに斬り込む。
魔力が噴き出し、演習場の床に爪痕を刻むような一撃。
対するセレナは、静かに剣を前に構える。
「氷華結界・二重陣──律剣、展開」
青い陣が連続して現れ、斬撃を弾く。
「ちっ……!!」
一瞬のスキを突かれ、レイラの肩に浅く剣が当たる。
「《心映剣舞(ミラージュ・フェンサー)》──開陣」
セレナの魔力が跳ね上がる。彼女の剣の軌跡が、空間に幾重にも“残像”を描く。
そのすべてが、実体を持った“魔法剣”として空間を斬る。
無数の刃が空間を埋め尽くす。
そのすべてが、“心”を見透かすような剣──
レイラの瞳が揺れた。
「あたしの剣が……届かない……?」
一方、フィリスとミミも必死に戦っていた。
「《演算拡張結界(マギカ・エンハンスド)》、第二陣……氷針、投射──!」
フィリスの手元で浮かび上がった幾何学魔法陣が、渦を巻くように展開し、氷柱を乱射。
が、詠唱の隙を突かれ、敵の雷撃スキル《迅雷球(ライオット・ボルト)》が炸裂する。
「っく、直撃は……避け……」
ミミがすかさず前に出る。
「《心音領域(エモーショナル・サークル)》、ミミモード全開〜っ☆」
鈴の音とともに、心音が共鳴し、フィリスが張った、魔法防御陣を強化させる。
が、——それも限界が近かった。
「くそっ……この子たちの力は、本物なのに……!」
ミナトは拳を握る。
(…いや、それだけじゃない)
(あの子たちは、まだ、精神が安定していないんだ……)
(だから、俺が──今できることを探すんだろ!)
ミナトの視線が鋭くなる。
(逃げるな!向き合え!教師ってのは、見守るだけじゃない。支えるだけでもない……)
(……信じる覚悟を、教えるんだろ!)
金属が激しく打ち鳴らされる。
音の洪水の中、観客席がざわめきを飲み込む。
レイラは動いていた。
いや、“躍って”いた。
大剣を肩に担ぎ、踏み込み。
その一撃で、大地が裂ける。
「がっ……はッ!!」
息を吐きながら振り下ろす剣。
風圧だけで土煙が舞い、フィールドを染める。
「《獣牙の爆奔(ビーストランページ)》、解放……っ!」
彼女の体から、青白いオーラが噴き上がる。
筋肉が一瞬にして膨張し、肌に光る紋様が浮かぶ。
それは“獣人覚醒”の証。
魔力によって肉体のリミッターを外し、一時的に超高速の身体能力を得る──代償は、精神への激しい負荷。
レイラは吠えるように前へと飛び出した。
剣閃。
疾風の如く放たれる踏み込み。
レイラは、ただ“怒り”だけを剣に乗せていた。
跳び、吠え、叩きつける──
それは戦いではない。
彼女の“叫び”だった。
まるで野生の獣が牙を振るうような、破壊の舞。
──だが。
「──遅い」
セレナは、舞っていた。
刃の軌跡を滑るように受け流し、その足元から《律剣》を交差させる。
空間に、“剣の残像”が花のように咲いた。
「《心映剣舞(ミラージュ・フェンサー)》、第三式──煌輪」
その言葉とともに、空間に描かれた剣の幻影が同時に襲いかかる。
「くっ──!」
レイラは跳ぶ。避ける。かわす。
……だが、追いつかない。
一撃、一撃が、まるで彼女の“生き方”そのものを否定してくるようだった。
(なんで──なんで避けられねぇんだよ……!)
刃が肩をかすめ、裂ける音とともに血が滲む。
全身が痛い。
でも、悔しさのほうが、ずっと痛い。
「ぉおおおおあああああっ!!」
咆哮とともに、剣を横薙ぎに振る。
衝撃波がフィールドを揺らす。
が、それすらも──
「あなたの強さは“素晴らしい”……だけど」
セレナの声が、淡々と響く。
「それは“騎士”としての理から逸脱している」
「……うるっせぇよっ!!」
レイラは足を踏み鳴らし、突進する。
その獣のような動きに、観客が息をのむ。
──だが。
剣が止められる。
心が、止められる。
やっぱり、勝てない気がした。
その時、レイラの中で、何かが“砕けた”。
視界が白く滲む。
空間が歪み、時間が遅く感じた。
そして──あの記憶が、よみがえる。
* * *
王都、剣術試合会場の庭園道場。
晴れた空。
小鳥のさえずり。
芝の匂い。
「よろしくっ!」
幼いレイラは、無邪気に笑っていた。
相手は、セレナ。
周囲の貴族たちは興味半分、不快半分のまなざしを向けていた。
剣を構える。
相手が誰であろうと、全力で挑む。それが、レイラの流儀だった。
セレナの剣は美しかった。
流れるような線、鋭く、整えられた軌道。
だが、それ以上にレイラは“速かった”。
本能と直感。躍動と迫力。
彼女の”自由な剣”が、”理の剣”を圧倒した。
──勝った。
でも、何も聞こえなかった。
「“獣人のくせに”……」
「“本能任せで、めちゃくちゃだ”……」
称賛はなかった。
拍手もなかった。
セレナは、沈黙のまま礼をして立ち去った。
レイラの中に残ったのは、勝利の喜びではなく。
──虚無だった。
「……なんで?」
その疑問が、いつしか怒りに変わった。
怒りが、いつしか悲しみに変わった。
そして──心の奥で、獣が吠えた。
* * *
《エデュ・シール》が、警告音を鳴らし始める。
装置の表面に刻まれた魔術刻印が、異常な速さで点滅を始める。
“警告:出力オーバー 精神負荷高騰 制御不能圏突入”
装置から迸る火花。
抑制されていた魔力が逆流し、レイラの全身から蒼炎のような光が漏れ出す。
「──ぐ、ぁ……あ、あああ……ッ!!」
彼女の呼吸が荒れ、口から熱を吐き出すような声が漏れる。
筋肉が硬直し、目が赤く染まり、瞳孔が細くなる。
その様子は、まさに“魔力暴走”だった。
魔力が制御装置の限界を超えて体外に漏れ、フィールドの空気が震える。
見えない衝撃波が走り、周囲の結界に皹が走った。
レイラの意識は、すでに“戦うため”ではなく、“吠えるため”のものになっていた。
その叫びは──誰かに届いてほしいという、魂の奥からの叫び。
控えエリアで、ミナトは、拳を強く握っていた。
心が、ざわついていた。
(これは……まずい)
レイラの“あれ”は、ただの意地じゃない。
もっと深い、黒い何かが、いまにも表に出ようとしている。
「……また、同じことになるのか?」
呟いたその瞬間、ミナトの体が自然に前へ出た。
(やめろ、立ち止まるな。今度は──)
(今度は“逃げない”って決めたんだろ!!)
教壇で諦めたあの日。
守れなかった、生徒の後ろ姿。
もう、繰り返さない。
光が、足元で弾ける。
魔法陣が静かに広がり始める。
《導刻記憶(レガシア・インストラクター)》の発動。
空気が震え、風が集まり、光が脈動する。
ミナトはレイラに向かって走り出していた。
輝く輪が広がり、レイラとミナトを包み込む──
次回:第4話「剣を預ける覚悟」
その一歩は、レイラとミナトの《魂の共鳴(エンパシア)》から始まる──
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